ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

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2014年08月26日 | Weblog
ハラボジ(祖父)の履歴書

 私の祖父は1920年(大正9年)ごろに韓国の全羅北道の南原から21歳の時福岡の飯塚に渡ってきたという。
名前は秉元といい、その後日本では中山八郎と名乗った。
故郷の南原では数少ない地主の息子で、別段、食べることにそんない不自由をしていたわけでもなかったと知ったのは
孫の私が、今から35年前に戸籍を作るために本籍地を訪問し、祖父の兄にあたる孫たちがいまだに当時住んでいた場所に
いて、21歳の時に日本に渡ったまま、音信が70年以上なく、やっとその孫が訪問してきたことに涙したものである。

 祖父は日本に来てから、一年後にプサンから来た祖母と結婚し父を長男として男2人、女5人を設けた。
父は1921年に生まれた。
父また叔母たちのはなしでは、祖父は故郷もなく天外孤独の身の上でに日本にわたってきたということを聞き続けていただけに
35年前に祖父に兄弟がいたこと、その孫たちも健在であること、日本に渡ったとする祖父をその兄がずっと待ち続けており、
死ぬ間際まで、弟に会いたいといいながら息を引き取ったという話を聞いた。

 その70年間の空白をこれからお話します。

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