KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

11歳になりました(^^)~冬もあと少し

2012-02-19 | KOFUKU日記


《カンナちゃんからもらったプレゼントと一緒に記念撮影(^^)》


2月17日、3きょうだいの長女ぴーちゃんは11歳になりました。



《家族みんなでお誕生日祝い♪》 




《まろたんママやちっさい兄ちゃん、カンナちゃんからそれぞれケーキが贈られました~♪》
《でも一番食べたのはピピちゃん(笑) お名前プレートにもピーちゃんの文字(^^)》


犬の11歳は人間になおすと60歳。
人間で言えば「還暦」を迎えたことになります。

相方さんが天国に行ってからこちら老け込んで
寝る時間が長くなって、目も少しくすんできて、
身体もちょっとぽっちゃりしてきたピーちゃん。

でも、ピピちゃんが来てくれたことで次第にさみしさが消え、
こちらに帰ってきてからは家族もきょうだいまろたんも増えて、
関東にいる時みたいに放射能などを気にして時間制限しなくても
毎日毎日お庭などでお散歩や日向ぼっこもできるようになり
ぴーちゃんは随分、ゆったり暮らせるようになりました。

過敏でほかの動物や人はまるっきり受け付けなかった
若いころからは考えられないくらいフレンドリーになり、
今日もきょうだい3匹で仲良く暮らしています(^^)




《カンナちゃんがおやつと大好きな小さなお人形をくれました》
《大喜びで早く欲しいぴーちゃんです(^^)》


吠えるけど本当はとても人懐こくて、さみしんぼうのぴーちゃん。
犬生の前半はイノチと同じくらい大事な家族との悲しい別れが続き、
引越も多く、随分とさみしい思いもしなくてはなりませんでした。

だから犬生の後半は大好きな人たちに囲まれて愛されながら、
出来るかぎり元気で、ゆっくり過ごしてほしいなと思います。

ぴーちゃん、お誕生日おめでとう(^^)
元気で長生きしてね!



さて、最近の南の国はあったかくなったり、寒くなったりを繰り返しています。
お昼間は温度は低いけど、春に近づくにつれて日差しはどんどん強くなっていて、
あまり日中は寒さを感じませんが、この3日ほど朝晩、雪が舞っています。

街中に建っている、マイアパートメントは一部屋と言うこともあり
密閉性が高くて、とってもあったかいのですが、
日が差し込む日中と違い、朝晩の部屋の中の冷えは格別です(-_-;)
特に我が実家は山肌ちかくに建っているので、かなり冷えます。
しかも私のお泊りする部屋には暖房器具がないので結構な冷えこみです。

冷え性の私、この時期の必需品はブランケット、
これは、どこに行くにも持ち歩きするくらい(笑)
あとは残り毛糸で作ったぬくぬくグッズ。

 

《毛糸のお座布団やルームシューズ、湯たんぽはいつも使用しています》

この計画性もなく、ただただ編み繋いだだけの色合いが結構好きです。
微妙な色なのは、市販の毛糸に加えて自分で紡いだ細い毛糸を混ぜているから。
レトロで微妙な色合いといろいろな羊の糸の風合いが加わります。

手作り品は売り物と違って、仕上がりがきっちりにはいかないけれど
こういう個性が出てくるのが楽しいし、使っていて温かみがあるのが良いです。

私はちょっと変わってるのか、春や夏が苦手です。
基本的に食べるものも飲むものも暖かいものが好きで
お洋服も長袖や重ね着していくのが大好きなので、
半袖の時期が苦手なんですな(笑)
色もパステルや明るい色より秋冬色が好きだからなぁ~。
冬服はいっぱいあるけど、夏服はすごく少ないんです(笑)

そんなわたくし、秋冬がすごく好きなので
残り少なくなった冬を思うと寂しいですが
もうしばらく暖かなものを楽しみたいと思います。



Come,Yet Again Come~帰っておいで

2012-02-16 | KOFUKU日記
今日からまた少し冷え込んできた南の国です。
それでも、春の足音はもうずいぶん近くに聞こえてきました(^^)


