KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

幸せへの道

2010-12-31 | 相方さん(米澤観児氏について)


あと少しで今年もくれて行きます。
あなたへ今年最後のお手紙です。

あなたに、それも天国にお手紙を書くようになるとは
大きな病気だったし、亡くなる人もいないことは無い病気だったから
そりゃあ、不安や覚悟はあったものの、本当にあなたがいなくなるとは思いませんでした。

だって、いなくなる前の日に先生が回診に来て言ってたじゃないの。
私、聞いたよね?聴診器当ててる先生に。
「熱でてるけど大丈夫ですか?」って。

そしたら先生、言ったよね?
「絶対大丈夫です。」

そんな次の日に、あっという間に、ほんの数時間でいなくなるんだもんね。

ほんと、あの時、お母さんたち、無理に呼んで良かった。
あなたが最後に家族に会えてよかったよ。

きっとあの時、とっても苦しかったのに、あたしが無理言ったのを聞いて、
それで、あんなに必死にお母さんたちを待っててくれたんだよね。
ありがとう。

あなたの頑張りはすごかった。
本当にすごかった。
そっちで神様にたくさん褒めてもらってください。


私はきっとずっと隣に居るとおもってました。
一緒に年をとると想っていたからね。
多分、あなたも一緒でしょ?
だって治るって信じたもんね、あたしたち。

なのにあんなふうに先にいっちゃうんだもんねぇ。

だから、いま悲しいかと聞かれたら、スゴーく悲しい。
それは死ぬほどに寂しいです。
多分ぴーちゃんもそうでしょう。

でもね、あなたがいてくれたから学んだ事が本当に一杯あったんだよ。

こんなに早く逝かれてしまうと、もしかしたら、あなたはいい人過ぎて、
それをだけを教える為だけにこの世にうまれてきてくれたのではないかと想うくらいだよ。

そのくらいに私はあなたと居る時間にあなたから愛をまなんだ。
愛されて愛する事を学んだ。
それは男女の愛だけでなく、すべてのものに対する大きな愛。


ありがとうね。
本当にありがとうね。

どれだけお礼を言っても足りません。

それなのにあなたの隣に居た私はいつもちっさな至らない人間でした。
ゴメンなさい。

これも幾ら言っても足りないです。


もっとお世話したかったし、もっと揉んであげたかったし
もっともっともっと、この世であなたを愛したかったです。


今日リッキーがきてくれて、言っていたよ。
「観ちゃんはこの世でいい仕事していった」って。

私もそう想う。

あなたにとっては「生きること」がすべてだったね。
それが演劇であり、真実であり、愛であり、すべてだった。

あなたが居て、そして居なくなって一番に想った事は
やっぱり「愛が一番大切だ」って事です。

そんな物は世の中の常識には当てはまらないとか、
そんな事は非現実的だとか、甘い考えだとか、
そういうことを言う人もたくさん居るでしょう。

けど、私たちは知ってるよね。
それが一番大事だって事を。

人間は、この世に生きてるものは、まっすぐに愛に添って生きるべきだということを。
そして、どんな悲しみも苦しみも孤独も、幸せに繋がっていると知っているよね。

あなたはそれを大事に、正直に、愛にそって真っ直ぐ生きた。

最近解ったけど、それってねぇ、普通の人はなかなか出来ないみたいだよ。
なのにあなたはひたすら愛を求めて生きたねぇ。
愛を与えて生きたねぇ。

孤独で寂しくて、きっとしんどいときもあったのに、ほんとに頑張ったよねぇ。

そんなあなたは誰よりも私の誇りです。
今でも誰より自慢の私の素敵な生涯の伴侶です。

あなたは愛の人でした。
愛そのものでした。
そして今も愛の人です。


いつか、そっちで絶対に会おうね。
そして、またぴーちゃんと一緒に家族で仲良く暮らそう。
もっと笑って、もっと楽しんで、もっともっと幸せになろう。

行ってないとこも一杯あるよ。
またベロ号に乗って野山を走ろう。
海に行って夕焼けを見よう。


まだまだ私はこっちではちいさい人間だけど、いつか追いつくから。
かならず追いつくから、そっちで待ってて。

それまで、あなたもそっちで頑張ってね。

