中間玲子のブログ

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西郷さんと大久保さん

2011-04-02 22:30:24 | 自己理解
先日、平田靱負について書いていた時、
思い出したことがあります。

去る3月12日、九州新幹線が開通したわけですが、
その開通に向けて、色んな雑誌で九州のPRが展開されていました。

たしか、郵便局においてあった広報誌だったと思います。
「九州ってこんなに魅力的だよ」ということを、
各県出身の有名人が、地元に対する思いを語る、
といったコーナーがありました。

プロ野球球団のオリックスに、木佐貫洋選手がいます。
彼は、鹿児島で生まれ育った生粋の鹿児島県民です。
木佐貫という姓自体が、鹿児島でよく聞く姓なんですよね。
→木佐貫選手について、こんな記事も見つけました。。。
うーん、アツイですね

さて、そんな彼が、鹿児島について語っていたんですが、
その内容を読んで、
同じく鹿児島で高校までの18年間を過ごした私は、
大きな衝撃を受けたのです。
なぜなら、それまで気づいていなかった事実に
はじめて気づかされたからです。
これは大きな自己理解です。

うろ覚えですが、彼はこんなことを言っていました。

「鹿児島人は、西郷さん、大久保さんに対する思いが強い。
 こうやって「さん」づけで呼ぶ。」


・・・ええ、その通りです。
でも年配の方々が「西郷さん」を鹿児島弁で「せごどん」と
呼ぶのに対し、私は標準語で「西郷さん」と呼びます。

・・・ということは大した問題ではなくて、
そう呼ぶ時点で、鹿児島県民なんですね

そして、私が驚いたのは、
自分がそのことについて、一度も不思議と思ったことも、
ヘンだと思ったこともなかったということです。

言われてみれば、西郷さん・大久保さん以外の歴史上の人物を
さん付けで呼ぶこと、まずありませんね。
「坂本龍馬」を尊敬をこめて「龍馬さん」と呼ぶことはありますが
なんかちょっと違うんです。

言われてみれば確かに、その呼び名自体に
西郷さんや大久保さんに対する
語り手の心の近さがうかがえてしまうってもんです。

考えてみれば、鹿児島に住んでいると、
西郷さんや大久保さんの話題に触れる機会が
とても多いように思います。

鹿児島に西郷・大久保ゆかりのスポットはとても多く、
私の祖母なんかは、その土地で西郷さんは何をしたとか、
どう考えたとか、そんな逸話をまじえて
たぶん、時には妄想もまじえて、よく話をしてくれました。

そんな日常の中で、私の中には
西郷さんや大久保さんという人たちへの共感が知らず知らず育っていき、
見たことも会ったこともないけれど、なんだか、
ごくごく自分に近しい人たちのように思えていったのでしょう。

なので、子どもの頃は、
西郷さんたちのことが教科書に載っていると、
「すごい!西郷さんが載ってる!!本当にすごい人だったんだ!」
と何となく誇らしく思ったり、
「てゆーか、こんなこともあんなこともあったんだけどー」
と、自分が知っていることさえ記載されていないことに
物足りなさを感じたりしていたものです。
(今も勝手な身内意識はどこかにあると思う・・・)

そして、実は、その心の近さを端的に表していたのが
「西郷さん」「大久保さん」という呼称だったんですね。

いやー、本当に気づきませんでした。

自分が身を置く「文化」の実態、
それがどんな風に自分の行動に影響しているか、
本人が可視化するのは本当に難しいもんですね。

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