昨日書いた「狐」を読んだのは,
奇しくも,誕生日の朝でした。(もう数ヶ月前ですね…)
誕生日には,あらためて母のことを思うのですが,
「狐」を読んで,自分にも
文六ちゃんとお母さんとの会話みたいなのがあったなあとあれこれ思い出し,
自分も母から大事にされてきたなあ,
母はいつも思ってくれていたなあ,ということに,しみじみ感じ入っていました。
大人になると,価値観や生き方の違いもあって,
愛情の重さや,愛情の質や内容が自分が思い描いていたようなものではないことなども
感じるようになってしまうのですが,
そして,互いに情が深いが故に,わかり合えないことに必要以上に
傷ついたりしてしまうのですが,
それでも「愛されていなかった」とはならないわけで。。。
母は母なりに私をたっぷり愛してくれていて
私も私なりに母をたっぷり愛していて
そういう視点で自分のこれまでを振り返ると
また違った自分の過去が見えてくるから不思議です。
私たちの記憶はそのときそのときで多少の編集を経ます。
未来を向かって生きよう!的なことを意味する常套句に
「過去は変えられないが未来は変えられる」
というものがあります,
たしかに,素材として存在する様々な過去の要素は変わらないかもしれませんが
それは自由に編集されて自分の人生の物語になるため,
どんなエピソードとして自分の人生を語るか,に影響する過去は変わります。
私たちの人生のはじまりなんて,実際にどんなことがあったかを
確かめようがない中,他者がどういう物語をくれるかに依存しているところがありますね。
もしかしたら,まったく別の過去が実は存在しているかもしれません。
奇しくも,誕生日の朝でした。(もう数ヶ月前ですね…)
誕生日には,あらためて母のことを思うのですが,
「狐」を読んで,自分にも
文六ちゃんとお母さんとの会話みたいなのがあったなあとあれこれ思い出し,
自分も母から大事にされてきたなあ,
母はいつも思ってくれていたなあ,ということに,しみじみ感じ入っていました。
大人になると,価値観や生き方の違いもあって,
愛情の重さや,愛情の質や内容が自分が思い描いていたようなものではないことなども
感じるようになってしまうのですが,
そして,互いに情が深いが故に,わかり合えないことに必要以上に
傷ついたりしてしまうのですが,
それでも「愛されていなかった」とはならないわけで。。。
母は母なりに私をたっぷり愛してくれていて
私も私なりに母をたっぷり愛していて
そういう視点で自分のこれまでを振り返ると
また違った自分の過去が見えてくるから不思議です。
私たちの記憶はそのときそのときで多少の編集を経ます。
未来を向かって生きよう!的なことを意味する常套句に
「過去は変えられないが未来は変えられる」
というものがあります,
たしかに,素材として存在する様々な過去の要素は変わらないかもしれませんが
それは自由に編集されて自分の人生の物語になるため,
どんなエピソードとして自分の人生を語るか,に影響する過去は変わります。
私たちの人生のはじまりなんて,実際にどんなことがあったかを
確かめようがない中,他者がどういう物語をくれるかに依存しているところがありますね。
もしかしたら,まったく別の過去が実は存在しているかもしれません。