ヴァレンタインディ。
皆様はどう過ごされましたか?
私は今年はご縁がないかなーと思っておりましたら、
愛する魂の家族のカンナ嬢が大雪の中、
手作りのチョコレートを持ってきてくれました。
チョコが食べられないぴーちゃんには、チョコ色のうさぎちゃん人形です。
去年はおいしい手作りケーキを頂いたのですが
今年は手作りのおしゃれなトリュフ。
早速、相方さんと半分こしました。
とても美味しかったです~。
先週は気持ちがとても沈んで、元気なく過ごしていたのですが、
週末にカンナ嬢がぴーちゃんと遊びに訪ねて来てくれたので
少し早目のヴァレンタインケーキを焼きました。
せっかくなので3年間ブランデーに漬け込んだとっておきのプルーンと
チョコをたっぷりと入れたパウンドケーキを焼きました。
焼きたてあつあつを美味しいコーヒーをいれて
相方さんとカンナ嬢とぴーちゃんと4人でいただきました。
毎年、ヴァレンタインはぴーちゃんと一緒にお菓子を作り
プレゼントを用意して過ごしていました。
今年もカンナ嬢とぴーちゃんが居てくれたおかげで
ヴァレンタインを暖かな気持ちで過ごせました。
相方さんも毎年とても楽しみにしていてくれたので、
きっと今年も喜んでくれたことと思います。
一人でいたらきっと何もしなかったと思うけど
一人じゃない時間があるっていうのは
つくづくありがたいことだなぁと感じています。
さて、人間の生き様はよくメリーゴーラウンドに例えられますね。
高く低く浮き沈みを繰り返しながら、廻り続けるからでしょう。
人間には善い時も悪い時もあるから。
一人になってからというもの、考ることが多くなりました。
多分それは、相方さんが亡くなって数日後から、
まったく一人になってしまった時間のせいかもしれないです。
相方さんは関西の出身で、葬儀は地元で行われました。
亡くなったのは夕方で、それから仲間に連絡して
親しかった人たちがたくさん集まってくれました。
次の早朝には連れて行かれると言う事で、
みんながそのまま病院に泊まって見送ってくれました。
そして病院からそのまま彼の地元の葬儀場に向かいました。
何年も自宅として、仕事をし、愛をはぐくみ、暮らしたこの家。
病院であれだけ帰りたがっていたこの家にも、
寄ってもらうことすらできませんでした。
彼はずっとこっちで暮らして、仕事もしていたから、
私も知る親しい友達は皆さんこちらに住んでいたので
関西での葬儀には殆ど来ることができませんでした。
葬儀の時、私の知っている相方さんを知っている
関西に住んでいる友が数名来てくださいました。
でも関西では会葬者の方々には御振る舞いもしないらしく、
葬儀後の集まりもなく、火葬場から戻った時には皆さん返されてしまってました。
私の知る相方さんの様子を知るお友達もいなかったのです。
だから誰かと今の彼の話をすることも殆どありませんでした。
遺族である家族は彼とずっと離れて暮らしていたから
彼がこちらでどんな風に生きていたのかを殆ど知らないのです。
ご家族の中にあるのは、今の彼になるまでの日々の思い出で、
彼の本当に生きていた世界のことは何も解りません。
だからご家族とも、彼の本当にしたかったこと、
その為にしてきたこと、彼の生きて来た道の上での
大切な思い出話は何もできなかったのです。
逆にその今の生き方に添ってきた自分には
過去は聞いていたことしか解りません。
だから話にも入っていけませんでした。
もちろん、相方さんのご家族は一生懸命にやってくださったのです。
それぞれのお考えの中で、一番善いと思うように動かれたのだと思います。
そして皆さんなりに一番善いように考えてくださったのです。
もちろん葬儀に来てくださった方も彼にとってはどなたも大事な方なのです。
してくださったことに感謝はあれど不備は何もありませんでした。
ただ私の中に「もっとしてあげたかったな」って感覚が残っているのですね。
思い描いたものより寂しいカタチになってしまっていたからかもしれません。
相方さんのお葬式なのに、彼が一番大切にしてきた世界の
親しい人はだれも居なくて、知らない人の葬儀みたいで。
だって周りは殆ど知らない人ばっかりでしたから。
語られるのは彼の小さな頃の話ばかり。
もちろん、それが悪いわけでもなく、
そこに居る人にとっては大事な思い出です。
ただ相方さんの生きていた世界を語れる人は誰も居ませんでした。
話されているのは過去の思い出で、「今」では無かったからです。
病気になって戦っている彼の傍に居てくれた友達も一人もいませんでした。
私はそれがなんだかとても切なく寂しくて、
せめて俳優として生きぬいた彼のお芝居の一つでも
みんなで語ってあげたかったな、と思ったのでした。
東京での葬儀なら、親しい友達がたくさん来てくれて
彼が俳優としてどんなふうに一生懸命に生きたか、
傍に居てくれた人がみんなで語ってくれたろうに…
