KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

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2012-02-21 | KOFUKU日記

《これからお庭に出るところ(^^)》

今日は曇り。気温は少し緩んであたたかくなってきました。
今夜から数日は雨で20度くらいまで上がるそうです。

ちび達は3匹でお庭とお部屋を行ったり来たりしています。
昨日はピーちゃんに東京のお友達から素敵なお誕生日カードを頂きました。
どうもありがとうございます(^^)


さて、この数日、奈良に住む相方さんのお父さんにプレゼントを製作中。
でも、眼が…やっぱり見えづらいので体も辛くなりがちでなかなか進みません。
早くメガネ、出来てくるといいな~。
今日は目に良い菊花茶をブレンドしたほうじ茶を飲みながら作業です。

そんなこんなでの午後、ピンポーン♪とベルが。
大切な友人のオードリーさまから素敵な贈り物が到着しました~。
ありがとうございます~。




《お菓子にお茶にちびさんたちのおやつまでいっぱいです♪》
《ちび達は大喜び♪ オードリー、ありがとう~!!》


オードリー様とは北海道時代からのお付き合いデス。
相方さんともずっと家族ぐるみのお付き合いをして頂きました。
それぞれ、いろいろあったけれど、あっという間の10年が経ちました。

 

《北海道時代のピーちゃんと智ちゃんとオードリーさま》

オードリーにはダウン症のお嬢さんがいらっしゃいますが、
この智ちゃんはピーちゃんの素敵なお姉さんなのです。
何かにつけて心配してくださり、心かけてくださいます。
ありがたいです。感謝です。

現在は大阪の方でNPO法人 ハニー・ビーと言う団体で活動をなさっておられます。
ハニー・ビーは知的・発達障害のある子どもたちやご家族をサポートしておられます。
障害のある子どもたちを中心に人としての自立・社会参加(就労)を担っていく支援です。

シュタイナー教育をベースにした、魂に優しい環境作りがなされているようです。
療育に悩んでいるお母様方がいらっしゃれば、ぜひご連絡なさってみてください。
下記に住所等、載せておきますね。親身になってくださると思います。

事業概要ははぐくむ 療育支援事業 
◇学習プログラム◇(個別・グループ)
◇トレジョブ(トレーニングジョブ)=職場体験
◇自己表現活動◇   ◇外出体験◇◇農業体験◇
◇農業体験◇
まなぶ 障がい者の自立・就労の意義のために
ささえあい よりそって相談事業
ひろげる 広報活動

豊中市熊野町4丁目19-33 2F
TEL:06-6152-8991 / FAX:06-6152-8992
e-mail m-yagi@honeybe.jp



今回、送ってくださった贈り物の中に、以前、原宿で
ロハス系カルチャースクールをやっていた時に
お茶に出していた奈良の友人の作る無農薬のお茶や
今は長崎で本当に美味しいヴィーガンのスイーツを作る方の
お茶やお菓子が入っていました。



《本当にお世話になった美呆さんのお菓子と健一自然農縁の和紅茶》


善いものを送ってくださってありがたいなぁと思う以上に、
こうして、今も私が良いと紹介した人たちの商品を
大切に購入してくださっていることに感動しています。

これらを手に入れるには当然費用が掛かります。
今の私は余裕がないので、自分では購入はちょっと厳しい(^_^;)
そうなってしまうと、気持ちはあっても人や物からちょっと距離が出来ます。

そんな中で私は買えないにしても、手に入れられなくても、
周りの方がこうしてそういう方とつながってくださるのは嬉しい。
それらを大事にしてくれているのは嬉しい(^^)

きっとオードリーさまがその方々の心や商品を本当に善い
と思ってくださったからのご購入だろうと思います。

そういう風に善いものをシェアをしあえたことの事実と、
それが今もそこにあることがすごく大切な気がします。
なぜなら、そこに自分の姿や心もある気がするからです。




マザーテレサの言葉で好きなものがあります。
こういう言葉です。

*************************

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから‥

*************************

このところ、人とのつながりやシェアと言うのは、
一過性の感情の上にあっては意味がないというか、
とてもさみしいことだと私は感じるのです。

だからでしょうか?
本当の友人とか、つながりとか気持ちっていうのは
関係が大きく変化したときや離れたときにこそ
はっきりとくっきりと見えて来る気がします。


人と人との関係が希薄になったと言われて久しいですが、
人の関係もすごく変わった気がします。

私は若いときからずっとルームシェアしてきました。
当時は男女入り混じって他人同士が暮らすなんて
それこそ奇異な目で見られたもんでした(笑)

でも、私は一度もトラブルになったことがありません。
嫌な思いをしたこともありません。
楽しい思い出ばっかりです。


最近の人たちの中では海外の文化が入ってきて
ルームシェアが流行だし、広まってきている反面、
海外に比べてものすごくトラブルが多いのだそうです。
シェアメイトを訴えるケースがものすごく増えてると聞きました。
しかも、突然、家を出て行ったりして迷惑かけるような人ほど
自由を求めてシェアをしたくなっちゃうんだそうですよ…(・。・;

シェアを楽しくできる人と、トラブルを生む人、
その差はなんだろうか?と考えた時、人に対する思いが違う気がします。

ルームシェアをするには、寛容さの上の厳格さをお互いが持たないとできません。
「同居は魂の結婚、その意識失くしては同居はできない」
とは友人の名言です。

ところが、今は相手に「寛容さ」を持てる以前の
それぞれの持つ常識的な感覚がなさすぎる気がします。

昔は自分の事を自分でするのは当たり前で、相手がしてくれるとは言っても、
人に自分の事をさせることは申し訳ないし恥ずかしいと思うものでした。
でも、今の人は家族でも他人でも、誰かにしてもらう事や、
誰かにさせることが得という意識が強かったりするので違います。


