KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

インフルエンザの流行る理由って…

2012-01-30 | KOFUKU日記
週末、少し寒さの緩んだ南国も、今朝からまた少しずつ気温がダウン中です。
それでも、ちびっ子たちの元気さが温かみを増してくれます。




《お日様が出ているうちに日向ぼっこ》

 

《アムママに抱っこでちょっと偉くなった気分のぴーちゃん》
《二匹と一人で一個のおもちゃを取り合う仲良し兄妹たち(笑)》



《今日も3匹は仲良く寝んね。寝る子は育つ、ってね(笑)》


さて、先週末、我が家でもインフルエンザが発症しました。
しかもA型(新型)ときたもんだ。。。。

我が家には老人と子どももいるし、働いてる人もいるので
患者さまには可哀想だけれど隔離状態になっていただいて、
出来るだけ安静にしてもらい、病状が重篤にならないように、
症状のない家族は出来るだけ免疫力を挙げてもらって
これ以上状況が悪化しないようにと祈るばかりです。

なんてったって我が家はサラリーマンの家庭ではございません。
定期的にお給料があって、有給があってなんてないのです。
家族それぞれの日々の稼ぎが生活に直結いたしますからぁ、
休めばそれだけ収入ダウン。きゃ~((+_+))なんデス~。

でもインフルエンザは強力な感染症ですからね。
厚生労働省でもインフルエンザになったら、
その家族も外に出ては行けませんと言っています。
学校や官公庁も家族に感染者が出たらお休みになります。

インフルになったら感染力がなくなるまでお休みするのは
世間の常識だと思いますが、厚生労働省によれば
通常のインフルエンザなら発熱が下がってから最低二日、
新型なら症状が出てから7日、感染者は外に出てはいけません。
インフルエンザは感染力が強いし、新型は生命の危険も伴うからです。

熱が下がって、自分は元気なつもりでも
感染力のあるまま出て行けば人にうつします。
学校や職場では大きな迷惑をかけてしまいます。
そんな危険を世の中に広めてはいけません。
だから、懐が寒くなっても、不自由でも、
治るまでは出かけてはいけないのです。


 
《風邪をひいたらゆっくり休みましょう》


という事で、この世にインフルエンザが流行るのは、
その感染力が強いのが理由かと思っていたんです、私。
でも~、もしかしたら、これも理由なんじゃ?と思う事が…。

それは「いいかげんさ」と「自己中」(-_-;)

前回の続きみたいな内容になっちゃってますが(^_^;)
つまりは「危機管理能力の薄さ」と「思いやりの欠如」
そして「常識の欠乏」ではなかろうか、と…思う私。

お母さんにはお休みがありません。
それは世間の常識です。

働く人もお金の為にはちょっとでも良くなったら出ていきたい。
それは世の常です。

熱が下がったら学校にも行きたいし、遊びたい。
その気持ちもわかります。

だからと言って、病原菌をばらまいていいということではありません。

だからお休みすることは大切です。
病気を広めて人に迷惑をかけてはいけないからです。

皆さんのお家では子どもにそれをどう説明していますか?
それとも、そういう事はお話しませんか?

私は子どもの頃、感染症は自分を治すのと同時に、
人にうつさないことが大事と教わりました。

どうやら、周りを見ていると、そういう「当たり前」の常識が今は少ないみたいです。

お金のためには少しでも働きたいから、
子供が家にいるとうるさいから、
自分はもう熱もないし、平気だから…

などなどと、まったく自分だけの都合で
平気で病気をうつしに出かける人が多いのを知りました。

しかも、それを悪いとも思っていません。
当たり前だとすら思っているのです。
自分の都合の為には、他人の事は関係ないし、
風邪なんて勝手にうつるもんだし仕方ないじゃん、
と思う人がそれだけ多いのだという事でしょう。

