ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

再生なるか日本の行く末

2012年03月30日 | Weblog
 民主党政権になって、とにかく日本の経済は悪くなる一方。
さりとて自民党政権がいいのかということでもない。

 そういった中で大阪維新が着々と支持をえており、今後の日本の政治
を牽引していく大きな力になる要素はこの閉塞感が続く今の日本では
可能性は大きい。
 ただその中で、力を得た分だけ暴走しないかとの懸念もあるのだが、
これだけ、先の見えない、政治不在のふがいなき政治家ばかりの永田町
に風通しを良くする勢力が必要と国民が望んでいる由縁でもある。

 

韓国在外投票が始まる

2012年03月29日 | Weblog
 国外に住む韓国人に対して韓国政府は在外投票を実施した。
とりわけ多くの在日が暮らす日本では該当する選挙民は46万人になるのだが
選挙登録したのは4パーセント程度でこういった権利は獲得するまでは
大きな関心事となるのふだが、いざ獲得すれば、何も無かったように
薄れていく傾向がある。

 在日韓国人は日本の地方参政権のこれまでも要求してきたが、その獲得に至ってはいない
特に韓国系の組織民団がその推進役を担ってきたが日本政府の基本的な考え方は、選挙権を行使
したければ、日本に帰化すればよく、地方参政権であっても外国人に内政干渉され、また
政策決定意思を持たせるとの脅威があるようだ。

 このたびの韓国在外投票権は地方参政権とどうかかわり影響が及ぶのか観ていたい。

神戸復興残影

2012年03月27日 | Weblog
 今から7年前、神戸市の有力議員が市を巻き込んでの汚職事件が
発覚、いわゆる村岡事件である。
自民党市議団の団長である、村岡功は議会の中で絶大な力をもっており
影の市長とも言われ、神戸市の行政を意のままに動かしていた人物でも
ある。
市の公共事業及び再開発事業などにおいては大手ゼネコンは村岡功の
ご機嫌を損ねれば、仕事が入らないこともあり、
さまざまな形で彼のところに金が舞い込んだのである。
 また、息子の村岡龍男も市議で親の威を着て、大手ゼネコンに
金をせびるなど、父子で持って、神戸市を好きなように操っていたのであるが
宝塚市長の渡部完市長が収賄事件で逮捕され、その後その関連から

神戸市の産廃事業への入札を巡り、村岡市議が神戸市にさまざまな圧力を
関係各課にかけて、特定の業者に利権を与えた、村岡事件が起きた。

 それまで、神戸市は汚職のない自治体であると自負していたのだが
村岡事件からは、市の隠蔽体質と議会との馴れ合いがはじめて世に
暴露されたのである。

 当時、神戸市自体その汚職事件から脱却できるかという状況に至り
一時は事件に市長までが関与しているかといううわさまで広がった。

 今年、村岡功元市議は服役していたが仮釈放で出所し、先日、
出所祝いを市内で行ない、100名余の関係者が集まった。

 未だ、彼の力の健在ぶりを示し、またその中で当時の逮捕は
不当逮捕であり、取り調べた検察が厚生労働省での偽証を行なった
大坪検事での取調べであったゆえ、自らもその犠牲になったと
いい、今後、当時、不当な逮捕であったと、今後、裁判を起こして
いくらしい。

被災地のガレキ撤去、産廃問題の行方

2012年03月26日 | Weblog
 被災地のガレキ処理に至っては一年を経た今もまだ
全体の10パーセントにも満たない処理の進捗状況で
その速度の度合いについては、政府の処理への決定が成されず、未だ
検討の域にとどまっているからなのか、またこれまでにない規模と
範囲の被災であったゆえなのか原因にあってはさまざまな
ことが言われている。

 阪神大震災のガレキ撤去は当初、国を挙げて取り組んでも2年はかかると
試算されていた、しかしすぐに、ガレキ撤去への方針をいち早く決定付け
建設不況であえいでいた全国の業者にはあ特需となって、わずか半年で
大方のガレキ撤去と建物の解体を行なったことである。

 その政策決定は今と比べると早かったのではないか。
17年経た今さらに日本経済が疲弊しているのも大きな原因でもあるが
こういった災害から復興に向けての経済の活発化への起爆剤として
言葉は悪いのだがならないものかとも思う。

