わたしの父は昭和13年生まれの立派なおじいちゃん。
父は生まれが旧家であることもあり、身近に目にしていた骨董が趣味で
昔から自営業の傍ら日本のアンティーク売買を副業にしてきました。
手先が器用な父と母は共に古美術品の補修やお直しをしたり、
目利きもするので時に「せんせー」などとも呼ばれたりします。
おかげで我が家には昔からなんじゃかんじゃと骨董品があふれており、
古美術に触れてきたので歴史も興味を深く持っている家庭と言えましょう。
中でも生まれてから今日まで家族と暮らしている妹アムさんは
お直しなども手伝ったりしているので、いろんな造詣も詳しい、
時代劇なんか見てても、鎧兜の編み方から時代が解ったり、
焼き物の種類や上掛けの薬や底の形や嵌入の入り具合で値段まで推測、
軍服なんか一目見て士官等級まで判断できてしまう程のつわものでございます~。
そんな家庭なので、常に時代劇と歴史ドキュメンタリーはチェックする我が家。
そんな中で父の最近のお気に入りは韓流ドラマです。
K‐POPも詳しくて特にKARAさんがお気に入りです。
(歌って踊ったりもする、陽気なじいちゃんです^_^;)
父曰く、韓国のドラマは気軽で人情芝居っぽい感じがあえていいんだとか。
そして、特に時代物がいいとおっしゃる。さすがアンティーク商人(笑)
最近は「トンイ」に嵌っているようです(^^)
もちろん、骨董品の手入れをしながら眺めているのもテレビの韓流ドラマ。
観たくなくてもかかっているので(^_^;)知らずの内に目にしてしまいます。
確かに儒教の国であるお隣韓国の時代物はモラル的にも高いものや
なんというか純粋で伝統的な教えの話が多くて学ぶこと多い気がしますね。
今日は「ファン・ジニ」と言うドラマの最終回をやっておりました。
全部は見ることはなかったのですが、向こうでキーセンと呼ばれる
こちらの舞妓さんや芸子さんのような女性のお話の様で
その主人公が盤上波乱の人生の中、舞を極めるまでのドラマの様でした。
ちらりと目にした、その日々の葛藤は相方さんや私の人生に通ずるものが大きくあり、
ときどき、「ああ、そうそう」とうなづくこともありました。
こう言ってしまうと自画自賛の様に聞こえてしまうかもしれませんが(^_^;)
今日もドラマはすべて見ていませんでしたが、ちらっと見たシーンの言葉が
私たち二人の人生をそのまま表しているようでついつい聞き入ってしまいました。
「真に芸に生きる者とは己の悲しみ苦しみを抱えながら、
見るものに喜びを与えるもの。
地獄の中から、己の力で何千回とはい上がらねばならない。
そういう定めなのだ。その人生は平坦であるはずがない。
己を死の淵に追いやっても世の人に喜びをもたらす・・
それが芸に生きるということ。」
自分で言うのも変ですが、私たち二人は多分、
ものすごくストイックに芸術に取り組んでいたと思います。
このジニの言葉は私たちが生きている時の指針でした。
人には究極の趣味だなんだと言われていましたが、
ほんとうにストイックに、芝居をやる為だけに生きていたのです。
人様は生きる為にご飯を食べて、そのご飯を買うために仕事をすると言いますが
我が家では芝居をするために生きなければならないのでご飯を食べ
芝居をする為の命を繋ぐためだけに芝居以外の仕事をして居ました。
芸を生きる以上、そうであるべきだ、という信念がそうさせていました。
私たちにとって演劇と言うものは、生きる為のお金を稼ぐ「道具」ではなく
「命そのもの」であり「生きる意味」であったからです。
ですから、なんにしても演技にかかわることが優先順位一番で
命を繋ぐ為の仕事ですら、すべて芝居に合わせてのスケジュールで組んでいたのです。
それは、生きる為の収入はほんとうに大切なのだけれど、
食べる為の仕事、と言っても、私たちは芸術をベースにしたことしかできない。
そこに比重を置けば、必然的に其れにもまた真剣に力を使ってしまう。
そうすると、一番にやりたい芝居に生きる時間が削られてしまう。