《梅のつぼみが随分膨らんできました》



《庭に面したお山の天高くそびえる大きな椿の木も満開。》
《何百もの花が咲いています。》


我が家(実家)の裏のお庭は25~30畳くらいの広さがあるかと思いますが
そのうちの三分の一くらいの広さが花壇と畑になっています。
一番奥の高くなった部分にじいじがコケや梅などの木を植えてくれて
その手前ではいまハーブを育てています。

以前、住まわれていた方が、たくさん植物さんたちを育てておられたようで
最近、寒さが緩み、雨が降るごとに、あちこちからぽこぽこと花芽が出始めました。
いったい何の芽だかわからないのがまた楽しみで、そのまま出てくるままに育てております。

ちびさんたちも元気です。


《まろたんと会えないのでカンナちゃんにべったりです(^^)》

  
《今日は雨も止んで日向ぼっこの二人》

日常は穏やかに流れて行っています。


あぁ、だけど、ただ生きるって事は何て難しいのだろう?
死と向き合う事はなんて難しいのだろう?

最近、独りで出来ることは、思いを巡らすこと、
ほんの少しの種類の音や映像を目にする事
こうして文字を打ち込むことだけになった。

これさえもできなくなったら、大変。
だから、その不安を迎えないために、こうして文字を打ち込む自分がいる。

人と会う、何かを共にする、一緒に生きる、当たり前の簡単な事。
なのに心が向かわねばなんて難しい事だろうね。

大切な人の死を経験すると大抵、人ごみが嫌いになるそうだ。
雑踏の会話が苦手になるそうだ。
なんで、この世にこんなにたくさん生きているのに、
あの人が死ななくてはいけなかったのか?
なぜ私が生き残ったのか?
ずっとこの疑問を持ち生きるのだそうだ。

はい、類にもれずであります(-_-;)

なんとか、そればかりを思い浮かべずに、
ほかの人の波動に合わせて笑顔浮かべて生きられる
そんな時期だってないわけでもないのに、
ひとつトリガーに引っかかると、寝ても覚めても、
思いばかりが浮かぶそう思う時期もあるのです。

今はそんな時期。
話しもできる、ご飯も食べられる。
きっと周りは平気なんじゃん?と思うかもしれないな。

だって周りには心配かけたくないし、自分が倒れたら迷惑かける。
こんな状態で、そんな風にいたくない。

思わず、こんな詩がよぎる。


********************************

《最後だとわかっていたら》
ノーマ・コーネット・マレック


あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様、仏様ににその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめてキスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 
抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

確かに いつも明日は やってくる
見過ごしたことも取り返せる
やりまちがったことも
やり直す機会が いつでも与えられている

「あなたを愛してる」と言うことは
いつだってできるし
「何か手伝おうか?」と声をかけることも
いつだってできる

でも もしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるとしたら
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を 
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも 
いつまでも大切な存在だと言うことを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば 
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

******************************

なんだか、共感。
でも旨にあるのは「後悔」っていうんじゃない気がする。

たぶん、最後がわかってて、相手に何をしていても、
失ってしまったら、たぶん、今の私と間違いなく同じ気持ちになるだろう。
だって愛する人へは、何をどれだけ捧げたって尽きないものだから。

事実、そうおもって相方さんのそばで精いっぱい暮らしたけれど
やっぱり彼が天に帰ってみると、同じ、いや前よりも深い道を歩んでると思う。

だけど今は、その思いが自分のいのちを支えている気がする。
痛みが愛を教えてくれるとでも言ったらいいんだろうか?
だから、難しさの中で、じりじりする気持ちの中で
こうして、のたのたと足踏みをしていられるんだと思う。

