KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

Matilda The Musical~GWは本とミュージカルいかがでしょ?

2012-04-27 | 演劇、ミュージカル、エンターテイメント


《実家の隣に立っている大きな銀杏の木。いったい何メートルあるのだろう》

今日の南国は快晴でした(^^)
もうすっかり夏の日差しになりつつあります。

ちびさんとちびちびさんたちはお元気です(^-^)



《お庭の王様*まろくん(笑)緑に映えますわ》

 

《庭を駆け回るまろくんを見守るピーちゃんとピピちゃん》
《こもれびの光を追いかけるピーちゃん》




《ちびちびたちは赤ちゃんから「赤さん」くらいに成長》
《あっちこっち這い回っては、変なところに潜り込んで寝ています(^_^;)》


 

《でもまだお母さんとおっぱいなしでは生きられませんの(笑)》




《二男の心児(ここ)ちゃんがこの花の下でみんなの事を見守っています》
《この花、他のところの同じ花は、随分前にみんな花が散ったのに》
《なぜかここだけ一向に花が枯れないのです》



さて気が付けば、もうゴールデンウィークなんですねぇ。
ゴールデンウィークって言うと子ども達ってイメージ。
子どもの日があるからかな?皆さんは子ども達と一緒に
どこかに遊びに行ったり、何か観に行ったりしますか?
昔はこどもの日くらいになるNHKなんかで
劇団四季の子供ミュージカルを放送してました。
そんな番組を楽しみにする子供時代でした。

さて5月が過ぎ、6月になると、海の向こうのアメリカではトニー賞が発表されます。
日本では映画の最高峰を決めるアカデミー賞は有名ですよね。
ゴールデングローブやらなんやらと色々あるのでよくわかんない人もいると思いますが
これのテレビ番組の最高峰を決めるのがエミー賞で、
舞台芸術の最高峰を決めるものが「トニー賞」です。
ちなみにアメリカで舞台と言えば、NYのブロードウェイが有名ですね。
で、これはアメリカのお話。

同じようにイギリスでも舞台と言えばロンドン、ウエストエンドが有名、
このイギリスにも同じような賞がありまして、
先日、アメリカのトニー賞にならぶ舞台芸術の祭典
「ローレンス・オリヴィエ賞」の発表がございましたのです。

その栄誉ある賞を今年勝ち取ったのはこの作品
「Matilda The Musical」です。

映画「リトル・ダンサー」を舞台化した「ビリー・エリオット」に続いて
今度は少年ならぬ、少女ものが勝ち取りました。
「マチルダ」は「チャーリーと不思議なチョコレート工場」を書いた
ロアルド・ダールの児童文学作品です。

4歳とちょっとで図書館の本を読みつくした少女マチルダ。
でも両親は詐欺師まがいの父親と遊び狂いの母親、
子どもにはレンジでチンのTVディナーばかりを食べさせ、
自分たちはテレビの娯楽番組ばっかり見ていて
本を読むマチルダを見ては本しか読まないろくでなしと馬鹿にする最低の親。
自分たちの価値観のみの中で生きている両親は
マチルダの持っている大きな才能には全く気が付きません。

そんなマチルダが待ちに待った5歳になり小学校に入り
たった一人の大人の味方のミス・ハニーと仲間たちと一緒に
横暴な校長先生や自分の親、つまり運命と戦うお話し。

まあ、どんな仕上がりになっているかはクリップをご覧あれ。
子どもの出演するミュージカルだからって、どっかの国とはレベルが違うんです(^_^;)

Matilda The Musical



Revolting Children Matilda the Musical



ね、子ども達と一緒に、子どもに戻って観たくなったでしょう?
こういうどんな年齢の子たちでも見られるような作品が
小さな町でも見られるような、そんな世の中になればいいのになぁ。
ずっとそう思っていますが、日本はなかなかそんな風にはなりませんね。
それどころか生きていくのも難しい世の中になりつつあり
そのうち、こういうものは無くなっちゃうんじゃないかって
そう思っちゃうくらいで、それがとっても残念な今日この頃です…。

