中間玲子のブログ

仕事のこととか日々のこととか…更新怠りがちですがボチボチと。

神戸市バスのアナウンス

2024-05-13 11:46:57 | 生活日記
私は現在神戸市に住んでおり,しばしば神戸市バスを利用している。

その中で流れる車内アナウンスが気になっている。

「ベビーカーは大切な命を乗せています」

というものだ。

確かに…赤ん坊を見る時,私たちは,それぞれ個別の赤ん坊を見て
その子らしさみたいなのを感じ取ったりすることはあるけれども,
それと同時に,そこに,新しい生まれたてのピカピカの「命」を
まずもって感じているなあ…
そういうことを改めて感じるのである。

今まで存在していなかった命が誕生してこの世に存在するようになった奇跡は,
生まれたてに近い赤ん坊ほど,鮮明に感じられるような気がする。
それが,その存在が「命そのものであること」を直に感じさせるのだろうか。
そしていったん生まれたらその子の存在は,この世になくてはらならないものになる。
不思議なものである。

大人の存在だって「命」なのだが,そのことを忘れがちである。
大人の存在は「命」よりも,そこに育った「その人個人」をまずもって見てしまうからだろうか。
それとも赤ん坊は私たちが守ってやらないといけない「命」だから
「命」そのものの存在が感じられやすい存在なのだろうか。
大人も命を生きており,自分でその命を守っているんだよね,
あるいは,守り合っているんだよね。

そんなことを考えていると,
あれ,そもそも「命」ってなんだっけ?
ということも考えてしまう。
アナウンスが深いぞ,神戸バス。

「光墜ち」

2024-05-11 23:43:40 | 自己理解
大河ドラマ『光る君へ』にドはまりしていますが,
それに関連するweb記事で,「光墜ち」という言葉を知りました。
「闇墜ち」という言葉は聞いたことがありましたが,
「光墜ち」とはその逆で,ヒールが改心していくことを指すのだそうです。

この「闇墜ち」「光墜ち」,いずれも,その人がどうしてそうなった?ということを
その人の置かれた環境との相互作用でとらえようとする視点ですよね。

根っからの悪人とか根っからの善人とか,そういう個人の資質にだけ注目するのではなく,
様々な関係性や状況との中でその人が変わっていく様をとらえる言葉です。
物語的にはそのように人をとらえる視点がかなり共有されているんだなと知った次第。
それは,一個人に多様な側面があることを許容するし,そのように,人は,
変幻自在であることを指し示しているなと思います。

…なんか色々考えていた気がするのですが,
忘れちゃった&頭がまわらないので,今日はこれにて。