思いが巡ると、それはどんどん過去に進んで行って、
自分の人生のあちこちを掘り返す。
それは喜びもあれば、痛かったり、かゆかったり、
辺に苦しかったりもする。

昔、それこそ、まだ歩き始めの乳児の頃から
私が心配していたことは、家族が生きているか?という事だった。
夜中に起きて、寝てる家族の口の前に手をかざし
息をしているかを、胸に手を当て鼓動を聞いて
それらを私は毎晩確かめて、そして眠った。

大きくなって大事な人が隣に眠るようになっても、いつもそうだった。
隣にいる人の暖かさや鼓動は安心できるものだった。
それを確認することは長い間の儀式みたいなもので、
いまもその音やぬくもりや息の感触が手に残っている。

だけど最近はちびたちが顔周りにくっついて眠ると
暖かさや心臓の鼓動が耳に聞こえてくるのが苦手になった。
その音がいつか止まってしまうことを
私は二度もはっきり知ってしまったから。

独りでいるとそんな思いがぐるぐる回る。
メリーゴーランドみたいにまわり続けてる感じ。
唯一、そんな話をできた人が天国に行ってしまったのだ。
元気なのか、元気じゃないのか?もう自分でもわからなくなる。
それを確認するすべが、いまは傍にない。
そういう事は特別な人にしかできない事だったりするから。

それでも「後悔」に似た、愛の痛みみたいなものが
自分を支えてくれることだけは間違いない気がする。

私は物書きの端くれだからか、言葉に力をもらう事が多い。
何か思うたびに、ふと、そういう言葉たちが浮かぶ。

人生や生きるというメリーゴーランドの高みにいる時も、低い場所にいる時も。

******************************

《帰っておいで》
メブラナ・ジェラルディン・ルーミー



Come, Come, Yet Again Come

Come, Come whoever you are,

Wanderer, worshipper, lover of leaving,
It doesn’t matter.

Ours is not a caravan of despair.

Come, even if you have broken your vow
a thousand times.

Come, yet again, come, come.


帰っておいで、何度でも
何度でもいいよ、かえっておいで。

さすらい人も、
求める人も、
世捨て人でも、
誰であっても、かまわない。

私たちは絶望しない者たちの集まり。

帰ってくればいいよ。
たとえ1000回自分に負けてたとしても。

だから戻っておいで。
何度でも。

戻っておいで。かえっておいで。


*****************************

今日はこんな言葉に癒されている自分がいる。

ホント、人生、
雨の日も、晴れの日も、だな。

ただ一つ、確かに解ってることは、
なんにしても自分しか答えは出せないってこと。

私は私を巡って、また私に帰るしかない。
善きにつけ、悪しきにつけても。

そしてたぶん、これは永遠。

ダウン症の女優さんたち

2012-02-15 | KOFUKU日記
私は普段テレビは自分からほとんどつけて見ることはありませんが
気になる映画や海外ドラマはDVDやケーブルTVなどで時々みています。
気持ちの上でいろいろ制約があるので見られるものと見られないものがありますが
唯一、いま一人で見られているTVドラマが「GLEE」です。

GLEEはタイトル通り、高校の合唱部が舞台のミュージカルドラマです。
それぞれの個性が原因の負け犬とも呼ばれるはみ出しっ子たちが
それぞれの個性を生きることでいろんな問題を克服していきます。
そんなドラマだから、なんだか見ることが出来るのかな~。

今日はこのドラマに出ている俳優さんを紹介します。
ドラマの中にダウン症の女優さんが出演しているんです。



「Glee」でスー先生の姉ジーンを演じるRobin Trockiさんと、
チアリーダーのベッキーを演じるLauren Potterちゃんです。
私はこのお二人が大好きです。

これはシーズン2のワンシーンですが、すてきな曲をどうぞ。

Glee - Welcome Christmas


一番最後のシーンに出てくるのがベッキー役の
ダウン症の女優さん、ローレンです(^^)
ベッキーが曲を聴きながらつぶやく。
「コーチ、それでもクリスマスはきました。
なんてきれいなんでしょう」
ってセリフのなんてすばらしいこと!涙出てきます。

ベッキーちゃんの隣にいるのはGLEEの主要キャスト「スー先生」
GLEE部をつぶそうとするチア部の顧問で
野心家で意地悪で怖いけど憎めない面白先生。(大好き!)

