ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

中越地震から3年の山古志へ

2007年10月29日 | Weblog
 04年10月23日午後5時56分に中越地方をマグにチュード7.2の地震から3年がたった。
特に山古志村は甚大な被害を受け、全ての道路、山が倒壊し、陸の孤島となり、全村避難を決定し、あくる日、自衛隊を要請し、2200名の村民が、自衛隊のヘリで、長岡市に避難して3年。

壊滅した村に戻れるかというほどの、全ての施設、田畑、地場産業の錦鯉、そして闘牛と、1000年の歴史、文化を持つ山が甚大な被害を受けた。

今年の春に避難指示を解除され、この秋には6割の村民が山に戻り、新しい山古志の復興へと取り組む。
3周年の今日、山古志の復興へのシンボルとなる、童地蔵と、東京の鋳造師が制作した、梵鐘が寄贈され3周年のこの日、序幕式とともに、突き始めを行った。

「希望の鐘」と称され、養鯉業の田中重雄さんの作った詩「世界に響け、感謝の音」と刻印されている。

復興への動き力強くが始まった。

亀田家の懲罰は確定的 国民は歓迎

2007年10月15日 | Weblog
 先日の試合での常識を逸脱する反則で、日本ボクシング協会は今日にも、亀田大、興及び、父親のライセンスを剥奪する懲罰を決定する。

これまでも、肉親がセコンドに入ること自体認められていないのに、協会側もこれまで放置し、この一家を好き放題に野放ししてきたこともおかしい。

ある意味、ボクシングの歴史に大きな汚点を残した結果でもあり、こうした演出を行って来たTBSの責任は多大である。

本来実力が伴って来た選手でもなく、いつしか芸能性が伴い、カリスマ性の演出に成功したTBSが作り上げた選手で、世界には到底通用するものでもない。

今後出直すというが、あれほどため口を放ったならボクシング界から身を引くべきだ。いまこそ「腹を切る」。と言ったのだから、実行すべきではないか。

所詮、どろ亀の足元にも及ばない。

ボクシング界から亀田家は追放されるべし

2007年10月14日 | Weblog
 あいも代わらず、TBSは興業的な視点から、亀田神話を作り出し、粗雑なヒーローを登場させた。
亀田興のチャンピオンの判定にいたってもう疑わしく多くの疑問と批判を受けておきながら、未だ懲りない公共電波を扱うメディアとしての資質が今問われており、最低限の倫理感をも持ち合わせていないように思う。

先日、TBSに電話で抗議した。
しかし、これまでの多くの視聴者の抗議を受けていることもあってか、誤り方のうまいこと、言い訳することなく、ただ「反省しています」。の繰り返し、今後の番組の編成への意見と拝聴するとのこと。

ついこの間、TBSが楽天に吸収されるよな時期があったが、いっそ、このような不良の放送局、この際なくなっても国民にとって何ら不利益などない、むしろ存続する方がむしろ悪影響をもたらす。

亀田大に「腹を切る}という意味をもう一度TBSの責任のもとで、訂正させることが放送局としての責任ではないか。

懲りないTBSと亀田一家にはほとほとあきれるより、嫌悪感にかられる。

懲りないTBSと亀田一家

2007年10月13日 | Weblog
 視聴率ばかりを重視するTBSの姿勢は、メディアとしての自覚を欠いた行為としか思えない。
まして、これに乗じたボクシング協会もまた情けない。
もし、挑戦者の亀田が勝利していたらと思うと益々、さらにエスカレートした演出が行われたかもしれない。

このたび、協会からの処分が亀田一家に下されるというが、同時にTBSも放送倫理から言って、何らかの処分を行うべきである。

まさに、このたびの試合は、常識と非常識の闘いでありチャンピオンの内藤選手を称えたい。

相撲会といい、ボクシング会といい、また先日のゴルフの上田 桃子のテレビでの他のスポーツ界への批判といい、若者が力の論理、金の論理だけを目指す、情緒なき時代をまさに映し出した現象でもあり、ある意味、改革がもたらした、格差社会の弊害の姿とも取れる。

