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中間玲子のブログ

仕事のこととか日々のこととか…更新怠りがちですがボチボチと。

恐怖体験

2016-01-13 22:28:49 | 心理学こぼれ話
本日,恐怖の体験をしました。


帰宅した私は,いつものように,
自宅の駐車場に車を停めようとしました。

私はいわゆる集合住宅に住んでいます。
1階に平面駐車場がずらりと並んでいます。
駐車場の先(というか奥)には,1階に住んでいる人の自宅があります。
つまり,1階の人の家の前に,車をバックで入れるという配置です。

1階の人の家と駐車場との間には車止めがあります。
植物が植えられているちょっとしたスペースもあります。
ですので,駐車に失敗したとしても
1階の人の家に突っ込むなんてことはありません。



通常ならば。



本日,いつものように,車を停めようとバックをしていた私。
ところが,なぜか,いつもよりもずっとずっと車が奥に進んでしまうのです。
いつもの感覚で言うと,もうすでに車止めに当たって停まっている状況のはず。

なのにまだまだ奥へと進みます。
しかもスイスイと…。
こんなに奥に進めるはずがないのに,どうして…?



いつもと違う感覚が私を襲います。
このままでは,1階の家に突入してしまう。



私はあわててブレーキを踏みました。
そしてなんとかこの事態から回復せねばと,
バックからドライブへと切り替えました。


それでも,車は,まだ,後ろに進み続けます。



もうすっかりパニックです…
もはや,私は自分の車をどうすることもできません。


このまま1階の人の自宅に車ごと突っ込むことは免れない…




そのとき




私の右隣からスイーーーと車が私の前を横切っていきました。




あ・・・・



つまり,動いていたのは,私の車ではなく私の右隣の車だったのです。。。
ちょうど出かけるところだったようで,
その方が,私のバックのタイミングで前進していたのですね。


私も少しはバックしていたのですが,右の車がどんどん前進するので
自分がどんどんバックしていたように見えてただけのようでした。




これがいわゆる「誘導運動」の知覚というものです。(なので今日のカテゴリーは「心理学こぼれ話」)

goo辞書より
ゆうどう‐うんどう〔イウダウ‐〕【誘導運動】
心理学で、運動知覚の一。月夜の空に流れる雲を見ていると、雲が止まって月が雲の動きと逆方向に動いて見える現象、また、止まっている電車に乗っているとき、隣りの電車が動くと自分のほうが動いたと感じる現象など。



より詳しいことについては,以下などを御覧ください。(ATRホームページの記事より)

囲りが動けばあなたも動く-視覚情報と自己運動感-




…とはいえ,ただただおそろしかったです。


今,胸をなでおろしているのは,
ドライブに切り替えたあとにアクセルを踏んでいなかったことです。

恐怖で半ばフリーズしていたのが幸いでした。

もしもバックから回復しようとテキパキとアクセル踏んでいたら
スイーーーと行こうとする車の側面に突っ込んでしまうところでした。




認知的葛藤

2012-01-06 12:25:08 | 心理学こぼれ話
昨年末、認知的葛藤の話にふれましたが、
それがどのくらい葛藤なのか?
ということを体験できるゲームがあるのでご紹介します。

こちらです

いかがでしょう??

文字の色と意味とが矛盾している時、
どうしても意味が分かってしまうとそちらで処理してしまいがちなのが
分かるかと思います。

多分、その言語の意味が分からなければ
色だけを読み取るのだと思うのですが。

同じページにハノイの塔という問題もあります。
これも、心理学の「思考」に関する研究で有名な課題です。

瞬間記憶計算符合課題の問題も面白いですよー。

高校『世界史』の教科書

2011-05-27 21:10:55 | 心理学こぼれ話


先ほど、ゼミ生(中学社会の教採受験予定)が

「先生、『世界史』の教科書にフロイトが載ってます

と部屋に来ました。

ホント

というわけで、彼女が持ってきた教科書を見ましたら、
確かに、【現代文化】の節に

ニーチェ に続いて、 フロイト が載っているではありませんか。

『倫理』の教科書に載っているのは知っていましたが、
まさか『世界史』にまで載っていたとは

高校の『日本史』『世界史』『倫理』の教科書&資料集は
非常に使い勝手がよいので、実は私、研究室に置いているんです。
しかも、私が使っていたものを…
(よって非常に古いですね、20年前の教科書です)

