以前,
『あん』について書きましたが,
昨日,ようやく映画を観に行きました。
台風の中,最終日にすべりこむことができました。
永瀬正敏さん演じる「どら春」の店長・仙太郎,
そこに現れる「あん」作りの名人・徳江(樹木希林さん)
ある日,徳江(76歳)が突然「アルバイトさせてほしいの」といって仙太郎の前に現れます。
どう見ても変なおばあさん。
仙太郎は,いぶかしく思って「無理だと思う」ととりあわないのですが
徳江は「時給300円でいいわ」「200円でいいのよ」と粘ります。
とりあえずどら焼きを渡して帰ってもらうのですが
その後,再度徳江は現れ,「よかったら食べてみて」とタッパーを渡します。
タッパーを開いた仙太郎は「粒あんか…」とつぶやき,ゴミ箱に捨てます。
ですが,気になって,一口食べてみる。「…うん」。
その後季節が変わって徳江が再び現れたとき,仙太郎は徳江に
あんがすばらしかったこと,できればあん作りを手伝って欲しいことを頼みます。
徳江は大喜び。「私,働けるのね…」と涙をぬぐいます。
仙太郎はそれまで業務用のあんを使っていました。
そのことを知って徳江は驚きます。「どら焼きは,あんが命でしょう…」
翌日,「お天道様の上る前」に集合して,あん作りが始まりました。
時間をかけて小豆の声を聞き,小豆があんになるのを待ちながらのあん作り。
仙太郎にとっては気の遠くなるような行程でした。
ですが,できあがったあんでどら焼きを作った仙太郎はそれを食べて
「やっと自分が食べられるどら焼きができた」と言います。
甘党ではないので,どら焼き1つ食べるのはしんどかったんだそうです。
それを聞いてまたまた徳江はびっくり。
「好きじゃないって,どうして店長さん,好きでもないのにどら焼き屋やってるの?」
その理由には仙太郎の過去があり,仙太郎はそのために現在も苦しさの中を生きていました。
そして徳江もまた,悲しい過去から引き続く悲しい現在があり,その中を生きている人でした。
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永瀬正敏さん演じる仙太郎は,寡黙で無表情なのですが,
しかし,何か思い詰めたもの,そして絶望のようなものを抱えているような,
そういう印象を与える人でした。
ちょっとした表情の変化はもちろんですが,身体全身から
気持ちの様子や内に抱えているものが伝わってくるような。
見ているこちらが心を動かされてしまうような。
徳江が仙太郎に残していたメッセージに,
「悲しみの中を生きているようなもがいているような,そんな目をしていた」(←ちょっと不正確)と
いった内容があるのですが,
そう,そういったことを感じさせるような人物でした。
そして徳江は,色々なことをあきらめて,あきらめざるをえなくて,
たくさん泣いて,それでも今も泣きたくなるような仕打ちを受けてしまう人。
「こちらに非がなくても世間の無理解のために傷つけられてしまうことがあります」と言います。
徳江は,若い頃の夢も,願った人生もすべてかなえることが出来ず,
自分で何かをするという機会をもつことを許されず,
でも,身の回りにあるすべてのものの声に耳を傾け,聞いてあげる,見てあげる,
それを自分の役目として,それらに対して応える。
「何にもなれなくても,それができれば,生まれてきた意味があると思うの」と言います。
月がある日,徳江に言ったそうです。
「お前が見てくれるのを待っていたんだよ,そのために光っているんだよ」と…。
映画は,経営者の勝手な都合に巻き込まれた仙太郎が,
結局「どら春」をやめて公園で屋台としてのどら焼き屋を始めたシーンで終わります。
相変わらずの寡黙なたたずまい,でも,苦悩とともに,覚悟のようなものをも
内に秘めたそういったたたずまいで。
そして意を決したように,公園にいる人たちに大きな声で呼びかけます。
「どら焼き,いかがですか」
「どら焼き,いかがですか」
深く心に浸みる,いい映画でした。