KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

ユバ農場

2007-01-29 | KOFUKU日記
わたしは世界に行って見たいところが何箇所もあります。
場所に惹かれることもあれば、建物に惹かれることもあります。
でもいちばん惹かれる理由はそこに住んでいる人たちを知ったときです。
そんな場所のひとつに「ユバ農場」があります。
「ユバ農場」はブラジルにある日系人の共同体の様なところです。
マンゴー園などを所有し、たくさんの日系のご家族が暮らしています。
私には大事な友達が居て、Aちゃんはそのユバ農場で暮らしている人です。
私はそのAちゃんが日本に居るとき、ユバ農場についてたくさん聞き、
そして実際にユバ農場の方々とお会いした経験があります。
私がAちゃんから聴いたお話をシェアしますね。
昔、むかしのこと、日本からブラジルにたくさんの人々が入植しました。
弓場さんと仲間たちは移住したブラジルの地で一生懸命働きました。
ところが言葉もままならない日本人は騙され、お金を失ってしまいました。
けれどもへこたれず、もう一度借金をして再び働き始めました。
そして初めての実りがあり、報酬が入ってきました。
日系人達のリーダーだった弓場さんはそのお金である物を買いました。
それは一台の「ピアノ」だったのです。
ところが寝る間も惜しみ、汗水たらして得たお金をピアノなんかに使うなんて!
と怒る人々が居ました。
反対に「人はパンのみに生きるにあらず」と「なんて善いものを買ってくれた。
これで私たちの疲れも癒されるでしょう」と喜ぶ人たちも居ました。
そのピアノへの喜びを見出した人たちが残って作られたのが「ユバ農場」です。
Aちゃんが言うには、ユバ農場ではみんなが協力してそれぞれの家を作り、
朝や夕方は大きな宿舎で一緒にご飯を食べる。
来る人は拒まず、去る人を追う事もしない、と言っていました。
ユバ農場には「規則」といったものは何もない。
ただ、これだけを心に留める。
「働く事」「祈りを持つこと」「芸術すること」「人を責めない事」
このユバ農場にはもう一つの姿があります。
それは暮らす人々が「ユバ芸術団(バレエ団)」の団員になること。
芸術は強制ではありません。だから基本的には何をしてもいいのだそうです。
その人が芸術と思うことであれば。
ユバ農場には素晴らしい手製の劇場があるそうです。
そしてそこでいろいろな芸術が行われるんだそう。
バレエ・歌・演奏・演劇・ミュージカル、絵や彫刻やいろいろです。
昔、その弓場バレエ団の日本公演を観ました。
小さな子供からお年寄りまでの出演者たち。みんな笑顔(^^)
オープニング、何もない舞台に斧で木を切る音が響きます。
明かりが入るとおじいちゃんが本当に丸太を切ってました。
出てくる人々、痩せてる人・太ったおばちゃん、いろんな人!
身体を揺らし、声を上げて歌い踊る美しさ、あたたかさ。
出てくる言葉は優しくて楽しい。
あとで楽屋に行ったときもみんなギターを囲んで歌っていました。
ユバの人たちはこのようにブラジル国内、国外を公演しているのだそうです。
Aちゃんのちいさな弟が教えてくれました。
「アマゾンに行ったんだ。裸族の人が居て、そこにみんなで舞台を作って公演した。
僕はずっと人前で何かするのが恥ずかしかったんだ。
けれどその時、言葉も通じないのに同じくらいの年の女の子が僕の演技を見て泣いたんだ。
その時思った。ああ、僕はなんて素敵な仕事をしてるんだろう、って。
芸術ってこういうものだったんだって思ったんだ」って。
私の芸術への思いの原点はこの少年の言葉の中にあります。
そのAちゃんをつれて、私の田舎に行ったとき、私が旗揚げした劇団に行きました。
みんなはAちゃんを笑顔で迎えてくれ、オリジナルミュージカルの歌を歌ってくれました。
夕焼けの歌でした。Aちゃんは言いました。
「ここには素敵な夕焼けがあるんだねえ~。そうじゃないとこんな歌、作れない。
みんなにブラジルの夕焼け見せたいな。赤い大地に沈む夕日。
子供たちは足を真っ赤な土で泥だらけにして遊ぶの。」
それ以来、ユバは私のあこがれの地です(^^)
私のリンクからユバ農場のサイトに飛べます。
どうぞ興味のある方は覗いてくださいね。
そして機会があったらぜひ一度弓場農場へ!
そこは現代のエデンです(^^)

