KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

SO SAY WE ALL!~ここにそう願う(22日朝*追記あり)

2013-06-22 | これからの世界


【ただ吸い込まれるような空の青さが胸を締め付ける時もある】


戦争も、たいした困難も大概の人が知らない日本において
世界の平和を考える、なんて大層なことは言えないよ、と私は思ってる

遠くの死と隣り合わせの国の人々の命の重さもはかれないで
この惑星の未来を考える、なんて大それたことは言えないよ、と私は思ってる

そんなに軽く口で言えるような事の根っこにある真実なんて、
アタシは本当にちゃんと知りゃあしないと知っているから。

だってアタシは知らないことを知ってるようになんか言いたくない。
それは、そこにある人たちへの冒涜。そんな風に私は感じてるから。
アレコレ言いたくない。簡単に「批判や批評」なんて言いたくない。

アタシは小さい。
ちっぽけで、力もなく、心の病抱えて人とも交われない
そんなアタシが何ができるかって言ったら
それはもうヒトツしかない。

「望み」そして「祈ること」

では、世界の、この星のために何を願い祈ろうか?


「生命平和憲法」←(クリックで詳しい説明に飛びます)
と言う考え方があるそうだ。

心友がシェアしてくれた。彼はこれを確立しようと頑張っている。
崇高な理念を掲げたオルタナティヴな憲法の草案。
国や企業の自然破壊をゆるさない「いのちの憲法」
憲法第9条は一字一句変えず「いのちの憲法」の理念を加味したモノ
内容はこんな感じ。




生命平和憲法

もう軍隊は 持たない
戦争は 二度としない
平和を愛する 世界の人々を信じ
共に生きようと われらは誓った
no moreヒロシマ
no moreナガサキ

  日本国民は 国際平和を誠実にもとめ
  国権の発動たる戦争と武力による威嚇
  または武力の行使は 永久に放棄する
  陸海空軍その他の戦力は 保持しない
  国の交戦権は これを認めない


もう地球を 壊さない
海を 二度と汚さない
いのち愛しむ すべての生きものたちと
共に生きようと われらは誓う
no more チェルノブイリ
no more フクシマ

  日本国民は 環境保全を誠実にもとめ
  生態系に甚大な汚染と破壊をもたらす
  原子力の開発は 永久に放棄する
  原子力発電所は 保持しない 
  国の核保有は これを認めない






世の中のすべての意識をヒトツにすることは難しいかも知れない。
私自身、異なるコトはたくさんある。

そしてこの国は、多くのこの星の人々は
「約束」を掲げ「決め」ないと平和が保てない
切なさの残る生き物になってしまったコトは否めない。

結婚然り、国籍や戸籍然り。
もとより、そんなものはこの世になかったのにね。
いつしか「約束」って美しい言葉に便乗した契約をするようになってしまった。
所有。印を残さないと安心できなくなった世の中。
仕方ないのか? なんてったって私らはエゴで出来てるからなぁ。

本当はもっとおおらかな世の中ならいいと思う。
本当は人の差別区別なく、暮らせたらいいと思う。

先日、マツコ・デラックスさんが言っていた。

「お墓ってずっと見てくれる人がいなくなる可能性もあるし
身寄りのない人だって、お金のない人だっているわけだから
いっそ一つの自治体に一個ずつ大きな穴を掘って
火葬したら、みんなそこに入れてしまえばいい。
そして、お墓参りはそこに来て手を合わせればいい。
そうすれば、皆、自然の中に帰って行けて
祈ってもらえない人もいなくなる。」


全く同意。
私はそんな世の中が心底、理想だ。

だけど、今の世の中はそんな風には行かないらしい。
まあ、確かにね。そんな世の中なのは否めない。
決め事があって、それで均衡を保ってる。正しい。

それで平和に愛し合えるなら、全てをヒトツにしなくてもいい。
それぞれの立場から、同じ方向を見て認め合って、譲り合えばいい。
それにつながるなら決めたらいじゃないか、と私も思う。

この草案は私が常に感じてるモノを言葉にしたものだ。
そう言う意味で私はこの言葉たちに支持をする。
そう言う意味で「同性婚合法化」にも支持をする。

少しでもいい、未来に人が自然を愛でて暮らせる世であればと願う。
今よりも人が愛し合える未来であるようにと願う。
相方さんもソウルメイトも、そして私を愛してくれる人たちは皆
自然を愛し、全てを愛している人たちだから。
そんな皆の生きた証としても、そんな世界を残したいと願う。

偶然にも夏至。
夏至と冬至の日にはキャンドルナイトが行われる。
夜、7時から9時の2時間を電気を消して過ごそう、というエコイベント。
東京では東京タワーの明かりも消され、周りの家の方々も
一斉に電気を消して、真っ暗になったりする場所もある。
でも地方ではまだまだ浸透していない様子。

311以降、もう少し定番になるかなと思ったのに。
私は叫び歩き、その姿で威圧感を与えるデモなんかより、
一時間でもいい、企業も人も出来るところは全部電気を止めて
キャンドルナイトして原発はいらないって意思表示にすればいいのに、と思う。

経験のない方ほど、一度でいいからキャンドルで1、2時間過ごしてみてほしい。
多分、闇の深さは光を感じるためにあるとしみいるように解るから。
キャンドルの灯りで2時間過ごして、電気をつけてみれば、
どんなに眩しい世界に生きてるか分かる。