富山冤罪再審 柳原さん無罪に思う

2007年10月11日 | Weblog
 5年前に強姦の罪に問われ、強引な取調べにより有罪となりその後服役し真犯人が現れ、先日無罪となったが、結果裁判官からは謝罪の言葉もなく。

本人はすでに職を失い、この失われた5年を誰に言えばいいのかということである。

こういった冤罪はこれまでにもあるが、権力の暴走が生み出す結果でもあるのと、権力を行使する者の資質が改めて問わなければならない。

許せない相撲部屋の傷害暴行致死事件

2007年10月09日 | Weblog
 時津部屋の17歳の少年が部屋の者から暴行を受け死亡した。
まして、親方自ら、ビール瓶でなぐり、尚も執拗に暴行を弟子達に行わせた。

亡骸を隠すのに躍起になり火葬に付そうとしたが、発覚し検死の結果、暴行による死と断定され、現在警察で捜査が行われている、角界と警察とのい馴れ合いの構図があるのか、逮捕されのに、ずいぶんと時間がかかっている。

国技という陰に隠れ、このような許せない蛮行が行われいるのであれば、この際、相撲界は、大きな改革をせまられ、信頼を取りもどす意味で、一旦解散しるぐらいの気持ちで出直さなければ、解決しない。

北の湖理事長の答弁も終始一貫、相変わらず、保身のためのもので見苦しくもあり、あさましく聞こえる。

もう一度、国技としての原点に返るべきで、単に興業を行っているのではない自覚に立つべきである。

中越地震から3年の山古志へ

2007年10月08日 | Weblog
 今月22日に神戸から震災から3年目を迎える山古志に総勢10人で行く。
神戸を22日の夕方出発。
12人乗りのマイクロバスをレンタル。
メンバーはこれまでに神戸から山古志に関心を寄せてきた人。
私の身内も含め、当時から山古志の風景を一度見てみたと思っていた者ばかり。

阪神大震災で被災を体験したこともあり、山古志への思いはある。
今年に入り、山古志はこれで4度目となった。

鷹取東地区のこのごろ

2007年10月07日 | Weblog
 震災から早13年が経過したここ鷹取東地区、旧鷹取商店街。
街づくりはほぼ終わった。これからは人間関係の復興と構築が始まる。

写真の喫茶店グラスアンカーの経営者松原さん。
震災では娘さん、息子さんとお母さんが犠牲となり、全焼したあと、自らカナダにとんで、現地の材料とカナダの大工さんの手によって、店と自宅を再建。

今は地域の中でも繁盛するカフェでもある。
松原さんにとっては、毎年来る1月17日にはこの場所を離れるという。

思い出したくないのか、それとも当時のことをまだ事実としうけいれることができないのか、このあたりに対しては、触れたくもないが、親族をなくした人にあっては、何年経ようが、過去のことではないとの思いがあると思う。

阪神大震災から13年を経て

2007年10月03日 | Weblog
 ここ長田区は言うまでもなく、大きな被災を受けた。
思えば13年を経た。
私も当時41歳。今54歳。震災で事務所が全焼。借金をしまくって10年目には30年近く経営した事務所を整理。
3年間のブランクを経て、今年の9月再開した。

ここ鷹取東地区は震災で全焼した地区。

67名の犠牲者が出た。 又還暦でプロゴルフアーになった古市さんもここに住む。
最近は人の活気も出てきたように思える。
復興はまだまだこれから。
でも、新しい街なみになじむのもこれから言える。

山古志復興の姿 震災3周年

2007年10月02日 | Weblog
 中越地震から3年を経た山古志は今年で3年。
今年は中越沖地震、能登半島地震と地震が次々と押し寄せる。
人の関心も薄らぎ、義捐金にせよ、政府の援助にせよ手薄になりつつある。

阪神大震災も、13年をへれば風化しつつあるが、災害の教訓といったものと、人の心の交流は継続しなければなえらない。

ところで、私ごとながら、視力が低下したと思い、眼科に行くと白内障と診断を受けた。
糖尿からの原因。さかのぼれば阪神大震災の時、復興へとの過激な生き方の影響がここに来て出たらしい。

被災を受けたがゆえに山古志と出会い。病気になってこそ人の痛みが分かる。

私もようやく大人になれそうだ。

写真  長岡市信濃川にかかる長生橋