「きっと私の時代にはなかったよ、それ」
と思い、開いてみますと・・・

ちゃんと載っていました、フロイト

私の教科書は、まだ「ソ連」だし、「東西ドイツ」ですが、
(正しくは「ドイツ連邦共和国」と「ドイツ民主共和国」)
それでも、ちゃんと載ってたんですねえ、フロイトさん。
マーカーの後も書き込みの後もなく、
おそらく学習しなかったところだと思われますが。

ついでにいうと、私の教科書では、件の記事は
【社会科学と思想】の項に記載されており、
フロイトだけでなく、ジェームズ、デューイも載っています。
しかも、【美術と音楽】には、
マティス、ピカソ、ブラック、
ドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキーなどが
載っています。なんて身近な世界史

そしてもう一つ発見が。

私のもっていた教科書、p.354にフロイトが載ってたんですが、
見開き隣のページp.355に、たまたま、ゴシックで
「原子力発電」という文字があり、目に留まりました。
【自然科学と技術】という項に記載されていました。

「原子力は“第三の火"として原子力発電などの
 平和利用にも用いられるようになった。」と。
これが1989年版の教科書。


「建設がすすむ原子力発電所」という写真付きの
説明も記載されています。

それで、ゼミ生持参の教科書(最新・2010年版)を見てみますと、
上述【現代文化】の前に【現代文明による危機】の項があり、
「チェルノブイリ原子力発電の事故は、
 巨大化し複雑化した現代科学技術の暴走が
 もたらす危険を示した。」
と記載されていました。

おお・・・歴史の流れの中で、教科書での伝えられ方も
変わってきているのですね。

ちなみに、原発関係の写真はなく、その代わり、
「自立した若者文化」の写真(ウッドストック音楽祭)が


青年心理学者としては、ちょっと嬉しい

『魔術と催眠術』

2011-05-13 21:47:25 | 心理学こぼれ話
授業の準備のために、
明治時代の受験雑誌『穎才新誌』のことを調べていたら、
こんな古本に出会いました。



『心理応用 魔術と催眠術』

情報源はこちら
明治35年穎才新誌社から発行された近藤嘉三さんという方の著書のようです。

この「心理」というところにひっかかってしまいました。
もしもこれが「心理学」ととられてしまうと、
心理学ってなんとも怪しげです・・・

でもこんな感じにとらえられているなあと思うことは、
今でも少なからずあるわけで(魔術とまではいかないでしょうが)、
これを発見した時には、明治にもあったんだーという、
そんなオドロキを感じたのでした。

視覚的断崖

2011-03-02 19:47:29 | 心理学こぼれ話
ある公共施設のトイレの洗面所の風景です。
きれいですねー。


でも、私、いつもその洗面所に行く時、この部分をよけてしまいます。
普通に歩いていても、「穴が開いてる!」というような不安が生じてしまいます。
もしかしたら、中がこんな感じでキレイなので、

「踏んじゃいけない」と思うのかもしれません。

でもいずれにしても、そのガラスの存在を無視して
その床面をとらえてしまうんですね。

こういう刺激、心理学では「視覚的断崖」(byギブソン)と言われます。
実際にはガラスが貼ってあるので平坦なところなのですが、
目で見る限りは、そこが断崖になっているように思えるからです。

はいはいできる赤ちゃんをこのようなところに乗せて、
はいはいで進んでいくと、視覚的断崖に出合う。
その時、その子がはいはいを止めて、不安になったら、
その子は、視覚的に「奥行き」を理解することができるようになったと
されます。

なので、私は、奥行きをちゃんと理解することができているんですね。

そして、この視覚的断崖を用いた研究で有名なのが、
キャンポスの実験です。

この断崖の先にお母さん(養育者)を立たせます。
不安で立ち止まった赤ちゃんに対して、お母さんも「ああ!」と
不安そうな表情をすると、赤ちゃんは動きません。
一方、「大丈夫だよ」という表情をして、「おいで」と言うと、
何割かの子どもは、不安ながらもお母さんを信じて、はいはいを進めた。
そういう実験があります。

これは、赤ちゃんが、何らかの判断をする際に、
他者の視点を参照するようになった兆しとして「社会的参照」と呼ばれます。

私はもう大人なので、そこにガラスがあること、歩いても大丈夫なこと、
自分で理解することができるので、一人でも、
「大丈夫」と思い直せばその上を歩くことはできます。

でも…分かっていても、ちょっと不安になるのか、
何かをよけようとする意識の方が働いて、
ついついよけてしまいます。
まあ、さほど遠回りでもないですしね。
ただ、いつも「あ、またよけてしまった」と思います。
皆さんなら、どう歩きますか?

