今夜の南国はかなり強風が吹いております。
こちらは早くも初夏を迎え、街はバラのシーズンを迎えています。
たくさんの家の窓辺やお庭で薔薇が誇るように咲いています。
さて、チワワオチビサンたちは元気に大きくなっています。
ホンの先週までは「うっくん、うっくん♪」と飲んでいたお乳も
今では「じゅぐっ、じゅぐっ、じゅぐっ!」と激しい音で飲み尽くしております。
ぴぴかーたんはおっぱいをあげる度にはぁはぁ息が荒れるほどの飲みっぷりですー。
既に夜中などかごから脱走して、人のところに来ては唇や耳たぶなどに吸い付いています(~_~;)
二匹はうっすら目も開き始めました。
数日のうちにはまんまるおめめになるのでしょう(*´∀`*)
《みなさん、すくすくすくと成長中(笑)》
《既に300g超、かなりドスコイな感じになってきました…》
《バランスで言えば「パンダ」ですね(;・∀・)ええ》
《お名前も決定!左から「みやちゃん」「ろまくん」「ふうくん」です♪》
《幸せな犬生を歩めるようにと画数を見ながらやっと決定いたしました~》
《みなちゃん、よろちくおねがいしまーちゅ!》
《ほぼ毎日、こうやって実家と街のアパートを行き来しています》
《街のアパートではベッドの半分がちびちゃんランドになっています》
《動きが激しいので毛布で囲って落ちないようにガードしてます(;^ω^)
しかし、彼らの成長は早い。なんかすごいなぁ~って思います。
しっかり向き合っていかなくちゃ、と思ってしまいます。
成長といえば、実家には甥っ子ちび君(6年生)がいるんですが、
彼は遠隔通学をしているため、毎朝、私のアパートに来て
それからご飯を食べ、着替えて、学校に行くわけです。
その一時間くらいで、あれこれとあるわけなんですが(;´∀`)
まあ、言うならば彼との「バトル」「根比べ」ですね~(笑)
私はこの特に15年くらい、たまたま子供たちや後輩を教えたり
指導するみたいな立場というところにいましたが、
生活の中に成長過程のお子様がいるというのはまた一味ちがいますね。
基本、面白くて厳しい(毒舌家)人というのが私のイメージらしいですが(~_~;)
私の中では、家族というのは変な気兼ねがいらない分、
さらに厳しさ激しさが増します。
ちびくん、大変です(笑)
つくづく思うんですけど、家庭教育ってのは「根性」がいりますよね。
折れた方が負け、
負けさせた本人はもっと負け、そんな気がします(笑)
結局、どちらかが諦めた時点で、その子には何も身に付かないし、
ただ良くないと思われる習慣や考え方が残ってしまうからです。
先々の人生で、それを克服すればモチロンそれでいい事なのですが、
気がついたときに克服する努力をしておくのが大事かなって思うんですよ。
実際に、今まで多くの親御さんや若い人やお子さんを見て来て思うのは
その根比べにどれだけ真剣に立ち向かっているかが重要なんだなってことなんです。
モチロン人には十人十色それぞれ器がありますから、
できることも出来ないこともあって当然です。
だからといって、最初からやってもやらなくても同じだからと、
できるようになる努力をしないというのは違うと思うんですよね。
人は向上することを目標とする生き物ですよね。
(その目標というのにはいろいろ種類はあるけど)
そうおもいませんか?だから文明も歴史も進化を遂げたわけですよね。
でも、世の中はゆとりの世代と言うのになってから変わったのかな~って思います。
そういう目標を自ら手放した感じがします。
「精一杯やることがバカバカしい、うまく世の中渡らなくちゃ」、という人、
「何かをやる前から、いろんな人がいるんだから、できなくても当然」という人、
「みんなもそうだからいいや」という人。
そういう人たちが増えてきて、しかもそれが良い事になっているのですよね。
妹あむさんいわく、
「まあねぇ。3.14を計算が面倒で難しいから3でいいよ、
って育った世代だから、なにごともテキトーな人多いよね」
ナルホド…(;・∀・)
確かに、それが悪いとは言い切れない。いろんな立場があるからね。
でも、家庭教育にはそれぞれの家庭のやり方がある
というのであるならば、私はそれは受け入れられないのです。