このマチルダ、私はとっても好きなお話です。
邦題は「マチルダは小さな天才」と言います。
映画もありますよ。

なんで好きかっていうと自分とかぶるから。
私もなぜか3歳で本が読めるようになり、
5歳までには普通の大人の読む小説くらいは読めるくらいになりました。
母の家庭画報やら主婦の友やら、訳版のタイム誌やら読み漁る変な子どもで
小学校とかでは図書館の本をそれこそ全部読んで表彰されたことがあり、
それでも読み足りず、廃本を置いてある倉庫に電気引いてもらって
閉校の時間、暗くなるまで昔の少年少女小説やら
文学書やらと、ただひたすら本を読んでいました。

でも、ありがたいことに私の親は「本ばっかり読んで!」
とはまったく言わず、お金のあるうちは毎日、本を買い与えてくれて、
お金が無くなってからも、いろんな所から本を持ってきてくれて
好きなだけ本の世界に遊ばせてくれたので嬉しかったです。
おかげで今も本が一番の宝物だなぁ~。

一度読んだ本は捨ててしまうという人がいるけど、
私は本は殆ど捨てることがありません。
何故なら、本は自分の心の度合いで印象が変わるからです。
書いてあることが同じでも、読み手のココロ次第で変わるのです。
捨てるなんてもったいない。自分の過ごした時間を捨てるようなもの。
だから、自分と向き合うためにも、時を置いて
同じ本をじっくりと読まれることをお勧めしたいです(^^)

まあ、そのおかげで、今も私の部屋は本でぎっしりですが(^_^;)
多分、何百冊?千冊は軽く超える気がする…(・。・;
でも、それでも、相当あげちゃうんで、随分減ったんですけどね~。
アンド…本をすごい読んでたからって頭いいわけでも
大人になって偉くなれたわけでもなし…(;一_一)

でも本を読んだおかげで世界は確実に広がったし、
沢山の人の意志を知ったから、人の魂から出てくるものの美しさや、
同じように自分の意思を持つことが出来るようになりました。
それは自分が良かったなぁと思う事の一つです。

マチルダを見てて、やっぱ本っていいなぁ~。
ミュージカルっていいなぁ~、と、思っちゃいましたね~。
だって大切なものがぎゅうっと詰まってる。
しかもそれがとても分かりやすい形でそこにある。

なにかひとつ、本や舞台や映画、音楽、
そんなことに触れてみるお休みもいいかもですね。
私もそうしよう~(^^)

長いお休み、皆様もどうかお身体休めながら
出来るだけ楽しくお過ごしくださいね。


あと3年・・・日本に住めなくなる日~中部大・武田教授のブログから

2012-04-27 | KOFUKU日記


《この青い空と緑が絶えないことを祈ります》


テレビなどでもおなじみの中部大学・武田邦彦さんの
今日付けのブログをお友達がシェアしてくださいました。
ちょっと衝撃的なタイトル、内容です。

今はがれき問題や汚染の問題がありますが
そういった問題をどうとらえるべきか
一つの答えとなりそうな内容でもありました。

私としては、この日本が住めない国とならないように、
子どもが、すべての人が健康でいられるようにと願い、
相方さんの様な白血病になる方が亡くなるように祈りつつ、
自分にできることをまずしっかりとしていきたいと思います。


****************************

あと3年・・・日本に住めなくなる日 2015年3月31日
中部大学 武田邦彦


ある読者の方が線量計を持っておられて、それを使って
毎日、定点観測を続け、その結果をお送りいただいた。

測定は毎日、朝は職場、夕はご自宅玄関前、夜は自宅居間就寝前
の3回の測定を標準として、その平均値を整理しておられます。
場所は三重県です。


それをグラフにプロットしてご自宅付近の放射線量の変化を見ておられます。
科学的に正確でデータもシッカリして、これこそ「被曝の問題を日本人一人一人で取り組み、
より安全な生活を目指そう」という活動のなかですばらしいものと思います。


データの詳細は別にして、昨年の9月頃より三重県の放射線量はわずかならが上がっていて、
一次方程式(y=ax+b)で書けば、今年の1月から3月までの平均がb
(つまりおおよその最初の状態)が毎時0.10マイクルシーベルト、
a(変化)が0.004(マイクロシーベルト/日)です。


もちろんデータは個人が測定したもので、ある場所に限定されますし、
また最小自乗法でaやbをだされていますが、それも科学的には問題はありません。


これから計算しますと、若干の内部被曝なども加味して、
三重県の外部からの被曝が1年5ミリになるのは、
2012年1月から3年4ヶ月後となります。
つまり、2015年4月1日になると、三重県には住めなくなるという計算結果です。