生活は楽になるかもしれないが、それを安心感にするという事は
私たちに取って、演劇に生きる時間を自ずから手放すことでありました。
そういう俳優としての自分を甘やかす環境に置きたくない、
というほんとうに真剣な切実な思いあっての事でした。
だから、本当に生活は大変だったし、苦しいこともありましたが
私たちは芸術で生きることがただ一つの目標であったので、
家族や誰に何を言われても、そこには一切妥協をしませんでした。
そして、それをあたり飴と思っていたので、苦労には思いませんでした。
命をかけた世界をなおざりにして、お金を得て楽をする生活を選ぶ方が
私たちにとっては、とても恥ずかしいことでしかなかったのです。
こういう感覚はなかなか理解されないかもしれませんね。
これを読んでも不思議に思う方もいるでしょう。
もちろん、ほかに出来ることがなかったわけでもありませんが
ただ私の相方さんも私も、出来ることのすべての根本が芸術にあり、
だから、それを適当に行ってお金を得ることは出来なくて。
そういう事が簡単に出来る方もいるとは思いますが
努力しても私たちにはそれが出来なかったのですね。
不器用と言うのか…。
まあ、「芸術家」として生きるには向いているかもしれないけれど
「才能を商売する」には向いていないって事でしょうかね(^_^;)
特に周りは相方さんは絵も描けるし、手先も器用だし、
あなたもいろいろできるし、それをなんでやんないの?
と思ってとことん不思議だったのでしょう(^_^;)
周りから見ればやれることをやってないように見えて
そりゃあ、何にもしないように見えてたんでしょね~。
でも、無理だったんですよね。まったく無理な話でした。
私たちのできる仕事は(やりたいものは)
常に芸術心を伴うものでなくてはならなかったのです。
だから、それをやろうとすると、真剣に取り組まざるを得なくなる。
でも、一番にやりたいことは芝居だったので。
その時間が削られることは何よりも辛かったのです。
だから、その時間が削られることは、何もしたくなかった。
その時間があるなら、演劇の為に使いたい、そう思ってました。
たとえ、その時間が世間から見て当たり前の事であったり、
それをすることが幸せだという事であっても。
だから、たくさんのものを犠牲ではなく、捧げる気持ちで見送りました。
実家に帰るお金があれば、演劇のレッスンに使ったし、
出来る限り質素にして、その分を自分たちの命のために使いました。
その為に両方の家族には寂しい思いをさせてしまったかもしれませんが
私たちは演劇の世界で、一つの世界を完成させることが
家族をはじめ、お世話になった方へ、感謝を返すことと考えて
ひたすらにひたすらにストイックに世界に生きていました。
これもね、人様には理解してもらえないことかもしれません。
事実、相方さんの家族にも何でそこまでしなくちゃいけないの?
と言われたこともありました。
普通一般の生活をされている方から見ればそう思って当然でしょう。
人は「生活するために生きている」世界に居るのですから。
私たちを理解するには難しい世界です。
そういうご家族の気持ちも重々理解できました。
それで、二人、申し訳なさに苦しんだこともありました。
けれど、どうしても、そうでなくてはならない二人だったのです。
恵まれて、私の実家は母も元女優、父も画家に俳優、歌手と
若き日に私たちと同じ世界に生きて居たのですが、
生きる為にはその世界をあきらめなければならなかった過去もあり、
その世界を全うしたいと言う私たちの気持ちを良く理解してくれました。
生きることに負けて、生活を選んでしまったら、そこで終わりと
私の両親はわかっていたからではないかと思います。
それが私たちに取っては大きな支えでもありました。
そういう理解がある環境の私と比べて
相方さんは周りに理解の壁が多く、辛そうでした。
「あんじゅはいいなぁ。親も友達もそういう理解があって。
すごくうらやましいよ。」
いつもそういってました。
そういう意味では、私のような弱いものであっても
