KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

お知らせ申し上げます 追記あり

2010-11-27 | KOFUKU日記
私を知ってくださっている皆様へ

相方さんが本物の天使になって1週間が過ぎました。
彼にも私にもたくさんの愛をありがとうございます。
心より御礼申し上げます。


さて、本日の午後より相方さんのケータイ電話を引き継ぐ事となりました。

相方さんの連絡先をご存知のみなさま、
今後は私の連絡先もかねさせて頂きます。
今後とも会い方さん共々、よろしくお願い致します。

手続きなどでしばらくご連絡が取れないかもしれませんが、
順次変更のご連絡申し上げます。
それまでは相方さんのアドレスかもしくはブックマークの
「あんじゅのちいさな手しごとの家」よりご連絡くださればありがたいです。
何卒宜しくお願い申し上げます。

≪追記≫
すべての移行が終わるまで、あんじゅのケータイも使用可能にしました。
完全に使えなくなる時には再度お知らせ申し上げます。

もうすぐ冬。
皆様、おからだお大切に。


愛をこめて
あんじゅ


2010-11-24 | 相方さん(米澤観児氏について)
19日17:35分。
心から愛する相方さんが、急に神様に呼ばれて天国へと旅立ちました。

夏の始まりから大きな病を得て闘病しておりましたが
結果は良好で、本当なら今日くらいに退院するはずでした。
その日のお昼すぎまで、会話していました。

まるで夢のようです。


私にとって彼は天使でした。
大事なことをたくさん教えてくれました。
愛することの大切さを教わりました。
彼は愛そのものでした。

嘘のない真実の芸術を追究し、
決して俗世や人間の欲などに揺るぐ事無く、
ただひたすらに、真っ直ぐ、誠実に
お芝居を愛しぬいた人でした。

命よりも大事にしていたぴーちゃんや仲間や家族、
そして魂そのものだった演劇を置いて行かなければならないほど
貴方には大切な仕事が天国できっとあるのね。


愛と共に貴方はいます。
私たちが愛を大事に生きる限り、永遠に一緒だね。
だって、私たちは愛で出来ているんだもの。

ぴーちゃんのこと、安心してね。
私も頑張るし、それに一緒に居てくれるでしょう?
だから今までどおり、一緒に大事にしよう。

だからぴーちゃんをいつも抱きしめていてね。
それで時々でいいから私にもね。

幸せでした。そしてこれからも幸せです。
私は貴方に出会えて、世界で一番幸せ者なのです。
ありがとうね。

またそっち側で会おうね。
それまで、ちょっぴりの間、待っていてね。


永遠の愛を込めて
あなたの真実の家族より

お茶とお散歩

2010-11-15 | KOFUKU日記
外はどんより、冷たい雨。

こんな時には温かいお茶を一杯。

しゅんしゅん沸いてるやかんでたっぷりの紅茶かコーヒーを入れて。
そして、仕上げにこれ。



北海道名物、バンビキャラメルちゃん。
(あたしは熊よりバンビがご贔屓です。
我が家では別名ぴーちゃん飴・笑)

これを一粒いれて、スプーンでゆっくりとかしながらイタダキマス。
おいしいよ。


秋になってアスファルトも熱を帯びなくなりました。
冷え切って冷たくなるまでのこの秋の季節、
最近はぴーちゃまと良くお散歩します。



ぽてぽて歩いて、ベンチで休んで。
ゆっくりまったりの散歩です。

おみやげの落ち葉は…



お家のなかで舞っています。


もう少ししたら冬。
それまで秋と遊びましょう。

丁寧のあたたかさ

2010-11-14 | KOFUKU日記


この写真に写っている和布のパッチワークの巾着とお人形の和ちゃんは
私の母が70歳くらいになった頃に私に作ってくれたものです。

私の母は今は寝たきりで言葉も話せませんが、
倒れたその瞬間まで手しごとを愛していた人でした。

手仕事をとても楽しそうにする人で、仕事はどれも丁寧でした。
焦ったり、適当にこれでいいやって事のない人でした。
愛情をもって物つくりをする人でした。
それは日ごろの行いにも現れてたと思います。

縫い物をすると出る小さなハギレや、
短くなった糸も決して捨てる事無く、
短い布は2センチ角、3センチ角、長方形、三角と
いろいろな形に切ってためていました。
短くなった糸も捨てないで、繋ぎ合わせて紙に巻いていました。
キャンディの包み紙もチョコの銀紙も綺麗に伸ばして取ってありました。

さて、この巾着は15センチ角くらいの大きさで
古いふるい着物のハギレから作られています。
5×10センチくらいの長方形の布をついであります。

母らしいのはね、ホラ、これ見えますか?