・・・・・・・・・

「人を脅すようなことを言うな!」
というおじさんの声が聞こえてきそうですが、脅したりだましたりしている訳ではありません。
戦争で言えば、ミサイルが飛んできたとか、何時に日本列島に到着するという計算をして、
その結果をそのままお伝えしているだけです。

NHKは「台風の進路、いつ頃台風が来るか」を放送しますが、それと同じです。
台風より緊急性が高いかも知れませんし、台風の進路予想より確実性も高いかも知れません。


1年5ミリというと成人男子でも白血病になったら「労災」が適応される線量です。
つまり、日本国は「1年5ミリの被曝を受けたら、白血病になる」と認定してきたのです。
もちろん、現在の日本政府は知らない顔をするでしょうが、これは厳然とした事実なのです。

また電力会社の従業員も1990年ぐらいから1年1ミリに自主規制してきているのですから、
1年5ミリの場所に子供も一緒に住むわけにはいきません。

また、三重県はほぼ日本の平均的な線量率ですから、
ほぼ日本に住めなくなることを意味しています。

このブログでも再三、書いてきましたし、
国会の委員会でも参考人で述べましたが、
「福島の除染、汚染された野菜、瓦礫の運搬」
を続けていると、日本には住めなくなります。

福島原発から漏れた量が80京ベクレルであること、
これは日本に拡散したら日本が住めなくなる数字であることを認識し、
政府、自治体、電力は本腰になって日本列島を汚染されないように全力で取り組んでください。

(平成24年4月27日)

週末の我が家

2012-04-23 | KOFUKU日記
新しい週の幕開けです。
今日は快晴。素晴らしいお天気です。
お隣の銀杏の大木も緑になりました。

 

《さわやかな色合い~、花壇のカモミールも花をつけました!》

なのに、ウランが一杯の岩国の事故汚染が気になってしまいます。
はぁ~、心配だ(-_-;)

気を取り直し、週末、関東に出稼ぎの弟(;´∀`)が
何を思ったのか(笑)急に彼女と愛犬を連れて帰ってきました。
こちらにはまだ愛犬と泊まれるホテルがないらしく(;^ω^)
愛犬君は2日間、我が家でお預かりです。
愛犬ちゃっぴぃ君はタイニートイプードル。
2キロの超チッコイ、愛嬌のある黒プーくんです。



《甥っ子ちび君とちゃっぴいくん*すぐ仲良しさんに》

そして、新参者にいじける、まろ兄貴(;^ω^)



《オレのほうが黒さでは勝ってんのにぃ。オレ、いじけてやる》


ピーちゃん、ぴぴちゃんは2人してチャッピィくんを追い掛け回すので
いじめ撲滅のために赤ちゃんと2階のお部屋にて過ごすことに…
まあ、仕方あるまい(;・∀・)



《ぴぐねぇたん、あの黒いのなんだったんでちょうね?》
《犬のくちぇにあたちたちの家に断りもなくあがりこんで、しちゅれいでちゅわ!》

そんなこんなでお陰様で賑やかな週末となりました(笑)


そして週末、ちびちびさんたちも急成長を遂げました。
ろまくんとみやちゃんの目が開きました!
ふうくんも少し目が開いてきた様子です~。


 

《ろまくんのおめめが開いてきましたよう~》




《むふ~~~~~》

 

《かめらはこっちでちゅか??(笑) ふうくんはおネンネ》
《みやちゃんには写メ拒否されましたわ…(;´∀`)》


今日はシーツを繕っております。
今日も一日頑張ります。
みなさんも良き一日でありますように


2,3秒のちから

2012-04-21 | KOFUKU日記
今夜の南国はかなり強風が吹いております。

こちらは早くも初夏を迎え、街はバラのシーズンを迎えています。
たくさんの家の窓辺やお庭で薔薇が誇るように咲いています。

さて、チワワオチビサンたちは元気に大きくなっています。
ホンの先週までは「うっくん、うっくん♪」と飲んでいたお乳も
今では「じゅぐっ、じゅぐっ、じゅぐっ!」と激しい音で飲み尽くしております。
ぴぴかーたんはおっぱいをあげる度にはぁはぁ息が荒れるほどの飲みっぷりですー。
既に夜中などかごから脱走して、人のところに来ては唇や耳たぶなどに吸い付いています(~_~;)
二匹はうっすら目も開き始めました。
数日のうちにはまんまるおめめになるのでしょう(*´∀`*)