同志がいて善かったと思ってくれていた気がします。
とにかく私たちなりに真面目に芸術を真剣に生きていましたね。
その真剣さの度合いは多分、周りには見えていなかったので
きっと、いい加減に生きているようにも見えたのでしょうね。
相方さんは独自の演技を突き詰めるやり方を持っていましたが
それは、目に見える方法ではなかったので、
いろんな人や、四季に居た時なんかでも「稽古してない」
と言う風に周りに一方的に思われていて、とても辛かったそうです。
ですが本人は病気になるくらい、真剣に取り組んでいるのですね。
そのレッスンとはとてもハードなものですが周りは知りません。
私は、その相方さんの在り方を隣で見ていましたが
周りのやり方とのギャップがあり、彼はなかなか理解されず
そのことが彼のみならず私自身も苦しくありました。
でも、その苦しみがあってこそ、彼の芝居は劇場で花を開かせるので
多分、唯一、その彼のやり方の真意を理解していた私は
本番まで一緒に耐えるのが、一つの仕事でもありました。
相方さんとはそのような純粋さで生きている人でした。
人から見れば、馬鹿にされたり、甘いと言われることかもしれません。
けれども、私にはどんな困難があっても、
自分の意志ですべてに白黒の答えを出し、
自分自身の生き方に迷いのない相方さんが心から誇りでした。
そんな相方さんや私にいろいろ言ってくる人は多かったけれど
たとえ、どんなに生活が豊かであれ、生きる為に自分の信念すら
簡単に手放せてしまう人など何の価値も感じませんでした。
そういう人は自分の夢にすら命を懸ける勇気のない人だと思うからです。
ある意味、そういう価値観の人に何を言われても善かったのです。
忘れられないことがあります。
ある時、ある場所で私たちの仕事が俳優であると聞いた人が
私に向かって、とても馬鹿にしたようにこういいました。
「芝居なんて究極の趣味じゃないか。」
相方さんは私の代わりに穏やかに笑ってこういいました。
「はい、趣味です。
でも僕らはその趣味に命も人生もすべてかけているんです。
僕らは芝居をするために生きているんです。
その為に仕事もしてご飯も食べるんです。
その芝居をするためには死すら怖くありません。
芝居が出来なくなったら僕らは生きていないのと同じですから。」
そのまっすぐな言葉に相手は口をつぐみました。
そして、相方さんの真剣さに心から打たれたようで、
帰りには
「いや、こんなに真剣に生きている若い人らもいるんだね。
それから言ったら俺なんか全然中途半端だなぁと思ったよ。
だって、俺にはそんな生き方をする勇気がないもんなぁ。」
と言ってくださいました。
2006年の夏の事でした。
そこまで、こうやって生きてこれたのには、
相方さんにも私にも揺るがない「確信」があったからだと思います。
その世界に生きることが天の意志であり、与えられた才能である、と。
それを生かすことが生きることだと。
その為に、私たちは、それぞれの人生を歩んできたのだとわかります。
関わってきた全てが、その「生命」の為に選んだものだったのです。
人との出会いも、絵を学んだことも、手しごとが好きなことも
その時を生きているときは真実に思えていたけれど
蓋を開ければ、すべて「演劇」と言う世界のために培った事なのだと。
だから、周りから「絵を描けば」「てしごとすれば」と言われて
それを仕事にはしなかったのです。
それは演劇をするための支えにすべきもので、
自分たちの命にするものではないと解っていたからですね。
相方さんは優しい人でした。
これまでの人生に力を貸してくださった方には
特に恩義があるので、そんなことは誰にも言わなかったでしょうけれど
本当はいつもそう思っていて、私にはそういっていました。
「ただひたすらに俳優として生きたい。それだけが願い。」
そして私も、同じように思っていました。
韓流ドラマのファン・ジニという女性舞踊家は
韓国随一の舞手として実在した人だそうですが
本当に苦しみの多い人生の連続の中、
その生きざまを自らの誇りとして