これは巾着の赤い部分にある布の一部分を写した物です。
小さなちいさな針目で縫ってあるでしょう?
ここは巾着になる前の絹の布がもともと裂けていたんですが、
母が絹糸で細かく刺し子状にかがってあって、
それをそのまま使ってるんです。

わずか2センチ四方の縫い目なんですが、
母の在り方そのまま表わしているように思います。

彼女はそこにあるものを大事にしながら、
美しい工夫の喜びを常に持っている人でした。



このこは和ちゃんって言うんですが、
ちゃんと本式に縫ったお着物を着ています。
長じゅばんもちゃんときているんですよ。
髪も母がねんどに一本一本植毛してあるんです。
目は黒いビーズで、お口には赤い絹糸がほぐした物が埋めてあります。
これは余った樹脂ねんどを使って作ってあるんです。
母が年を取ってから作ったものだから、母は目や手が弱ってしまって、
細かいところは若いときの様に精巧に上手くは出来ていませんが
お人形さんを可愛くしてあげたい気持ちは良く伝わってきます。


私の周りには手芸やお料理、園芸と、てしごとをされる方がたくさん居ます。
お母さんもいれば、お仕事で教えてらっしゃる方も居ます。
私も一時期は20人くらいの人に一度に教えるお教室もやっていたので
いろいろなてしごとをされる方にお会いしました。

そういう方は大体2つに分けられる気がします。
まず、てしごとに心引かれる人、そうでない人。
私はこれは大きいなって思います。

たとえば物凄く手先が器用でも心のない人の手仕事には愛がたりないんです。
私は少なくともそう感じるんですが、皆さんはどうでしょう?

手仕事は自分も含め、誰かの為に愛を持って行う行為ですが、
そういう方の意識が結果的にどういうところにいくかって言うと
大体「速さ」や「技術」な気がします。

それで、人よりもとにかく手早くぱぱっと作っちゃって
「私は出来る」とか「すごい」と思ってる人が多い様に思います。
あとはすごく適当な仕事(どうでもいいやという感覚で)をするかどっちかです。
でも私にはそういう人の作品は上手でも全然善く見えません。


私はやりたい気持ちがあって「気軽」なのはすごく善いと思うんですよね。
何をやるんでも、やりたい!って喜びがまずないとねー。
楽しく無いですもんね。

上手とか下手ってのはある意味ではあまり関係ないって思うんですよ。
特に生きる上での、暮らしってことになったら。
もちろんプロになるには上手なのはある意味絶対条件だけど、
それだって、上手ってだけじゃ結局意味を成さない。
結局、その事柄に対する愛着や真剣さは伝わるんです。
特に「表現される」物には。

そういう意味では文章や音楽って言うのは、
その人なりが一番わかりにくいのかもしれない。
なぜなら、元が解らないほどに飾れますからね。
実際、書いてる内容と性格が違うってのは良くあります。
もちろん、解っちゃう人の作品もありますが。。。

でも、文字とか、絵とか、手芸とかお料理とか手で作り上げる物とか、
声(歌)とか、演劇とか、ダンスって言うのはちょっと違うと思うんです。
表現してる物に、そのやってる人の性格がそのまま出ちゃう気がするんです。

最近、偶然にも友人の俳優達が同じ様なことを書いてました。
どんなに演じていても、その人なりが現れると。
特に性格の善し悪しは現れる、だから人間として愛される人でありたい、
本当の意味で「出来る」人になりたいと。

その通りだ、って私は思います。
やっている事が単なる自分の為の飾りであるのか、
愛によって丁寧に行われるのかでは違うからです。

本当に「出来る」人って、上手じゃなくても心を込めていて丁寧なんです。
愛を持って行える、つまり本当の気持ちを持って行えるんですよね。
私はそう思うんです。私の母もそうでした。

なぜなら愛がそれを行わせるからです。
愛のこもった物は適当になんて行動を起しません。
心の込められた物は「本物」です。
本物は偽ることがありませんから、そのままに感動を呼びます。

でもね、そういう丁寧さに欠けるものはやっぱり偽者が多いんです。
教えていると気がつくのですが、器用な人の中には
残念ながらそれを自分でわからない人が居ます。
偽者の出来を良いと勘違いしてしまう。
上手で器用なことを「人より出来ること」だと思っていますしね。
器用さゆえの苦悩なのかなー。

実際に愛のある行為で行なえる人は「出来る」ってことを人と比べませんしね。
でも、器用な人ってそういう事に意外と気がつかないんです。
教えてるとき、そういうお母さんたちが結構居ました。
そういう人は上手って事が大事になっちゃうから
大体「下手」って思う人を馬鹿にしてます。
とっても残念ですが。

