ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

能登門前町の復興を思う

2008年11月26日 | Weblog
 能登半島地震は半島の小さな町を襲った。
昨年の3月15日能登門前町。禅の里として知られ、曹洞宗の総本山総持寺がありその門前町とし町が起こったのだが今は人口も減っていき過疎化が激しく能登空港が 
最近になって開港したがこの町を訪れる人も少なく、今回の地震で広く知られるようになったともいえる。

 しかしそのたたずまいは能登の歴史街道そのものの風情があって残さなくてはならない風景だともいえる。
門前町の通りに面して末寺の興禅寺があり地震で全壊した、現在来年の5月に向け 再建中であるが、その建設資金を作るため市堀住職が日々托鉢に周り浄財を募っているが、その道はまだまだ遠いのだが、住職曰く「遠いから 歩く」との言葉が出たといい、托鉢は坊主の原点とこの震災で改めて確認したという。

 復興という言葉を今心に持って、門前町の町の再建をも見守りながら興禅寺の再建が始まったともいえる。

写真 朝日新聞より

能登興禅寺のこと

2008年11月24日 | Weblog
「遠いから歩く」曹洞宗総持寺末寺興禅寺市堀住職の書である。
昨年の3月25日の能登半島地震で全壊し門前町の通りにある興禅寺の再建に向け托鉢を始めたときの思いであるという。
先日興禅寺に神戸から升を贈りそして境内に東屋を造り被災地を結び拠点に出来ないかとの事で訪れた。

寺は来年の完成に向け工事が進んでおり震災の傷跡はここ門前町にはほとんどみられないがまだ10世帯ばかりの人が仮設住宅の生活を余儀なくされているという。

能登の地震は人の暮らしは忘れられたかと思うとの事だが、こうして神戸から行った我々がいるということが忘れてはいないとの事で感動してくれた。
東屋建設をぜひとも支援し来年には完成させたい。

さらに池を造り山古志の錦鯉を泳がせ、被災地間の交流の拠点となrばとの思いである。

山古志に升到着

2008年11月09日 | Weblog
 能登半島地震で倒壊した家屋の材料で作った輪島塗の升が山古志虫亀の養鯉業田中重雄さんの手元に着いたとの新潟日報の朝の記事。
田中さんは被災当時地震で錦鯉が全滅し、約3年の仮設住宅の暮らしから山古志にもどり養鯉業を復活させた。

 震災で辛うじて残った自宅は震災の豪雪で倒壊し何もかもなくしまさにマイナスから復興の道を歩むのだが幸い息子が養鯉業の後を継ぐと震災後そのような話から復活を決意したという。

 今年は孫も出来て54歳にして爺さんになった。
山古志の養鯉業のこれからは厳しいものがある。震災で崩れた山、畑、道路はこの3年間で総力をあげ復興した山古志。
今後は住民の暮らしの中身の復興への動きを開始しなければならない。

そんなことから被災地間交流のきっかけとなる今回の升にはそんな意味がこめられた、能登の旧門前町との交流も始めたいと錦鯉の金箔の入った升を前にして田中重雄さんは語った。

被災地巡る再生の升

2008年11月08日 | Weblog
 昨年の能登半島地震で全壊した家屋の梁を製材し机と升を3個作成した。
升に至っては再び輪島に戻して漆ぬりを施し約5ヶ月の歳月を経てこのたび神戸に到着。
神戸の長田と旧門前町の地震で全壊し現在再興の進む興禅寺に送ることとなり山古志へは地場産業の錦鯉をあしらった升が完成しともに現地に手渡した。

今後、被災地間の交流のきっかけとなれば幸いであり更なる復興に取り組むための原動力への助けとなればありがたいものである。


写真  神戸長田区 升のお披露目と伝達式の模様

初の黒人大統領誕生

2008年11月07日 | Weblog
 アメリカに黒人初の大統領が誕生した。
強いアメリカから対話重視の外交展開を掲げ、8年に渡るブッシュ政権でアメリカの経済、威信、そして世界の秩序は見事にまで破壊してしまった終焉からの脱出を希望する国民の選択だったといってもよい。

ただ白人至上主義の国だけに今後阻む勢力が台頭し様々な動きが出て新たな懸念も予測されるが今世界の枠組みが大きく変わり、命の安全保障、環境の安全保障、経済の安全保障、全ての面で地球全体の安全保障の基盤が揺れており早急な対応が望まれているだけに、オバマ大統領就任にかける期待は大きなものがある。

アフガンの現状

2008年11月03日 | Weblog
 9.11の同時多発テロでアメリカはテロ撲滅を旗印にアフガン攻撃に入った。
アフガンはそれまではソ連の南下政策で侵攻され数十年に渡るソ連支配から独立を勝ち取ったが、その後タリバン政権が現れて、西側諸国と一線を画するようになりそのタリバン政権をどう懐柔するかの戦略が取られたが失敗。

結果、ビン ラディンなる人物が現れ、その背後にタリバン政権が存在すると筋書きをアメリカが組み立てた向きがあるのだが、西側諸国が発する情報にはそのような現状は皆無に等しく、ブッシュ政権がここ数年取った政策はテロ撲滅という半ば自作自演の石油争奪のための、中東政策であり経済政策である。

結果イラクのフセイン政権を壊し、イラクに侵攻したもののむしろ混乱の状況を増し、世界安全保障の秩序も混乱させた。
その結果がサブプライムローン破綻からの世界経済の混乱をアメリカから発信させることとなり、世界終焉宣言をも出しかねない状況に落としたのはブッシュ政権そのものといえる。

今アフガンは中央政府はほとんど機能せずして、カルザイ政権はアメリカの傀儡政権ではと揶揄されるまでとなり、近く混乱する状況に対処するため、タリバンとアメリカが交渉に入るとも言われているが、早期にアメリカは他国軍とともにアフガンから撤収し、自主を重んじるべきである。

又国際社会もこれまでのアメリカのテロ国家撲滅というシナリオにいつまでも同調すべきではなく、自主独立を支持すべきではなかろうか。

長田 丸五市場の再興を

2008年11月01日 | Weblog
 震災でこの場所は火災を免れた。
近くの大正筋商店街は火災で全焼、再開発がなされたが結果、人はまばらで神戸市が以前から計画していた副都心計画の実行が震災によってやりやすくなったがこの地域の地勢からいって2700億もの事業資金を投入しての規模は無謀だと多くの批判をよそに計画は進められ、震災から14年を経て、今も工事は進められている。

 この周辺の再開発は未だ進まず、人口は減ったままで、また地場産業のケミカルシューズも振るわず、この長田区は神戸の中で元気がなくなっておりこのままでは街の活性化は見込めない。

ある意味、行政の失策でその街の寿命を決めてしまったところがあって、この景気の後退と相まって、さらに街の暮らしは厳しくなる一方、若者が離れていく傾向を食い止めるための施策が必要である。
 
そうしたところから、市場として唯一残っている、丸五市場。
98店舗あった市場は10店舗足らず、アシアン市場と銘打って2年前からタイ、ベトナム、台湾料理と行政が助成金を補助し再興を促すが人口の減ったこの地域での再興は大変厳しい。
 
それでも昭和23年から続くこの市場で今もがんばる人は絶対にこの場所からは離れず、もう一度活気のあった時代を取り戻すとの思いで今も店をやっている。
先日、今年から始めたナイト横丁という企画を始めて4回目、多くの出店がでて、多くの地域の人が集まってきた、賑わっていた往年の活気をこの丸五市場で見ることが出来たが、これからをどう生き延びるかの模索が続く。