マンデーの日記

Whatever Will Be, Will Be.

イギリス旅行⑧

2012-07-31 | 旅行
6月13日。

残り少なくなって来たロンドン。
姪と妹は午前中、またまたクラークスのお店に行きたいと言う。

「世界遺産のグリニッジに行きたい」と言うと姪も行きたいと言うので、12時、ドックランズ・ライト・レイルウェイ、Greenwich駅で待ち合わせる事にし、ビートルズ世代の私、『そうだ午前中はアビーロードに行こう』

ビートルズの4人はリバプールの出身です。
1969年8月8日午前11時35分。アビー・ロード・スタジオを背に、一列になって横断歩道を渡る姿が撮影されました。
ポールマッカートニーのアイデアで、お馴染の‘アビー・ロード’のジャケットとなり、この横断歩道は何処よりも有名になりました。
今でも世界中から多くのファンがやってくる場所です。

地下鉄ジュビリー・ライン、下車。
左方向、緩やかな坂道を下り10分程歩いた、日本人も多く住むという閑静な住宅街に、あのビートルズ・ファンが後を絶たない横断歩道はあります。アングルは違うけど車が来ないのを見計らって近くにいた日本人グループのお一人に私も写真を取って貰いました。

またすぐ近くには、多くの曲をレコーディングした、アビー・ロード・スタジオの白い建物もあります。


(今回のオリンピック開会式にはリンゴ・スターがヘイ・ジュードを歌いましたね

ジュビリーラインST.John's Wood駅からCanary Wharf駅で乗り換え待ち合わせの駅に着き、近くの中華料理店にてランチ。中華は何処にっても美味しくてリーズナブル。

グリニッジと言えば天文台と標準時。
現役の天文台はロンドンの汚染された空気の中では、観測に支障をきたすと言う理由で、1949年にサセックス州へと移ってしまいましたが、東経、西経とも0度である子午線は、もちろんここグリニッジを通ります。
小高い丘の上にある旧王立天文台の中にある0度の線は、金属製で地面に埋め込まれてあります。
この上に立てば東半球と西半球の境に立つ事になると言う訳です。


(18393歩)

イギリス旅行⑦

2012-07-24 | 旅行
ロンドンオリンピックが間近に迫って来ました。
テレビに映し出される映像に最も多いのはビックベン。
行ったばかりなので、親近感を持って見ています。
こうしちゃいられない、まだ途中の旅行記、早くしあげないと忘れてしまう…


11日。

パリから帰って、この日はロンドン市内観光とショッピングの為、ピカデリーサーカスに行きました。
ピカデリーサーカス駅付近には、イギリスのブランド、クラークスのお店が数店あります。
私の幅広甲高の足にはクラークスのファニードリームがぴったりで、長時間履いても疲れない。
現地で買うと日本の3分の1程度で買えるので、靴の他、娘たちに財布とお土産用に可愛い傘を買ってきました。

又、近くに三越もあるので滞在中何度か通いました。
店内には日本からのツァー客がほとんどで、やはりオバちゃん達が多い。
妹はバーバリーのブラウスを買ったが、これも日本で買うよりもずっと安く買えました。

私はバーバリーのスマホケースが欲しかったのだが、大きい私のスマホが少々窮屈そうだったので諦めました。
日本でネットで調べたら現地で18000円程だった諦めたスマホケースが日本で5万円以上で売っていました。
少々窮屈でも買ってくれば良かったな~残念。

お昼は三越近くの日本料理“東京”にてお蕎麦とかつ丼を食べました。美味しかったんだけど写真を撮るのをすっかり忘れてしまった。

(10086歩)

12日。

朝から冷たい霧雨が降っていた。
バッキンガム宮殿の、11時から行われる衛兵の交代式を見る為早めにホテルを出た。
10時前には着いたが、ポリスから「今日は工事中の為ここからしか見れない」とかなり遠い場所を指定された。
それでも行進を良いポジションで見る為、寒い中待っていると、人の流れが、公園を抜けて宮殿に向っていた。
ついて行って見ると、いつも通り交代式は行われるんだと…