と思わずにいられず、私は一生懸命そこには居たけれど、
内心はそれが寂しくて一人ぽつんとしてました。
けれどもありがたい事に葬儀会場では関西の家族や友達が知らない、
東京の親しい人たちからのお花でいっぱいでした。
来られなかった人たちからの弔電が山積みになりました。
会場や御親戚の方が驚くほどでした。
みんな、東京の彼と私の共通の友人たちでした。
みんなが彼の傍に居てくれるようで、少しだけ私は安心したのでした。
そして彼はまるで白雪姫みたいに東京の友人から贈られた
真っ白なお花に囲まれて優しい顔で旅立ちました。
できれば東京のお友達とも一緒に送ってあげたかったです。
あの時、東京の友人たちからのおおきな友情と愛情、
仕事を全てキャンセルして、東京から葬儀についてきてくれたカンナ嬢、
初めてお会いした彼の幼い時からの親友さん二人が傍で支えてくれなければ、
あの寂しさの中で私はきっとダメになっていたかもしれないとも思います。
私はそのくらい孤独でした。
けれども本当に寂しかったのはそれからです。
遺骨は実家で御供養して下さっていましたから、
自宅に戻った私は彼の遺骨とも暮らせなかったのです。
次に彼の遺骨に会った時はもう明日は納骨、という時でした。
私は葬儀の2日後にはいろいろな手続きの為に
こっちに戻らなくてはならなかったのでした。
ほんとうはもう少し、せめて一週間でいい、
彼と居たかった。たとえお骨になったとしても。
でも言えなかったのです。
自分たちが長年暮らした我が家に居ても彼は居ない。
天国に行ってしまったのだからと必死で言い聞かせながら、
一緒に生きたことと確認したくても、それを示してくれる遺骨も傍にはなくて…。
いま、あたしは一人なんだと思わされるばかりで孤独でした。
私はお仕事も彼と一緒にやっていたので、
それこそ、ずっと相方さんの隣に居たし、
必ずお家に帰って来てくれる人だったので、
彼の全てが隣に無いと言うのは初めての事で…。
本当に寂しい時間でした。
本当に自分だけがぽつんと取り残された様な日々でした。
だからほんの一つまみだけですが、わがままを聞いて頂いて
分骨して頂き、ここに一緒に帰って来た時、本当に嬉しかったのです。
彼は今はもう天国に帰ってしまったけれども、
遺骨が傍にあることで、相方さんは私のそばに居たんだ、
一緒にここに暮らして居たんだなって感じられるからです。
分骨にはいろいろな意見があると思うけれども
私には間違いなく、天国の彼と自分を繋ぐもので
心を癒してくれるものになっています。
自分にそんな孤独な時間や出来事もあったせいか、
死別の悲しみという事を以前より考えるようになりました。
bereavementcare(死別に対する癒し)
griefcare(悲嘆に対する癒し)
と呼ばれる物があります。
以前、私は神秘学や霊学を学んでいました。
そこで死生学(サナトロジー)も少しばかり学びました。
死生学は主に各宗教や国に絡んでの死生観を学びます。
その中でビリーブメントケアやグリーフケア、
いわゆるデス・スタディについても学ぶ機会がありました。
私の叔父や祖母は力ある善なる霊能者でした。
そのせいか私自身も多くのスピリチュアルな体験をしながら育ちました。
だから目に見えない世界が存在することや、死後の世界観は疑う余地もなく、
ある程度はっきりとした意見を持ってたりします。
だから善く言われるんですが、
普段から周りに霊能者がたくさん居て、
さらに学問として霊的な事を学んでいるので、
そういう問題にも強い意志を持って対応できるかというと、
私の場合はそんなことはまったくです。
私的にはですが、幾ら霊能力があって、その存在が感じられるにしたって
親しい人の死は絶対的に悲しいものだと思います。
なんせ、死を機にお互いの世界は分かたれて、
決して今までと同じ状況には戻らないからです。
私の場合、お仕事してる人みたいに
何でもかんでもわかるわけじゃないし…。
かなしいものは絶対的に悲しいものです。
このブログではよく書いているので知っている人がほとんどですが、
私は分身であるパートナーを死によって失ったのは2回目です。
身内の死も経験しました。
まさかこんな悲しいことが自分に2度も降りかかるとは思っても見ませんでしたが…。
自分の経験や学びから、死を迎えても、
魂はそこに在って生きていると解ります。
そして今生で魂を見送るほどに私には彼らとの強い絆があったと言う事、
そのことで何か教えてもらうような大事な事があり、
それを人生に生かさなくてはならないのだろうと思います。
そう理解出来るのですが…
「喪う」という悲しみばかりはどうしようもありません。
家族の死と言うものが、どれほど悲しみ深く、
そこから立ち直るのがどんなに大変なことか、
この身を持って知っています。
では実際に死別とはどういうものなのでしょうか?
