ライン出版編集部

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慰問しました

2011-03-26 20:50:37 | Weblog
いわきからの避難家族が和光に来ていると聞き、
手作りのお菓子やパンを持って訪ねました。

実際会ってみると
いわきではなく浪江から避難してきた方でした。

親夫婦と実娘夫婦の二組ですが、
ご自宅のある浪江町は津波の被害を受けた上に
放射能汚染地区として立入り禁止となっているそうです。

具体的に報道されないけれど、浪江町も被害甚大とのことでした。

避難者のSさんの話によれば、
仕事で東京にいて、
地震直後から家族との連絡が途絶え、
安否がわからないまま陸路渋滞の中を必死で浪江にたどり着いたものの家族には会えないどころか
立ち入り禁止区域のため自宅内に入ることも許されず
和光に住む息子経由で妻と娘の無事と避難先をやっと知ることができ
福島市の信夫山へと向かった…。

運よく会えたのは3日後。
会えたときは言葉にならず号泣。

それから息子を頼って和光市へ。
この道中も大変な苦労が。
食事、トイレ、水…

息子さんの住まいは1Kで5人が暮らすにはとても狭く
妊婦もいるので市役所に相談したら
避難者は福祉センターで2週間だけ受け入れてもらえることがわかり
移動したとのこと。
お風呂も食事も寝る場所も確保できてやっと救われた、と。

そんなSさんを和光出版メディアの会代表のSさんとともに訪ねたのです。

私たちが到着したとき、
新たな住まいが決まって大家さんに挨拶に行っていたSさんが
戻って来て
質問に答えてくださいました。
地震や津波による現地の惨状をとつとつと。
直に聞くと震えがくるほどです。

Sさんの場合、家族と一緒に避難できた点では
幸運なケースといえるかもしれませんが、
お身内や知り合いの中には津波に巻き込まれた方も多く、
手放しでは喜べないご様子でした。

それでも前向きにこちらで再起を考えておられる姿勢に感動を覚えました。

Sさんの話が聞けたことで
これからの救援活動の展望が開けた気持ちです。

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