一生を素晴らしい舞手として過ごされたそうです。
ドラマの最後は民衆の中で舞い踊る彼女のこのような独白で終わりました。
「私が思い描くのは、皆が共に舞える楽しい世の中。
例え残された日々がわずかでも、今日のように舞い続けよう。
人々の顔に広がる笑みと喜び。
その尊い心付けが苦しみを乗り越える力となる限り、
舞は・・舞はまだ終わっていない。
そう、永遠に終わらない・・」
ふと、天の劇場で晴れやかに舞台に立つ相方さんを思いました。
この世は天の写し世で、この世界にあるものは等しく存在し
しかも、それが素晴らしく高尚なものだそうです。
この世で磨いた才能は天において、また生かされ、
そして本人が納得するまで精進を続けると言います。
相方さんも私もまた、ファン・ジニさんや多くの芸術家と同じ
人間としての結婚の前に、芸術と魂の結婚をした身です。
(私たちは、そう思って、そう言い合っていました^^)
きっと相方さんは今日も終わらない芸の道を
彼の目指した演技という目標に向かって歩んでいる気がしています。
地上の人の想いは天の人の生きる力になるんだとか。
天と地、離れてしまいましたが、私は今日もそんな相方さんを応援したいと思います。
私は、すっかり芸事から離れてしまいましたが、
その魂は決して捨てていません。
それを捨てたら、私ではなくなるからです。
と言うより、それは私の中からなくなってしまうものではないのです。
命ですから。
この命を手放すことは、愛する人との縁も切ることです。
この命の価値観会ってこそ結ばれた二人だったのですから
これだけは手放さずに生きていきたいと思います。
芸術に生きた私のこれまでの人生は、今後がどんなものであっても
必ず私に、そして周りの方に、力を与えてくれるものと信じています。
相方さんもきっとそう思ってくれているでしょう。
ですから、これからも生きる術と言うものを考える時
自分の大事にしているものを芯に置いたものをやっていきたいと思っています。
今は手しごとなどをして、生活の足しにしていますが
これも、私の中では、演劇の世界につながるものなのです。
と言うか、生きることのすべてが、私たちに取ってはそうであるのでしょう。
そして、私自身もこの世であなたにとって何が大切なものか?
と問われたなら、ドラマのファン・ジニさんの様に
「私の流した涙を笑いに変えていきたいと願ったこの私をあげられたらと思います。
芸に生きる者として、残された日々を最後まで常に初心を忘れず生きていこうと思います。」
そういう風に答えられる生き方をしたいと思います。
多分、相方さんもそう思って、今を生きている気がしています。
父は生まれが旧家であることもあり、身近に目にしていた骨董が趣味で
昔から自営業の傍ら日本のアンティーク売買を副業にしてきました。
手先が器用な父と母は共に古美術品の補修やお直しをしたり、
目利きもするので時に「せんせー」などとも呼ばれたりします。
おかげで我が家には昔からなんじゃかんじゃと骨董品があふれており、
古美術に触れてきたので歴史も興味を深く持っている家庭と言えましょう。
中でも生まれてから今日まで家族と暮らしている妹アムさんは
お直しなども手伝ったりしているので、いろんな造詣も詳しい、
時代劇なんか見てても、鎧兜の編み方から時代が解ったり、
焼き物の種類や上掛けの薬や底の形や嵌入の入り具合で値段まで推測、
軍服なんか一目見て士官等級まで判断できてしまう程のつわものでございます~。
そんな家庭なので、常に時代劇と歴史ドキュメンタリーはチェックする我が家。
そんな中で父の最近のお気に入りは韓流ドラマです。
K‐POPも詳しくて特にKARAさんがお気に入りです。
(歌って踊ったりもする、陽気なじいちゃんです^_^;)
父曰く、韓国のドラマは気軽で人情芝居っぽい感じがあえていいんだとか。
そして、特に時代物がいいとおっしゃる。さすがアンティーク商人(笑)
最近は「トンイ」に嵌っているようです(^^)
もちろん、骨董品の手入れをしながら眺めているのもテレビの韓流ドラマ。