鉄門にしっかりはめ込まれた金のレリーフは王室の意向を放っています。

赤い制服に毛皮の帽子をまとったりりしい近衛兵達、前回の旅行では見れなかったので、迫力ある美しい行進を前列で見れ大満足でした。
ちなみにこの建物は1703年バッキンガム公の私邸として建てられました。

ランチはイタリアンチェーン店の“ZiZZi”にてすごいボリュウムのパスタを完食。


姪は雑貨類が好きで、何処かの蚤の市に行きたいと言う。
私は蚤の市にあまり興味はなくロンドン塔に行きたかったので、別行動を取る事にしました。

この頃には地下鉄の乗り方も覚え、見知らぬ街を一人歩くのも楽しみでワクワク。
ガイドブックを片手に、地下鉄を乗り換え、片言の英語を駆使し、地下鉄Tower Hill駅に向いました。

駅を出ると、そこはもうロンドン塔。かつて牢獄として使われていた頃は処刑場だった場所です。
チケット(19£)を買い、オーディオガイドとマップを片手に広い塔内を歩きました。
すぐ近くにタワーブリッジも見えます。

ロンドン塔を訪れた理由の一つは、ジュエル・ハウスの‘Crown Jewels’を見ること。
ロンドン塔は中世の王室の宝物庫であった為、数々の値段が付けられないようなコレクションがあります。
見てるだけで楽しめました。(写真撮影は禁止)

そもそもはロンドンを守る為の要塞として建設されたロンドン塔は、一時は王室の居城として使われましたが、その後、牢獄として使用された歴史の方が長く、暗いイメージが付きまといます。
謎に満ちた事件も多く、エドワード4世の息子エドワードとその弟が、父王の死後、叔父の庇護のもと、ロンドン塔で即位の日を待っている間に行方不明になり、その後遺体が発見されました。
疑いはリチャード3世として即位した叔父にかけられましたが、未解決のまま闇に葬られました。

当時処刑は、ロンドンの一大見世物でした。
群衆が見守る中、ここで人生のピリオドを打った囚人たちが数多くいました。

ロンドン塔にはロンドン塔を案内してくれる、ビーフイタ―と呼ばれる守衛が、陰謀、投獄、処刑、拷問等ロンドン塔に関する60分のツァーでもてなしてくれます。
ユーモアたっぷりのイギリス紳士のビーフイタ―。ビーフイタ―との記念写真を頼んだ他のビーフイタ―が一人いつの間にか写っていました。
彼らは住まいもロンドン塔内にあって、普通に生活しています。観光客が帰った後、そこは彼らとその家族の住みかとして彼らだけの世界です、とオーディオガイドは締めくくっていました。
(20120歩 )

第10胸椎圧迫骨折

2012-07-09 | 日記
2ヶ月くらい前だったろうか?
高い場所から物を取ろうとして、置いた踏み台が絨毯の上で床に乗っていなくてひっくり返り、背中右部を強打した。
しばらく息が出来なくて、その時、夫は勿論、娘も妹も母もいたのに誰も助けに来てくれず、しょうがないので自力で皆のいる所まで行って「背中を思い切り打った』と言ったが、やはり誰も相手にしてくれず…

大丈夫そうだったけれど、旅行前と言う事で取り敢えず病院(何でも見てくれるおじいちゃん先生で外科の先生)に行って見ると、その時はレントゲンを取り、骨に異常はないと言われた。
旅行中も難なく楽しく過ごしたのだけど、昨日遅くなって、背中がズキンズキン痛み出してきた。
思い当たるのは、あの時の強打だけ。

私の場合、出歩けなくなるのが何と言っても心配なので、今日午前中は泳いで、夕方整形外科に行ってみた。
レントゲンとMRIを取り、診断は《第10胸椎圧迫骨折》
シップとコルセットを巻かれたが、大事には至らないようだ。