そういう経験としてだけでなく、自分の中に湧き起きる
光と闇の感情を外側から感じるきっかけにもなると私は思う。

311の時、節電で関東は毎日あちこちで街も家もキャンドルナイトだったけど、
あれは被災した方々の苦しみを理解するのに大きな力を貸してくれた。
この明りを消して過ごすわずかな時間はすごくすごく意味があると思う。

平和憲法にしても、キャンドルナイトにしても、この地球をもっと愛そうってコト。
ここに暮らす、すべての世界と人をもっと愛そうよってコト。

どっちみち、あと100年後には自分はここにいない。
多分、ほとんどの人はいなくなる。

で、あれば、生きてるあいだのわずかな時間を愛のために、
この世で次に生きていくの人のために使ってもいいんじゃない。

そんな風に思ったりする。




【海の傍、大地を踏みしめる】



相方さんと私の大好きな米ドラマに「ギャラクティカ」と言うのがある、
生きる場を失った人類が船団を作り、生きていける新しい星を探す。
人間にそっくりの機械人間達との戦いのなか、
神とは、真理とは、人間とは、イノチとは何かを問う。
多分、311と言う国難を体験し、この発展した土地で、
すべての関わりに高慢になった日本人には何かを感じざるを得ない作品。

そのドラマの中で兵士や民が何かを決めるときに必ずいう言葉がある。

【So Say We All!(そう、ここに願う!)】

私はこの言葉が好きだ。
なぜなら。この言葉の中には、自分の意思が見えるから。
そして、自分を取り巻く人たちへのココロが見えるから。

出来ることなら、何かを決めるとき、胸を張って、仲間を見つめ、 
すべてのことを受け入れ、未来を信じて、「ここにそう願う!」
と、皆でたからかに言える民になれたら。

So Say We All!
ここにそう願っている。

この世界と生きる*原発とこどもたちの言葉

2012-08-02 | これからの世界





早いもので八月になりました。
オリンピックも開幕しましたね。
ダニー・ボイル監督演出の開会式、とても素晴らしかった~。
たまに開会式で感じる、それぞれの国の凄さを見せつける演出ではなく、
本当にあったか~い「イギリス愛」を感じました。
ああ、この人、この国愛してるんだなぁ~って感じた4時間でした。
頑張って観た甲斐があったというものです。

選手の方は国を背負い、それぞれ厳しい思いがあると思いますが、
応援者は結果のみを批評せず、オリンピックの、あの美しい精神を
あの204個の国の花びらが連なってひとつになった聖火の花のように、
私たちの心が体現して応援していけたら素敵だなぁ~って思っています。

「勝つことではなく、参加することに意義があるとは、至言である。
人生において重要なことは、成功することではなく、努力することである。
根本的なことは、征服したかどうかにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある。」

日本選手の途中退場など、いろいろと疑念はありますが
その前にオリンピックの精神は「世界の愛と平和の心を一つにする」ことだから。
どんな困難な時期にあったとしても、人としてそれを忘れたくないです。
それを忘れてしまうと、人ではなくなって、困難も乗り越えられなくなると感じます。
愛と平和の気持ちに満ちたオリンピックとなりますようにお祈りしたいです。





《善い風、善い光だなぁ》



さて、八月最初の南の国は台風でした。
久しぶりの台風らしい、すごい風でした~。
やっと吹き返しがおさまってきました。

さて、今日もぼーっとして一日が終わりましたが( ̄◇ ̄;)
まだ体調や気力が十分ではありません。
それでも7月半ばから、ひどく崩していた体調は少しずつ回復に向かっています。
7月半ばから臥せっていたんですが、今度の風邪はほんとしんどかったな~。
でもやっと、起き上がって動くのもすこしずつ楽になり、
先日、久しぶりに家族に同伴してもらってお買いものへも行けました。
おかげさまでお盆の用意なども出来て助かりました~。
近くに助けてくれる人がいるって有難いことですね。

食事もしっかり目に取れるようになりました。
先日の土用の丑の日は「う」のつくものをという事で、
今一つ、体調不良の私は身体にやさしいおうどんを頂きました。
これで、しっかり体調戻るといいな~と思ってましたが、
食べたら食べたで食べ疲れ?というか、
張り切って2日動いたら、また体調不良みたいになる感じで。
まだまだ微妙な体調なのですな~。抜けきってないっていうか。
この時期の体調変化は引きずるので気をつけたいところですが、
これを機に、ダイエットでも目論みたいってのが本音デス(´∀`*)笑


それにしても、人生はいろいろあるもんですね(;^ω^)
私も、こっちに戻ってから、あれこれ対応しなければならない事があったんですが、
それらがすこし落ち着いてきたな~と思ったのもつかの間~って感じです。

まずはまたも実家のあれこれに没頭することになりそうです。
母の入院に関して、あれこれ対処することが春まであって、
それが終わったら、実家の生活の要になってる車が故障して、
そうしたら3,4月にチビさんたちの妊娠出産が在り、
やっと無事に育ってくれてワクチン類がやっと終わりまして、
これでしばらくは…と、ほっとしたのもつかの間、
母が今の病院から急にでないと行けなくなったのです。