観たくなくてもかかっているので(^_^;)知らずの内に目にしてしまいます。
確かに儒教の国であるお隣韓国の時代物はモラル的にも高いものや
なんというか純粋で伝統的な教えの話が多くて学ぶこと多い気がしますね。
今日は「ファン・ジニ」と言うドラマの最終回をやっておりました。
全部は見ることはなかったのですが、向こうでキーセンと呼ばれる
こちらの舞妓さんや芸子さんのような女性のお話の様で
その主人公が盤上波乱の人生の中、舞を極めるまでのドラマの様でした。
ちらりと目にした、その日々の葛藤は相方さんや私の人生に通ずるものが大きくあり、
ときどき、「ああ、そうそう」とうなづくこともありました。
こう言ってしまうと自画自賛の様に聞こえてしまうかもしれませんが(^_^;)
今日もドラマはすべて見ていませんでしたが、ちらっと見たシーンの言葉が
私たち二人の人生をそのまま表しているようでついつい聞き入ってしまいました。
「真に芸に生きる者とは己の悲しみ苦しみを抱えながら、
見るものに喜びを与えるもの。
地獄の中から、己の力で何千回とはい上がらねばならない。
そういう定めなのだ。その人生は平坦であるはずがない。
己を死の淵に追いやっても世の人に喜びをもたらす・・
それが芸に生きるということ。」
自分で言うのも変ですが、私たち二人は多分、
ものすごくストイックに芸術に取り組んでいたと思います。
このジニの言葉は私たちが生きている時の指針でした。
人には究極の趣味だなんだと言われていましたが、
ほんとうにストイックに、芝居をやる為だけに生きていたのです。
人様は生きる為にご飯を食べて、そのご飯を買うために仕事をすると言いますが
我が家では芝居をするために生きなければならないのでご飯を食べ
芝居をする為の命を繋ぐためだけに芝居以外の仕事をして居ました。
芸を生きる以上、そうであるべきだ、という信念がそうさせていました。
私たちにとって演劇と言うものは、生きる為のお金を稼ぐ「道具」ではなく
「命そのもの」であり「生きる意味」であったからです。
ですから、なんにしても演技にかかわることが優先順位一番で
命を繋ぐ為の仕事ですら、すべて芝居に合わせてのスケジュールで組んでいたのです。
それは、生きる為の収入はほんとうに大切なのだけれど、
食べる為の仕事、と言っても、私たちは芸術をベースにしたことしかできない。
そこに比重を置けば、必然的に其れにもまた真剣に力を使ってしまう。
そうすると、一番にやりたい芝居に生きる時間が削られてしまう。
生活は楽になるかもしれないが、それを安心感にするという事は
私たちに取って、演劇に生きる時間を自ずから手放すことでありました。
そういう俳優としての自分を甘やかす環境に置きたくない、
というほんとうに真剣な切実な思いあっての事でした。
だから、本当に生活は大変だったし、苦しいこともありましたが
私たちは芸術で生きることがただ一つの目標であったので、
家族や誰に何を言われても、そこには一切妥協をしませんでした。
そして、それをあたり飴と思っていたので、苦労には思いませんでした。
命をかけた世界をなおざりにして、お金を得て楽をする生活を選ぶ方が
私たちにとっては、とても恥ずかしいことでしかなかったのです。
こういう感覚はなかなか理解されないかもしれませんね。
これを読んでも不思議に思う方もいるでしょう。
もちろん、ほかに出来ることがなかったわけでもありませんが
ただ私の相方さんも私も、出来ることのすべての根本が芸術にあり、
だから、それを適当に行ってお金を得ることは出来なくて。
そういう事が簡単に出来る方もいるとは思いますが
努力しても私たちにはそれが出来なかったのですね。
不器用と言うのか…。
まあ、「芸術家」として生きるには向いているかもしれないけれど
「才能を商売する」には向いていないって事でしょうかね(^_^;)
特に周りは相方さんは絵も描けるし、手先も器用だし、
あなたもいろいろできるし、それをなんでやんないの?
