友達に勧められて読んでいるエッセイが最高級に面白い。
その中で、記憶の中での言葉のすり替えに関するの話があった。
ちょっとそこから思い当たる話を書いてみようと思います。
記憶をする時、私たちは大抵「意味」をきちんと把握して
自分の記憶しやすいように頭の中に整理していきます。
情報を要約することで、記憶に定着させやすく、
しかもあとで検索しやすくするのです。
ところが、このメカニズムが時に間違いを引き起こします。
昨日、京都大学で研究会がありました。
お昼をどこで食べようかと頭をめぐらせていたのですが、
「折り紙」という単語がしつこく頭にへばりつく。
こういう名前の定食屋さんが京大の近くにあったのです。
しかし、この「折り紙」という店名は、学生時代から
しつこく私にまとわりついている記憶違いなのです。
本当の店の名前は「あやとり」。
子どもの遊びが店の名前になっている、という感じで
意味をとらえて、なぜか「折り紙」という単語が
いつも浮かんでくるのです。
その他に、以前、友達に大笑いされたのは「年金」のpension。
年金でペンションを建てるというイメージを勝手に連想させ
そこからそのイメージだけで記憶が進み、
私の中の年金ワードは、mansionに変貌を遂げていました。
ペンションというと老後のほのぼのとした余生が浮かびますが
マンションとなると、なんだか成金っぽいまだ欲の果てない老後に思えます。
(勝手に貸しマンションのイメージになっています。
都心にあり、家賃は当然高いのだ。)
しかも、この手の記憶違いワードは、タチの悪い事に、
何度間違ってもその都度、正しいワードよりも真っ先に浮かんできます。
何度も間違ううちに、頭でチェックするのですが、
なぜか間違った方を「正しい」と判断してしまうのですね。
無理矢理後から「そうじゃなくて」というステップを踏んでも、
そういう覚え方での記憶は、検索の時に混乱を起こすみたいですね。
その中で、記憶の中での言葉のすり替えに関するの話があった。
ちょっとそこから思い当たる話を書いてみようと思います。
記憶をする時、私たちは大抵「意味」をきちんと把握して
自分の記憶しやすいように頭の中に整理していきます。
情報を要約することで、記憶に定着させやすく、
しかもあとで検索しやすくするのです。
ところが、このメカニズムが時に間違いを引き起こします。
昨日、京都大学で研究会がありました。
お昼をどこで食べようかと頭をめぐらせていたのですが、
「折り紙」という単語がしつこく頭にへばりつく。
こういう名前の定食屋さんが京大の近くにあったのです。
しかし、この「折り紙」という店名は、学生時代から
しつこく私にまとわりついている記憶違いなのです。
本当の店の名前は「あやとり」。
子どもの遊びが店の名前になっている、という感じで
意味をとらえて、なぜか「折り紙」という単語が
いつも浮かんでくるのです。
その他に、以前、友達に大笑いされたのは「年金」のpension。
年金でペンションを建てるというイメージを勝手に連想させ
そこからそのイメージだけで記憶が進み、
私の中の年金ワードは、mansionに変貌を遂げていました。
ペンションというと老後のほのぼのとした余生が浮かびますが
マンションとなると、なんだか成金っぽいまだ欲の果てない老後に思えます。
(勝手に貸しマンションのイメージになっています。
都心にあり、家賃は当然高いのだ。)
しかも、この手の記憶違いワードは、タチの悪い事に、
何度間違ってもその都度、正しいワードよりも真っ先に浮かんできます。
何度も間違ううちに、頭でチェックするのですが、
なぜか間違った方を「正しい」と判断してしまうのですね。
無理矢理後から「そうじゃなくて」というステップを踏んでも、
そういう覚え方での記憶は、検索の時に混乱を起こすみたいですね。