本日より40年前、真夜中の1時12分に、
私めはこの世に生を受けました。
そう、お母さんが頑張ってくれたのです
ということで、今日2012年5月30日をもって、
めでたく「40歳」になりました
40といえば、「不惑」の年ですね。
「四十而不惑:四十にして惑わず」
この言葉で、『論語』の世界は自分には合わない、
その人間観は現実をあまり反映していない、と
思う方も多いのではないでしょうか。
あるいは、「もう惑っちゃいけない」と
自分の未熟さをことさらに意識するとか。
そして、「どうせあんな立派な人にはなれない」と
自分の可能性を見限ったりしてしまうとか。
でも、「四十而不惑:四十にして惑わず」とは
実はまったく別の意味である可能性がある、という話を
2~3年前に知りました。
学術的にどの程度支持されているのかは存じませんが、
とても気に入った解釈で、
自分が40歳になる時にブログに書こうと、
数年あたためてきた話題ですので紹介させてください。
安田登著『身体感覚で『論語』を読み直す。』(春秋社)
という本です。
(「不惑」に限らず、すべて面白いです。)
その中から、「不惑」に関するところを抜粋してみます。
安田氏も、『論語』全体の中でも、「四十而不惑」という言葉は
ちょっと異質に響くところなのだそうです。
それで調べてみると、「惑」という漢字は、
孔子の時代には使われていなかったらしい。
ならば、孔子は「惑わず」なんて言っていなかったのではないか。
そう考えると、では実際には、なんと言ったのだろうか?
という問いが出てきます。
「惑」という漢字がなかった時、どのような漢字だったのか。
孔子の時代、「心」の文字はなかったそうです。
それで、「心」をとってみると「或」となる。
安田氏は、「惑」はもともと「或」だったのでは、と考えます。
では、「或」とはどんな意味なのか。
この文字は、「境界」に関する文字であることは確かであるようだと。
「或」を「口」で囲むと「國」、
「或」に「土」をつけると「域」
どちらも、「区切られた区域」を表します。
つまり、「或」とは、境界によって
ある区間を区切ることを意味するのです。
「或」とは:
分けること、すなわち境界を引くこと、限定すること
「不惑」の「惑」の漢字も、その原意は、
「心が狭いわくに囲まれること」であると考えられると。
40, 50くらいになると、どうも人は「自分はこんな人間だ」と限定しがちになる。「自分ができるのはこのくらいだ」とか「自分はこんな性格だから仕方ない」とか「自分の人生はこんなもんだ」とか、狭い枠で囲って限定しがちになります。
「不惑」が「不或」、つまり「区切らず」だとすると、これは、「そんな風に自分を限定しちゃあいけない。もっと自分の可能性を広げなきゃいけない」という意味になります。そうなると「四十は惑わない年齢だ」というのとは全然違う意味になるのです。
(pp.23-24)
ということなんだそうです。
私自身は、というと、実は、
40まで生きられてかなり満足しています。
すごいな、40年も生きたのか、と驚いています。
なんだか、もう十分だな、という気もどこかでしてます。
でも、寿命というのは自分で決められるものではありません。
40まで生きたとはいえ、
今日も明日もこれからも、死ぬまで人生が続きます。
ならば、余生だなどと思わずに(余生だと思ったとしても)、
一日一日大切に、
生きている限りは「不或」の姿勢でいきたいなと思うのです。
私めはこの世に生を受けました。
そう、お母さんが頑張ってくれたのです
ということで、今日2012年5月30日をもって、
めでたく「40歳」になりました
40といえば、「不惑」の年ですね。
「四十而不惑:四十にして惑わず」
この言葉で、『論語』の世界は自分には合わない、
その人間観は現実をあまり反映していない、と
思う方も多いのではないでしょうか。
あるいは、「もう惑っちゃいけない」と
自分の未熟さをことさらに意識するとか。
そして、「どうせあんな立派な人にはなれない」と
自分の可能性を見限ったりしてしまうとか。
でも、「四十而不惑:四十にして惑わず」とは
実はまったく別の意味である可能性がある、という話を
2~3年前に知りました。
学術的にどの程度支持されているのかは存じませんが、
とても気に入った解釈で、
自分が40歳になる時にブログに書こうと、
数年あたためてきた話題ですので紹介させてください。
安田登著『身体感覚で『論語』を読み直す。』(春秋社)
という本です。
(「不惑」に限らず、すべて面白いです。)
その中から、「不惑」に関するところを抜粋してみます。
安田氏も、『論語』全体の中でも、「四十而不惑」という言葉は
ちょっと異質に響くところなのだそうです。
それで調べてみると、「惑」という漢字は、
孔子の時代には使われていなかったらしい。
ならば、孔子は「惑わず」なんて言っていなかったのではないか。
そう考えると、では実際には、なんと言ったのだろうか?
という問いが出てきます。
「惑」という漢字がなかった時、どのような漢字だったのか。
孔子の時代、「心」の文字はなかったそうです。
それで、「心」をとってみると「或」となる。
安田氏は、「惑」はもともと「或」だったのでは、と考えます。
では、「或」とはどんな意味なのか。
この文字は、「境界」に関する文字であることは確かであるようだと。
「或」を「口」で囲むと「國」、
「或」に「土」をつけると「域」
どちらも、「区切られた区域」を表します。
つまり、「或」とは、境界によって
ある区間を区切ることを意味するのです。
「或」とは:
分けること、すなわち境界を引くこと、限定すること
「不惑」の「惑」の漢字も、その原意は、
「心が狭いわくに囲まれること」であると考えられると。
40, 50くらいになると、どうも人は「自分はこんな人間だ」と限定しがちになる。「自分ができるのはこのくらいだ」とか「自分はこんな性格だから仕方ない」とか「自分の人生はこんなもんだ」とか、狭い枠で囲って限定しがちになります。
「不惑」が「不或」、つまり「区切らず」だとすると、これは、「そんな風に自分を限定しちゃあいけない。もっと自分の可能性を広げなきゃいけない」という意味になります。そうなると「四十は惑わない年齢だ」というのとは全然違う意味になるのです。
(pp.23-24)
ということなんだそうです。
私自身は、というと、実は、
40まで生きられてかなり満足しています。
すごいな、40年も生きたのか、と驚いています。
なんだか、もう十分だな、という気もどこかでしてます。
でも、寿命というのは自分で決められるものではありません。
40まで生きたとはいえ、
今日も明日もこれからも、死ぬまで人生が続きます。
ならば、余生だなどと思わずに(余生だと思ったとしても)、
一日一日大切に、
生きている限りは「不或」の姿勢でいきたいなと思うのです。