中間玲子のブログ

仕事のこととか日々のこととか…更新怠りがちですがボチボチと。

8月が…

2011-08-30 21:37:18 | 生活日記
早くも去ろうとしています…

年度末の時間の早さについては

「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」

と表現されていますが、

8月は…

ずばり「走る」でしょう

子どもの頃から8月末はとっても寂しい気持ちになってました
夏休みが終わってしまう、夏が行ってしまう…

この8月末の切なさは心深くに刷り込まれた記憶なんでしょうか。

月末の締め切りやら計画倒れに終わったことの反省やら
実はそういう現実的なことから逃避したい気持ちをも
去り行く8月をめぐるノスタルジックな思いとして味わってしまいましょう。


こうして走り去る8月を思う間も刻一刻と…
9月が「来る」



アジア社会心理学会

2011-08-27 16:39:09 | 研究日記
ちょうど1ヶ月前の7/27、アジア社会心理学会に参加するため、
中国へと旅立っていきました。

開催地は雲南省にある「昆明」
風光明媚な山岳地帯で有名なところらしいです。

開催校は雲南師範大学で、初日は学生やゲストによる
パフォーマンスがありました。



巨大な体育館会場で、学生による中国舞踊の演舞や、カンフーなど。
中国に来た!という感じが盛り上がります。
プロ歌手と思われる方の独唱もあり。

最後はこんな派手な花火でなかなかの見応えでした。



私自身の発表はポスターだったので・・・


あまりプレッシャーもなく発表していました。
国際学会はポスター発表よりも口頭発表してこそナンボ、
といったところがあるのですが、
別の学会で口頭発表の予定があったので、
やや逃げの姿勢だな…と思いつつ、
こちらはポスター発表にさせてもらったのでした。

ここのところ、自尊感情疑念&研究に疑問を抱きつつ
人生を充実するために必要な心理変数とは何か?
ということを考えていて、予備的研究の成果を発表しました。

国際社会心理学会なので、自尊感情研究については、
変動性や高低の得点に関する文化差についての研究が非常に多い中、
自分の研究はやや異色だな…と感じていましたが、
教育や人格に関心がある方は、興味をもって聞いてくれました。
今、追加の調査をしているところなので、
データがそろったら形にしようと思います。

ところで、別の学会の口頭発表ですが、
本来ならば、今頃は、ノルウェーのベルゲンで
チャレンジしているところでした。

ですが、夏の予定が色々立て込んでいることや、
今年度、もう一つ国際学会に参加する予定ができたことなどから、
ノルウェーは断念しました。
北欧、行ってみたかったのですが…残念です。

夏休み直前ゼミ2011

2011-08-12 18:24:56 | 授業日記
去る8月5日、夏休み直前ゼミということで、
3回生~M2までの合同ゼミを行いました。
(於:神戸サテライトキャンパス

集中講義や教採セミナーなどの都合で
全員参加というわけにはいきませんでしたが、
なかまゼミ11名中9名参加の合同ゼミでした。

細かい内容についての議論は、日常のゼミで行うので、
合同ゼミの目的は、情報交換&意見交換に尽きます。
そのために、各自、A4判1枚程度で
次の内容を盛り込んだレジュメを用意してもらい、
発表してもらいました。

★M1&3回生用:
1.現時点での問題意識
a.こんなことを調べてみたい
b.なぜそれを知りたいと思ったか
c.それがわかったら、皆にとってどんないいことがあるか
d.そのために今までにやってきたこと(あれば)
e.これまでにボツになった問題意識たち(あれば)
f.今、困っていること、皆に聴きたいことなど
2.夏休みの研究計画:この夏休みに、読もうと思っている本、論文など。
3.研究以外での夏休みの計画
4.夏に向けて一言

★M2&4回生用:
1.現時点での問題意識
a.取り組んでいる研究テーマ
b.なぜそれを知りたいと思ったか
c.それがわかったら、皆にとってどんないいことがあるか
d.現時点での進行状況
e.これまでの苦労(M1&3回生へのアドバイスもかねて)
2.夏休みの研究計画
3.研究・教採以外での夏休みの計画
4.夏に向けて一言

言うまでもなく、1&2がメインです。
各自20分ずつの持ち時間で、発表&質疑などを行います。

15時~18時半の予定で、適当にブレイクも入れながら
M2からは今日に至るまでの苦労と共に今後の意気込みが語られ、
3回生からは、今つまずいている悩みが出され、と
合同ゼミならではのやりとりが展開しつつ、
それぞれの発表が順調に進んでいってたのですが…