うっかりミスで起こした痛い思いと痛い出費。
気をつけましょう。

イギリス旅行⑥ パリ編

2012-07-03 | 旅行
10日。
パリ最終日。

ホテルに荷物を預かって貰い(無料)パリ北駅午後8時13分のユーロスターの時間まで、パリ市内を観光しました。
予定では、シテ島・ノートルダム大聖堂のステンドグラス・バラ窓を見た後は、塔のてっぺんに上ってパリ市内の景観を見るつもりでいました。

10日はちょうど日曜日、ノートルダム大聖堂内にてミサが行われていました。
凛とした空気の中、信者が椅子に座って祈り、讃美歌が歌われ、厳かにミサが行われていました。
音を立てないように、その周りを静かに見学して行きました。
バラ窓のステンドグラスはやはりすごいです。


その後、塔に上る為外に出てみると、20メートル位の列が出来ていました。
一番後ろに並んで待ってみるものの、列は遅遅として進まない。
1時間は並んだかな~この様子だと順番が回ってくるにはあと2時間はかかりそう。
そうなると後のプランは大幅に狂ってしまうので、泣く泣く諦めました。
「塔に上りたい」と言ったのは私で、『次の機会に』と言ったのは姪。
(次なんてあるかな~よしんば来れたとしても387段の階段登れるかな~等と思いつつ)

あまり絵に興味のない妹だが「モナリザだけは実物を見てみたい」との事で、ルーブル美術館を予定していました。
ホテルで割引のチケットを買い、9時過ぎにルーブルに着いた頃には長蛇の列が出来ていました。
チケットを持っていたので、早く入れるラインに並ぶ事が出来ました。
40年近く前、東京上野の国立西洋美術館にモナリザが来た時、2回見に行ったので、3度目のモナリザになります。
すごい人・人・人…
(フラッシュをたかなければ写真はオーケー)
ルーブルは大変広くて目眩がしそう。時間に限りがあるので、何点か絞って見るしかない。


かつては駅舎だったという、オルセー美術館も長蛇の列が出来ていたが、割合スムーズに進んでいた。
ここでお得なオランジュリー美術館とセットのチケットを買う。
オランジュリーも混んでいたが、ここもチケットを持っていたので別のラインに並べた。
2つの美術館とも写真はNG。

実家に、もの心付く頃には飾ってあったミレーの“落ち穂拾い”と“晩鐘”は美術の教科書でもお馴染ですが、私は特に親近感があり、以前より見てみたいと思っていました。
裕福な家庭に育った農民画家ミレーは絵具を2倍使ったと言います。“落ち穂拾い”は見れたが“晩鐘”は何処に旅に出たんだろう?残念でした。

ルノワールの“ムーラン・ド・ラ・ギャレット”の前に置かれた椅子は、日本人のデザイナー吉岡徳仁氏の「Water block」。
NHKの「天海祐希 パリと女と…~新オルセーと名画たち~」で仕入れた情報です。
勿論私も人がいなくなったのを見計らってしっかり座って来ました。

買って来たオルセーの本の表紙は最も見たかった絵の一つゴッホ“星月夜”。


ランチは美術館内にあるベルサイユ宮殿を彷彿させるレストラン「Le Restaurant」にて頂きました。
レストランで働くフランス人はかっこよくて綺麗な人が多いが、愛想はあまり良くない。
注文をしようとしても係の人を呼べと言わんばかりに無視される。日本との違いに少々カルチャーショック。
食事もやはり口には合わない。


画家クロード・モネの最後の傑作『睡蓮』を飾るオランジュリー美術館は、1852年にナポレオン3世が築いた温室(オランジュリー)を改造した建物です。
2000年に始まった大改装によってモネが望んだ自然光を取り戻した『睡蓮』は圧巻でした。目に焼き付けました、一生忘れないでしょう。

セーヌ川にかかるオルセー美術館とテュイルリー庭園を結ぶ歩道橋。
以前に来た時聞いた様な気がするが、恋人達が変わらぬ愛を願って南京錠をかけるんだそう。


そろそろパリとも別れ。ホテルまで荷物を取りに行って『大勝軒』を発見。


パリ北駅からロンドン帰ります。
パリ北駅のチェックインカウンターではポリスが出国手続きをしていた、へ~。



晴れ時々くもり(21031歩)