今のところ、自宅介護か、転院、施設、どこにいけるかわからない状態。
どうなるにしても、自分の生活にも関わってくることです。
今後のことを早々に具体的に考えねばならなくなったので、
これからまたちょっと心労の重なる日々となりそうです。
ココロがバテないように頑張らねば~ヽ(´ー`)ノ

はぁ~~~~~~~~~~ε=(・д・`*)ハァ…
いかん、いかん、深呼吸、深呼吸(笑)


さて、今回、体調を大きく崩して、つくづく感じたことですが、
人間はとても自然ないきものなのだなーって事です。

もちろん、これらは私だけの感覚なのですけど。
うまく言えないのだけど、もちろん薬とかって大事かと思いますし、
いま解明されている科学や医学を軽んじてるとかじゃないんですけどね。
ただ薬やサプリとかよりも、もっと自然にある、そういう成分っていうか、
そういうもの達とうまくつながることが大事なんだなって感じたんです。

例えば、深く息を取るとか、そういう事が当たり前にできるためには
自然と息を深く吸えるような心持ちがすごく重要じゃないですか?
人はいい香りを嗅いだり、気持ちいいと思う空気があれば、
自然と「うーーーん!いい気持ちー!」と息を吸い込むものですよね。
それが本当に大事なんだなぁ、って。
それって、「はい、息を大きくすってぇ~!」って、
意識して吸うのとはね、ぜんぜん違うんだなって。
それを自然にできてるってすごい事なんだなって。

本来は人間は自然とお互い呼応して生きているものだから、
これって、本当はものすごく当たり前の事なんだけど、
それに気がついてない肉体と心の持ち主が多い気がします。

私はもともと、自然にそいながら生きる事に心地よさを感じる人なので
あんまり科学とか医学の力には頼りすぎない方かもしれません。
逆に身内近くには、そう言う科学的、医学的力を持って、
何とか対抗策を考え、意地でも若さや命と言うものを保ちたい系の方もいますが、
私はそういうこだわり自体に自然を感じなくて好きじゃないのデス(笑)

だからってガンガン老けたいわけじゃないですよ~。
キレイになりたいって欲求はホント素敵だと思うんですけどね。
ただ、年をとりたくない、若さを失いたくない、死にたくない、
って言う風には私自身は全く思いませんのデス。

この感覚は自分のやってる職種の人間としては珍しいかもしれないな。
まあ、体が資本なので、こだわりがある人が多いから。

ただ、私は無理な若さの維持なんかしてるより、
自然と一緒に年を重ねていける方が何倍もいいなーって思う。
周りから言わせれば、私はもともと結構エイジレスな感じらしいですが、
相方さんをなくしてから、そんな私も一気に年を取ったと思いますね。
なにもしなくなりました。しなくなったというよりは、
そんな気を遣わないといけない相手がいなくなったんですね。
そこはちょっと寂しいことではあるのですが。

ただ、それがね、そんな年齢感じる生活がね、意外と心地よくて~(´∀`*)
良く、女を捨てるとか言いますけど、その「女」って意味が
自分の中で、世間の感覚とものすごく変わりました。
キレイでいたい部分が、どこだか見えてきた感じですね。

帰ってきて、環境がものすごく変わりました。
でも、そのおかげで、いろんなことに気がつけたんですよね。
自分の年齢とか、実はこれまでほとんど考えたことなかったんですけど( ̄◇ ̄;)
逆にここに来て、年月の流れに深く気がつくようになったんです。
その年齢や体の調子で感じるものも違うから、
変化していく時を体の変化と共に感じていけることが
自然で幸せなことなんだなって思うようになったんですよねー。
もう隠居生活ですから、そう感じるのかもですけど(;´∀`)

まあ、田舎で青空と自然に囲まれて、それと生きる生活だからね~。
だからって言って、ワタクシはぜんぜんナチュラル命じゃないので、
全然エコロジストでもないし、ロハスな人でもないし、
ベジタリアンとかマクロビアン、ヴィーガンでもございません(;^ω^)
そういうこだわりも全く無ーし!(ヾノ・∀・`)ナイナイ(笑)

なんといいますか、単純な話です。
今、自分に与えられてる世界の中で、
できるだけ自分と自然を感じて生きていたい派なのデスわね(笑)
私の場合、どっちかって言うと、自然な世界に通じている。
それをビシバシと感じるようになったのです。

今回、病んでたら息するのも出来なくてですね、
噛めないし、飲めないしで、大変だったんですけど、
薬とか、ビタミンとかもとってたんですが、
それよりも断然、今のカラダとシンクロするところに目を向けて、
それらを取る方が体も心も楽になりましたのデスね。
それで、ああ、生きてるんだなぁ、ってわかったし。

歌なんかを教えてますとね、発声とかするでしょ?
やっぱり身体の流れとは違ったりするわけなんですよね。
それはそれで、技術として絶対必要なんですが、
で、人間は如何にそこを克服しようかと考えるわけです。
確かにそれによって、いろいろと解決したりもするんだけど、
例えば理屈ではかなっているけど、それが本来ある姿を阻むこともあると思うんです。
うーん、例えば、背中やお腹に手を当てないと声出ないとか、
あるポーズを取らないと声が出せなくなっちゃったりする人が多いとか。
今の人間は全てがそんな感じになっちゃってる気がするんです。
大切なのは、それを自然に行える様になることなんですけどね。