多分、私よりは先にあなたのところに行くであろう、あなたの大事なぴーちゃんと
誰よりも愛の溢れた美しい天界人、天界犬になって私を迎えに来てください。

そんなあなたに会えるのを心から期待しています。


時々はここにも帰って来てね。
それでいつものように隣で寝転んで。


天と地の間はそんなに遠くない。
ただ見えないだけで。
今は前よりそれがもっとわかる。


だから、私はいつも一緒だよ。
ぴーちゃんもずっと一緒だよ。

これから先の喜びも悲しみもずっと一緒だよ。


2010年の大晦日に私の天使に愛を込めて
あんじゅ






今年は喜びも悲しみも大きな年でした。
後半はあっという間の時間でした。
でも悲しみの分だけ幸せも大きかったのです。
だから悲しみが深いのでしょう。

わたしの悲しみに添おうとしてくださった優しい人たちに心から御礼申し上げます。
ありがとうございました。

まだまだ一人は慣れないけれど、頑張って歩んで行きます。

このブログは最初、ソウルメイトの死から立ち直れなかった頃、
遠くに居る、二人の友に自分が生きているかどうかを知らせる為に作りました。

とは言え、誰に向けて発信するでもなく、ただ思った事を素直に書いてきました。
基本的には暗いことではないことだけを書こうと決めて。

その間に真実の愛を得て、そして幸せに至る道を見つけました。
それはやっぱり「愛」でした。

愛が無くては何にもならないのだと今はわかります。

その愛に共感するように、たくさんの私の知らない方々が訪れてくださり
いまは時には1000アクセスを超える日もあります。

多分、私の友達でこのブログを知っている人は20人足らずでしょう。

と、なると、私のまだ見ぬお友達が980人もいらっしゃるわけです。
それって、すごい事です。

私の独り言に付き合ってくださり、ありがとうございます。

まだ見ぬわたしのお友達と私を知ってるすべての方へ
愛ある明日が毎日来る事を心からお祈りします。

そして馬鹿だなぁと言われても、
ちょっとおかしいんじゃない?といわれても
私はわたしの中の愛を真っ直ぐ信じて、
来年もこの先も愛のある道を自分の歩ですすみます。

来年も愛を語りましょう。
愛を紡いでいきましょう。

すべては愛のなせる業ですから。

柿の葉すし

2010-12-30 | KOFUKU日記
今朝、風邪で横になっていた私のところに、
奈良のおかあさんから「柿の葉すし」が届きました。

先日、35日法要で戻ったときに柿の葉すしのことを聞きました。
実家の家族が上京するかもと伝えたら、じゃあ送ってあげるねー、
と言ってくださって、こうして届けてくださいました。

実は実家の甥っ子がノロウイルスにやられ、この悪天候なので
この末には上京が出来なかったので、一人で箱オープン!です。

緑色の葉に包まれたおすし、並んですごく可愛い。
そして柿の葉の良い香りがします。

早速、相方さんへ、一つ。



ね、可愛いらしいでしょう?
とても綺麗な食べ物です。
奈良の五条、吉野のお祭りのご馳走として生まれたんだそうです。

一つ頂いてみました。
柿の葉の香りがします。

一口、、、、、
風邪をひいた身体にお寿司ご飯はほんのりひんやり美味しいです。


人をなくして、こういう時に一人でぽつんといると、
なんだか余計に心細いものです。
だって、だあれも面倒見てるれるひとがいないですもんね。

人と暮らすって事は暖かい事なんだなぁって思います。
空気のように、そこにいるって事が大きいのだなって思います。

誰かが「ただいま」って帰ってきてくれるって事は
ものすごい幸せなことなんだなって思います。

みなさん、空気のような人にこそ感謝ですよ。
その人の体温は、知らないうちにあなたを暖めているものなんですから。

そんな寂しいときに、
こうして、知っている人からお届け物が来ると素直に嬉しい。
ありがたいなと思います。


おかあさん、おすし、どうもありがとう。
相方さんと大切にイタダキマス。



明日は、親友のリッキーが妹さんのお家に行くので寄ってくれるそうです。
彼も4月の桜咲く頃に弟さんをお見送りしました。
痛みを理解してくれる友がいるということは、これもまたありがたいことです。

