ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

神戸・新長田再開発地区の今

2012年02月04日 | Weblog
 阪神大震災で特に広範囲で被害の大きかった、神戸市長田区
住宅、工場、商店と建物が混在し、密集していただけに、火災による
被害が大きかった。
そしてその範囲も広く、区の中心的な町の2割近くが倒壊。消失。

 神戸の副都心といわれた、JR新長田駅周辺の住居、商店が壊滅的な被害
を受け、この町を通過する阪神高速も壊れた。

 17年を経た今、再開発事業は未だ続く。
日本最大の事業規模でその額、2700億円。
震災の2年目からは事業が、神戸空港とともに動きだした。
神戸の復興の目玉としての事業と言うことだったが、景気の低迷と
長田区から人口が流出、少子高齢化と
まったく計画された町のビジョンは見事に外れてしまった。

 途中、幾度も計画規模の縮小を地元、から、また都市計画の有識者から
何度も見直しの意見があがったが、当時強きの神戸市
震災前はあらゆる事業にあって、成功を収めたことともあり、
全国から㈱神戸市といわれたものだが、阪神大震災で一期にその姿は
変わってしまった。

 平清盛が時の権力を握り、京からこの神戸に半年間遷都した。
長田区の隣の区兵庫区に今も尚その歴史の名残と神戸がこれまで
繁栄した礎ともいえる大和田の津、兵庫運河の建設があり
その場所に今も、造船所、そして港湾施設が展開している。

しかし、清盛も17年でその権力の座から源氏によってその夢は
打ち砕かれ、鎌倉時代へと変わった。

 神戸が歩む道も清盛が歩んだ道と同じように歩んでいくような
神戸の震災からの復興
の今である。

 写真    2012年1月17日 阪神大震災追悼式   於いて神戸市長田区日吉町5丁目 あわせの地蔵堂前