《みなさん、すくすくすくと成長中(笑)》
《既に300g超、かなりドスコイな感じになってきました…》
《バランスで言えば「パンダ」ですね(;・∀・)ええ》




《お名前も決定!左から「みやちゃん」「ろまくん」「ふうくん」です♪》
《幸せな犬生を歩めるようにと画数を見ながらやっと決定いたしました~》
《みなちゃん、よろちくおねがいしまーちゅ!》


 

《ほぼ毎日、こうやって実家と街のアパートを行き来しています》
《街のアパートではベッドの半分がちびちゃんランドになっています》
《動きが激しいので毛布で囲って落ちないようにガードしてます(;^ω^)


しかし、彼らの成長は早い。なんかすごいなぁ~って思います。
しっかり向き合っていかなくちゃ、と思ってしまいます。





成長といえば、実家には甥っ子ちび君(6年生)がいるんですが、
彼は遠隔通学をしているため、毎朝、私のアパートに来て
それからご飯を食べ、着替えて、学校に行くわけです。
その一時間くらいで、あれこれとあるわけなんですが(;´∀`)
まあ、言うならば彼との「バトル」「根比べ」ですね~(笑)

私はこの特に15年くらい、たまたま子供たちや後輩を教えたり
指導するみたいな立場というところにいましたが、
生活の中に成長過程のお子様がいるというのはまた一味ちがいますね。

基本、面白くて厳しい(毒舌家)人というのが私のイメージらしいですが(~_~;)
私の中では、家族というのは変な気兼ねがいらない分、
さらに厳しさ激しさが増します。
ちびくん、大変です(笑)

つくづく思うんですけど、家庭教育ってのは「根性」がいりますよね。
折れた方が負け、
負けさせた本人はもっと負け、そんな気がします(笑)
結局、どちらかが諦めた時点で、その子には何も身に付かないし、
ただ良くないと思われる習慣や考え方が残ってしまうからです。
先々の人生で、それを克服すればモチロンそれでいい事なのですが、
気がついたときに克服する努力をしておくのが大事かなって思うんですよ。

実際に、今まで多くの親御さんや若い人やお子さんを見て来て思うのは
その根比べにどれだけ真剣に立ち向かっているかが重要なんだなってことなんです。

モチロン人には十人十色それぞれ器がありますから、
できることも出来ないこともあって当然です。
だからといって、最初からやってもやらなくても同じだからと、
できるようになる努力をしないというのは違うと思うんですよね。

人は向上することを目標とする生き物ですよね。
(その目標というのにはいろいろ種類はあるけど)
そうおもいませんか?だから文明も歴史も進化を遂げたわけですよね。

でも、世の中はゆとりの世代と言うのになってから変わったのかな~って思います。
そういう目標を自ら手放した感じがします。

「精一杯やることがバカバカしい、うまく世の中渡らなくちゃ」、という人、
「何かをやる前から、いろんな人がいるんだから、できなくても当然」という人、
「みんなもそうだからいいや」という人。

そういう人たちが増えてきて、しかもそれが良い事になっているのですよね。

妹あむさんいわく、
「まあねぇ。3.14を計算が面倒で難しいから3でいいよ、
って育った世代だから、なにごともテキトーな人多いよね」

ナルホド…(;・∀・)


確かに、それが悪いとは言い切れない。いろんな立場があるからね。
でも、家庭教育にはそれぞれの家庭のやり方がある
というのであるならば、私はそれは受け入れられないのです。

実際、見てきた人たちで言えばだけど、そう言う環境に居た人は
社会に出てみんなとかかわり合っていく年齢になっていくと
本当に自分のチカラでは何も切り開けず、努力ができず、憧ればかりが強く、
そのための苦労をする根性のない人になっていることが多いと思います。
打たれ弱いし、褒められないと出来ない。
しかも、大概、そういう子どもの親は子どもとおんなじタイプ…(;´Д`)

アタクシはシュタイナー信者じゃござんせんが、
教育学でシュタイナーで子は親を模倣して育つ、
だから日々、大人が人間としてしっかり生きる努力をしないと
子どももその性質を模倣してしまう、というふうに習いましたが、
うん、そーだねー、当たってるわー、と思わず思ったことも…(;´∀`)