 うわさとして、既にガレキ撤去の予算はすでに決められ、大手の
ゼネコンの枠組みの中で進められており、地元業者がその仕事を得るために
他県からの業者の介入を阻止するための策とし、少々復興の速度が
遅れても地元にその資金が落ちるためには、復興は急ぐものではないとの
東北地方の建設業者のこれまで生き方がここに来て現れたのではないか
との見方もある。

 狭いようで広い日本、それぞれ諸国の気質があり、考え方もさまざまと
であることを理解しなければならないとも。

報道写真は記録、記憶としての写真を撮る

2012年03月15日 | Weblog
 今の被災地の姿を撮る仙台市の女性カメラマン木戸孝子さんの
写真を聖教新聞の記事で見た。
破壊された建物、津波で流され砂浜に打ち上げられたカバン。
津波がさかのぼった用水路に映し出された夕日。

どの写真も記録ではなく、叙情的な絵画として写しだされ
そこには、悲しみを越えたこれから復興へと向う東北の
人たちの前向きなふるさと再生への視点がみられ
美しい何かがこめられている。

 こういった、芸術的な視点から今後の前向きな
被災地の復興への力の源泉となることと思う。

忘れないでほしい被災地を

2012年03月13日 | Weblog
 一年が過ぎるとメディアも被災地の状況をできるだけ
前向きに捉えたいとの思いから、明るい話題、いわば復興が
すすみ、前に向ってがんばっている人たちがクローズアップ
され、視聴者はそれを見て、かなり復興がすすんでいると理解し

それまでの同情心が薄らぎ、いつしか震災が過去のできごとと
なり、風化につながる。

 現場ではいつまdも被災の悲しみ、苦しみばかりを言っていても
との気丈な意識が働き自立していこうとするのだが、
このたびの災害の規模と被害状況はその地域の人たちの力だけで解決する
内容でないということが、多くの報道によってわかる。

 物資、金、人と言う前に、家族、健康、心とも大きく被災を受け
その復旧にはまだ相当の時間と人のおおきな励ましが必要になって
来る。

津波の被害の大きさもしかり、原発事故への対応は困難な
道筋が始まったばかりで、収束宣言などはありえない。






  一周年を終えて

2012年03月12日 | Weblog
 早一周年が過ぎた。
復旧、復興への歩みは始まったばかりでこれからどんな工程が
示され、どう被災地と人を再生していくのか
 あらゆる力を動員していかねばならない。

日本の経済も停滞し、今後成長していく望みはかなり厳しいものがある。
世界を凌駕したさまざまな産業にあって最近にあっては
近隣の韓国、中国に送れをとるなど、
 国際競争力を低下させているところである。
日本経済の再生、復興とともに、被災地の復興が絶対条件となる。



サイの火祭り

2012年03月07日 | Weblog
 山古志では毎年、3月の時期にサイの火祭りといって、高さ25メートルの
の杉の木に萱をてっぺんから円錐状に葺いてそれに火をつけ一気に燃やすという
祭りがある。

 よくあるドンド焼きとでもいう大型版。
山古志はこの行事があわると、雪解けが始まって、村が動き出す、長い冬から抜け出していく
既設でもある。


写真  7年前  山古志全村避難 大手高校にて


町おこしを託されて

2012年03月02日 | Weblog
 震災から17年の神戸長田。
特に副都心とされる新長田周辺は震災後からの再開発事業が
未だに続いており、高層マンションの出現、テナントの増大
建物は次々と出来ていくのだが、その町の見合う人がいない。

 そんな活気の無くなった町に人をよび戻そうと
地元出身の漫画家の横山 光輝氏の作品、鉄人28号、
三国志がこの町のキャラクターとして大きな役割を今
担っている。

 鉄人28号は等身大18メートルが駅前に出来て2年になり
三国志は周辺に石像とミュージアムなどもこの町の近辺に
ある。

 一昔まえ、この界隈は多くの焦点、市場がひしめき合って
人が溢れていた。

その当時と同じ活気は望めなくても、もう少し人が戻ってきて
欲しいものだ。

 期待を一手に今鉄人28号が背負っている。