でも本当は心の優しいところもある素敵な先生なのです。
お姉さんのジーンがダウン症で、ジーンが素晴らしい人格であるにもかかわらず
ダウン症であることで世間がジーンや自分に冷たかったことに怒りをもっています。
そんな気持ちから、ダウン症のベッキーをチア部に入れてくれたりします。

だけど善悪がはっきりせず素直にスー先生の言葉を信じるベッキーは
もっぱらメイドの様にスー先生に使われていますが…(^_^;)

でも、このお姉さんとベッキーちゃんのシーンからは
とても素敵な気持ちをもらうことが出来ることが多いのです。
いつもとっても大事なことを言ってくれるのです。
そして、本当にお芝居が上手。素敵です。


私にはダウン症をもっているお友達が数名います。
皆、本当に、ピュアでいい子たちばかりです。
ただ、良い事ばかりじゃありません。大変な時もあります。
ピュアであるだけに難しい事や、出来ないことだっていっぱいあるからです。

犬と人間を一緒にしたら怒る人もいるかもしれませんが
うちのピピちゃんも少し、そういう部分があって
大きくなるまで本当に身体の心配もしたし、
いまも理解することはかなり難しかったりします。

ある意味でダウン症で生きるってことは、当たり前の事。
うちのピピちゃんがまっすぐ生きているように。
だから周りの私たちも彼女たちに対して当たり前に生きたいと思う。

ある回でこのジーン姉さんは死んでしまいます(;_;)
その時にスー先生が言います。

なぜ姉さんがこんな風に虐げられて死ななきゃいけなかったのか?
どうして卑劣な人間の私が生き残らなきゃいけなかったのか?
スーの言葉はまっすぐ心に刺さります。

ある回ではベッキーが恋をしてグリー部の男の子とデートをします。
彼は結局、ベッキーにれんあい感情は持てませんでした。
でもはっきり気持ちを言えませんでした。
すると恋愛と形いうものを真剣に自分らしく考えたベッキーは
彼に愛のあかしにとヌード写真を送ってしまうのです(^_^;)
更にひいてしまった彼ですが、ダウン症であるベッキーを思うと断れない。
でもスー先生は彼にこう言います。
「好きじゃないならはっきり断りなさい、相手は普通の女の子だよ。
障害があったって好きじゃないなら断って当たり前じゃないか。」

そこからの乙女なベッキーの心の揺れもまたうなずけるものがあります。
スー先生がそんな彼女に言葉をかけるのですが、そこもまた、ね。
友人の娘さんなどを思い浮かべながら見入りました。

人間生きている限り、本人も周りにいる人も何かしら大変です。
生きてる形は違っても、それはきっとみんな一緒なんだね。
ああ、出来る事なら皆に対してスーの様でありたいなぁ。


私はこれまで、ダウン症の友達や同じようにまっすぐな魂に沢山助けられました。
ベッキーやジーンを見ていると、いつもそんな友達に心が向きます。
そして、彼女らの様に天職というお仕事を得て生きていけることを願います。
彼女たちの様な、ユニコーン的存在の方々に
大きな道が開けることを心から願っています。
そして彼女たちとずっと友達でいられますように願います。


いまGLEEはFOXで最新シーズンのシーズン3を放送していて
日本ではDVDでシーズン2までが出ています。
良かったら、ぜひご覧になってみてください。

抵抗のある方もいるかもしれませんが
ダウン症を持つご家族が居る方にも見て頂きたいです。
彼女たちは本当に素敵な女優さんなので。

特にシーズン2、3ではジーンやベッキーが中心になったお話もあります。
ジーンがスー先生に語る素敵な言葉や、スー先生の辛辣な言葉の裏にある真実、
死について、ダウン症を持つベッキーの恋、色々です。
そこには人間として私たちが学ぶこともたくさんあります。

そして、そこに流れている曲を聴くたび考えることが多くあります。
そして、救われるときも、笑える時もあります。
そして深く涙するときも。

ばかばかしいこといっぱいのGLEEだけど
大事なこともいっぱい詰まってるのです。
ぜひぜひご覧になってほしいドラマです。

Happy Valentine!~薬膳塩昆布のお出汁、活用中!