いや、人間力の基礎がね、弱いのが悪いのじゃないんですよ。
よくないって思うのは、自分が弱いことを知っても、
ただそれを「あーダメなんだー」って落ち込むばっかりで、
じゃ、そうすれば強くなれるのか?って努力ができないのが問題な気がするんですよね。
それって、結局、自分と向き合っていないからそうなるんだと思うんです。
だから、どうしても楽な方に、楽な方に逃げてゆく。
私が、あー、残念だな、って思う人の多くはそうなんですよ。


なーのーでー、我が家の朝はかなりハードです(~_~;)
そういう環境がはびこる外で育ってくる子どもと戦う訳ですから。
人間として大切なことを一番にできるように
人の為に自分の力を使えるように、日々の暮らしがすごい大切。
そう思うから、言うことは言う。

もちろん、朝の時間は楽しく出ていくのが一番いい。私もそう思う。
だから、できるだけ、そうありたいと努力をする。

でも、だからといって、しなくてはならないことができていないのを
見逃してまで楽しくするのはどうなんだろう?と、私は思う。

間違ってるのを見過ごして、その子が気持ちよく演じられるためだけに
何も言わずに舞台に出したら、それこそ失礼じゃないか!
というような演出家気質もあるかもしんないけど。
でも、評価はその人に帰ってくるんだよね。

なので、アタクシは間違っている、良くないと思ったら
朝っぱらからでもガンガン言いますよヽ(´∀`)9 !!
だって結局、ゆくゆくは全部ちびに帰ってくることなんだもん。

世の中には因果応報の法則ってものが確実にある。
だから、自分がしたことは自分に帰ってくるのだ。

それに、そういう時、私は思う。
親とか、これまで歩んで来た道で、いろいろ学ばせてくれた人たちのことを。
厳しくても愛があった人たちのことを。
そう言う人から学んだものは、その時辛かったとしても、
自分がうけとめさえすれば、人生の美しい宝物、智慧として残る。
そして私はたとえうまくいかなかったことでも、
自分が頑張ったことで後悔したことは一度もない。
だから、その「清々しさ」や「美しさ」を甥っ子に伝えたいと願っているのです(*´∀`*)

いま頑張っているのは、「今やるべきことを今ここでやるということ」、デス。
だから、自分も彼の前ではそうしたいと思い、頑張っています。

実際教えたり、劇団とかでいろんな人と旅したり、
そこで出会う、何かといい加減になってしまう人というのは
2,3秒でできることを「後で」に回してしまったり、
何かにつけ、「今時間がない」事にしてしまうのです(-_-;)

今まで関わったお母さん方や子供たち、
何かにつけて「出来ない」「難しい」という人は大概そうでした。
難しい部分が出てくると、また後でやる、とか言って今を選ばない。
でも、そう言う人は絶対に家でなんかやんないのよね~(;´∀`)
しかも最後は「得手不得手は誰にでもあるし…」とか自分で自分をフォロー…。

だから成長がない、いつでもダメな自分を許しているから。
だから何度言われても最初から真剣じゃないので同じ失敗を繰り返すのです。

部屋を片付けろって言われて、後で片付けるよ、って言って、
その日のうちに片付ける人、あんまりいないでしょ?あれと一緒ですよね。
そういうこと言う人は大概すぐ片付けないし、片付けてもまた汚くするんだよ~。
そう言う人は、たった、2,3秒で出来ることを後回しにするのが得意です。


出来る人は元に戻すといった2,3秒の時間を惜しみません。
なぜなら、その2,3秒がその後の長い自由な時間を
作ってくれると理屈ではなくて、ちゃんとココロが知ってるから。

でも、これは言ってもわからない人も多いのです。
だから自分でやって、そのやれてる快感を覚えていくことがすごく大切。
人間、自分に気持ちいいことは苦にならない。それって「楽」ってこと。
だから、それがで苦にならずにできるようになるまで「言う」のです。

逆に2,3秒を惜しんで、その時の楽を選べば「苦」が待っていると言ってもいいと思う。
たった2,3秒が、自分の夢の全部を潰す時だってある。
2,3秒、自分に向き合わなかっただけで、人生は変わってしまう。

だってこういう小さなことって、全てにつながっている。
生活でも、仕事でも、料理でも、手仕事でもみんな同じ。
こういう小さいことができるようになったら大きなこともできるから。
2,3秒を惜しまないことで、自分の望むことができるようになるのだと思う。