実際、見てきた人たちで言えばだけど、そう言う環境に居た人は
社会に出てみんなとかかわり合っていく年齢になっていくと
本当に自分のチカラでは何も切り開けず、努力ができず、憧ればかりが強く、
そのための苦労をする根性のない人になっていることが多いと思います。
打たれ弱いし、褒められないと出来ない。
しかも、大概、そういう子どもの親は子どもとおんなじタイプ…(;´Д`)
アタクシはシュタイナー信者じゃござんせんが、
教育学でシュタイナーで子は親を模倣して育つ、
だから日々、大人が人間としてしっかり生きる努力をしないと
子どももその性質を模倣してしまう、というふうに習いましたが、
うん、そーだねー、当たってるわー、と思わず思ったことも…(;´∀`)
いや、人間力の基礎がね、弱いのが悪いのじゃないんですよ。
よくないって思うのは、自分が弱いことを知っても、
ただそれを「あーダメなんだー」って落ち込むばっかりで、
じゃ、そうすれば強くなれるのか?って努力ができないのが問題な気がするんですよね。
それって、結局、自分と向き合っていないからそうなるんだと思うんです。
だから、どうしても楽な方に、楽な方に逃げてゆく。
私が、あー、残念だな、って思う人の多くはそうなんですよ。
なーのーでー、我が家の朝はかなりハードです(~_~;)
そういう環境がはびこる外で育ってくる子どもと戦う訳ですから。
人間として大切なことを一番にできるように
人の為に自分の力を使えるように、日々の暮らしがすごい大切。
そう思うから、言うことは言う。
もちろん、朝の時間は楽しく出ていくのが一番いい。私もそう思う。
だから、できるだけ、そうありたいと努力をする。
でも、だからといって、しなくてはならないことができていないのを
見逃してまで楽しくするのはどうなんだろう?と、私は思う。
間違ってるのを見過ごして、その子が気持ちよく演じられるためだけに
何も言わずに舞台に出したら、それこそ失礼じゃないか!
というような演出家気質もあるかもしんないけど。
でも、評価はその人に帰ってくるんだよね。
なので、アタクシは間違っている、良くないと思ったら
朝っぱらからでもガンガン言いますよヽ(´∀`)9 !!
だって結局、ゆくゆくは全部ちびに帰ってくることなんだもん。
世の中には因果応報の法則ってものが確実にある。
だから、自分がしたことは自分に帰ってくるのだ。
それに、そういう時、私は思う。
親とか、これまで歩んで来た道で、いろいろ学ばせてくれた人たちのことを。
厳しくても愛があった人たちのことを。
そう言う人から学んだものは、その時辛かったとしても、
自分がうけとめさえすれば、人生の美しい宝物、智慧として残る。
そして私はたとえうまくいかなかったことでも、
自分が頑張ったことで後悔したことは一度もない。
だから、その「清々しさ」や「美しさ」を甥っ子に伝えたいと願っているのです(*´∀`*)
いま頑張っているのは、「今やるべきことを今ここでやるということ」、デス。
だから、自分も彼の前ではそうしたいと思い、頑張っています。
実際教えたり、劇団とかでいろんな人と旅したり、
そこで出会う、何かといい加減になってしまう人というのは
2,3秒でできることを「後で」に回してしまったり、
何かにつけ、「今時間がない」事にしてしまうのです(-_-;)
今まで関わったお母さん方や子供たち、
何かにつけて「出来ない」「難しい」という人は大概そうでした。
難しい部分が出てくると、また後でやる、とか言って今を選ばない。
でも、そう言う人は絶対に家でなんかやんないのよね~(;´∀`)
しかも最後は「得手不得手は誰にでもあるし…」とか自分で自分をフォロー…。
だから成長がない、いつでもダメな自分を許しているから。
だから何度言われても最初から真剣じゃないので同じ失敗を繰り返すのです。
部屋を片付けろって言われて、後で片付けるよ、って言って、
その日のうちに片付ける人、あんまりいないでしょ?あれと一緒ですよね。
そういうこと言う人は大概すぐ片付けないし、片付けてもまた汚くするんだよ~。
そう言う人は、たった、2,3秒で出来ることを後回しにするのが得意です。
出来る人は元に戻すといった2,3秒の時間を惜しみません。