ある本の中にこういう言葉が書いてあります。
子どもの死 未来を失うこと
配偶者の死 現在を失うこと
親の死 過去を失うこと
友人の死 一部を失うこと
死は残された者にとって、その死をとり込んだ新しい生のはじまりのときでもある。
一生とり去ることのできない悲しみを背負いながら
生きていかなければならないのだが、
悲しみのなかには、看取りや死別後、
他の人から投げかけられた心ない言葉によって
増幅されているものもあるのだ。
『あなたが しっかりしないと』
『どうして もっと早く病気に気が付かなかったの?』
『いつまで悲しんでいても 亡くなった人は喜ばないよ』
『そのうち新しい出会いがあるから』
『亡くなった人は もう還ってこないんだよ』
『時間がすべてを 解決してくれる』
『元気を出して、前向きに頑張って』
思いやり深く、善くつかわれる言葉達。
かけがいのない最愛の人を失ったにもかかわらず、
このような周囲からの言葉は深く心に突き刺さります。
相手の方は、親切心から声をかけてくれたのでしょうけれど、
これほど遺族の心を傷つける言葉もありません。
たとえば、家族の関係が悪かった場合や
たとえば亡くなった人のお嫁さんやお婿さんの家族との間でも
悲しみに対する格差差別が生まれるそうです。
たとえば、「あたしは親だから嫁より悲しい」
「夫で亡くなった妻の隣に居たから、自分が一番悲しい」
つまり、誰がどう悲しいかをそれぞれがランク付けしてしまいます。
その差別意識から言葉を発すると、
当然、批判にしかならないわけですから相手には痛い時があります。
ましてや、亡くなった相手の実の家族から言われる暴言ともとれる言葉です。
家族の死を経験した人は、この家族間の言葉による
言葉や行動にもっとも傷つくと言われています。
多分、後で考えると、言われた気持ちも理由も解るのだと思います。
ですが、この例からも解るように死別の悲嘆から抜け切れていない時、
何でもないことがとても辛いのものなのでしょう。
人はほんとうに繊細なものですから。
私は9年前に10年暮らした以前のパートナーを喪いました。
当時、暮らしていた中で聞いていた曲や映像などは、
今も一人では聞くことも見ることもできません。
一人では劇場のドアを開けることもできず、
思い出のある場所には今も行けません。
どうしても悲しみが襲ってきてしまうのです。
多分、それはとても幸せだったからなんだと思います。
もうニ度とは戻らない幸せな思い出が痛いし辛いのです。
そんな風に相手との絆が強ければ強いほど、
死を乗り越えるのは大変だと思います。
11月に亡くなった相方さんは以前のパートナーの親しい友人でした。
だから以前のパートナーの死やお付き合いを隠すことなく過ごせました。
私の大事な人の死の悲しみを自分の痛みのように感じてくれて、
一緒に考えながら乗り越えてくれた人でした。
その悲しみごと受け止めて愛してくれた人でした。
以前の死によって喪ったもの、触れられなくなったものが多かった私の為に、
私が経験のない新しいものをたくさん与えてくれました。
以前の死があったからこそ、真剣に愛し合えた二人でした。
その相方さんが思い出だけを残して天に召されたのです。
一緒に年を取っていくのだとお互い信じていました。
死から始まって生を約束した相手でした。
それだけ絆が強かっただけに悲しみもつきません。
でも全ての死はそういうものなのかもしれませんね。
悲しみをいやす。
死別の悲嘆をいやす。
その方法がはっきりわかればと思うけれど…。
悲嘆は悲嘆でしか癒せないと言う人もいます。
相手を失ったと言う悲しみ、寂しさという自己憐憫もありますね。
実際、悲しみきらないと光は見えてこないのではないかとも思います。
真っ暗な闇に落ちて初めて光も見えるし、音も聞こえるのかもしれません。
私の場合、以前のパートナーの死に対するグリーフケアは