でもそういう人の作品って、残念ながらそういう「いい加減さ」が見えます。
だって、作品に愛情が見えないもん。
本人はなかなか気がつかないんですけどね。

見た目だけすごいって、そういうプロの人も実際に一杯居ますしね。
上手いだけに、見てるほうも気がつきにくい。
でも、やっぱり解っちゃう。

友人達はそれに警鐘をならしました。
私も同じく鳴らしたいなって思います。

以前、企画上演したオーファンズと言う作品で、
フィリップと言う少年が靴紐を結べないのですが
そこに現れたハロルドって大人の人が、それを見てこういうんですよ。

「お前、靴紐結べないのか?
じゃあ、ローファー履けばいい」

私はこのシーンが大好きです(^^)

手仕事でも何でも同じだと思います。
出来ないことにはこういう工夫があっていいと思います。
手順を短くしたり、やり方を変えたっていいと思う。

たとえば手作りが苦手な人は、究極買えば善いと思うんですよ。
ただ、誰かに差し上げるものなら、心を込めて選べばいい。
もちろん、自分に買うのだってそうです。一生懸命選べばいいんです。


ただなんにしても「適当」なのはNGなんだと思います。
これでいいやとか、こんなもんで十分って意識で作ったもの、
用意したものはそれがわかります。

そんなのやんないほうが全然まし。
私はそう思う。

上手とか下手とかってことじゃあなくて
そこに愛はあるのかい?(BYあんちゃん・笑)
って事がほおんと大事だと思う。

だから何でも丁寧な気持ちを持って行うって大事なことだと思います。
それはあたたかいことですから。

簡単な暮らしでも、ぶきっちょでも、貧しくても、余裕があっても
何か行うときに、丁寧に愛を持って行うこと。

それが大事なんだと思う今日この頃です。


秋の夜には

2010-11-13 | KOFUKU日記


夕べはサロンのぴーちゃんの写真周りにちいさなツリーを飾りました。
もうすぐクリスマスです。
このコーナーは毎日少しずつ、クリスマス色になっていく予定です。
アドベントカレンダーコーナーです。

私はとにかく、秋と冬が大好きなのです(^^)

空気や風は透明になって、月も星もずっと蒼く光ります。
雨も雪も空から降る宝石のかけらのようです。

そしてしんしんと冷え込む季節とはうらはらに
辺りにはあたたかさが溢れます。

風の色をしていた木々も寒さを迎えて暖かな赤や黄色に色づきます。

人も毛糸やフェルト、ネル、ウールなど
ぬくもりのある柔らかな素材に身をくるみ、
まあるくほっこりしてみえます。

木枯らしは吹くけれど、傍らで焚き火やさざんかの花があたたかくもえています。
木々の緑は一段と濃くなって、赤や黄色の実をつけます。
木の実は豊かに実ります。

木々の葉もすべて落ちて、この世に彩りがなくなると
空から風花(雪)が舞って、大地は素晴らしく静かな白い色に変わります。

家の中では静かな冬をあたたかく過ごそうと
どんな人も努力をします。

もちろん、春も夏も美しいけれど、
自分達で彩りを添えることの出来る秋と冬は
私にとってどの季節より綺麗です。

だから私は秋と冬が好きです。


そんな秋の夜長に欠かせないのはあたたかなてしごと。
お気に入りのペンと便箋に封筒。綺麗な切手。
そして、あたたかいカーディガンやストールにブランケット。
もこもこの靴下。
あまくてトロリとした飲み物。
それから甘くて素朴な小さなお菓子(笑)

最近のお気に入りはコレ。


Tim Tamのビターチョコ味、クラシックダーク。
新発売のベリーやらミルクやら、キャラメルクリームサンドやら
このティムタムにはいろんな味があるんですけどね
それから赤のタータンチェックがまぶしいショートブレッド。
ウォーカーやキャンベルのも美味しいけどこのマクビティのもなかなかです。

このショートブレッドにキャラメルを乗っけて
チョコでコートしたお菓子もあるんですがこれまた美味しいです。
イギリスは食べ物美味しくないって言いますが嘘ですな(笑)

最近はお昼と夕方に2回必ず出かけなくてはならないのですが
その行き帰りにお家から歩いて一分のところにある
ソニープラザやカルディやヴィレッジヴァンガードやら
ナチュラルキッチンやら無印良品やらやらやら、
可愛い美味しい雑貨屋さんのクリスマス模様をみるのが楽しみです。

お家では昔懐かしい音のクリスマスソングをかけて、
まったりと手紙書いたり本を読んだり編み物や縫い物をしながら
疲れたら甘いお菓子ととろりとしたドリンクを一口。
至福の時です。

お金はなくても、何がなくても、
ココロの中に、揺るがない大事な気持ちがあって
そして、家とココロノナカニ大事な人たちが居て
さらにこんなちいさな幸せな時間があればなによりも幸せ。
他にはなにもいらんよ、と思ってしまいます。

ほおんと秋の夜はいいなぁ。。。。