なぜなら、その2,3秒がその後の長い自由な時間を
作ってくれると理屈ではなくて、ちゃんとココロが知ってるから。
でも、これは言ってもわからない人も多いのです。
だから自分でやって、そのやれてる快感を覚えていくことがすごく大切。
人間、自分に気持ちいいことは苦にならない。それって「楽」ってこと。
だから、それがで苦にならずにできるようになるまで「言う」のです。
逆に2,3秒を惜しんで、その時の楽を選べば「苦」が待っていると言ってもいいと思う。
たった2,3秒が、自分の夢の全部を潰す時だってある。
2,3秒、自分に向き合わなかっただけで、人生は変わってしまう。
だってこういう小さなことって、全てにつながっている。
生活でも、仕事でも、料理でも、手仕事でもみんな同じ。
こういう小さいことができるようになったら大きなこともできるから。
2,3秒を惜しまないことで、自分の望むことができるようになるのだと思う。
そのくらい、何かを身につける作業と言うのは、すごく大切。
身につけるということは自分の一部にしていくということ。
それをする努力をしない人は、せっかく良いことを考えても
せっかく毎日頑張って、規則正しくお仕事や学校に行っても、
ただ決まってるからやるだけで、身に付けない、
そうすると、せっかくの大切なものも、すぐに手放してしまう。
例えば、せっかく規則正しさを学んでも、決まりがなくなれば
即座にだらだらと眠ったり、澱んで過ごすようになってしまう。
大切さを感じながら身につけた人は時間を無駄にせずにその癖を次に活かせる。
その分、自分も人も幸せにするのだと思う。
私の尊敬する人はみな、そういう人。
私はこれからはそういう完成や性質を育てていかなくてはいけないと思う。
日本は原発事故が起き、既に以前の自然を保てない国になってしまった。
しかも、まだ全然といっていいほど解決していないし。
反原発の座り込みや、組織作りも大変良いことだと思うけど、
私は今から最も大切なのは、自分で考え、工夫し、
独りでも頑張れる力をつけていくことだと思っています。
一人一人が確実にできることを、日々やっていく努力ができることがこの日本を救うんだと思う。
また後でいいや、という人は例えば日々の除染作業一つとってもできないに違いない。
だって7、めんどくさがりなんだもん。
自分の事しか考えない人は自分が努力しないことで汚染を広げてしまうでしょう。
それは結局、何倍もの困難になってその人に帰ってくるというのに。
私は甥っ子にはそういう風になってほしくないのです。
日々の暮らしの中で、自然を思えば、それを守ろうとする心が生まれるように
すべての事柄に対して、そのようであってほしい。
これから汚染され続ける日本の中で生きるのだから、
それに対抗する愛と粘り強さを身につけて欲しいです。
そして、日々の生活の中で、そのための2,3秒の努力を
決して惜しまない人になって欲しいと思います。
そして夢を叶えるための充実した時間を使える大人になって欲しいのです。
福ちゃんはうるさいおばちゃんだけど(;・∀・)
負けずに頑張ってくれたまえ、甥っ子よ。
だから、人の時間や、世界の時間で回るんじゃなくて
自分の時計で動きなされ。
それには自分の考える力や思いやりがなくては出来ないぞ。
だってね、確かに君がこの地球を守るのだよ。
それは自分の夢を守り、自分自身の幸せを守り、
誰よりも大切な人を守ることなのだからね(*´∀`*)
君のココロは誰かを助けるためにある。
君の足は誰かのために歩むのだ。
君の両手は誰かを救うために存在してる。
そして、それが自分を生かし、愛することなのだよ。
私はこんな年になってやっとだが、
少しでも早く、それがココロでわかったなら
君は自分も人も沢山助けられる、支え、支えられる生活ができる。
本当の意味で、幸せになって欲しいよ。
だから福ちゃんも君とのバトル頑張ります(*´∀`*)
昨日、そんな甥っ子が少し遅れて誕生日プレゼントをくれました。
いつも工房の資料に買っている雑誌を発売日に買ってきてくれたのです。
コンビニのポイントを貯めて買ったんだって(しっかりしてるナ)
いい男に育てよ~~~~♪