そのくらい、何かを身につける作業と言うのは、すごく大切。
身につけるということは自分の一部にしていくということ。

それをする努力をしない人は、せっかく良いことを考えても
せっかく毎日頑張って、規則正しくお仕事や学校に行っても、
ただ決まってるからやるだけで、身に付けない、
そうすると、せっかくの大切なものも、すぐに手放してしまう。
例えば、せっかく規則正しさを学んでも、決まりがなくなれば
即座にだらだらと眠ったり、澱んで過ごすようになってしまう。

大切さを感じながら身につけた人は時間を無駄にせずにその癖を次に活かせる。
その分、自分も人も幸せにするのだと思う。
私の尊敬する人はみな、そういう人。


私はこれからはそういう完成や性質を育てていかなくてはいけないと思う。
日本は原発事故が起き、既に以前の自然を保てない国になってしまった。
しかも、まだ全然といっていいほど解決していないし。

反原発の座り込みや、組織作りも大変良いことだと思うけど、
私は今から最も大切なのは、自分で考え、工夫し、
独りでも頑張れる力をつけていくことだと思っています。
一人一人が確実にできることを、日々やっていく努力ができることがこの日本を救うんだと思う。

また後でいいや、という人は例えば日々の除染作業一つとってもできないに違いない。
だって7、めんどくさがりなんだもん。
自分の事しか考えない人は自分が努力しないことで汚染を広げてしまうでしょう。
それは結局、何倍もの困難になってその人に帰ってくるというのに。


私は甥っ子にはそういう風になってほしくないのです。
日々の暮らしの中で、自然を思えば、それを守ろうとする心が生まれるように
すべての事柄に対して、そのようであってほしい。

これから汚染され続ける日本の中で生きるのだから、
それに対抗する愛と粘り強さを身につけて欲しいです。

そして、日々の生活の中で、そのための2,3秒の努力を
決して惜しまない人になって欲しいと思います。
そして夢を叶えるための充実した時間を使える大人になって欲しいのです。


福ちゃんはうるさいおばちゃんだけど(;・∀・)
負けずに頑張ってくれたまえ、甥っ子よ。

だから、人の時間や、世界の時間で回るんじゃなくて
自分の時計で動きなされ。
それには自分の考える力や思いやりがなくては出来ないぞ。

だってね、確かに君がこの地球を守るのだよ。
それは自分の夢を守り、自分自身の幸せを守り、
誰よりも大切な人を守ることなのだからね(*´∀`*)

君のココロは誰かを助けるためにある。
君の足は誰かのために歩むのだ。
君の両手は誰かを救うために存在してる。
そして、それが自分を生かし、愛することなのだよ。

私はこんな年になってやっとだが、
少しでも早く、それがココロでわかったなら
君は自分も人も沢山助けられる、支え、支えられる生活ができる。
本当の意味で、幸せになって欲しいよ。

だから福ちゃんも君とのバトル頑張ります(*´∀`*)


昨日、そんな甥っ子が少し遅れて誕生日プレゼントをくれました。




いつも工房の資料に買っている雑誌を発売日に買ってきてくれたのです。
コンビニのポイントを貯めて買ったんだって(しっかりしてるナ)

いい男に育てよ~~~~♪






2012-04-19 | KOFUKU日記



《これぞまさに幸せの構図(笑)》

 

《遺伝ってすごいね(笑) ちっさい兄ちゃんのプレゼントの枕をしています♪》



《ばんざぁああああい!!(≧ο≦)人(≧V≦)ノ (笑)》

 

《ちわチビ達はぐんぐん成長中、飲んで、眠って、動いて~の日々》
《一週間で大体、生まれてすぐから2倍の大きさになりました》
《這っているというより、すでに手足しっかり使って動いてます(;^ω^)》

生後10日を迎え、体重は2.5倍くらいになりました。健康優良児デス。
今日は初めての爪切りも致しました。
閉じていた耳もただぴろんと耳がついていただけなのが
閉じた穴の周りのシワ等がしっかりと出てきました。
目のラインもしっかりしてきたので、数日中にお目めも開くことでしょう(*´∀`*)


さて、心友たちから贈り物が届きました~。
まずは浜松のリッキーおじさんからぴぴちゃんにご出産祝いが!
ありがとうございます(*´∀`*)



《ぴぴさんも嬉しそう(^▽^)》


そして神戸の大ちゃんからもぴぴちゃんにお祝い、
そしてワタクシにバースデープレゼント、素敵なお財布が届きました~。



しかも、偶然にも大好きな雑貨屋さんのものでびっくり!
さすが心友だ!心がつながっておるのね~。
ペンケースにも使えるので、コレは大事なものを入れたいと思います~。
お兄さん方!ありがとうございました!
心に嬉しさいっぱいのお花が咲きました~。謝謝!