2012-02-14 | KOFUKU日記


《ピーちゃんも恒例のお菓子作りのお手伝い中です。
一生懸命ドゥを混ぜ混ぜしてくれました(^^)》


Happy Valentine's Day!2012

今日はバレンタインディですね。

日本ではすっかり「好きな男子にチョコを渡す日」
知り合いに「義理チョコを渡す日」になってますが(^_^;)
アメリカなどでは老若男女問わず「日ごろの愛に感謝を伝える日」です。
皆、家族や友人の間でカードを交換したりします。
男性は愛する女性にバラの花束やカードなど贈るのです。
相手に心から感謝をする日なので「義理」とかもちろんありません。

私は若いころから日常の生活の中に外国の方が多かったので
まずは愛する人の為に、それから皆とカードを交換したり、ケーキやお菓子を作ります。

大好きな相方さんは天国に行ってしまったけれど、
今日も地上で相棒のピーちゃんと恒例のケーキを焼いているところデス(^^)
まあ、ほっといても、食べに来てくれるとは思いますが。

今年は子どもがいるので、今年はドライフルーツのブランデー漬け(手作り)は使わず
アメリカのハーシーズのチョコなどを使って甘めの濃厚ガトーショコラを作成中です。
これだと、時間をおいても、しっとりしてきて美味しいんですよね。
今やいてるんですが焼きあがりが楽しみです。

去年はぽつんとしたヴァレンタインでしたが
今年は周りが賑やかでありがたいなー。
ほんと感謝感謝デス。


《18:30追記》



《チョコレートでコーティングしてケーキ完成です~
しっとり美味しそうに焼けました♪》





ところで、こちらは先日から急に温度が上がって20度近くあります。
もちろん、エアコンとかは全然いらない状態なんですが、
温度変化についていけてないのか、昨夜からちょっと体調重めで
今朝は起きてたんだけど起き上がれずで、熱もないのに昼過ぎまで寝込んでました。

それで、何か食べないとなぁと思えど食欲わかずだったんですが
平飼いの安全卵があったんでTKGこと卵かけご飯を頂くことに。

ちょっと体力がへこんでいるので、免疫力を上げねばと
先日、教えて頂いた薬膳の塩昆布のストックを出しました。

うちは歯の弱いご老体のおじいちゃんと小学生がいますので
佃煮風に煮詰めずに出汁を多めに足して柔らかく煮た感じに作っています。

この薬膳の塩昆布は内部被ばくを避けて免疫力を上げるという事で
教えて頂いたものを作ってみたものなんですが美味しいんです。

このだし汁(煮汁)がですね、またすごく美味しいんですよ。
もちろん、そのまま頂くのは味が濃いんですけど
出汁で割ってかけ醤油にしたり、それこそ卵かけご飯に入れたり
チャーハンとかの仕上げにつかったり、
調味料の代わりに使うとかなりイケるんです。




《この塩昆布の出汁がすごいんですよ~
 単なる煮汁と侮るなかれ》


昆布しょうゆとか作るのもいいと思うんですが、
この出汁(煮汁)が本当に美味しいんですよ~。
作るときに薬草茶を水の代わり入れて居ますので
風味が一段と違うんですよね~。
煮汁にもパワーがぎゅっとつまってるんですもんね~。
おかげで、美味しくご飯を食べられて起きることが出来ました。

また、塩昆布、炊かなくちゃな~(^^)
今夜の食事にも一役買ってもらおうと思ってマース!