こんな風に、大人でも思わずよけてしまうような視覚的断崖。
キャンポスの実験を思いますと、
その不安や恐怖を克服して渡っていく赤ちゃん、
勇気あるなあと思いますし、
それを克服させるほどの信頼を勝ち得ている大人って…
責任重大だな、と改めて思いました。

スリムクラブの衝撃:対比効果(2)

2011-02-06 11:59:36 | 心理学こぼれ話
続編です。

通常、漫才といえば、早口でしゃべってギャグを連発し、
観客をそのペースに引きこみ笑いに誘うというのが
定石かと思います。

しかし、スリムクラブといえばあのゆったりとしたテンポ。
観る側が思っている予想とのズレが大きく、衝撃。
また、そのズレが通常のテンポよりさらに遅く、衝撃。

そのギャップに見る側はペースを崩され、
スリムクラブのペースにもっていかれてしまう。。。

というわけで、対比効果(2)は、
「もしも彼らが普通に喋ったら早口に聞こえるかも」です。
普通の人くらいの喋り方であっても、
それまでのテンポとの対比が生じるため、
「え、今日、スリムクラブ早い」と思うのではないでしょうか。

かつて、90km/h台のスローカーブ、フォークボールと
最速135km/hの速球とを使い分けて
多くの選手を翻弄した星野伸之選手の話を思い出しました。

Wikipediaより:
その緩急さに、梨田昌孝は「ストレートが一番速かった投手は?」という雑誌の取材に対し星野の名を挙げて「あまりにも速く感じて金縛りのようになった」と語り、初芝清は「(当時日本最速の158km/hを記録した)伊良部より星野さんのほうが速いと思う」と発言、清原和博は「星野さんのストレートが一番打ちにくい」と評し、他にも中村紀洋、タフィ・ローズなど複数の打者が星野のボールは速かったと証言している。

というわけで、

私たちが抱くものごとに対する印象は、
それ以前のものとの対比によって大きく影響を受けている

というお話でした。

スリムクラブの衝撃:対比効果(1)

2011-02-04 23:33:57 | 心理学こぼれ話
年始のブログで、昨年末にスリムクラブのネタにはまっていたという話を書きましたが、
今日は、スリムクラブを見ながら改めて感じたことを書きましょう。

それは、対比効果です。

視覚的にも分かりやすいのが色の対比効果。
たとえばこちらのページにあるように、
私たちがものごとをとらえようとする時には
近隣のものの影響を受け、それとの対比を含めて
とらえてしまうというものです。

スリムクラブを見て、なぜそれを思い出したか?

M-1グランプリで、彼らがネタをやっていた時、
そして、最後、優勝者を決めるために並んでいた時。

この2つのシーンのギャップに驚いたのです。

彼らは2人とも180cm以上という長身コンビなのです。
最後、皆で並んだ時にはその長身が際だっていました。

でも、2人が漫才している時には
そこまで長身が意識されないんですね。

それは、2人とも背が高いので、
他との対比によって背の高さが際だつといった事態が
生じないためです。

というわけでスリムクラブの身長は高いのに
2人とも高いので2人で映っている分には
その高さに気づかない、というお話でした。

To know is to love

2010-08-06 14:06:14 | 心理学こぼれ話
To know is to love.
---知ることは愛することである---

とは、社会心理学における知見です。
私たちは、相手のことを、知ることによって
好きになっていくということです。

なんと、この言葉を実感する出来事がありました。
とはいえ、「愛する」までとはいかなくて、
なんとなく好感を抱く程度ではありますが…
でも、それまでのイメージとはだいぶ違ってきたのです。

誰かって…?