《お子様のお世話をするぴぴかーさんとちっさい兄ちゃん》


毎日毎日、子犬らが育ち、甲斐甲斐しく世話をするぴぴさんを見ていますと
つくづく「遺伝」のすごさとか「子育て」と言うものの大切さを思うのであります。

と言っても、それぞれの家庭での都合がありますから、
それこそ、十人十色いろいろな子育ての形はあると思うし、
個性もあるわけだから、一概にこうだ!とは言えません。

ただ、やっぱり子どもは親がなにも育てずとも、
遺伝という力で親からもらったものを軸に育っていくし、
傍にいれば最初は親がいる世界を唯一のものとして模倣して生きていきます。
子犬たちを見ているだけで、それが嫌と言うほどわかります。

それはいい部分もあれば、似ては困る部分もあったりするわけで(;^ω^)
それは大概において、社会で迷惑となる行為になる部分です。
子犬たちはこれから社会性を身につけていくわけですが出来る限りのサポートをして、
していいことと悪いこと、それらを教えてあげたいと思っています。
やっぱり、そういうものを学べている子は愛されると思うから。

私は恵まれて、たくさんの子ども達や親御さんと関わりましたが、人間も同じですよね。
今までの環境や遺伝が邪魔することだってあります。
ただ、いろいろな育ちや性格の人がいるけれども、
きちんと教えられたことを身につけている人はちがいます。
親に教えられなくても、自分で学ぶ努力をした人というのは、
やっぱり人に迷惑をかけません。それって、すごく大切なことだと思います。

家には11才と21歳の若い方がおりますが、私は特に二人にはかなり厳しいです。
なぜなら、この二人、ちょっと天然系なので、
理解してできるまでに時間がかかるのですよ(;^ω^)
あれこれと小言を言われてる方もしんどいでしょうが、
言わなくなるまでの時間がながいので、言ってるこちらもしんどいもんです。
でも、繰り返させないと出来ない人には、繰り返して教えてあげるしかできません。

それになかなかわからないからって教えないでいるのは、
この先の彼らに危険や不安を生む事になると思うからです。
特に命に関わったり、人に迷惑をかけることには、
この世界で生きている限り、気を使うべきことだと思います。
それだけはしっかり教えてやらなくちゃとも思うのです。
それを、若い時にしっかり覚えないと、忙しい大人や家庭に入った時、
不注意で火事を出してしまったり、人に怪我をさせてしまったりするんだと思います。
怪我ならいいけど、不注意から人命など奪うことになってしまったら大変ですからね。
でも、教えない、覚えないでいれば、危険がわからないままになって、
人に迷惑をかけ、自分も悲しい思いをすると思うのですよ。

そう言う意味でも家庭ってすごくよくできているなぁと思うんです。
年功序列でね、いろんな人がいるし。
うちなんかは若い人二人、いいなあって思うんですよ。
11歳から見れば21歳の彼女は10年後の自分ですし、
21歳から見れば、11歳は自分より10歳若い人間ですからね。
年齢が近いから、何かするたびに、お互いのしてる事を見れば、
それぞれに感じるものがあると思うんですよね。
善い模範、そして反面教師になってくれたらいいなぁ。
そして究極、お互いを自分のように思って感じ、助け合える
生きる上でそんな気持ちを持ってくれたらいいと思っています。
心に花のようなまっすぐな美しさを持って欲しいです。

まあ、そんな家庭を作るにも世の中が平和でなくてはならないわけで。
今、原発事故という爆弾を抱えているわが国。
本当に早く、いろいろな課題が解決していくようにと願っています。

子犬から発展しましたが、平和そのものの彼らを見ていますと
ただひたすらにこれからの平和を願うしか本当にできないのです。
明日も、無事に過ごせたらいいなぁと思います。