小さな魂たちと種と土~追記あり

2012-02-13 | KOFUKU日記

《雨の日は眠いでちゅ…羽根布団の上でまんまるさんのぴーちゃん》


今日は雨です。
気温が高くて、もう春だなぁって感じのあたたかさになりました。

このところ、うちのお姫さま方がそろってレディ・ムーンな時期に入られまして
黒一点のメンズ・まろたん王子はプロポーズに燃えております。
まさに若さ爆発、そのラブソングは昼夜問いませんのです(^_^;)

という事で先日より、お姫様と王子様方はしばしお部屋分かれての生活中です。
まろたん王子はあんまり眠っていないので、お昼はおじいちゃんとお出かけ中です。
ゆっくり眠ってくれるといいのだけど。
その合間に2階でお過ごしの姫たちがお庭でお散歩などいたします。


 
《つかの間のお日様が出てきて、日向ぼっこ》




《まろにいたん、いないんでちゅけど?かえちてくだちゃい!(怒)》


あ~でも、乳母のわたくし、まろたん王子がいないとさみしいですわ(;_;)
まろた~~~~~~ん!

やっぱり、大事な子供たちが、一人でも欠けるとぽっかり穴が開いちゃいますね。
あと一週間くらいかな、早く時期が過ぎて、またみんなで遊べるといいなぁ~。

私にとっては、この子たちは我が子とおんなじなのです。
今はこの子たちの為に生きているといっても過言ではありません。
たぶん、この日本が沈没しても、この子たちと逃げられないなら
そこで一緒に人生を終えますね。絶対においては行かない。
私のイノチとまったく同じ存在です。

10年前、当時のパートナーさんが、図らずも天に帰った時
ピーちゃんはまだ2歳になったばかりでした。

当時、死別の辛さから私は日本を離れるつもりで準備を進めていたのですが
飼い主でもあるパートナーさんのお母さんが
もう死ぬものはこの先に飼いきらないと言いだしました。

親一人、子一人で、その子どもを失ったばかりのお母さんは
必ず来る別れの日がとってもつらかったのだと思います。
それは私もまったく同じでした。

ピーちゃんは本当に頭が良くて人間の言葉を驚くぐらい理解するのですが
お母さんはその言葉をピーちゃんの前で言ってしまいました。
その途端、お母さんのそばに近寄らなくなってしまいました。

私はそこまでいろいろと準備をしてきて、
行先ももう決めていたので一瞬考えましたが、
迷わず出した答えは、ピーちゃんを引き取って一緒に暮らす、でした。

家族を目の前で失って、センシティヴになっているぴーちゃんに
一番必要なのは、一緒に居てくれる家族だと思ったからです。
で、あれば、育てた私が一緒にいるのが一番いいと思ったのです。
描いていた未来は一瞬にして変わってしまいましたが
私に後悔は全くありませんでした(^^)

タイミングも良かったのです。
俳優と言う仕事をお休みした瞬間の事でしたから。
これが仕事の場にいたなら、したくてもできなかったでしょう。
でも、おかげで私の人生は善い方に変わったのです。

以前は仕事にすべてをかけるタイプの仕事の仕方をしていて
仕事第一となれば親兄弟は死んだようなものだと思って暮らしていたし、
いろんな犠牲も当然の様に払っていましたが、
ちいさい魂を預かって暮らすという事は大きなことで、
まずはそのイノチが一番幸せであることを考えるようになりました。

そして、そのイノチを尊重したうえで、どう自分の世界を生きるかを考えました。
共に生きるという事が、自分のしたいことと重なる生き方を模索しました。
自分で乗り越えなければいけない問題もたくさんありました。

でも、出来るものですね。考え、努力さえすれば。
その中で相方さんとの暮らしが始まり、彼の存在があって
新しい暮らし、生き方の世界をはっきりと形にすることが出来たのです。


今はその延長です。大きな変化を迎えました。
けれども、小さい人たちと暮らすことは変えません。
イノチを預かったからには、最後まで責任があるのです。
今まで培ってきたものを、どう変化させていくか。
でも根本は変わりません。周りにはどう見えていようと、
私のしたいこともやってることは今までと何も変わりません。