そんな風に、本当は人ってとても自然と呼応していると思うんです。
そういう自然感覚を生かしながら、生きてきたのが人間のはずなのだけど、
今の世の中は人間が垣間見た少しの知識を使う事が先に立ってしまい、
自然を感知する力が薄まってのいるかもな~って感じてました~。


天使になった相方さんと言う人は、本当に自然な人で。
びっくりするくらい「生きて」いる人でした。

親しい人が言うのです。
普通、向こうに行った人の写真を見ると「写真を見てる」気持ちになるけれど、
相方さんは本当に生きている、嘘のない人だったから、
写真を見ても「本当に生きている」と思ってしまう、と。

10年前に亡くしたソウルメイトのG君も同じように「生きて」いた人で、
彼が亡くなった時は、皆が彼の亡骸を観て、こう言ったものです。
「人って本当に魂と肉体は別なんだね。Gちゃんはもうその体に居ない」と。

彼ら二人はミュージカルとストレートプレイ、とジャンルは違いましたが、
演劇と言う芸術の世界に置いて、お互いをとても尊敬し理解する仲間同士でした。
嘘のない生き方をする。ただひたすらに嘘のない真実(芸術)を追求していく人生の上では、
彼らはそのようにしか生きられなかったのだと思います。
この現世的には良くも悪くも嘘の付けないお人たちでありました。

彼ら二人はどちらも俳優です。
それぞれのジャンルに置いて、人様に「天才」と言わしめた方たちです。
とても才能のある人たちでした。

彼らが他の方よりも、美しく、そして才能があったのは、
何よりその人間力が素晴らしかったからだと感じています。
結局、すべての芸術は、その人の上に現れるものですから、
その人間がずるかったり、嘘つきだったりすれば結局バレるものなんです。
最初は技術や見た目でごまかせる部分も多いけれど、
それは、世界を極めれば極めるほど解ってきます。
やる方だけでなく、観る方もそうなのです。

ところが人間は嘘を重ねる生き物ですからねぇ。その方が楽だし。
簡単に嘘の魅力に負けちゃうものなんですよねぇ。
実際、そういう人、いっぱいいますもんね(;^ω^)

ところが、相方さん方は、本当にそう言う事がなかった人なんですよね。
そう言う意味でも、ポリシーを持って嘘をもたない彼らは、
この世では、人として生きるのが大変だったろうに、
本当に勇気あるすごい人らだったなぁと思うのです。

そんな彼らの隣にぴったりといたから、本当に当たり前のように、
嘘をつかないことが、どれだけ人生に置いて大切で、
自然と語り合うことが大事かと感じることが出来ました。
それが、当たり前であることが、どれだけ凄い事かも。
彼らの様に、それが「素」である人は、なかなか居ないからです。

自然と向き合うと言うことは、あるがままの自分と向き合うことでもあったりします。
これは非常に簡単であって、非常に難しいコトです。
困難と自分に立ち向かう勇気を持てなかったら出来ない事なのです。

自然、という言葉からは少し離れてしまいましたが大事な事だと思っています。
スゴク、困難な時代だからこそ、大切にしないといけないのは、
今の人間が知りえる理屈とか、人間が築いてきた知識の束よりも、
人間としての本来の本能に訴えかけてくる事の様な気がするんです。
今だから、その声を聴き、見ないといけない気がするんです。

そういう事が、彼らとすごし、別れを経験し、
そして、今、ここに戻ってきて良く解るのです。
うまく説明は出来ないけど。

だからこそ、寂しさも深いのデスよね。
そんな素晴らしい彼らが、今、ここに生きてはいないのだから。
それは本当に寂しい事だけど、そこに向き合わなくてはなりません。
それが今の私のミッションだから。


そんなこんなで、このところ、原発や地球や宇宙に対する感覚も
自分が何を一番大事にしたいのか、いろんな事を通して感じる事が出来ました。
とてもありがたい事でした。

それは説明するのは難しいのでしないでおきます。
ただ、一つ。争いや憎しみは私にはイラナイ。
私の知ってる宇宙や地球にはイラナイ。
そう思う。
それより、感じたようにしっかり動いて行こうと思っています。
それが一番大事だなぁ、と思います。


最近、原発に対するこどもたちの言葉を聞きました。
自分のココロに感じることにとても近い波動があるものです。


5歳の子がこう言うの、

 もしも神様がもう1つ地球をくれたなら

 きれいにきれいに住むんだ、

 原発はいらない、

 車は電気自動車がいいな、

 排気ガスがなくなって、

 水と空気をよごすものがなくなって、

 あちこちで泉が湧いて、

 のどがかわいたら、

 両手にすくって飲んで、

 次に胸いっぱいに空気を吸って、

 深呼吸する、

 イジメもなくなり、

 テロも戦争もなくなり、

 原っぱで相撲をとり、

 サッカーをやるの、

 神様、

 どうか地球をもう1つください、

 古い地球は、

 神様の国にあるクリーニングやさんに出して、

 きれいにしてください、

 そして、

 銀河系とちがうどっかの宇宙にもってって、

 恐竜の星にしてください、

 その星にヒトはいりません、

 神様、

 新しい地球をください、

 大事に大事に大事にしますから。




「自分をえらんで生まれてきたよ」の作者、いんやくりお君の言葉から

「原発というよりウラン。
地面の下で植物や石と静かに話していたのに、
無理に引っ張ってきたから、怒って熱くなるのはあたりまえだ。
謝らないとね。
そして、食の安全とか命の大切さとか、教えてくれてありがとう、って拝むんだ」