M1の2名の発表を残した18時前…

サテライトの事務の方からのまさかの通達。

「サテライトキャンパスは6時までです…」

なにーーーー

ああ、ぬかりました
私ったらなんてツメがあまい…

皆に、ごめんねごめんねーーーと言いながら
神戸サテライトキャンパスを後にし、
さて、どうしよう?と。

飲み会は19時からですので、向かうには早過ぎるし。

しかし、神戸サテライトは、港町スポット。
せっかくなので、青空ゼミしちゃいましょう

というわけで、港の方に歩いていくと、
ナイスなスポットがあるではありませんか。



ちょうど円くなって座れるような配置で
石が並んで置かれてあります。
さっそくそこでゼミ続行です。

逆方向からの景色はこんな感じ↓


ところが…

残念なことに、青空ゼミも長くは続かず
曇り空ゼミになり、そして、小雨ゼミになり

「無理ですね。移動しましょう

残り1名の発表を残した状態で、再び彷徨う民となった私たち。

向かったのは近くのショッピングモールにあるフードコート。



マックのポテトが鼻孔をくすぐる中、
最後の1名の発表を、なんとかやり遂げたのでした。

わははは。
やるといったらやりますよ、ゼミ
(でも、落ち着いてできなくてごめんなさい

その後は、沖縄料理の店で前期の打ち上げを行いました。

幹事Mさんの指令により、各自持参した「沖縄っぽいもの」
(星砂、貝のアクセサリー、シーサー、アグー豚っぽいグッズ(?)、
 沖縄で買った麦わら帽子(50円だったそうな)、
 沖縄っぽいアクセや洋服、指ハブ など)
のお披露目会、
言い出しっぺなのにグッズは持参しなかったMさんによる
ウチナーグチ講座(プリント配付あり)、
「沖縄っぽいもの持参」という指令自体に
気づいていなかったF君による手品(?)の披露といった
催しもあり。
夏休み直前ゼミ&前期打ち上げは
なかなかに充実したものとなったのでした。

さて、ゼミ生の皆、夏休みに卒論or修論課題、取り組んでね
そのための所信表明の会でもあるのだからー
夏休み明け、楽しみにしてるー、うふふ

アイデンティティのこと

2011-08-11 14:26:22 | 授業日記
7月後半以降、更新を怠りがちですが、
その間、色々な行事がありました。
それについても、続々アップしていきます

今日は、前期授業のレポート読破の日です。

最近、ようやくホームページの方を更新しまして、
今更、2011年度の時間割とゼミ生について情報を加えたところです。
時間割から、前期に私がどのような授業に関わったかは
御覧頂けると思います。

それぞれの授業でレポート課題があるのですが、
私の授業ですから、だいたい、
「アイデンティティ」、「生き方」、「自分探し」などが
課題になってきます。
なのでもともと、私にとっては読みたいと思う内容が
レポートとして提出されることが多いです。

読んでいると、
こんな風に考えているんだ、ということを知って、
ほのぼの思ったり、不思議に思ったり、少し切なくなったり、
そして、その書き方、考えのまとめ方に勉強させられたり。
あるいは、考え方を知ることで、こちらの考えも深まったり。
読み応えのあるレポートは、読んでいて楽しいですし、
刺激を受けます。

その中で、こんなことを書いておられた方が
いらっしゃいました。

今、再び「アイデンテイティ 対 アイデンティティ拡散」に
いるのかもしれない、でも、青年期のそれとは違う、という流れで

「「今だからわかる」、
 そう感じられる年齢になるまで生きられたこと、
 今ここにこうして、日々の幸せを感じながら
 生きていられることを本当に有り難く思います」

じーん。。。
きっと色々なことを経験なさったんだろうな、
その渦中では、苦しさや混乱に溺れかけたこともあったんだろうな、
それでもなんとか生き延びて、気づけば、
なんとか心穏やかに生きられるようになっていた、
今でも色々な迷いはあるけれども、
それでも、幸せを感じながら生きていけている、
そんな自分になれた喜び、
そこまで生きてこられたことへの喜び、
そしてそんな自分だからこそ感じることのできる幸せを
日々をかみしめている感じが、なんだか伝わってきました。

・・・妄想でしょうか。

いいえ、誰でも。
(・・・ちょっと古かったでしょうか、by ACです。)

でも、そんなイメージが瞬間、わきあがってしまいました。

青年心理学の授業では、
ものすごく悩んでいる時は
それがずっと続くように思える(=時間的展望の拡散)
それでも、時間が経つと、色々なことが変わる、
という話をします。
その渦中にいる時は、
その苦しみが終わるなんて考えられないようなことでも、
とにかく生きていさえすれば、
ちょっとハードルを上げるならば、
とにかく生きていこうとしていさえすれば、
生きていった先に、
ちょっと彩りの違う世界が見えてくるのです。

生きておられることを喜んでおられるすべての方に、
改めて、そのことは、言祝ぐべきことですよと
お伝えしたいなと感じました

『教育コミュニケーション論』

2011-08-04 12:47:42 | 授業日記
2010年3月に、教育コミュニケーションコース
社会学の先生であられた杉尾宏先生が退官されました。

それを機に、コース看板授業である
「教育コミュニケーション論」のテキストを作ろう!
ということになりました。

退官記念の本としてではなく、大学院の授業のテキストに
耐えうるものを作ろう!ということで、
当時の教員たち6名
(杉尾先生、安部先生、渡邊先生、宮元先生、大関先生、私)
が、その授業で論じていることをそれぞれまとめました。