なんと…

出川哲朗さんです

私は「アメトーーク!」という番組が好きで、
とはいえ、いつも見逃してしまってあまり見られないので、
最近、DVDを借りてコツコツ見ています。
(こんなところでコツコツ努力せんでもよいのでしょうが…)

あれは、何か(たとえば家電)を好きな芸人達が集まって、
そのものがいかに素晴らしいかを語り合うので
まさに、その番組を見た後には、なんだか
そのテーマのもの(たとえば家電)への愛がこちらにも
伝播してくるところがあります(影響されやすすぎ)

なので、番組コンセプト自体が、To know is to loveであると
言える気さえします。

で、DVD第5集に、「出川哲朗ナイト」という回があって
出川さんのカミカミトークや、天然ギャグやリアクション芸などの
まさに秀逸なところばかりを切り取った映像が流れ、
「この人ってこんなに面白いんだ!!」とまず大爆笑。

それもさることながら、終盤、「情熱大陸」のパロディとして
「出川大陸」という長編VTRが流れました。
出川さんが身体をはって芸をするため、
その身体がボロボロになっている様や、
周囲への気配りが細やかなところ、
日常生活においても奇跡的に笑いの神が降りているところなど
半ばウケ狙いで作られているのですが、
なんだろう、それでも結局、
出川さんのいいところ(人柄など)を引き出す作りになってしまっていて、
見た人としては、
「なんだかいい人だなあ~、がんばってるんだなあ~」と
思わず応援したくなってしまうのでした。

というわけで、これまで、うるさい人だなあとしか
思っていなかった出川さんにさえ、
こういう印象の違いが生じるのですから、
相手のことを知るっていうのはとっても大事なことです。

まさにTo know is to love.

これまでにも越中詩郎さんという、
知りもしないプロレスラーについても
アメトーーク!「越中詩郎芸人」によって
興味を抱いたりしたことはありましたが、
それはゼロがプラスになる話です。
今回はマイナスがプラスになったわけで、本当、すごいもんです。
好きなものについて熱く語るトーク番組って素晴らしい!!

しかし最近、ほぼ毎日、1話分ずつ
アメトーーク!を見てしまっているので
なんだか寝る前になると思い出されてしまうのか、
夢の中がごちゃごちゃしてしまっているような気がします…

皆様、熱帯夜が続きますが、ご自愛ください。

生まれ星座と性格の関係

2010-07-24 23:59:59 | 心理学こぼれ話
女性雑誌には大抵、星占いが載っています。
週刊誌や月刊誌には、今後の運勢などが載っているわけですが、
星占いの本には、「その人の基本的性格」というものが
載っています。

星占い、つまり占星術とは、生まれた時の惑星の位置が、
その人の性格や運命に神秘的な影響をもたらすと考えるものです。

昔からの占星術の言い伝えによると、大まかには、
十二星座のうち、
牡羊座、双子座、獅子座、天秤座、射手座、水瓶座は外向的、
残りの牡牛座、蟹座、乙女座、蠍座、山羊座、魚座は内向的、
また、「土」の星座(牡牛座、乙女座、山羊座)の人は、
情緒が安定して実際的であり、
「水」の星座(蟹座、蠍座、魚座)の人は、
神経症の傾向が強いとされるそうです。

この「外向-内向」および「情緒安定-神経質傾向」という分類は、
イギリスの性格心理学者・アイゼンクが膨大なデータをもとに因子分析によって見だした
性格の基本的因子と合致するものです。

「外向-内向」の因子は、個人の基本的な方向性が
自分自身に向いているか外の世界に向いているかの程度を表すもので、
「神経症傾向(不安定性-安定性)」は、
情緒の安定(不安定)に関わるものです。

占星術の言い伝えが本当ならば、アイゼンクの性格検査への回答は、
星座ごとに異なるものになるでしょう。

実際にそういう研究をアイゼンクはしているそうです。

アイゼンクは、イギリスで名高い占星学者のシェフ・メイヨーに協力を頼み、
占星術の学校に通う生徒やそこを訪れる相談者などについて、
2000人以上の人々の、アイゼンク性格検査と生年月日のデータをもらい、
両者の関連を検討したのだそうです。

結果はどうなったと思いますか…?