とても残念です。

たぶん、そういう人が街に出て行って、新しい病人を増やし
中にはそれでうつされた方が聴力や視力を失ってしまったり、
時には命すら落としてしまうのです。

私は人の意識の欠如が死を招くことを
相方さんの病気や死を通してリアルに知っています。

例えば、抵抗力が極限に達している人のそばに
手も洗わない、風邪をひいている人がやってきたら?
その人の持つ普通ならなんでもない菌が相手を殺してしまうのです。

お見舞い、子どもはお断りなんて言えば、なんてひどい、と言う人もいるでしょう。
でもね、ひどいのは、ちょっとくらいいいじゃないと思ってる、その気持ちの方なんです。
手も洗えないような乳児やなんでも触って雑菌を持ち込みやすい
幼児や子供を連れてお見舞いに行くなんてとんでもないのです。
病気によっては、お見舞いのお花でさえも人を殺します。

その為、癌病棟などや、細菌感染が命を落としてしまう病棟では
お花も生もののお見舞いも一切持ち込めません。
家族であれ、マスクはもちろん、紫外線によって殺菌された衣服に着替え
病室には鞄等も持ち込めず、ひどいときはガラス越しでしか話が出来ません。

「そのくらい普通じゃないの?気にしすぎでしょ?」
と思う人がいたら、そんな気持ちのご自身が
「他者に死を招く人」であることをどうか忘れないでほしいと思います。


最近、特に若い方の言い分などを聞いていると
自分中心すぎて悲しいことが多いのです。

不思議に思って聞いてみると、


だって、皆もそうだから…
そういう人多いですよ…
あたし一人がやっても意味なくないですか…
どうせ、一緒じゃないですか…
誰々なんて、もっとそうですよ…


必ず、自分がどうだと答える前にそんなセリフが返ってきます。
自分がないというのか、自分しか考えないというのか…
ため息つくこと多しです。

でも、それって、そういう方の周りの人もそうだったってことですよね。
そういう大切なことを理解していない、教えられてないってこと。
そんな大人が少なくなったことも、とても残念。

しかもそういう体質は日本の体質になりつつある感じがして恐怖です。
政治にしろ、何にしろ。
今の原発事故を考えたってそうです。
病原菌が出ているのに、自分たちの都合で
解っていて広めている。悲しい事実。

田舎に帰ってきて、まだ、少しでも「風習」や「伝統」が
色濃く残っている場所に戻ってきたせいでしょうか?
今の日本ではそういう善き習慣がなくなってしまいつつあることに残念さを覚えます。

昔は風邪をひいたら焼きねぎの湿布とか
キンカン湯を飲んだり、薬草茶を作ったりしました。
普段からも病気にならないように、丈夫でいられるようにと
季節ごとに身体に善い食べ物を作ったり食べたりしました。
皆に流行り病がうつらないようにと努力をしました。

風習とはそういった美しい文化で実用的なものです。
そして、人が、家族が、思いやりながら暮らすための
暖かな心がはぐくんだ愛情や友愛が形になったものです。

私はそういったものが薄れていく事がとても残念です。
今はそういう伝統的な暖かさや美しさと言うものを
少しでも生活の中に息づかせていきたいと思っています。


風邪やインフルエンザ、人にうつす病気はうつさない努力をしなくてはならない。

つまりは人の迷惑にならないように努力をすること。
人を自分の様に大切にすること。

これらは人間が人間として生きる最低限の約束事の一つ。

人としてこの世で生きるための当たり前の常識
せめて身に着けてほしいですね。





《乾燥の強い季節、風邪をひくと肌がさらにカサカサになりませんか?》
震災や原発事故以来、いま生活の中のいろんなものが
自然や天然の素材にシフトしている日本。
肌につけるものも優しくて安心できるものが良いですよね。
アルガンオイル、気になってます。

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I Am Unicorn

2012-01-28 | KOFUKU日記
巷ではインフルエンザが猛威を振るっているようです。
我が家でも一人、猛威にまかれた人が出しまいました…
深夜の救急に行きましたが、薬局が閉まってしまったので
インフルのお薬が出してもらえず、また早朝に病院に行きます。