*************************************




さて、ワタクシが住んでおります南国は薩摩の国と呼ばれております。
私は人様から変わってよね~と言われる事が多々あるんですけれども(;^ω^)
変わってるせいなのか、どうなのかは解りませんが、
「ちょっと変わってる」ものや場所が好きです(笑)

わかんない??
えーと、言葉を変えれば基本「現代的でない」
変わらない美しさや面白さのあるものが好きなんですな(^^ゞ
もちろん、アタクシのセンスによって選ばれた場所デスが。

友人とかがこちらを訪れたり、一緒に来たりする機会があると
必ず「福ちゃんのミステリーツアー」なるものをやります( ̄ー ̄)
まず私の行く場所は観光案内にほとんど載っていません。
人もあんまり来ていません。

そんな中でも、皆さんに注目していただきたい薩摩の国(特に市内から南薩方面)の
綺麗なものは「お花」でゴザイマス(n‘∀‘)η
イエース、「フラワー」でゴザイマス。

薩摩の国はですね、なんとお花の消費率が日本一なんですね。
それだけお花もあちこち咲いているって場所なのです。
こんな感じです。

 

《池田湖の辺りを埋め尽くす花たち》

 

《春、一月には咲き乱れる菜の花、4月になると田んぼは蓮華草でいっぱいに》

 

《一年中咲いているハイビスカス、空き地はコスモスでいっぱいになります》

ね、綺麗でしょう??

さて、そんな花の需要日本一の薩摩の国のミステリーツアーで
ワタクシが必ずお友達を引き連れていく、もしくは見せる
私の中で薩摩の国の一番美しい自慢の場所はどこだと思いますか?


実は「お墓」です!(n‘∀‘)η


そこのアナタ、エエ!Σ(゜д゜lll)って思いましたよねぇ(;^ω^)
でも、私は必ずお墓を見てもらいます。
なんでか?

それは、すっごく綺麗だからです!ヽ(*´∀`)ノ

ではみなさんにもお目にかけましょう。
薩摩の国のお墓。ジャーン!!!!!!




ね?どこのお墓もお花が溢れんばかりに飾ってあるでしょう??
大体、お墓を見せると皆、びっくりします。
すごい花だね、なんかの行事なの?って。

いいえ、お盆とかお彼岸とかの特別な時じゃありません。
これが普通なんです。薩摩の国はどこに行ってもそうなんです。

薩摩の国の朝早い時間帯にバスに乗ると、お花を抱えたおばあちゃんに良く会います。
みんな、にこにこと花を抱えて、お墓参りに行くのです。
薩摩の国ではお墓や仏前のお花を絶やすことが一番の恥ともされています。
田舎の方では今でもお嫁さんに入ると一番最初のお仕事がお墓参りです。

東京で私は大事な人を二人見送りましたが、その時に驚いたのは
お墓があまりにも殺風景で、さみしくうら悲しい場所だったことです。
東京の共同墓地に至っては、お供えどころかいけた花も持ち帰らなければならず
なーんにもなくってすごく悲しかった。
理由はカラスとか動物とかがお供えを荒らしたりするし、
お花は枯れてしまうと片付けが大変だからだって(-_-;)

大阪のお墓もお寺の境内にあるのに、やっぱりお供えも置けなくて。
お花もお寺の入口に売っている、まとめて売っているお花を買って入れるだけ。

なんだかなぁ。さみしいよなぁ。
私の中でお墓はものすごく美しい場所なのに。
そんな場所に大事な人の遺骨があるのが悲しい。
薩摩の国のたくさんの人が訪れる、お花の綺麗なお墓に入れてあげたい。
ぶっちゃけ、そう思う時があるくらい、薩摩のお墓は綺麗です。

もし汚れていたら、気づいた人が片付けます。
もう参る人のいないおうちのお墓は周りの方が持ち寄ってお花をいけます。
お花の中に咲いている花は手折って仏様に差し上げるために植えてあります。
お供えはないところに分けてあげます。

うちのおばぁちゃんいわく、
「幽霊(死んだ人)は怖くない。この前まで生きていた人、自分たちと同じ」

多分、そんな気持ちで皆、お墓参りをしているんだと思います。
亡くなった方々が幸せな気分でいられる様に、
寂しい思いをしないように、たくさんの花をいけるのです。

この日本の全てが、そんな風な心持ちになったなら
日本中のお墓は美しい魂の眠る庭になるのになぁ。
私はそう思いながら、友人を案内するのです。