占星術の言い伝え通りだったのだそうです。

つまり、外向的な星座の人は外向性の数値が高く、
水の星座の人は、土の星座の人よりも神経症の傾向が強かったのだそうです。

占星術の雑誌では、「ことによると、今世紀最大の占星学の進歩か?」と
大々的に取り上げられたそうです。

しかし。

それをそのまま結論とするのは早急です。

この調査の協力者たちは、占星術の学校に通う生徒や相談者です。
おそらく彼らは、
自分が星占いでどういう性格の持ち主と言われているか知っていたはずで、
しかも、それを信じている人たちだろうと推測されます。

となると、この結果は、生まれたときの惑星の配置によるものではなく、
協力者が自分の星座の性格をあらかじめ知っていたためかもしれません。

アイゼンクはさらに2回、調査をしました。

まず、星座による性格の違いをあまり聞いたことのない
子ども1000人を対象にしました。
すると、結果は大きく異なり、星占いで言われている特徴は出ませんでした。
外向性や神経症的傾向のレベルは、
生まれたときの天体の配置とはまったく関係がなかったのです。

さらに、大人を対象として「生年月日と性格の調査」を行い、
その際、占星術の知識がどれぐらいあるかを考慮して分析しました。
すると、星座が性格に関係あると考えている人は、
占星術にあるとおりの特徴を示し、
占星術について何も知らない人には
そのような特徴は表れなかったのだそうです。

ここから、
「生まれたときの惑星の位置が、
その人の性格に神秘的な影響を及ぼすことはなく、
 自分の星座の性格をよく知っている人だけが、
占星術者が言うとおりの性格になる」
と結論することができるでしょう。

つまり、
「人は自分かこうなるはずだと思うとおりの人間になる」わけですね。
これは、占星術が当たる・当たらないという結果を越えた、
興味深い結果です。

私の研究でも、「こうありたい」と強く思うことが、
その方向への自己の変化を促すと結論されています。

もちろん、「今の自分」を「こうなるはずだと思っていたイメージ」で
100%説明できるかというと、そんなことはありません。
色々な要因が絡んでいますし、要因をいくらとりあげても
説明しきれないところもおそらく残るでしょう。

しかし、幾ばくかの大きな影響を与える要因の1つにはなるでしょう。
私は「自己形成過程」に興味をもって研究していますので、
人が、日常の中で自分についての情報を
どんなところから集めようとしているのか、
そのリソースの個人差にも興味をもっているところです。

心理学のイメージ

2010-07-16 20:31:14 | 心理学こぼれ話
先日、だいぶ以前の授業ファイルを見ていたら、
当時の授業に関してもらった多くの素朴な質問に出会いました。

その中で、こんなコメントがありました。
これは、授業ガイダンスをした際にもらったコメントです。

 心理学は,人の心を読むという感じのイメージがあるので興味があります。

確かにこういうことを思う人は多いように思います。
たぶん、ネットでも「心理テスト」とかが沢山あって、
「あなたはこんなタイプです!」とか、
「あなたの心にはこういう部分が隠されています!」とか書かれています。

以前、「それいけ!ココロジー」という番組があり、
心理学というものが何か分からない私も、
心理学っていうのは、心を「あてる」ものなんだと素朴に思ったものです。

「心理学をやっている」というと、
「じゃあ今私が何考えてるか分かる?」と言われることがあります。
まあ、この質問には答えることができるでしょう。
「「この人は、私の考えていることを当てられるだろうか?」と考えている」が
答えでしょうから。
しかしそう答えられるのは、私が心理学者だからではなく、
相手の言ったことをちゃんと聴いているからです。

心理学に対するこのような反応は、洋の東西問わず見られるようです。
あるアメリカの心理学のテキストには、次のように書いてあるそうです。
(参考文献『心理学を学ぼう』ナカニシヤ出版, p.7)

「私は心理学者です」と答えると、相手はたいてい次の反応のうちどれか1つをする。

(1)あわてふためいて急いで弁解し、姿を隠してしまう。
(2)誰かを連れてきて「この人の精神分析をしてくれませんか」と頼む。
(3)「あなたが私を正しく見抜けるかどうか賭けましょう、どうです?」と
 落ち着きをなくして言う。

またその本には、心理学者が「心を読み取ることはできない」と言っても
多分信じてもらえないのだ、とも書かれているそうです。

うーん、どうして分かってもらえないんだろう…?