てしごとのこころ

2007-01-25 | KOFUKU日記
最近思いました。
てしごとのココロ、それは「ポジティヴシンキング」(笑)
なぜなら、てしごとって前進する作業だから~。
ちくちく、あみあみ、おりおり、まきまきと、
ゆっくり、ぱっぱか、すすむ、すすむ、
てくてく進んでいくのです(^。^)
作り上げるために後戻りすることもあるが、
それは終わるためでなく、先に行くための後戻り。
そうしててしごとは目的地まで旅をします。
ここんところ、お礼状にくっつけるものを作ってて思ったことです。
てしごとは前に進む、未来を創る作業。
ワタシの生命である「演じる」ことと同じです(^^)

にらめっこしましょ(^^)

2007-01-20 | KOFUKU日記
面白い事がありました。
バイトに向かう途中、新宿駅でのことです。
今日は家を早く出て、この間の公演のDVDを受け取りに行くことになっていました。
お店で受け取りを済ませて、バイトに向かおうと駅に入りました。
東京で最も大きい駅の一つ、新宿駅の中は人、人、人でごった返しています。
老若男女、いろいろな人が居ます。
駅の南口に入って、改札までいこうとすると~、あれ?
行きかう人ごみの真ん中に少し空間が。。。
見ると外国人の親子が立っています。
お母さんと子供さん、金髪碧眼、どっからみても外国の方。
じーっと立ち尽くしているのです。
お母さんは片手に大きな荷物。もう片方の手に5,6歳の女の子の手を引いています。
さすがに人なれしてる東京でも外国人親子の周りには近寄りがたいのか、そこだけ人が避けてとおります。
どうしたんだろ?と思い、よく見るとお母さんの目線のある目の前の足元に物体が。。
そう、2,3歳くらいのこれまた可愛らしい男の子がミニカーを握り締めたまま座り込んでいるのでした。
もしかしてなにか困った事があったのかなあと思い、声をかけました。
「あの~どうしましたか?なにかお困りですか?」(しっかり日本語)
綺麗なお母さんは私を見るとにっこり笑って答えました。
「OH!あ~、ワタシ、コマッテマス。カレ、コワレタネ。ウゴカナイ。
イマ、ワタシタチBATTLEシテルネ。イマ、カレ、ツヨイデス。」
なるほど、ストライキか(笑)
するとお姉ちゃんが「フェディは抱っこして欲しいんだって」(めっちゃ流暢な日本語)
「あ~、そうなんだ~。抱っこして欲しいのか~」
「ワタシ、ムリネ。ニモツ、タクサン。ダカラ、カレ、ウゴクマデタタカウヨ」
さすが、おかあちゃんは強いぜ(笑)
う~ん、でも寒いしねえ、座ってると冷えちゃうしねえ、どおしましょ?
んで、あたしは立ってるお母さんの手にタッチして言いました。
「BATTLE,チェンジね!」
それで、何したかって言うとですね、座ったんですよ、彼の前に(笑)
一瞬、周りの人がざわざわっと(笑)そりゃそうだ、花の新宿、それも駅の真ん中でいきなり座り込んだら驚くわな~(^^;)
まあそういうのは無視して真正面に胡坐かいて座って、カレの可愛いお目目を見ました。
すると「うーーーー」と言ってほっぺがぷーっとふくれました(かわいい)
とりあえず目が合ったので「まねっこ~」と言って私もほっぺをぷーっと膨らましたまま彼の真似をし続けました(ははは)
すると周りの見てる人がクスクスと笑い出したり、立ち止まり始めまして。。(^。^;)
カレはそれに気づきました。座り込んでる私を見て恥ずかしかったんでしょうね。
カレは立ち上がりました。そしておねえちゃんのところに走って手をつなぎ隠れました。
それでワタシも立ち上がりました。
お母さんは「アナタ、カッタネ」と言って笑いました。
聞けば行く方向が同じというので荷物をもってあげて、カレは望みどおりママの腕の中へ。。。よかった、よかった(^^)
次の駅でお別れしましたが、可愛いご家族でした。
久しぶりの「にらめっこ」面白かったです。