「自分をえらんでうまれてきたよ」より

ぼくは、病気を選んで、生まれてきた。
希望をもって、生まれてきた。
心を感じることで、勇気が出る。
それがつまり、希望のことなんだ。

心は、神さまのかけらで、体は、地球のかけらだよ

すごい秘密に、気づいたよ。
時間があるから、ものはある。
時間があるから、光はある。
ものは、ぜんぶ、時間でできている

神さまがくれたものは、たくさんある。
まず、心。気持ち。いのち。体。
それから、考える、頭。
ぼくは、神さまからのプレゼントなんだ。
だから、自分をたいせつにする。
自分をたいせつにすると、
地球へのおみやげに、なるんだよ。..



私も生まれ出でる時から彼と同じ感覚がある。

この世界を忘れててはいけない、
人間の力を過信しすぎて大事な事を見失うな、
とココロが熱く語りかける。

私がここを選んで生まれてきたから、
ここを愛して生きていたいと思うのデス。





血液による内部被ばくに関するシェアです

2012-07-02 | これからの世界


《平和を愛でまもりたいものです》


一般市民の平和的、地球愛からなる反対活動の最中、
悲しくも大飯原発が再稼働され、今朝、臨界に達したそうです。
原発ゼロの国から、また原発に頼る国となりました。

ネイティヴアメリカンたちは、今日を生きるためにすることが
7代先の子孫たちに善きものであるかを考えて行動したそうですが、
今こそ、私たちもその意識に学ぶべきではないかと思います。

人間のチカラで止められないものを、動かすことの恐ろしさを
もう少し深く、一人一人が考えていくべきときじゃないかと感じています。


昨日は再稼働に加えて、4号機の冷却ストップで
(こうなると真実かわからないけど)
気持ちの休まらない一日でしたので、アップが遅れてしまったのですが
お友達と血液中のセシウムの話などをして疑問点など話していたのですが
真実の追及を求める友人が、果敢にも日赤に問い合わせをして、
いろいろと疑問点を聞いてみたそうで、シェアしてくれましたので、
皆様にもシェアしたいと思います。


以下、友人のメールより。


血液による内部被ばくの件、話して以来気になってましたので、
思い切って日赤に問い合わせてみました。

案の定、国や厚労省が何も言わないから、基本今まで通りで、
血液のチェックなどはないと思う、という事です。

現状では、以下の基準だそうです。

・現場で作業した人は当面お断りする。
・被災地や近隣に居た人は、自己申告で、一般的な体調不良がなければ、そのまま通す。

‥だそうです。

因みに、輸血の不適合を防ぐ為に、血液製材には、放射線を照射しているのだそうですが、
以前はセシウムを使用してたそうです。やはり扱いが難しいのでエックス線に変えた、との事。

個人的に当然リスクはあると思いますし、
「血液を介して被爆が拡散する可能性を放置するのはまずいのでは?日赤としての回答と姿勢を聞きたいです。」
と言ったら、やや困惑していましたが、厚労省か本社にかけて、との事でしたので、本社にかけてみました。

本部の医師が出ましたので、同じ質問をし、以下の回答でした。

「急性被曝は6時間以内に症状が出る。
国の、一年間の許容被曝量は100mSV、今度200になったが、
日赤は100のままで、変更するかは今後検討する。
よって、今、何らかの症状が出ていなければ、良しとする。

また、血液製剤化の過程で、HLA不適合の予防目的で、
放射線の照射をする(以前はセシウム、今はX線)が、15グレイも照射する。
これは、骨髄移植時の照射量より高く、それを輸血する位だから、
症状が出ていない程度の被曝があったとしても、問題ないと判断する。」との事。

私は「被曝許容量は置いておいて、急性被曝は外部被曝の話だし、
照射も血液に対する外部被曝だから、高い照射量でも血液内には存在しないはずですよね。
私が知りたいのは内部被曝なんです。
現に山形助教の実験でも、一般の健常者の血液中からセシウムが出ていますよね。
血液内にセシウムなどの核種が存在するが明らかな症状が出ていない、
いわゆる潜伏期の人が献血した場合、輸血を介して、患者さんにそのまま移行するのではないのですか7?
日赤としては、そういう内部被曝から内部被曝の拡散という事について、どのように考えていますか?
また、検査や問診などで、そういう事を予防する体制が作られる可能性はありますか? 」

日赤「内部被曝のリスクについては、現時点では、全く気にする必要はないと言う人から、
少しでも危ないと言う人まで様々な意見があって、一定の見解・見解が出ていない。
なので、目の前のドナー(献血者)が大丈夫そうなら血液も大丈夫、という考えになります。」
との回答でした。

残念ですし、怖いな~って思いました。
半民半官みたいな組織だし、国や厚労省に沿った立場は当然と思いますが、
内部被曝が問題だと考えている我々にとっては、大問題ですよね。。

参考になりそうな資料添付しますね。


記事

血液中にセシウム
http://q66p.net/archives/208

世界は恐怖する 死の灰の正体 http://q66p.net/

血液と人体内セシウムー137及 びヨウ素?131について
http://detectivecat.blog.fc2.com/blog -entry-70.html




というメールの内容でした(-_-;)
やっぱりねー、そうなんですねー。
何かが起こらないと、なんともならないのが現実という事なんですかね。
それでは遅いというのが、こちらの意識ですが、仕方がないのでしょうか…
何とか、少しでも改善されればなぁ、と思う次第でした。

嫌な思いをするのをわかっていながら、あえて食い下がり、
質問して、回答をシェアしてくれたお友達に感謝です。
おかげさまでいろいろお勉強になりました。
どうもありがとう~~~!