そういう、心の動きについて、わからないなあと思いながら、
もしかしたらこうかもしれない、ああかもしれない、と、
仮説を立てて、いや、こうでもない、ああでもないと、
あれこれ考えていくのが心理学なのです。

用意周到な嘘の見分け方:続編

2010-07-09 23:52:46 | 心理学こぼれ話
昨日、「用意周到な嘘の見分け方」ということで
「話し方」が重要な手がかりだったとお伝えしました。
そしてその「話し方」とは、身振りなどではなく、
言葉をどう選び、どう発するかといったレベルの「話し方」
つまり、非言語のうち、「準言語」と呼ばれるものと、
実際にはなされる内容「言語」です。

嘘をつく時は、本当のことを言う時よりも口数が少なく、
くわしく語らない傾向がある。
一般的なことしか言わなかったりする割に、
いつそれを観たなど、普通なら覚えていないことを
細かくしゃべり出すという傾向がある、などです。

その結果を導いた実験内容は、次のようなものでした。

同じ人に、Aという映画を観たという話、
Bという映画を観たという話、
をそれぞれしてもらう。
実は、その人はAかBのいずれかしか実際には観ていません。
その人がA,Bそれぞれの映画について語っている映像を、
テレビで流し、
実際にその人が観たのはA,Bいずれの映画かを、
テレビ視聴者に問うという方式がとられたそうです。

なんとも大がかりですごいです。

昨日、
 「嘘をつく人も本当のことを言う人も、
 同じように相手の目を見つめ、
 手を神経質に振り回したり椅子の上でそわそわしたりすることはなかった」

と書きました。

でも、60以上の国の数千人に、
 「他人が嘘をついていることを、
 あなたはどうやって判断しますか?」

と訪ねた調査では、その回答内容は驚くほど一致していること、
すなわち、国を問わず、ほとんどすべての人が、
嘘つきを見破るサインとして、
目をそらす、手を振りまわす、椅子の上でそわそわする
などをあげていたのだそうです。

それがかえって、テレビで用意周到に嘘をつく人を
見抜けなくさせていたのです。

実は、先の研究にはまだ続きがあって、
このことを支持する方向の結果が得られています。

その人の話した内容を、
ラジオで聴いた人、新聞で読んだ人にも、
同じように、いずれが嘘であるかを考えるように呼びかけたのだそうです。

その結果…

テレビ視聴者の正解率は52%、
新聞だけで判断した人の正解率は64%、
ラジオを聴いた人の正解率は73%。

視線や身振りなど、嘘を見破るいつものチャンネルを使えなかった人の方が、
はるかに正答率が高かったのです。
よって、嘘を見破るには、
目よりも耳を使った方がよいと結論されたのです。

しかし、昨日・一昨日と、「嘘」に触れましたが、
嘘のレベルが若干違っています。
一昨日の分は、その場でとっさにつく嘘、
昨日の分は、用意周到につく嘘です。
用意周到につく嘘の条件においては、上記の結果が報告されましたが
「とっさにつく嘘」はどうなんでしょうね。

また、目から入る情報がある場合には、
それをメッセージとして重視しやすいんだなあという、
人間の知覚のクセについても改めて考えさせられる研究でした。

用意周到な嘘の見分け方

2010-07-08 23:26:24 | 心理学こぼれ話
昨日、「嘘」にふれましたが、
とある研究によると、嘘を見抜ける人は50%前後だったとか。

そしてなぜ見破られなかったかというと、
多くの人が「身振り」に注目したからだと
考察されているようです。

嘘をつく人も本当のことを言う人も、
同じように相手の目を見つめ、手を神経質に振り回したり
椅子の上でそわそわしたりすることはなかった。
(実際には嘘を言う人は動きが少なかったようですが)。
嘘を見抜くことができなかったのは、身振りに頼っていたからで、
実際はそういうものは嘘とは無関係だったとされています。

嘘を見抜く手がかりは、「話し方」にあったそうです。
嘘をつく人は全体的には口数が少なくくわしく語らない傾向、
にもかかわらず、本当のことを言っている人は言わないような
非常に細かい情報を提示するのだとか。