この冬、乾燥からくる風邪とインフルと火事、地震には
皆様、くれぐれもお気をつけてお過ごしください。

という事で、病院に行く時間になるまでパソコンと向かい合っております。
では、動画を一つ、お楽しみください。


GLEE シーズン3より ミュージカルメドレー



《つくづくアメリカと言う国のミュージカルに対する本気と
 本気の魂に基づいた若者のレベルの高さに打たれます(ー_ー)!!》



さてリアル妹、アムさんはお仕事場で繁忙期を迎えつつあるようですが
このアムさん、非常にお仕事のできる方です。
なんせ、ご自身が会社を辞める際、彼女の仕事を引き継ぐのに
7人の人に振り分けたというつわものです。
なんと一人で7人分の仕事をこなしてしまう伝説の人です。

でも、彼女が「なんで仕事が出来るのか?」と言いますと
それは「仕事だから自分が仕事をこなすのが当たり前」
と言うベースの意識があり、「会社の事を一番に考えて動く」ので、
無駄なく、効率が良く、結果が出るのではないかと、観ていて思います。

そして、私には伊豆の伊東に仲良しの魂の家族ともいうべき友がおりますが
この人がまた見た目のイメージ(なんつか、遊び人的イメージなのか?笑)と違い
そりゃあ、仕事がこなせる方なんですのよ。

要はこの二人、頭が良いのはもう当たり前なかんじですが、
常に人の立場に立って物事が出来るってこと、
思いやり深い人なんだと思うのですが、
いかんせん、自分自身が出来すぎるせいでしょうか?
周りにいるのは仕事のできない人ばかり…
お仕事場の同僚に恵まれず、いつもその人の分まで
仕事をこなす羽目になり、大変苦労しています(^_^;)

その仕事のできなっぷりを聞いてますと相当なものです。
でも、私の周りにも多いです、そういう輩は…(-"-)
という事は、そういう人が多い世の中になってるってことなんじゃないでしょうか?


昨夜、タイムリーにヤフーのトップニュースにこんなのが出てました。
以下は抜粋です

***********************************
「仕事ができない人は何ができない?」
web R25 1月27日(金)7時15分配信

そもそも「仕事ができない人」とはどんな人なのか?
失敗を繰り返す人? 成績が悪い人? 
でも、職業によって仕事っていろいろあるし、
この不況な世の中じゃ、頑張ってもなかなか成果が出ないこともある。
そんな人を「仕事ができない」と言い切ってしまうのは、なんだかちょっと違う気も…。
では「仕事ができない」というのは何なのか? そのメカニズムについて調べてみた。

「“仕事ができない”という評価が下されてしまうのは、大きく分けて3つのタイプです」


《第1にコミュニケーション能力不足タイプ》

こういった人は『空気が読めず気が利かない』
『人の気持ちがわからない』など、
相手の考えや立場を察した行動ができません。

また『自分の失敗を上司に知られたくない』『そんなに重要だと思ってなかった』
などの理由から、“報・連・相”(報告・連絡・相談)を怠ってしまう人もこれに含まれます。

《第2に事業内容を把握するのがヘタなタイプ》

『仕事に優先順位がつけられない』
『スケジュールが立てられず納期の管理ができない』
『“自分がどれくらいでその仕事を処理できるか”が把握できてない』など、
物事を客観的に見ることができないのが原因。

このタイプは若手に多く見られるとか。そして3つ目は…。

《成長するという意識が低いタイプ》

いわゆる“傷つきたくない症候群”で『怒られないように』だけを行動様式にしてしまう人。
結果、今できることにしかチャレンジできず、自ら学ぶチャンスを喪失。
成長の“伸びしろ”がないと判断されてしまいます。

何もしないのが一番の大失敗、ということでしょうか。
では、どうしたら“仕事ができない”を返上できるんでしょうか?


“仕事ができない”人に共通してみられるのは、“自分目線”が強すぎて、
上司や先輩、取引先など相手側に立って考えられないことが主な原因です。
相手側の視点に立って物事を考えられれば、自分を客観的に見る視点も身に付くようになり、
だいたいの仕事はスムーズに進みます。
手始めに、好きな先輩やデキる上司の行動をマネてみては?