預かった命を守りながら、自分を生きる。
その形でいつか必ず自立すること。
それが自分の課題です。




《じいじがもらってきたザボンの種を植えてみたいと思います》


大きな変化の中で、この土地に戻りました。
これも相方さんたちや、ちいさなイノチたちが私に与えてくれたものですね。
この難しい時代を考えると、本当に善いタイミングで戻れたと思っています。
中には生きていた世界からの「完全撤退」と思う人もいるんでしょうけど(^_^;)
でも私が形にしていかない事には、本物にならない。
これから、また新たな世界を作っていくのだと思っています。

親しい友人の殆どは芸能界にいる人か、ロハスな生活を生きている人、
もしくは頭脳関係の方とか聖職者の方や海外の方が多いです。
いずれもはっきりと自分の意思を持って暮らしている人ばかり。

311が起こり、原発事故が起こり、芸能界や各世界も揺れたと思います。
私の友人はその影響を大きく受ける人ばかりです。
でも皆、自分の意思をもって、いまを生きている人ばかりだから
それぞれが今現在に選んだ世界を心から尊重しています。

そんな中に有機農法やバイオダイナミックでの畑つくりや、
オーガニックの種を作ってる友人がいたんですが
原発事故で土地がダメになり、そのお仕事が出来なくなった方がいます。

以前、種は袋で買って撒くとか、畑は土を耕して作ればいい
というような簡単な認識しかありませんでしたが
本当にオーガニックのものを作ろうとしたら、
土も水もすべて汚染のないもの場所で種を作らねば
どんないい土壌であっても、種が汚染されたものであれば
汚染された作物が育ってしまうのだと初めて知りました。
それはもちろん、遺伝子的なレベルの細かい話なんですけどね(^_^;)
でも、その細かいところに真剣になって畑や種作ってた人たちがいて。

でも、すごいなと思いましたのは、私の友人たちはみな
土壌が汚染された時点で、まず除染を行ってみてから、
そのあとの状況を見て、何の迷いもなく、
その地での働きを止めた方が多かったことですね。

長く培ってきたものを手放すというのは本当に勇気がいります。
ある程度の未来における予測は出来たとしても、
誰も彼も明日の行方ははっきりとなんてわかりません。
誰もが躊躇すると思うのですよ。

でも彼らはしなかった。
そして、いち早く、安全な地にうつり、同じような活動を始めました。
いかに、そういう安全が大切かを学んだからでしょう。

でも、私の友人は誰一人、こうあるべきとは言いません。
自分の信じる事、できることをまっすぐにやっていくだけです。
私も同じようでありたいと思っています。

こういう事がいかに尊い事か、原発事故があって初めて身に染みた気がします。
長きにわたって続く汚染とはいかに大きな問題であるのか…。
土が元に戻らなければ、完全な安全は手にはいらないものだったんだなぁと。
だからこそ、あんなに真剣にやられていたんだなぁと。

いま、本当に少しずつ、庭に小さい畑や花壇を作っているけれど
出来る範囲での除染をして、出来る範囲の草花を育ててみたいと思っています。
いろいろと教えて下さる方もいるし、これまでの生活の中で学んだ事とかやってみようと。
いままで何も考えずとも手に入れていたものへの感謝を大切にしながら。
ほんと、いまこそ自然って大事なんだなぁ。そう思いますねー。


こういう原発問題とか口にすると、何か活動しているんですか?とか言われます。
私は自分で気を付けられることはしますが、特に活動はしていません。

もちろん、時に立ち上がることは必要な事だと思いますが。
でも、人様にはいろいろな立場や事情がありますもんね。


以前、ご実家が焼肉屋の友人がいましたが、
彼女はある自然派の方々が集まる場でベジタリアンとか
マクロビアンの方々に肉食を糾弾されました。

そして、ある日、私に「悲しいなぁ」と言いました。
自分を育ててくれた親の仕事を一方的に悪と取られて悲しいと。

お肉や魚や野菜を食べることは他の生命から自分に命を繋ぐこと。
何よりもそのイノチを大切にすることが大事じゃないのかと私は思います、

魂の痛みを感じるとか、それは素晴らしい。
でも動物や魚の痛みは分かるのに、なぜ植物は平気なのか?
皆さんは不思議じゃありませんか?