それらの研究では、アイコンタクトや表情よりも
言葉の方がもっともコントロールしにくいとされています。

通常は、非言語の方がコントロールしにくいとされます。

でも嘘の完璧なストーリーを仕上げていくべく
コントロールを完璧にするのは
とても難しいことなのかもしれません。

嘘の内容や脚本を記憶しないといけないし、
その内容に関連する情報を選択し記憶できるか、
そしてそれらをもとにしたそれらしいコメントを出せるか、など。
ハードルの高い作業です、嘘が大きくなればなるほど。
言ってみればそこから嘘が綻ぶ危険性を帯びていますから。

言語情報選択過程に限らず、自然の展開のものを
再現しようとする行為は一筋縄ではいかないということでしょうね。

ふだん身振りをみて本音をはかろうという習慣は、
用意周到な嘘を見抜く上ではかえって阻害的に働くということ!?

メッセージのチャンネル

2010-07-07 23:59:59 | 心理学こぼれ話
昨日、「絵文字の不一致」という話を書きました。

言語で伝えるメッセージと絵文字で伝えるメッセージが
矛盾している場合について、書いたのですが、
このような「メッセージの不一致」は、
メール以外でも見受けられます。

私たちが人とコミュニケーションする時には、
「何を言うか」という言葉の内容だけでなく、
「どのように言うか」という、“言い方”や
言葉の間合いなども、相手にメッセージとして伝わります。

それだけでなく、その時の表情や身ぶりや姿勢、
あるいはその時の服装やその人の状況なども
一緒にメッセージとして伝わっていきます。

言葉の内容によるメッセージが「言語メッセージ」と呼ばれるのに対して
それ以外のメッセージは「非言語メッセージ」と呼ばれます。

大抵の場合、言語メッセージと非言語メッセージは一致しているのですが、
時に、そのメッセージ内容が矛盾する場合があります。

そんな時、概ね、非言語メッセージの方に本音が表れると言われます。
(あくまでも「概ね」です)
本音を隠そうとする場合(たとえば嘘をつく場合)、
大抵の人は、「セリフ」を考えます。
つまり、言葉の内容ですね。
戦略的な人は、さらに、「どう言おうか」とか、
前後の流れをどう作ろうか、とか、
あるいはもっと綿密に状況設定まで調える人もいるでしょう。
でも通常は、せいぜい「ふるまう」レベル、つまり、
どういう表情で、どんな風に言おうか、くらいまでしか
考えないのではないでしょうか。
そして、ふとした瞬間の表情や、
意図しなかった質問への戸惑いなどを通して、
何か矛盾したものを感じさせるメッセージを発してしまうのです。
コントロールしきれなかった本音ですね。

その矛盾したチャンネルに気づくことは、
本当はどういう気持ちを持っているのかを
そこから考えていくことができるので、
相手の内面を理解する大事な入り口になります。
なので、その矛盾したチャンネルへの感受性は
人を理解する事を求められる人には不可欠だと考えられます。

でも同時に、「隠したいという気持ち」をもっていることにも
気づいてきますね。
それまた隠されたメッセージ。
そうなると、どれを「本当の気持ち」なのやら…

きっとどれも「本当の気持ち」ですね。
今更ですが、人の心は複雑なものです。

…でも、昨日触れたような「絵文字の不一致」
私の場合は押し間違いであることもあるし、
また、どんな意味を込めて使っているか、
まだまちまちであるような気もします。

解釈しすぎて誤解が突っ走る事を避けるためには、
やはり、結局は、コミュニケーションを続けながら
最適な解を共に模索していくしかないのでしょう。

自己呈示

2010-06-20 20:33:29 | 心理学こぼれ話
昨日、自己開示のことを書きましたが、
類似の概念として「自己呈示」というものがあります。

自己開示というと、内面を曝すということを書きましたが、
それは他者からは見えないため、それを偽る事は可能です。
たとえば、ちょっとイメージを作ろうとして、
開示する自己情報の内容を操作することも可能です。