「仕事ができない」仕組みを知って、なんだか“デキる人”になれたかも!
 …こうやって調子に乗るのも、仕事ができない人の特徴ですね…(-_-;)

***************************************


如何ですか?あたしは善く注意される、怒られるという方、
思い当たる節はありませんか?

たぶん、妹も友人も私も、この記事には大きくうなずくところありだったと思います。
だって、本当に、お仕事できない、と言うより「しない人」って
これらの部分が共通してるんですもん。

もう一つ言えば、自己中で、楽なことを一番に考える事じゃないかと思いますね。
だから、そういう方は自分が嫌な仕事をしないように動くので
はっきり言って「働く気」はもともとないので、
最初から働けない、働かないのだと思います。
そういう方が多いってのは、本当に残念なことデス。

ただ、思うに、そういう個々の性質は善き個性に変えられると思うわけです。
それには、自分自身を見極めて、受け入れるべきものと
変えるべきを変える勇気が必要なんじゃないかと思うのです。

いま光TVなどで、アメリカの人気ドラマ
「GLEE」の新シリーズを放送しています。

これは、それぞれ性格などに問題を抱える高校生が
合唱部(と言っても歌って踊る)の活動の中で
自分の個性を見つけていくと言った様なお話ですが
まさに上の記事に出てくるような困ったチャンが
そりゃあいっぱい出てくるのですが、
それでも彼らは自分から逃げないで、自分を見つけていきます。

たとえば今回の内容に置き換えると、仕事が出来なくても、
なぜできない自分なのかを知る努力をすれば
それは自分自身で、いろんな方法で解決できる、
と教えてくれるような、そんなドラマなんです。

このシーズン3の2話目は「アイ・アム・ユニコーン」と言うタイトル。
人と違う個性を持った自分を、そのままに受け入れ、
変えるべき勇気をも持つ、そこに「美しさ」が生まれる、そんなお話でした。




《それぞれの個性を持ったちびさんたちもユニコーン》


さて、あなたは、そして私は、本当の意味での
「ユニコーン」(ONLY ONE、ただ一人の自分、特別な一人)
になることが出来るのでしょうか?
自らを「私はユニコーン」と呼べるのでしょうか?

今の自分に答えを聞いてみませんか?

空のように 花のように*追記あり

2012-01-27 | KOFUKU日記


《書き上げる途中でアップしてしまったので
 途中、追記してあります。
 早めに読んでくださった方ごめんなさい》

大寒を過ぎて日本各地、深い冬の中にいるようですね。
当地は今朝から少し寒さがやわらぎましたが
また寒波は戻ってくるようです。
雪で大変な地方の皆様の大変さが少しでもやわらぎますように。

 
《ちびたちは毎日元気です》

 

《眠る天使たち》

 



空のように きれいになれるものなら
花のように しずかに なれるものなら
これも捨てよう あれも 捨てよう
<八木重吉>




今週は家仕事やパソコンから離れていました。
所用があったことや体調崩したのもありますが
冬の静かな季節のせいもあるのでしょうか、
相方さんの一周忌前後から気持ちがなかなか持ち上がらず
元気にはしているのですが、なんにしてもやる気が起きないのです。

絶対しなければならない事は無理してもできる限りやりますが
私は基本的に手仕事でもお料理でも書き物でも
特に人様に関わる事は相手にたいしての
「想い」というものを一番大切にしたいので
その気持ちがざわめくときは手にとりません。
ですから敢えて行動にしないようにしています。
(という事で私のやることはお商売には向いてないのです…^^;)

また自分がして頂く時でも、お相手が快い気持ちで
心からして頂けることでなければ
失礼になるとは思ってもできるだけお断りします。
イヤイヤしてもらっても嬉しくないし、
そのことが私はずっと気になってしまうからです。

そのせいか、私は人に対して何かすることは好きだけど
自分がしてもらうのはかなり苦手なんですね。
そんな私を人は「愛を受け取るのが下手」といいます。
金銭に対する感覚もお金儲けが悪とは思っていないのですが
人生を導いてくださった多くの尊敬する方々が
スピリチュアルや善意を個人的なお金にすることを
良しとしなかったのを、とてもリアルにそうだなと感じていて
それで自分も同じ感覚でいるだけなんですが
スピリチュアルな人によってはそれを話すと
まるでそれが罪の様にもおっしゃる方もいます(^_^;)