昔の事ですが、旅公演中、カンパニーにわかーい子が入ってきました。
如何にも、誰かに何かをしてもらった事しかない様な現代っ子でしたが、
数か月の旅の中で、同室になった人たちが怒ること怒ること(^^;)

聞けば、洗面所にある歯磨き粉やブラシやタオル、
洗濯場のネットなど、個人のものを勝手に使う。

何かしてもらうとそれなりにお礼は言うが、
自分から助けることはまずない。

次の人が使用する場所を散らかしてしまう。
自分の部屋に至っては散らかし放題。

あんまりすごいことになったので、私が真相を聞く役に(^_^;)
聞いてみると、案の定、

「○○ないなら使っていいよ」と言った、と言う。
「お礼は言いましたし、向こうが勝手にしてくれることだし」と言う。
「自分のテリトリーは自由で当たり前じゃないですか?」と言う。

そう、その人には「自分のものは自分で用意する」とか
「自分が何かをしてあげる」とかって意識は全くなく、
「お金払ってるんだから、自由でしょ?」という意識だったのです。

ながーくシェアしてきてる私はこの答えにびっくりでした(^_^;)

私は恵まれてたのか、なんなのか、シェアメイトは善い人ばかりでした。
だから、「こういう事はしないで」と思ったことも一度もないんです。
皆、その辺のマナーはしっかりしてました。

夕食を一緒にする時は作る人に必ず有無の連絡が数時間前にあったし、
お洗濯だって洗面道具だって、それぞれが自分の道具は自分で用意して
それぞれが相手の迷惑にならないように管理してたから嫌な思いもなかったです。

洗濯物は自分のネットに入れるし、使用後のバスタオルは自分の部屋に干すし、
置き場所も皆で相談してスペースを割り振ってたし。

食事もいつも作ってもらってる人は、洗い物はもちろん、
作れない人はお給料日に御馳走したり、食材を買ってきて足しておいたり。
作れる人は「今日は私に作らせてね!」と言って作る。
そういうのが、絆を深めることにもつながっていきました。

食事別の時は、自分のものには名前を書いておく配慮や
みんなでどうぞと言うメモをはっておいたり、
時には余分に作ってシェアしたり。

光熱費等は折半だったけど、夜中に長く起きてる人は
余分に払うくらいの配慮もありました。

部屋だって、解約するときに皆に迷惑がかかるから
それぞれが意識してきれいに使う事は当たり前でした。

それぞれの生活スタイルを尊重し合って、
自分の行動をコントロールしていたし。

都合でシェアを解消するときは、新しいシェアメイトを相談のうえで探したり、
出ていく人は最低半年分は家賃を保証して、
同居人が支払いで困らないようにしてました。
解約の際、補修費が多く出たら、それまで住んだ人全員で払いました。

そうだからこそ、お互い、甘えられたし、甘えてもらえました。
助け合えたのです。
これらはホームステイしてる場合でも同じ様な意識でしたね。

こういった事はごくごく当たり前かと思っていたんですが、
いろんな話を聞くと、今の人にはものすごく難しい事みたいですね。
一緒に住むとなんでもありの家族や恋人と勘違いしちゃうんですかね(^_^;)
それとも「居候」っていうようなあり方が存在する日本の特質から来るんでしょうか?

アメリカ人の友人、多かったのですが、その人たちがホームステイ受け入れると
日本人はホテルと勘違いしている、最後、必ずいろいろやってくれなかったって言う、
出来ることを自分でやるのは当たり前なのにどうしてだ?と良く言われました(^_^;)


でも、私も思うんですよ。
家族的になれる人ほど、マナーや距離感がきちんとしてるんです。
自己中な人ほど、いい加減になる気がします。

シェアって分かち合う事ですよね。
同じ距離感で存在する努力をすることです。
相手を心から思いやらなくては、決してそのマナーは守れないし
お互いに何が大事かなんて、思い付きすらしなくなります。

善い距離感や相手を思いやって培ってきた関係はなかなか消えません。
その時の感情での付き合い方では消えていくことが多いです。

きっとそれは、その瞬間に本当は目の前に相手がいないからかもしれません。
相手の事をしてあげているようで、実は自分の感情のみが大事なのです。

ゆとり世代と呼ばれる人たちが目の前に対して希薄であるのは
相手を大事にすることを学ぶ前に、自分を大事にすることではなくて、
自分が得をする方法を学んでしまったからなんじゃないかな?と思います。

「みんな、そうだ」とか「そういう人、たくさんいる」
とかいう自分を肯定するための言葉を聞くたびにそう思うのです。

だからこそ、大事にしないといけないものがあるんですね。
それは自分に課せられた大切なものです。


思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから‥


これは、すべての「私=自分」と呼べる人々に与えられた言葉だと感じます。


そして
本当に善い時間や思いを一瞬でも心からシェアできた人とは
たとえ、長く合わなくても、どこかでお互いが生きている気がします。

私には数は少なくても、大事なつながりを持つ人がたくさんいます。
多分、今後、一生会わなくても、心を通わせた人の記憶には
必ずお互いのあたたかなものが存在していると感じています。

それが、本当のつながりなんじゃないかな、
これからもそんなつながりを作っていきたい、
そう思う、今日この頃です。