このように、相手に特定の印象を与えようとして
自分の情報を操作して呈示することを「自己呈示」と言います。

Tedeschi & Norman(1985)は、自己呈示行動を
・戦術的であるか、戦略的であるか
・防衛的であるか、主張的であるか
の2つの次元から、整理しています。

・戦術的というのは、特定の対人場面において一時的に生じるもの

・戦略的というのは、多くの場面において戦術を組み合わせて
 長期にわたって特定の印象を他者に与えようとするもの

・防衛的というのは、相手が自分に否定的な印象を抱く可能性があるとき、
 それを少しでも肯定的なものにしよとする試み

・主張的というのは、他者の行動に対する反応ではなく、
 特定の印象を与えることを目的として積極的に行うもの

この組み合わせから、自己呈示行動を4つに分類しました。

1.戦術的・防衛的:
  弁解、正当化、セルフ・ハンディキャッピング、謝罪、社会志向的行動

2.戦術的・主張的:
  取り入り、威嚇、自己宣伝、示範、哀願、称賛付与、価値高揚

3.戦略的・防衛的:
  アルコール依存、薬物乱用、恐怖症、心気症、精神病、学習性無力感

4.戦略的・主張的:
  魅力、尊敬、威信、地位、信憑性、信頼性

うーん。
こう並べてみると、
それを意図的にやっていると言われるとつらい、と思うものも
含まれているし、
また、自己開示をしたつもりでも自己呈示って言われてしまいそう…、と
思うものも含まれています。

その辺り、どの観点から整理するかによって
かなり意見が分かれるところのようです。
どこからが自己開示でどこからが自己呈示なのか、
どこからが意識的でどこからが無意識的なのか、
その辺りで区別しようとしても、それはかなりの困難を伴います。

そこは掘り下げない方がよい問いだと思いますので、
今日はこの辺でお開きにさせていただきます。

*参考文献
 中村陽吉編『「自己過程」の社会心理学』東京大学出版会, 1990年

自己開示

2010-06-19 20:03:11 | 心理学こぼれ話
この数日間、自分の思考を曝露しておりました。

これを書く事によって皆さんの私に対する印象は
色々と変わったかも知れませんが、
そんなことは気にせず、自分を曝け出してみました。

このような行為は、心理学では「自己開示(self-disclosure)」と呼ばれます。
大雑把には、自分に関する情報を開示する事を言います。
特に、内面性の程度が高い情報に関する自己開示について、
心理学では研究が重ねられてきました。
内面性の程度が高い情報は、可視性が低く、
また、望ましくない側面が含まれる事もあるため、
自己開示に対する抵抗も生じるだろうと考えられるからです。

私の場合は、ブログで一方的に書いているだけですが、
実際の二者関係においては、
自己開示をお互いにし合うという行為が
相手と親密になっていく過程において
重要な役割を果たすことが指摘されています。

開示者(話し手)にとっては、自己開示そのものが
自分の感情を整理したり考えを明確にしたりする役割を果たしますし、
聞き手からのフィードバックによって自分の感情や考えを
さらに整理していくことができます。
受け手にとっても、相手から信頼を得ていると推測できます。

ですが、そのような肯定的な結果を期待できる反面、
否定的な結果、たとえば、
受け入れられなかったらどうしようとか、
否定的な側面を開示することによって関係が壊れたらどうしようとか、
あるいは相手の考えに呑み込まれてしまったらどうしようとか、
そのような不安も生じさせるところがあります。

なので、一番聞いてもらいたい悩みの自己開示においては、
一種のジレンマが構成されるのです。

ですので、自己開示については、
どのような受け手が、相手の自己開示を引き出すのか、といった観点から
さまざまな考察や研究がなされてきました。

ですが同時に、自己開示が成り立つためには、
そもそもの開示者の特性や行動も検討課題となります。
相手に伝えようと思うか、言語化できるか、適切に伝えられるかなど。

それら双方の要因が重なり合って、
実際の自己開示場面が展開されるわけです。
色々な条件が整ってはじめて、自己開示過程はスムーズに進んでいく。

結構すごいことではないでしょうか。

だからこそ、自己開示、相互の自己開示などは、
お互いの関係性をより発展させていく上で重要な役割を果たすのでしょう。

*参考文献
 中村陽吉編『「自己過程」の社会心理学』東京大学出版会, 1990年