ご興味ある皆様、ぜひご参考になさってみてください。


19時追記あり*福島4号機のプール冷却が停止・温度上昇

2012-04-13 | これからの世界

《19:00現在追記です》
(15時)4号機の燃料プール。再起動を行った。
    16時04分循環冷却再開。温度は最高で37.6度
           ↓↓↓
4号機16時04分に冷却を再開
プールの温度は最高で37.6度15時現在。
ラインに空気が噛みこんで停止したと思う。
ヒドラジンの注入が継続していたために 主ラインからヒドラジンが漏れた。

取り急ぎ、ご報告。
一安心というところかもですが、本当なのかは東電体質から行くとあまり信用が…。
取り敢えず、4号機は不安定と言うことで備えあれば、だと思います。
今後の情報にご注意下さい!

********************************


北朝鮮のミサイルに紛れて報道されておりませんが
昨日から使用済み燃料が入った4号機の冷却が停まっているそうです(;´Д`)

14:30分の速報で

【速報】福島第一原発4号機プールに「緊急注水」を開始した模様

なのですが、緊急措置ですから、それではなんともならず、万一の可能性があります。
いま一度、4号機の危険を理解して、影響の大きい地域の皆様
是非とも万一に備えて置かれることをおすすめしたいと思います。


皆様も最悪のシナリオ報道などでご存知かと思いますが
福島原発4号機の燃料プールがキケン、と言われています。
その理由は主に次の3つです。

・1535本の燃料棒が保管されている(使用済み、使用前合わせて)
・燃料プールが建屋の4~5階付近の高所にある
・4号機は倒壊・崩壊寸前

この燃料プールが、もし崩壊して、1535本の燃料棒が大気中で燃えだした場合には、
果てしない放射能が放出され、もちろん東京は住めなくなるわけです。

他にもこのような恐ろしい告発もあったりします。
以下をクリックで飛びます。

福島原発の告発 2012-03-29
「衝撃の内容 菅総理元政策秘書 松田光世氏 要約書き起こし」



万一の場合の危険性は以下のとおり、
京都大の小出先生も言ってます。
★小出裕章氏( 京大原子炉実験所助教)外出は必ずマスクを着用してください。
4号機が非常に危険な状態です。
もし4号機建屋が崩壊した時は関東全域と東北の方達は、とにかく西へと逃げて下さい。
【出典元 http://twitter.com/kskt21/status/155673450751598593 】

★田中優さんメルマガより
「とりあえず避難できる準備をしてください。
仕事も学校も家も何も捨て去る準備を。
今の福島第一4号炉の状態は、それほど危ういと思います。」


関東圏にお住まいの方、不安を煽るようですが、備えあれば憂いなしです。
どうか万一のことを考えて、情報に敏感でいてください。
そして万一の危険の時はとにかく西へ逃げてください。
パニックを防ぐ封鎖が始まる前に、どうか西へ。

以下は現在わかっている情報です。

*****************************

【福島4号機のプール冷却が停止 第1原発、警報作動】
2012/04/12 17:15共同通信
http://www.47news.jp/CN/201204/CN2012041201001482.html
---------------
東京電力は12日、福島第1原発4号機の使用済み燃料プールの冷却装置で
午後2時44分に警報が作動し、装置が停止したと発表した。
現場で水漏れの有無などを確認中。当時の水温は28度で、
冷却停止中の上昇は毎時約0・5度とみられ、急激ではないとしている。
プールの中には使用済み燃料1331本が貯蔵され、熱を発し続けている。
装置はプールの水を引き出し、冷やした上でプールに戻す仕組み。
警報が作動したのは水を冷やす機器の付近で、水漏れや異物の混入などの可能性が考えられるという。
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少し古い情報: 木下泰之 (世田谷区議会議員) ‏ @kinoshita_kugi
  フクイチ4号機の現状ーーー4月13日午前9時25分に東京電力お客様相談室の
  佐藤さんに電話で伺いました。12日15時55分に冷却水の漏洩はとまり、
  16時51分にヒドラジンの漏洩も止まったが、現在、人も入って原因究明中で、
  電源は回復していない。本日の記者会見は18:00時からの予定。

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【速報】福島第一原発4号機プールは温度計測ができない状態か
           ↓↓↓
  東京電力本社→お客様相談室に電話。昨「日14時の時点で、28度、
  本日10時で39度で11度あがっている。今後温度上昇したときのために
  キリン放水機などの準備はしている」

  先程11時の東電会見では49.9度と言っていたと思う
           ↓↓↓
【速報】福島第一原発4号機プールに「緊急注水」を開始した模様

注:14時30分記事
 4号機プール温度は循環注水が回復しないと計測できないため、昨日11:00の
 28度が最新計測値になる模様。0.5度/毎時の増温が正しければ 
 現在およそ41.5度。危険域の65度になるのは明後日。日曜日の今頃。