ぴーちゃんの存在と、パートナーのお母さんの存在、
心を通わした仲間の存在、東京を離れた暮らし、
そして何よりも相方さんと新しい人生を歩んだことでした。
人の存在って言うのはすごいと思います。
人を失った悲しみは人にしか癒せないのかもとも思います。
ひと、というより「いのち」でしょうか。
いのちはいのちによって癒される、そんな気がします。
当時、仲間たちが「どこに居ても魂の家族だ」と言ってくれて
当時やっていたショーカフェの営業も皆が必死で助けてくれました。
それこそ夜は一人にしておくのは危険だからと
とっかえひっかえ泊まりに来てくれたりしました。
パートナーのお母さんも、私の面倒を見てくれるつもりだったけれど
一人息子を亡くし、お一人になって実家に帰らざるをえなくなってしまいました。
ぴーちゃんと二人、旅立たなくてはならなくなりました。
カフェも閉めることになり閉店の為のお金の返済だってたくさんあったのにも関わらず、
私の為に、お母さんは息子の保険金から何から自分の持てるすべてのお金をかき集め、
自分には一円も残さずに、そのお金を私に持たせてくれました。
「あなたがうちの息子の為にしてくれたお金の何十分の一にしかならないけれど、
この半分で息子の為にあなたがこれまで出来なかった親孝行をして頂戴。
そして、残りの半分はあなたの未来の為に使かってね。
そしてあなたは必ず幸せになるのよ。
それが息子とあたしの一番の幸せなんだから」
そう言って涙ながらにお別れして送り出してくれました。
だから私は二人の為にも、仲間の為にも幸せにならなくちゃいけないと
ぼろぼろながらもまっすぐに、迷わずに頑張れたのでした。
そして、そんなボロボロだった私を正面から相方さんが受け止めてくれたのでした。
その後、以前のパートナーのお母さんは、
相方さんを自分の息子の様に一生懸命応援してくれて
最後の時も身体が悪いのを押してお別れに来てくれました。
もう10年がたとうとしています。
でもまだ以前の死からも完全に立ち直れてない自分が居ます。
心にトラウマを抱えるということは大きいことなのだと思います。
そこに今回の相方さんの死への悲しみが覆いかぶさってきます。
また長い道のりが始まるのです。
正直、自分がどうなっていくのかまったく解りません。
今はぴーちゃんの存在や数人の親しい友や家族の存在、
皆さんからいただくメールや言葉の力が大きいですね。
以前も前に進むのに問題はいろいろありましたが、
まだ今より若く元気だったこともありましたし、
以前のパートナーのお母さんの御蔭で経済的な援助も大きく、
在る程度、自分が進みたいところに向かう事ができました。
ですが今回はなんせもういい年ですし、
以前とは取り巻く環境も変わったので
さらにさらにいろんな壁は厚い感じで戸惑いも大きいです。
ただ以前と自分が大きく違うなと感じるのは
亡くなった人との愛のつながりをさらに深く感じることです。
多分、本当に「深く愛しあった関係」だったのでしょう。
今はそれが一番の悲しみのもとで、
一番のグリーフケアになってるのかもしれません。
ただ悩みはあるものの、年齢も重ねたせいか、じたばたはしていないんです。
というか、もうそういう元気がないから出来ないのかも。。。
今は時の流れに添う感じですね。
あきらめているとかでなく
無理をしようという気が起きません。
戻ってきてから家にいる時は昼夜問わずキャンドルをつけるようになりました。
なぜか、キャンドルがついていると落ち着くのです。
教会のミサに参列しているような気分です。
ずっと祈っているような感覚になれます。
これもグリーフケアの一つなのかな。
私は時間がたつほど悲しみが進みやすく、落ち込みやすいのですが、
実は全く一人になるのも初めてなので、不安も大きいのです。
私はずっと家族と暮らし、独立してからは人とシェアをしたり
寮で生活したりしていて、全く一人だった時期が無いのです。