と思ってとことん不思議だったのでしょう(^_^;)
周りから見ればやれることをやってないように見えて
そりゃあ、何にもしないように見えてたんでしょね~。
でも、無理だったんですよね。まったく無理な話でした。
私たちのできる仕事は(やりたいものは)
常に芸術心を伴うものでなくてはならなかったのです。
だから、それをやろうとすると、真剣に取り組まざるを得なくなる。
でも、一番にやりたいことは芝居だったので。
その時間が削られることは何よりも辛かったのです。
だから、その時間が削られることは、何もしたくなかった。
その時間があるなら、演劇の為に使いたい、そう思ってました。
たとえ、その時間が世間から見て当たり前の事であったり、
それをすることが幸せだという事であっても。
だから、たくさんのものを犠牲ではなく、捧げる気持ちで見送りました。
実家に帰るお金があれば、演劇のレッスンに使ったし、
出来る限り質素にして、その分を自分たちの命のために使いました。
その為に両方の家族には寂しい思いをさせてしまったかもしれませんが
私たちは演劇の世界で、一つの世界を完成させることが
家族をはじめ、お世話になった方へ、感謝を返すことと考えて
ひたすらにひたすらにストイックに世界に生きていました。
これもね、人様には理解してもらえないことかもしれません。
事実、相方さんの家族にも何でそこまでしなくちゃいけないの?
と言われたこともありました。
普通一般の生活をされている方から見ればそう思って当然でしょう。
人は「生活するために生きている」世界に居るのですから。
私たちを理解するには難しい世界です。
そういうご家族の気持ちも重々理解できました。
それで、二人、申し訳なさに苦しんだこともありました。
けれど、どうしても、そうでなくてはならない二人だったのです。
恵まれて、私の実家は母も元女優、父も画家に俳優、歌手と
若き日に私たちと同じ世界に生きて居たのですが、
生きる為にはその世界をあきらめなければならなかった過去もあり、
その世界を全うしたいと言う私たちの気持ちを良く理解してくれました。
生きることに負けて、生活を選んでしまったら、そこで終わりと
私の両親はわかっていたからではないかと思います。
それが私たちに取っては大きな支えでもありました。
そういう理解がある環境の私と比べて
相方さんは周りに理解の壁が多く、辛そうでした。
「あんじゅはいいなぁ。親も友達もそういう理解があって。
すごくうらやましいよ。」
いつもそういってました。
そういう意味では、私のような弱いものであっても
同志がいて善かったと思ってくれていた気がします。
とにかく私たちなりに真面目に芸術を真剣に生きていましたね。
その真剣さの度合いは多分、周りには見えていなかったので
きっと、いい加減に生きているようにも見えたのでしょうね。
相方さんは独自の演技を突き詰めるやり方を持っていましたが
それは、目に見える方法ではなかったので、
いろんな人や、四季に居た時なんかでも「稽古してない」
と言う風に周りに一方的に思われていて、とても辛かったそうです。
ですが本人は病気になるくらい、真剣に取り組んでいるのですね。
そのレッスンとはとてもハードなものですが周りは知りません。
私は、その相方さんの在り方を隣で見ていましたが
周りのやり方とのギャップがあり、彼はなかなか理解されず
そのことが彼のみならず私自身も苦しくありました。
でも、その苦しみがあってこそ、彼の芝居は劇場で花を開かせるので
多分、唯一、その彼のやり方の真意を理解していた私は
本番まで一緒に耐えるのが、一つの仕事でもありました。
相方さんとはそのような純粋さで生きている人でした。
人から見れば、馬鹿にされたり、甘いと言われることかもしれません。
けれども、私にはどんな困難があっても、
自分の意志ですべてに白黒の答えを出し、
自分自身の生き方に迷いのない相方さんが心から誇りでした。
そんな相方さんや私にいろいろ言ってくる人は多かったけれど
たとえ、どんなに生活が豊かであれ、生きる為に自分の信念すら
簡単に手放せてしまう人など何の価値も感じませんでした。
そういう人は自分の夢にすら命を懸ける勇気のない人だと思うからです。
ある意味、そういう価値観の人に何を言われても善かったのです。
忘れられないことがあります。
ある時、ある場所で私たちの仕事が俳優であると聞いた人が
私に向かって、とても馬鹿にしたようにこういいました。
「芝居なんて究極の趣味じゃないか。」
相方さんは私の代わりに穏やかに笑ってこういいました。
「はい、趣味です。
でも僕らはその趣味に命も人生もすべてかけているんです。