愛を生む行為を~放射能対策をするということ

2012-04-07 | これからの世界


《街のアパートのご近所にある古いアパート。藤の花で囲まれてます♪》


このところ、気温は20度を超えることが多くなりました。
それから、空が抜けるようなブルーになってきました。
冬をすっかり透けた空の色です。

にんぷのぴぴちゃんは相変わらずお元気。
今週末から出産に向けて実家に来ていますが、夜もお庭で遊んだり、
毎日、大きなおなかでお散歩もしっかりこなしています(;・∀・)
もう、元気元気(笑)




《本当に双子みたいな超仲良しの「まろとぴぴ」ご夫妻(-^〇^-)
「ナデナデ」要求中(;^ω^)
ひとりが撫でて~と転がると自分も~と必ず同じポーズをとります(笑)》


ベビー達はお腹の中ですごい元気みたいです。お腹越しに元気な胎動が見られます。

頭や手足の形がよく分かるので、お腹越しに頭のあたりをなでてあげると
ぴたーっと動きを止めて静かになるのですが、手を離すといきなりジタバタ初めるんです。
何回やってもそうなので、「これはまさか、お腹の中から撫でろと要求か??」
と思い、またなでるとやっぱり収まります…(;・∀・)
実はまろちゃん、ぴぴちゃんが2匹で「撫でろ」と転がって要求する方々なんですわ~。
親の遺伝子をしっかりと受け継いでいるようです…(;^ω^)

せっかく宿ってここまで育った命だから、なんとか無事に生まれてきてくれて、
ちゃんと撫でてあげられたらいいなと祈るばかりです。
全ては天に任せて、その子の命の意味の持つままにと理解していても
やっぱり皆、生きて出てきて欲しいと願ってしまう今日このごろです。

ぴぴちゃんの命育つお腹を撫でながら思います。
この子らのために安全な世の中であってほしい、と。
きっと、それは人間たちの生き方にかかっているんだな、と。

「こども」といえば、人間のお子様と動物を一緒にしたら怒る人もいるかもしれませんが
子どもを望んでも、いろんな事情や病気で望めなかった人にとっては
家族として暮らす動物たちというものは「こども」そのものだったりします。

私にとってもそうです。俳優と言う仕事で普通に家庭を持つことが難しく、
次に白血病という病で、年齢的に子どもを持てなくなった私たちは
犬を飼うのではなく「我が子」として小さな命を迎えました。

そんな大事なイノチたちだから、関東にいて原発事故に直面した時
「放射能汚染」という事は、私にはものすごく大きな問題でした。

うちのチビさんたちは、人間のお子様より体がうんと小さく、
成長が人間より4倍もはやいので、細胞分裂も活発で、
しかも放射能の降り注ぐ大地を直接触って歩くしかありません。
カラダは毛に覆われていますから、放射能物質も付着しやすいし。

偶然、事故の危険性をいち早く知らされた私は、
自分が地震不安症になったこともありましたが
放射能汚染の不安から、事故後1ヶ月以上、犬たちを外に出しませんでした。
その後、移住をするまで、関東では散歩も時間をきっちり決めて、
その時間以上は外には出さないで過ごしました。

私も病院の通院以外は独りで外は出られないという理由もありましたが、
食べ物も産地を確認、宅配をお願いして、できるだけ安全を目指しました。
ドッグフードも原料に不安があるので、外国産のお肉と食材で手作りでした。

そんなこんなで、ぴぴちゃんがお散歩デビューをしたのは普通のワンちゃんより
2ヶ月も遅い6ヶ月になったときで、しかも実家に一時帰郷してきたときでした。
その時のビビりつつも嬉しそうな顔が忘れられません。

こういう話をすると「犬如きに」と思う方もいるやもしれませんが
つくづくそうしてきて良かったと今は思います。

今になってやっと、未来に対する放射能の危険性がTVで取り上げられたりしていますが、
この日本では、事故が収束するどころか、未だに事故現場は進展を見せず、
フレッシュな放射能が出続け、しかもダダ漏れで、汚染をし続けていることは確かなのです。

どういうわけか、多くの国民が目を向ける時間帯に取り上げることが少ないチェルノブイリの過去。
この事故の現在の悲劇を見れば、それ以上の汚染がなされている日本の未来が見えるはず。

なのに多くの人は出来うる防護策をあえてとっていません。
理由は「国が危ないって言わないから」が一番多いんじゃないか、と思います。
中には病気になっても、その頃にはいい薬や治療法も出来るでしょ、という人もいる。
その薬や治療法が出来るころに発症できるかなんて分かりもしないのに。

誰かが危ないよと言わないからしない。
私はこの考え方が、一番危険なんじゃないかと思う。
というか、自分で考えてないから、きっとそうなんだろうね。

だから「安全域」という理由だけで、なにも考えず子どもを住まわせ食を与えてしまう。
普段は「塵も積もれば山となる」と言っているのに。

ゴミを置き場を見てなぜ気がつかないのでしょう?
ゴミはゴミ収集車がくるからそこからなくなるんだよ?
あなたの家もゴミを捨てなかったら?どうなる?
どんどんゴミに埋もれるよね?
ほっといたらどうなる?
衛生的に問題が起こって病気が生まれたりするでしょ?