私は皆に言わせれば「孤独感が壮絶」な人間らしく…(;´・ω・)
確かに寂しん坊なので、人が居ないのは超苦手です。
そんな私は恵まれて、これまでずっと一人にはならなくて済んだので
あの寂しさの中でおかしくならずに済んだのかもしれません。
でも今は以前のような人と密接な関係は相方さんとだけだったので
以前のように家に来てくれたりするような親密な人は殆どいません。
いま、本当に一人という環境になってみて、
人が傍に居ると言うのはほんとうにありがたく、
そしてそれはとっても大事なことなんだなって解ります。
なんせ初の一人暮らしです。
正直、自分の状態が不安定でいつどうなるか怖いです。
実際、死別の悲しみには鬱などがあって、
人によっては生命の危険もあるのです。
実際に私はトラウマを抱えがちなタイプ。
不安症で適応障害を抱えているから、ともすれば危険な状況です。
でも、ありがたいことに私は完全な一人ではありません。
ちいさなぴーちゃんが私を守ってくれています。
助けてあげねば一人で生きられないこの子が居るので
彼女を置いて危ないことが起こらないように気をつけています。
だから一人の悲しみに落ち込んでしまわないように、
わざと周りから音がなくならないように
テレビの音声だけ流したり、静かな音楽を流したり、
ご飯を作ったり、お茶をこまめに入れたりして動くのも大事にしています。
出来るだけ相方さんやぴーちゃんに話しかけたり、
そして死別に関するスピリチュアルな本を読んだりするようにしています。
そうすることで死への洞察や生きる気持ちを高い意識にとどめておけるからです。
伴侶の死は現在を失う事
その言葉の通りに私の現在の環境は一変しました。
人とのかかわりは彼の仕事を含めての付き合いが中心だったので
彼のいないいま、今までどおりの生活には戻ることができません。
生活だってこれからを考えて行かねばなりません。
そうなるといま頼れるのは自分の家族や本当に心許せる親しい友です。
そんな人達にメールを送ったりするのも大事だなと思っています。
手紙を書いたり、文章を書くことも大事です。
その行為があることで、自分が居て人もいると思える。
自分がちゃんと生きていて、誰かと関わっている事が確認できるからです。
そういう意味ではこういったネット環境があると言うのは
孤独な人は本当に救われると思います。
誰に話せないことも、こうして語ることができますし、
遠くに居る人とも話すことができます。
隣に居た人を失って、たった一人になると
自分が生きていることすら確かめねば解らない。
相手を愛していればいたほど、孤独は深まり、
そういう気持ちになるのではないかと思います。
だから本当に一人になった時、自分が一人ではない環境を作ることは
本当に本当に大事だなって感じてます。
人は一人では生きていけないっていうのは本当だと思います。
だからグリーフケアの一番大事なところは痛みを癒そうとするよりも、
誰かと心を交わすことが大事じゃないか感じる今日この頃です。
多分、生き残った人間はこの世でまだ課題があるのでしょう。
こんな文章があります。
善い人ほど、早くこの世を卒業してしまいます。
一生懸命に、不器用なほどまっすぐに努力する人。
お人よしで、損ばかりしている人。
背負わなくてもよい、人の苦労ばかり我が身に背負ってしまう人。
自分のことよりも、人のことをまず考えてしまう人。
何より、人に優しい人。
人はそういう人の人生を目の当たりにすると
「可哀想に」とか「不幸だよね」と言います。
でもこの人たちの早すぎる死は、
困難を前にまっすぐに受け止めて生きた人生だからこそ、
もうこの世で修行を重ねる必要がないと神様に認められた証かもしれません。
私もそう思います。
残されたものには悲しみの癒しを含めて
学ぶことがあるのだと思います。
それを学ぶこと自体が真のグリーフケアなのかもしれません。