それがこの度、ようやく出版の運びとなりました。

コースのホームページでも
紹介させていただいています。



個人的には、このカバーデザインが大変気に入っています。
暑い季節にぴったりの涼しげなデザイン。
手に取ったときの感触もよい感じの紙質で、
ソフトカバーのよい作りになっています。

というわけで、来年度からは、前期授業「教育コミュニケーション論」で
このテキストを使うことができます♪

目次は以下のとおり:
序章 近代学校の権力構造とコミュニケーション(杉尾宏先生・社会学)
一章 日常的行為としての教育コミュニケーション(中間玲子・心理学)
二章 対話としての教育(大関達也先生・哲学)
三章 教育コミュニケーションの規定要因としての時間割(渡邊隆信先生・西洋史)
四章 教室という場におけるコミュニケーション(宮元博章先生・心理学)
五章 日本的コミュニケーションの特質と様相(安部崇慶先生・日本史)
終章 「言語ゲーム」としての教育コミュニケーション(杉尾宏先生・社会学)

うちのコースの教員構成が、社会学、歴史、哲学、心理学、と(当時)
学問領域ばらばらなので、かなり多彩な議論になっています。

執筆の際には、
それぞれテーマをはずれていないか、
全体としてのまとまりが損なわれないか、はチェックされましたが、
互いの学問領域を尊重してか、
かなり好き勝手に書かせてもらった印象があります。

自分の部分について言うと、
担当章タイトルは「日常的行為としての教育コミュニケーション」。
・教育というのは、学校に限らないということ、日常生活の
 色々な場面で教育行為を指摘することができること
・教育においては、いずれか一方だけが変わるということはあり得ない、
 教える側も実は教えられているということ
が論旨です。
心理学的知識のおまけとして、
ロジャーズが非指示的療法を打ち出した際に行った、
それまでの療法の相対化の作業についてのまとめもあります。

というわけで、興味のある方は是非お買い求めください。

奈良ツアー(2)

2011-08-03 20:04:39 | 授業日記
更新を怠っている内に、
長らく出張していて、すでに8月に・・・

奈良ツアーの続篇です。

さて、この「奈良ツアー」、
カテゴリーが「授業日記」になっています。

そう、この「奈良ツアー」は、単なる観光旅行ではないのです。

メインは、天川村のお祭りでした。

奈良県で開かれるお祭りは、これのみならず、
12月の春日大社「若宮御祭」、2月の東大寺「お水取り」など、
本当に「神事」としての祭りが少なくありません。

観光客もいますが、その人達を楽しませる、ということよりも、
ただただ、神に対する儀式として、祭りが進みます。

それを眺めていると、
古来からの人の神への対し方、
そして、そこにいかなる作法が形式化されてきたか、
などが垣間見えて、非常に興味深いのです。
人の心や願い、自然の中でそれを畏れながら生きてきた人間の心へ
思いを馳せることは当然ながら、
何が畏れられ、何がタブー視されたか、そこで何が慣習となったかなど、
慣習の形成過程にも思考は拡がります。

言葉にしようとすると、「なんか・・・すごいなあ」
ということでしか表現できないのですが。
でも、そこから、日常における「当たり前」というものを
少し対象化できるような境地になるのです。

なので、祭りへの参加は、授業日記になるのです。

さて。

メインの天川のお祭りは、宵祭りから参加しました。



この五十鈴が天川の象徴だそうな。。。

宵祭りでは、
祝詞、神楽、玉串奉納、そして、参加者全員での般若心経。
粛々と進みました。

翌日は、山伏たちが行列をなし、ホラ貝の大きな音と共に
なにやら儀式が始まり、言葉を奉納し、護摩を焚き・・・

その煙がもくもくと神社境内を覆い尽くしたお昼過ぎ、
奉納としての「神事能」が始まりました。

この舞台がすごいのです。
山を上ったところにある舞台では、
その背後は山の緑。
宵祭りの神楽の時はただただ闇なのですが、
お昼に奉納されるこの神事能は、
背後の緑が、演出効果を発揮していて、
そこで演じられる能を見るのは、
通常以上に非現実の世界へと誘ってくれます。
途中、睡魔が襲い、はっと目が覚めるのも
またその不思議な感覚を味わわせてくれる・・・

演目は「葛城」というもので、山伏を題材にしたものです。
終わった瞬間、偶然さっと風が吹き、
まさに「幕」が引かれた感じがしました。

その場に身を置いた時に感じる、いつもと違う感覚。
それを引き起こす一連の神事というのはなんなんでしょう。
儀式という一つの構造が、なぜそのような形として完成したのか、
そして、その構造によって、なぜ人はいつもと違う感覚を得るのか。
また、どこからどこまでが作られた部分で、
どこからどこまでが自然環境や受け手に委ねている部分なのか。
その際、自然環境や受け手までも構造にいれてしまっているのだろうか。
いつもいつも不思議に思うのです。