放射能はそれと一緒。なくならず蓄積して、いつか悲劇をうみます。
確かに少しのベクレル数であれば、直ちに問題は起こりません。
でも直ちにおこらないだけで、数をとっていて長い時間をかけたら
間違いなく大きな問題が起こりますよ、と言っているのと同じです。

万が一、そういう事で子どもに体に異変が起こったらどうしますか?
子がどんなに苦しんでも親は決して変わってあげられません。
私が亡くなっていく相方さんとかわってあげられなかったように。
どんなに願っても、かわってあげられません。

みんな、ガンや白血病の恐ろしさを知らなすぎると思います。
まだ、完全な治療法が見つからないものを楽観視しないで欲しいと思います。
それを作る行動もしないで欲しいと思います。

そして、一度でも傷ついたDNAは元に戻りません。
そのDNAはそれからイノチの繋がりによって続いていきます。
悲劇はその人だけでは終わらないのです。

私は多くのお父さんお母さんにそんな悲しいDNAを残す行動をとって欲しくないです。
危機管理能力を発揮させて、できるだけ安全を提供して欲しいと思います。
特に食べ物には、気を使ってあげて欲しいです。
毎日の食べるものの中にこどもたちの未来があるのです。

何も考えず、在るものを子どもに与えて普通にしている大人を見ると不安です。
それらが子どもたちの命を削っているような、そんな気持ちすらします。

かわいいパッケージのお菓子。だれも惹かれますよね。
でも簡単に与えないでください。
ちゃんと調べてください。安心して口にできるかを。

めんどくさいですか?大変ですか?
例えばネイルを塗る時間があったら、お菓子を一つ手作りできませんか?
自分の時間をちょっとだけ誰かの時間に変えて喜ぶことは無理ですか?

今のお母さん達は活動的で、日々を幸せにしようって人も多いと思う。
でもね、今はハッピーとか幸せとか提唱する前に
もっとやらなきゃいけないことっていっぱいあると思うのです。
だって、それができてなかったら、今が幸せであっても、未来のハッピーはないよ?

チェルノブイリのお母さん達は、あの時、あまり考えることをせず
牛乳をあげなきゃよかった、いちごを食べさせなきゃ良かった、
みんなみんな、そう言ってますよ?

なぜ、自分で考えて、防いであげなかったのか?
ほんのちょっとの努力を何故しなかったのか?
あの子は私が殺してしまったのだ。そう言っています。

そこから、どうか学んでください。
どうか、自分の頭と心を使って考えることをしてください。
こどもたちの、周りの愛する人のために。

危ないと思っても、引っ越すことなんて簡単にできないのは当たり前です。
私自身、そうでした。
でもそうなら、やれることだけでもやってください。
産地を確かめ、できるだけ安全を図る。

自分がなにかをしないでいることを、引越しができないせいや
事故が起きたせいにしないで下さい。

事故が起きたのも、そこにいるのも事実なのだから。
誰かのせいにしても変わらないなら自分が変わるしかないと思うのです。

いろいろ規制ができれば、窮屈さはあって当然です。
でもそうなら、そこをハッピーに出来る工夫をしましょうよ。
それでこそ人間の強さや素晴らしさじゃないかって思うのです。


でも確かにそのことで被害を被る人たちが出てくるでしょう。
その為にも、私は国に対して危ないものは、危ないと言って欲しいなぁと思います。
そして、危ない場所で、今までと同じ生活をすることを奨励せず、
それらを手放すことはものすごく苦しくても、手放すように説得して欲しい。
そしてその事で今までの生活を奪われる人に、新しい道を敷いて上げて欲しいと願います。

ふるさとを失うことは本当に悲しいことです。
私は今でこそふるさとにいますが、それまでは
仕事上、家族やふるさとを捨てねばならなかったのです。
そう思って生きている間、一度も田舎に戻ったことはありませんでしたし、
帰りたくても帰れませんでした。
きっと一生帰ることはないと思っていました。
それはとてもさみしく悲しかった。

でもそんなふるさとだからこそ、それをしなくてはいけないと思うのです。
誰だって、ふるさとを傷つけたくない。
だからこそ被害を受けた人が、安全な場で、
出来る限り今までと近い生き方をできるように
国も国民も出来る限りの手助けをすべきじゃないかと思うのです。
どちらかが、どちらかのために我慢するとかではなく、どちらも大切、デス。
私たちはそうやってバランス良く助け合うべきではないでしょうか?

少なくとも、私はそういう方向で努力をしていきたいと思っています。
小さいひとしずくでも、しないより全然いいと私は思っています。

今日のお味噌汁にわかめを入れるだけだっていい。
発酵食品を一つ取り入れるのも素敵だし、
スーパーで西日本産のお野菜をひとつ買うのだっていい。
そんな小さな努力が大きな未来を創ることになると思うのです。

今日、走り回っている動物たちや自然がそのままであるように、
笑っている子どもたちが10年後の未来にも笑っているように。
今、学生さんの少年少女が、10年後、赤ちゃんを胸に抱いて誇らしげであるように。
それらを見て、ああ、あの時頑張ってよかったと、大人たちが笑っていられるように。

ほんのちょっと、何か、ちょっとの努力をしてみませんか?
それはきっと「大きな愛」だと思うのです。