中間玲子のブログ

仕事のこととか日々のこととか…更新怠りがちですがボチボチと。

太田雅子さん

2009-09-06 21:38:51 | 生き方
定期的に送られてくる旅行雑誌(『Agora』)に、
毎号、世界で働く日本人を紹介するコーナーがあります。
毎回、楽しみに読んでいます。
いつもながら、感銘を受けながら読んでいます。
今日は今号の記事を紹介しましょう。

今回の号は、「太田雅子さん」。
イタリアで働く
「アルタ・サルトリア(=高級仕立て服職人)」だそうです。

彼女は子どもの頃から手先が器用で、小学校低学年の頃から
編み物教室に通っていたそうです。
高校卒業後、文化服装学院へ。
そして卒業後、ファッション・ビジネスの道へ進むのですが、
「雑誌のグラビアを飾るような格好いい人が偉い」という
ファッション業界の風潮に疑問を抱き、
「ここは私のいる場所ではない」と
ファッション業界を去り、外資系企業の重役秘書に転職。

その頃は、
「ファッションなんて間違った世界に入った自分を
方向修正しなくては」
と常に考えていたそうです。

それでも4年後、
思い直して外国ブランドを扱うファッションメーカーに転職、
再びファッションの世界に戻りますが仕事に恵まれず悶々。

そんな時、ドイツに住む友人から遊びに来たら?と誘われ、
軽い気持ちで出かけたミュンヘンからの旅行先でイタリアに出会います。
そしてイタリアへ住むことを決意。

当時はファッションではなくコラムなどの仕事を手がけていたそうですが
その仕事柄、多くのアーティストとも知り合うことになります。
その時、「その人たちと比べても自分は器用だ」ということに気づく。
自分の服作りの技術は、かなり高いレベルにある、
これを活かさない手はない、と
3度目のファッション世界入りを決意する。

当時40歳を過ぎていたそうです。
ミラノに住み始めてすでに10年以上の年月が経っていたといいます。
刺繍教室で学び、昔の仕立て技術を学びに頑固な職人のもとに足繁く通う。
それらにこれまでに学んできた服作りの技術を融合させ、
彼女なりの服飾哲学へと到達するに至る。

そういうお話でした。
今もイタリアで活躍されているそうです。


こだわりをもつ人は苦労するし回り道もするけど、
そのこだわりをどう実現できるか、それが見えた彼女は、
こだわりを持っていたからこその幸せを
感じることができているのではないかと勝手に拝察。

また、ファッションから逃げても、
あるいはファッションを拒絶しても、
それでもやはりファッションとつながり続けていった人生。
なんだか不思議だなあと思いながら読みました。

迷い続けながらも、歩み続けてあるところに到達できた人の話であり
自分よりも年齢の高い時期にチャレンジした人の話であって
なんだかとっても勇気づけられました
コメント (3)
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9月です。

2009-09-01 10:00:57 | 生活日記
月の変わり目ということで
テンプレートを変更しました。

まあ、9月になったからといって
実際には突然何かが変わるということはないのでしょう。
ただカレンダーによって秩序づけられている生活は変わりますね。
今日から新学期だった人は、自分を位置づける生活世界が
変わったことでしょう。
それによって心身も徐々に変わっていく。

カレンダーの区切りは人間の心身の変化には
直接には対応しないように思います。
心身の変化は、通常であれば、カレンダーのような区切りは起こらない、
たとえばカウントダウンの瞬間にがらりと変化するなんてことはないでしょう。
でも、そういう1つの枠組みで生活の時間を区切られ、
それに当たり前のように適応しながら生活を調えていくことによって
心身が徐々に適応し、
知らず知らず色合いが変わっていくところもあるように思います。

いずれにしても今日から9月。
特に意味はありませんが、意味を持たせようと思えば
いくらでも意味を付与することはできます。
味わっていたら意味ができていたということかもしれません。
無理に意味を作る必要はないでしょうから。

というわけでつれづれ文章でございました。

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