おかげで寂しくなったこの年の瀬に、ほんのわずかな時間でも
一人でない時間が持てるということはすごい事です。


まあ、我が家には相方さんのお嬢様がいますから一人ではないのですが。
いかんせん、このお嬢様、父親に似ておりまして、
マイペースしっかり守ってゴーイングマイウェイですから、
乳母レベルの私の事など眼中にござりませんのです。

昨日も静かだわねと、ふと振り返ったら、
寒かったのか自分でフリースを巻きつけておられ
蓑虫と化しておられました(笑)



お蔭様で寂しくも悲しくもありがたい日々です。
感謝。





聖なる12日の祈り

2010-12-29 | KOFUKU日記


最近、相方さんの昔からのお友達やおとうさんが
このブログに遊びに来てくれる様になりました

相方さんが残してくれたものから、新しいものが生まれていくのは
本当に美しく喜ばしいなぁと思います

反面、「あ、、、もう、おバカはかけないわね、、、」とか思っちゃったりして(笑)

ええ、でも、そのまま、嘘なく真っ直ぐ行きますよ。
それが私ですから。

相方さんと私が住んでいる夢の街の合言葉は「愛と真実」ですからね

新しいお仲間の皆様、そんな私を今後ともよろしくお願い致します(ぺこり)

そしてそんな幸せを残してくれた相方さん、どうもありがとう。



さて、今朝起きたら、私ってば声が大変な事になってました。
風邪による、久々の声枯れです。
鼻水も襲ってきましたが、相方さんが残してくれた
保湿ティッシュが窮状を救ってくれてます。
体調はお薬とお父さんのくれたサプリと滋養のある食事で保っています。
まだ熱が上がらないから、これならいい感じに治るかもです。



