だいぶ以前に、研究仲間に勧められてそのままになっていた映画
『マラソン』をDVDで見ました。
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id322454/
明日から精神障害についての説明に入るので、そこで使えるかな?という
邪心も入り交じりながら。
主人公は自閉症をもつ男性。コミュニケーションがなかなかとれず
若い母親は、大きな不安をかかえながらも、必死になって彼を育てます。
母親の夢は「息子が自分より1日早く死ぬこと」。
その中で、彼が一生懸命になれるもの、「走る」を見つけます。
彼の俊足は母親の生き甲斐となり、マラソン出場を夢見るようになります。
しかし、母親の一生懸命さにかかわらず、周囲は
「マラソンで障害がなおりますか?」「何か変わったんですか?」。
母親は「息子は走ることが好きなんです。走っている時だけは
他の皆と一緒なんです。」と主張するが、
「息子さんが好きなんですか?お母さんがそう決め付けているだけでは?」と
言われてしまう。
気づけば家族は崩壊していた。
弟は暴行で警察につれられ、迎えにきた母親への怒りをぶつける。
父親はとうの昔に家を出ている。
そして頼みの綱の息子(主人公)はというと、母親がそんなに悩んでいても
まったく意に介さない。。。
一生懸命やっても報われず、やればやるほど無力感に襲われる母親。
彼女自身も自問自答し始める。
自分が必死になってやってきたのは間違いだったのだ、
つらいと言わせないように条件づけ、彼の表現を奪っていた。。。
そう思った母親は、息子にマラソンを禁じる。
-------------
私は、自閉症のドラマとしてより、自閉症を抱える家族のドラマとして見ました。
自閉症といってもその障害の程度などはさまざまですし、
映像化したりするのは非常に難しいように思います。
最悪な時には、「彼らは純粋だ」というメッセージだけに落ち着く。
それだけならまだしも、「純粋である」とすることが無敵の価値のように
とりあげられ、それは当然受け入れるべきものとみなされたり、
その価値を軸に考えられなくなったときの自分を
恐ろしい罪悪感をもってとらえてしまったりすることがあるように思う。
でも、不安だったりいやになったり「どうして自分だけが」と思うこと、あると思う。
一生懸命、迷いなくやっているように見えても、不安でいっぱいだったりする。
そして、その一生懸命さを周りにわかってもらえなくて意固地になってしまうし
その信念に執着したりもするのだと思う。
障害を考える、というのは、その本人の理解は当然のこと、
それを受け入れることに時間がかかっている家族を含めてなされることだと思う。
残念ながら、90分授業の中でこの映画をうまく使う構成が見えなかったので
授業では使いません。
また、この映画だけから、自閉症のイメージを作るのもどうかな、と
思ったりもするので…。
でも、機会があったら是非、見てみてください。
障害理解にも役立つところはありますし、
色々感じるところはあるのではないかと思います。
もちろん、「自閉症はこうだ」、「自閉症の家族はこうだ」という
一般化はやめてほしいですけど(cf. 『レインマン』)、
世界を広めるきっかけになるようには思います。
研究者としての私個人のチャンネルから感想を言うと、
相互作用が成立するってどういうこと?とか、
意思を持つってどういうこと?ということについては
大いに考えさせてくれる映画であるように思いました。
『マラソン』をDVDで見ました。
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id322454/
明日から精神障害についての説明に入るので、そこで使えるかな?という
邪心も入り交じりながら。
主人公は自閉症をもつ男性。コミュニケーションがなかなかとれず
若い母親は、大きな不安をかかえながらも、必死になって彼を育てます。
母親の夢は「息子が自分より1日早く死ぬこと」。
その中で、彼が一生懸命になれるもの、「走る」を見つけます。
彼の俊足は母親の生き甲斐となり、マラソン出場を夢見るようになります。
しかし、母親の一生懸命さにかかわらず、周囲は
「マラソンで障害がなおりますか?」「何か変わったんですか?」。
母親は「息子は走ることが好きなんです。走っている時だけは
他の皆と一緒なんです。」と主張するが、
「息子さんが好きなんですか?お母さんがそう決め付けているだけでは?」と
言われてしまう。
気づけば家族は崩壊していた。
弟は暴行で警察につれられ、迎えにきた母親への怒りをぶつける。
父親はとうの昔に家を出ている。
そして頼みの綱の息子(主人公)はというと、母親がそんなに悩んでいても
まったく意に介さない。。。
一生懸命やっても報われず、やればやるほど無力感に襲われる母親。
彼女自身も自問自答し始める。
自分が必死になってやってきたのは間違いだったのだ、
つらいと言わせないように条件づけ、彼の表現を奪っていた。。。
そう思った母親は、息子にマラソンを禁じる。
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私は、自閉症のドラマとしてより、自閉症を抱える家族のドラマとして見ました。
自閉症といってもその障害の程度などはさまざまですし、
映像化したりするのは非常に難しいように思います。
最悪な時には、「彼らは純粋だ」というメッセージだけに落ち着く。
それだけならまだしも、「純粋である」とすることが無敵の価値のように
とりあげられ、それは当然受け入れるべきものとみなされたり、
その価値を軸に考えられなくなったときの自分を
恐ろしい罪悪感をもってとらえてしまったりすることがあるように思う。
でも、不安だったりいやになったり「どうして自分だけが」と思うこと、あると思う。
一生懸命、迷いなくやっているように見えても、不安でいっぱいだったりする。
そして、その一生懸命さを周りにわかってもらえなくて意固地になってしまうし
その信念に執着したりもするのだと思う。
障害を考える、というのは、その本人の理解は当然のこと、
それを受け入れることに時間がかかっている家族を含めてなされることだと思う。
残念ながら、90分授業の中でこの映画をうまく使う構成が見えなかったので
授業では使いません。
また、この映画だけから、自閉症のイメージを作るのもどうかな、と
思ったりもするので…。
でも、機会があったら是非、見てみてください。
障害理解にも役立つところはありますし、
色々感じるところはあるのではないかと思います。
もちろん、「自閉症はこうだ」、「自閉症の家族はこうだ」という
一般化はやめてほしいですけど(cf. 『レインマン』)、
世界を広めるきっかけになるようには思います。
研究者としての私個人のチャンネルから感想を言うと、
相互作用が成立するってどういうこと?とか、
意思を持つってどういうこと?ということについては
大いに考えさせてくれる映画であるように思いました。