僕らは芝居をするために生きているんです。
その為に仕事もしてご飯も食べるんです。
その芝居をするためには死すら怖くありません。
芝居が出来なくなったら僕らは生きていないのと同じですから。」
そのまっすぐな言葉に相手は口をつぐみました。
そして、相方さんの真剣さに心から打たれたようで、
帰りには
「いや、こんなに真剣に生きている若い人らもいるんだね。
それから言ったら俺なんか全然中途半端だなぁと思ったよ。
だって、俺にはそんな生き方をする勇気がないもんなぁ。」
と言ってくださいました。
2006年の夏の事でした。
そこまで、こうやって生きてこれたのには、
相方さんにも私にも揺るがない「確信」があったからだと思います。
その世界に生きることが天の意志であり、与えられた才能である、と。
それを生かすことが生きることだと。
その為に、私たちは、それぞれの人生を歩んできたのだとわかります。
関わってきた全てが、その「生命」の為に選んだものだったのです。
人との出会いも、絵を学んだことも、手しごとが好きなことも
その時を生きているときは真実に思えていたけれど
蓋を開ければ、すべて「演劇」と言う世界のために培った事なのだと。
だから、周りから「絵を描けば」「てしごとすれば」と言われて
それを仕事にはしなかったのです。
それは演劇をするための支えにすべきもので、
自分たちの命にするものではないと解っていたからですね。
相方さんは優しい人でした。
これまでの人生に力を貸してくださった方には
特に恩義があるので、そんなことは誰にも言わなかったでしょうけれど
本当はいつもそう思っていて、私にはそういっていました。
「ただひたすらに俳優として生きたい。それだけが願い。」
そして私も、同じように思っていました。
韓流ドラマのファン・ジニという女性舞踊家は
韓国随一の舞手として実在した人だそうですが
本当に苦しみの多い人生の連続の中、
その生きざまを自らの誇りとして
一生を素晴らしい舞手として過ごされたそうです。
ドラマの最後は民衆の中で舞い踊る彼女のこのような独白で終わりました。
「私が思い描くのは、皆が共に舞える楽しい世の中。
例え残された日々がわずかでも、今日のように舞い続けよう。
人々の顔に広がる笑みと喜び。
その尊い心付けが苦しみを乗り越える力となる限り、
舞は・・舞はまだ終わっていない。
そう、永遠に終わらない・・」
ふと、天の劇場で晴れやかに舞台に立つ相方さんを思いました。
この世は天の写し世で、この世界にあるものは等しく存在し
しかも、それが素晴らしく高尚なものだそうです。
この世で磨いた才能は天において、また生かされ、
そして本人が納得するまで精進を続けると言います。
相方さんも私もまた、ファン・ジニさんや多くの芸術家と同じ
人間としての結婚の前に、芸術と魂の結婚をした身です。
(私たちは、そう思って、そう言い合っていました^^)
きっと相方さんは今日も終わらない芸の道を
彼の目指した演技という目標に向かって歩んでいる気がしています。
地上の人の想いは天の人の生きる力になるんだとか。
天と地、離れてしまいましたが、私は今日もそんな相方さんを応援したいと思います。
私は、すっかり芸事から離れてしまいましたが、
その魂は決して捨てていません。
それを捨てたら、私ではなくなるからです。
と言うより、それは私の中からなくなってしまうものではないのです。
命ですから。
この命を手放すことは、愛する人との縁も切ることです。
この命の価値観会ってこそ結ばれた二人だったのですから
これだけは手放さずに生きていきたいと思います。
芸術に生きた私のこれまでの人生は、今後がどんなものであっても
必ず私に、そして周りの方に、力を与えてくれるものと信じています。
相方さんもきっとそう思ってくれているでしょう。
ですから、これからも生きる術と言うものを考える時
自分の大事にしているものを芯に置いたものをやっていきたいと思っています。
今は手しごとなどをして、生活の足しにしていますが
これも、私の中では、演劇の世界につながるものなのです。
と言うか、生きることのすべてが、私たちに取ってはそうであるのでしょう。
そして、私自身もこの世であなたにとって何が大切なものか?
と問われたなら、ドラマのファン・ジニさんの様に
「私の流した涙を笑いに変えていきたいと願ったこの私をあげられたらと思います。
芸に生きる者として、残された日々を最後まで常に初心を忘れず生きていこうと思います。」
そういう風に答えられる生き方をしたいと思います。
多分、相方さんもそう思って、今を生きている気がしています。