笑顔

2007-01-18 | KOFUKU日記
昨日は阪神大震災のメモリアルディでした。
なくなった方々のたましいに同じ数のキャンドルが灯され捧げられたそうです。
あの日のことは私もよく覚えています。
なぜなら、あの日、私は神戸に公演に向かう予定だったからです。
その日の朝、7時30分に集合場所に集まった私たちは運転手の男の子を待っていました。
彼の出身は神戸でした。遅れてきたその子は地震があった事を知りませんでした。
「え!うそ?」そういって彼はご自宅に電話をかけに行きました。
「つながらへん」そういって電話の傍でしゃがみこみました。
そこに公演の担当者が現れて、公演の延期を告げに来ました。
家に帰り、テレビをつけ目に飛び込んできたのは燃えさかる神戸の町でした。
仲間のお家は被害の大きい地域とは離れていたため誰も怪我をせずにすみました。
それから4日後、私たちは車に乗り、阪神に向けて出発していました。
無理を言って関西地方の公演を許可してもらったのです。
ただし、地震地域での公演は許されませんでした。
車で宝塚あたりを通るとあたりはボコボコと道が盛り上がり、
崩れた家にブルーシートがかけてあった事を思い出します。
夜、車のラジオをつけると次々と亡くなった人、そして行方不明者の名前が告げられていきます。
数は日増しに増えていきました。
歌の途切れた事のない私の仲間でしたが、あの時は車のなかで誰一人喋りませんでした。
関西地方を回り、丁度震災から一ヵ月後くらいの事、
私たちは京都の小学校に公演に行きました。
子供たちは東京から来たお芝居をする人たちに興味しんしんです。
わあわあと喋っては取り囲む彼らに担任の先生も苦笑しておられました。
ふと、視線に振り向くと一人の男の子が輪から外れてぽつんと立っています。
その子を見る私に気づいた先生がおっしゃいました。
「あの子、神戸から来たんですわ。震災で親が亡くなりまして、
こっちのおばの家に身を寄せとるんです。
ぐらぐら揺れるのが怖い言うて泣いて、電車にもバスにも乗れんのです。
平均台の上にも、椅子の上にも揺れるところには立てんのです。
震災のとき、目の前のガラスが割れて降ってきて、
兄弟が怪我をして、ガラスの前にもおられへん。
ここに来てからまだ一度も笑ってくれへんのです。
あんな小さい子がと思たらせつのおて、ほんまに代わってやりたいと思います。」
私たちはあの日、流れたラジオの静寂を思い出しました。
彼の耳はまだきっとたった一人であの暗闇の静寂のなかで流れる
亡くなった人たちの名前を今も聞いているのです。
その日、私たちは違う演目を上演する予定でしたが、
学校から許可をもらい「サウンド・オブ・ミュージック」を元にした
子供向けの作品を上演することにしました。
この作品はお母さんが早くに亡くなり、全く笑わず歌うこともしなくなった厳しい父親の元で暮らす7人兄弟の所に、マリア先生という歌を愛する家庭教師がやってきて、子供たちもそして妻をなくし、悲しみに暮れていた父親をも愛の力で心とかすというお話です。
作品のなかでマリア先生が観客の子供たちとドレミの歌を歌うシーンがあります。
私たちは舞台の上にその男の子と担任の先生をあげました。
ドレミの歌には簡単な振りがついていて、それを一緒にやるのですが、
案の定、そのこは反応しませんでした。
その振りの中に絶対笑ってしまう振りがあります。それを先生にやってもらうことにしました。