だからと言って、食べないのがおかしいとも思いません。
食べたくない人は食べない。それでいいと思う。
でも、そうしない人を奇異な目で見るのはちょっと私はいただけない。

実際、突然、肉食、それを避けるべきことになったとして
その仕事を失った人の生活はどう保障されていくのか?
まあ、これは毛皮でも、捕鯨でも、いろんなことに当てはまりますが。

活動って、やっぱり両方を考えて初めて成り立つような気がします。
今の原発事故もそうじゃないかなって思います。
やってはならない、そういうのなら、そこまで当たり前にあったものを
返せないにしても、変わるものを共に考えていくことって大事じゃないでしょうか。

そして、人の事情も、理解しようと思う気持ちがなければ
決して自分の気持ちも伝わりはしないと感じます。

そういう意味で、弱者が片方に生まれる形の活動にはあえて参加しない人です。

その分、自分がやれるべきことを出来る範囲でいいから
絶えることなくしていきたいと思ってます。
現在は出来る範囲での積み立て義援金と被ばく対策かな。
どれも皆が少しでも続けることで、最終的に力が表れてくる気がします。
そんな小さな自分を中心にした活動を好みます。
とにかく、イノチってのはすごいものですね。

昔から我が家では遊びでは花を摘みません。
花にも命があるから痛いので、というのが理由。
人は笑っても我が家の人間は大真面目です(笑)
見た目は全然ハードで強そうな妹は、小さな虫も逃がします。
かとおもえば、いつ何時、この虫が私の命を救ってくれるかもよ、
と本質を突いたことを言います。
殺すべきは人でなく自然の連鎖の中でと彼女の魂は本能で知っているのでしょうね。
だからと言って、お花を摘む人を糾弾したりしませんが(笑)
要はそれを行うときの気持ちなんじゃないかって思います。

基本的に偏りすぎるのは苦手です(^_^;)
中道と言いつつ、決められないのも、どうかと思うけど。
自分が「よし」と受け止めるものを信じていく事が大事ですね、我が家は。

マクロビもヴィーガンも本当に素敵な事かとは思うけれど
人をけなしたり、家族が喜ばないのに健康や精神を盾に
そればっかりに固執するのは不幸が起こる気がします。

ある方の旦那さまが、マクロビ系統の奥様のことをこっそり、
昔はあんなじゃなかった、子どもがいなかったらとっくに別れてます、
もちろん相手の愛情ゆえのこととは思うんですけど、
ってしみじみおっしゃった時には、その方の痛みが直接伝わって、
いかに善きことでも、それ自体が相手の不幸の上に
正しさなんてあるのかなぁとつくづく考えてしまったのでした。

自然派の方の中にいる時も同じような方が多くて
そこのお子さんが陰でお肉を異常に欲したり
お菓子や白米に固執したりする姿を観ました。
それは、なんだか、悲しい姿でした。

相方さんも小さいころお菓子を全く食べさせてもらわなかったので
大人になってから、スナック菓子がないとダメでした。
せっかくの愛情も行きすぎたら渇望を生むんですね。

だから私はあんまりマクロビに善い印象がないのです。
なんだか、寂しい気分になっちゃったりして。
やっぱり、何事もほどほどが良いのかもしれないですね。
たまには、ジャンクなものもね。体壊したらダメだけど。

というか、身体の事を考えながら、家族が喜ぶものを作る事は
とっても大事なんだなと教えてもらった出来事でした。

私が頂くイノチは私のいのちと一緒になって生きてる。
私のイノチは生かしてもらっている。

そんな風だから、
自然にあるものでなく、食物を育て、それを収穫するとは
わたくしめにとってはかなりの大事な一大イベントなわけですが、
なんとか頑張って向き合ってみたいと思っています。