ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

ハラボジの履歴書  12

2013年07月11日 | Weblog
 雨は上がり、空が透き通るような青さで、山々は雨に打たれた木々が
まるで畑で採れた泥だらけの野菜を小川で洗ったようにみずみずしく光輝いていた。
ピョンオンには大雨から田んぼを守ったという喜びが余計にそうさせた。

 家に帰って、さっそく、人夫たちの食事の支度に取り掛かった。
「そうだ、隣の権ばあさんに頼もう」。と思った。
権ばあさんは口うるさいが、料理の味はこの村一番。
チョンガキムチとナムルの味は誰がまねをしても絶対にその味には達することができない
特に、味噌と醤油の作り方を両班の娘が嫁入りする前に。権ばあさんを家に招き
娘に覚えさせるといったぐらい味付けが有名だった。
ピョオンオンの母親とは仲が良かったが、10年前に40歳でこの世を去った。
権ばあさんには子供がいたが、生まれて間もなく二人の子供を無くし、そのあとは
子供ができなくて、この村には20年前に移り住んできた。
 
5歳年上の主人は、酒もたばこもやらず小作人として、ただ働きずめの生活で
5年前に55歳で亡くなった。
残ったのは、小さなわらぶきの家と、農作の道具が少しだけ残った。
 もともとは南原から南の順天で生まれ育ったらしく、幼い時に生活が苦しかったので
12才で養女に出されたのだが名ばかりで、地主のところの女中がわりで
子守から、農作業まで、朝は日が昇るまえから、夜は皆が寝静まるまで働かされた。
子供心に何度も逃げ出そうと思ったらしいが、逃げるところがなかったので
仕方なくその場所にいたが、16歳になったころ、この家に行商の一行が生地を
売りに来たときに誘われ、ともにこの家を抜け出したという。
 権ばあさんからは、それ以上の身より話は聞いたことはなく、
ただ、いつも食べることの自慢話だけ聞くばかりだった。

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1 コメント

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Unknown (チョ ホンリ)
2014-02-11 16:52:48
最近はFbが主流となった情報の交換が多くなった。
このブログ、すでにやり始めて10年近くなるのだが、自分の記録として残しておきやいものだ。
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