反応しない男の子の横で代わりに一生懸命踊る先生につい目がいってしまったのでしょう、
男の子はホンの少しそれを見て笑いました。
それを見てさらに先生は激しく踊ります。
生徒達も大笑いしていてそれにつられたのか男の子もとうとう吹き出してしまいました。
そこで私たちは続けて歌を歌ったのですが「どーそーらーふぁーみーれーどー♪」
と歌うところでこう歌ったのです。
「○○先生、笑顔が素敵!」
そういって「ハイ!」と振ると繰り返して歌わないといけないのですが、
振られた先生はすかさず「○○君の笑顔も素敵!」と歌ってくれました。(えらいっ!)
そして学校の生徒さんみんなでそれを繰り返し歌ってくれたのです。
彼は笑いました。それは嬉しそうに笑いました。
お芝居が終わって、その先生がこられました。
眼には涙がいっぱいでした。
「いやあ、こんなにはようあの子の笑顔が見れるなんて思ってませんでした。
お芝居の力いうもんはすごいもんですねえ。」そういって握手してくれました。
後日、学校から届いた感想文。あの彼の作文は一言こう書いてありました。
「人が元気のないとき、マリア先生のように歌ってあげられる人になりたい」
忘れられない思い出です。
彼の心の病の名前はPTSD「心的外傷後ストレス障害」といいます。
現実にはありえないような悲惨な事故や出来事で心が恐怖に陥ったままになる病気です。
大人になってからより幼い頃に受けた心の痛みは辛いものです。
それを抱えていると心がより過敏になり、育っていく段階で些細な事でも同じ病気の原因となるように感じてしまうようになったりする二次被害も生まれます。
私も幼い時から同じ病気を抱え、二次被害を重ねて持って来ました。
だから彼らの気持ちが痛いほどにわかります。
いろいろな事件のもとにこの病気は生まれています。
彼の様に天災もあれば、戦争、紛争、殺人、病気、事故、災害、レイプ、いじめ、いろいろです。
(私は人的被害による発症者ですが)せめて回避できるはずの人的被害は少なくなればいいと思います。
昨日アップしたシュタイナーの子供の祈りのように、本来人間の周りには愛だけがあるのです。
病気を抱える私でもそれは本当だと思います。
その愛を感じられる環境がすこしでも早くすべての人に与えられるように心から祈りたいと思います。
たくさんの人が毎日笑顔で暮らせますように。
あの日天国に向かわれたたましいに祈りを捧げつつ




シュタイナー学校(3年生)の朝と帰りの唱え詩から

2007-01-17 | KOFUKU日記
*シュタイナー学校では宇宙や人間や自然、すべてのもとにある
眼に見えない大いなる力に対し敬意をもって「かみさま」と呼びます。
宗教的なものではない事をご説明しておきたいと思います*

朝の唱え詩

優しい陽の光が今日という日を明るく照らします
心の奥の精神の力が私の手足の中に流れます
陽の光の輝きのなかで私は人間の力を信じます
この力を授けてくださった神さま
私はこの力のおかげで今日も学び、働く事が出来ます
光と力があなたから届きます
私の感謝の気持ちがあなたに届きますように


帰りの唱え詩

私の頭も、私の両足も、神様の姿です
わたしの心にも、私の両手にも、神さまの働きを感じます
私が口を開いて話すとき、私は神さまの意志に従います
どんなものの中にも、お父様やお母様、愛する人の中にも
動物や草花や木や石の中にも、私は神さまの姿が見えます
だから、怖いものは何もありません
私のまわりには愛だけがあるのです