さて、世間は三日後に迫った「お正月」ムードで一杯ですね。
昨日行ったスーパーもお正月一色でした。


先日終わったクリスマス。
この国はキリスト教国ではないので、たんなるイベントになっちゃってますが
実は12月25日だけではありません。


クリスマスは正式には12月25日から1月5日までの12日間を指します。
また、この12日間に見る夢は次の年の1年の予知夢とも言われます。

今日の夜は五日目、5月の予知夢。


あ、脱線しました。

いえいえ、今日、言いたかったのはですね、
この聖なる12日間に何を想うかということです。

相方さんへあるクリスマスに贈った詩があります。
それは、ある物語からの抜粋。


この物語では、ある貧しい男がクリスマスを前に友に何を贈ろうかと悩んでいます。
でも自分は貧しくて、世の中の美しい物はなにも持っていない。

そこで、彼は自分の持っているものから贈り物をする事を思いつきます。

それは「クリスマスの12日間に友の為に祈る」ことでした。

その祈りを羊皮紙に書きとめ、彼は友人に贈ります。
友はその祈りを喜び、それを書き写し、またの他の友に贈るのです。

その美しい祈りの詩はその貧しい男が幸せの後に亡くなった後も
多くの人に語り継がれ、現在も生きているというお話。


では皆様にもこの祈りをお贈りします。
どうぞ、静かな気持ちで読んでみてください。





クリスマスの祈り
ブライアン・モーガン



クリスマスの一日目に
君のために喜びを祈ろう。

あふれるばかりの喜びと
心を動かす笑い声を。

笑い声は病をいやし
喜びはたましいを高く舞あげる。



クリスマスの二日目に
君のために吐息を祈ろう。

心を晴らす深い吐息を。
人は吐息をつくときに

どうにもならない現実を
うけいれるのだろう。



クリスマスの三日目に
君のために涙を祈ろう。

あふれる涙は目を澄みわたらせ
きらめく星をうつしてくれる。

流した涙はたましいをきよめ
いやしの道へと進ませる。



クリスマスの四日目に
君のために静けさを祈ろう。

平和をもたらす静けさを
争いも戦いも心のなかで芽生え

心のなかで芽をつまないと
いけないものだから。



クリスマスの五日目に
君のために知恵を祈ろう。

正しい決断へとみちびく知恵を。

知恵の声に従い
日々ことばとおこないで
かしこくふるまえるように。



クリスマスの六日目に
君のために忍耐を祈ろう。

苦難にうちかつ忍耐を。

じっと耐えているうちに
困難はすぎさり、
しんぼう強く待つときに成功はおとずれる。



クリスマスの七日目に
君のために勇気を祈ろう。

雄々しく進みゆく勇気を。

行く手に誘惑や危険が
待ちうけていても
まっすぐに問題に立ち向かえるように。



クリスマスの八日目に
君のためにあわれみの心を祈ろう。

人の痛みを理解するあわれみの心を。

ほんとうに人を助けられるのは
人を理解したとき、

ほんとうに人を理解できるのは
おなじ痛みを経験したときだから。



クリスマスの九日目に
君のためにはたらく喜びを祈ろう。

夢を実現するために
すすんではたらく喜びを。

その夢が君のものでも
君の助けるだれかのものでも
かわりはない。



クリスマスの十日目に
君のために信仰を祈ろう。

ゆるがぬたしかな信仰を。

信仰は人としての生き方と
生きる目的をかたちづくり
人を神に近づける。



クリスマスの十一日目に
君のためにのぞみを祈ろう。

心にあふれる豊かなのぞみを。

のぞみは心のあり方をさだめ
進むべきめあてとなり
生きる理想をつくりだす。



クリスマスの十二日目に
君のために愛を祈ろう。

心の底から湧きでる愛を。

くらしのなかで行き交う人に
いつも愛を
あたえることができるように。







私はこの年末年始の慌しいときだからこそ、
相方さんを見つめるぴーちゃんの様に真っ直ぐに素直に、
一日の最後に知っている誰かの為に、そしてまだ見ぬ友の為に、
そして天に帰った人たちの為に、祈りを捧げたいと想うのです。

そしてもちろん、誰でもない、自分のためにも。
自分を愛せない人には、決して他の人も愛せないと想うから。


皆様が美しく愛に満ち溢れた年末年始をお迎えになられますように。

ジョセフ・メグシー

2010-12-28 | 相方さん(米澤観児氏について)


愛するものは、死んだのですから
たしかにそれは、死んだのですから

もはやどうにも、ならぬのですから
そのもののために、そのもののために

奉仕の気持ちに、ならなけあならない
奉仕の気持ちに、ならなけあならない

中原中也




そう思って一ヵ月が過ぎてゆきました
とはいえ、霧の中を歩むような毎日です

私は人と居ると涙も流さなければ、とても元気なので、
周りからは決して落ち込んでいるようには思われず
心無い言葉を投げかけられたりする事も多いですが
笑ってるしかかなしみを超える術がわからないだけです


相方さんと「季節はずれの雪」という作品を上演したとき
彼は心に大きな悲しみの記憶を抱えるジョセフ・メグシーと言う役を演じました

みんな、悲しみを目に見える形で表現しましたが
彼はそうしませんでした

いえ、彼の演劇性から言えばそうできなかったのです
彼は演じる事はせず、ただそこで「生きる」人でしたから
彼のメグスはどうしてもそうならなかった

そんな彼の演じるメグスは悲しみを爆発させる瞬間までお茶目でいつも笑ってました



そんな彼が稽古の帰り道、言ったことがあります


「人は本当に悲しいとき、悲しめない
悲しみが深ければ深いほど笑ってるもの
そうでなくては苦しすぎて生きていけない

孤独は人を優しくする
だって孤独は愛から生まれるものだから

君はわかるでしょう?
顔みればわかる人はわかるよ」


彼もまた、深い孤独を持っている人でした
だから彼はあんなにも人に優しく出来たのでしょう

計り知れない孤独や寂しさ、私たちの共通点はそこだったかもしれません

私はそんな彼から大きな愛を学びました

あなたはジョセフそのもの、メグスそのものだったねぇ


そんな彼はぴーちゃんを深く愛してました
ぴーちゃんは彼にとって愛娘でしたが
それ以上に憧れの存在でした



相方さんの写真の中のぴーちゃんには彼の愛情と
ぴーちゃんの彼に対する愛情があふれています

ただ生まれた感情の瞬間のまま生きるぴーちゃん
好きは好き、嫌いは嫌い、楽しいと笑って、悲しいと泣く

「俺はぴーちゃんみたいに生きて、演技したい」

彼はいつもそう言ってました





「奉仕の気持ちにならなけあならない」
そう願いながら、今年が暮れていきます

何も変わらない様に思える毎日に相方さんだけがいないのです


変わったといえば、お買い物の内容が激変しました
ほおんとレトルト食品と飲み物ばっかり(笑)
けど、それでもいまだに相方さんのものを買ってる私が居ます

それとヘアスタイルがダウンスタイルになりました
私が長い髪を下ろしているのが好きだった相方さんでしたが
闘病中は衛生面に過敏にならなくてはいけなかったから
ずっと結んだり、ひっつめたりしてたんです
髪をやっとおろせるようになりましたが、その事実がかなしいです


そんな風に小さな出来事が悲しみに捕らわれて落ち込みすぎ
起きれなくなる事などもまだありますが、ちゃんと生きては居ます
相方さんが残してくれた命だから粗末には出来ません
私がここに残ったにはきっと意味があると思うからです
ただ、だからってメッチャ元気にはなれませんが


そんな不摂生がたたったのか、ここに来て風邪ひきました
看病中は気力で風邪なんて跳ね飛ばしてましたが
さすがに気力が落ちたのかもなぁ、なんて…

そんなこんなで年末はゆっくり寝て過ごす事になりそうな予感です


今年もあと数日
ぴーちゃんとふたあり
彼の事を想って過ごしたいと思います



観ちゃん
私にもいつか季節外れの雪が降って春がくるのだろうか?
今はメグスの気持ちが痛いほどわかるよ



「雪が降ってる 季節はずれの雪だ
きれいだな
最後の喘ぎだ

難しいな
疲れを癒すのはなんて難しいんだろうね…」




クリスマスの愛

2010-12-25 | KOFUKU日記
   


クリスマスおめでとうございます
世界に平和がありますように
愛で満たされますように

あんじゅ


≪アッシジの聖フランチェスコの平和の祈り≫


神よ、私をあなたの平和の道具としてください。
憎しみのあるところには愛を
諍いのあるところには許しを
分裂のあるところには一致を
疑いのあるところには信仰を
誤りのあるところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光を
悲しみのあるところに、喜びをもたらす者としてください。

慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することを
私が求めますように。

私たちは与えるから受け
許すから許され、
死ぬことによって、永遠の命をいただくのですから。






昨日のクリスマスイブは相方さんのお誕生日でした。
夜には親友カンナ嬢が駆けつけてくれて、一人ぼっちのお祝いにならず嬉しかったです。
またたくさんの方がお気遣いのご連絡を下さいました。
どうもありがとうございます。

相方さんの大好きなお寿司やローストチキンやケーキ、ビールを用意してお祝いしました。


観ちゃん、チキン、かなりおいしかったでしょ?
あなたの分はぴーちゃんが代わりにぺろりと食べちゃいましたよ
その食べっぷりにあなたが乗り移ったのかとおもったわ(^^)


カンナちゃんからのお誕生日プレゼントの毎年恒例ピグちゃんグッズは
とてもかわいいスワロフスキービーズのぴーちゃん人形で
彼の入っている小さな箱の上に乗っけたら、非常に可愛らしく
相方さんが喜ぶ姿が目に見えるようでした。
カンナちゃんどうもありがとうございました。


また、相方さんにお誕生日のお祝いメールを贈ってくださった皆様、どうもありがとうございます。
彼のもとへと愛を持って届いた事と思います。


お家で彼の為にお誕生会をしてくれたコダマくん、ご家族のみなさん、ありがとう。
きっと、そこで一緒に楽しませていただいたと思います。


あなたはたくさんの人に思われて幸せね。


さみしがりで、仲間大好きの相方さんでした。

「みんな、俺の事わすれちゃうかな」

なあんて声が今にも聞こえてきそう。


だから皆さんに思い出してもらえたら、きっと彼は幸せな事だと思います。
きっと、そこに、いつものように居ると思うから。
どうぞこれからも彼をよろしくお願いします。