確かに「ほどほど」って言うのが自分には難しいんですよね。
現役でバリバリ舞台に立っている時にも
「セーブしてやらないと死んじゃうよ」とか
「マグロみたいだから止まったら死ぬのではないか?」と言われていました(^_^;)
それなりに考えては見るのですが、どうしても「手を抜く」とか
「いいかげん」にあたるんじゃないか?と不安になり出来なかった…(--)

でもまあ、それが私なので、なるべく笑顔で、
快く相手の気持ちを受け取れるよう密かに努力しつつ、
この性格と付き合っていくしかないんですがね(・。・;



《アムママのおひざでリラックスのまろたんデス》


フォーカシングという心理療法があります。
自分の中の憤りとか、やるせない気持ちとか不安を
自分の手のひらに乗っけてると仮定して、
この嫌な感情はいったいなんじゃらホイ?と
ただただひたすらに自分に問い、自分で答えを出すものです。

私は根っこがこのように陰な気質なせいか(--;)
俳優って心を掘り下げるのが仕事のせいかわかりませんが
自分自身をもっとも鼓舞させる方法と
もっともリラックスさせる方法がこれなんです。
つっても、わざわざ手のひらに乗せたりはしないけど(笑)
たまたま、自分の常にやっている方法が
フォーカシングって言うのと同じって後から知ったんですけどね。

でも、不安を見つめて悶々と悩むというよりは、
私の中では先に記した八木重吉さんの詩のような趣の行為なのです。
だから「リラックス」のための行為でもあるんです。
なぜなら自分で自分に答えを出すので、答えが出た暁には
自分の中にはまったく不安が残りませんからね。
その安心感を得るために考える、見つめるといった感じです。

なーんて格好よさげな事をいってますが
答えが出せるまでにはかなりの苦痛と時間を要します。

もともと、私は人を信じすぎるというか、単純だから
相手に期待を持ち過ぎるといった癖があるのですね。
なので、自分の期待感にずれが生じるとショックを受ける。

ええ、ええ、単に自分自身の問題なんです。
その人がどうって事もないわけではないけど、
それよりも、自分が問題なんですわ、これね~。

しかもわたしってやつは結構な理想主義の現実主義なので、
私の人生、常に理想と現実のハザマで葛藤しまくりです。
なんていうんですか?ほれ、金のことは言いたくない!
けどおぜぜがなくちゃはじまんねえ、みたいな葛藤??(笑)



人に対しても同じです。
完璧を目指すべき人間のサガと完璧ではない人間のサガに挟まれます。
しかもこの世は人と密接に関係しているので
人様との係わり合いには結構落ち込んだりもします。

つまり、いつでも人生に悩みっぱなしですね(^^;)
そんな浮き沈みのある毎日なわけですけれど
ナントカカントカ、フォーカシングしつつ乗り切ってるわけです。

大きな出来事の起きた後って時間が立てばたつほど
具体的にいろいろなことも考えねばならなくなります。
どんなことが在れ、生きている以上は生きて行かなきゃなりませんから
何もせず、考えもせず、行動もせずでは生きていけません。

我が家の場合は突然人生を共に歩む相手と
家庭と言うスタンスの中での大黒柱が居なくなったわけで
行く末はもうまったくと言っていいほど見えません。

自分には家族の助けは基本ありません。
助けてくださる方はいますが、すべてを預けるなんてできません。
大変だとしても借りたものは返していかなくてはなりません。
だから今までと同じく生きていく方法を考えねばなりません。
ちびたちもいるし、命の絆もつ支えるべき親も兄弟も居る。
だから同時に反対がわに常に不安が生まれます。
前がなにも見えないからです。

どうやって生きればいいんだろう?
一人でやっていけるだろうか?
病気になったら?体が動かなくなったら?

人との関係にも悩みます。
先に書いたように、人に対して信頼と思いを寄せすぎるのか
善意を利用されたり、その人の気持ちが嘘だったりすると
なかなかその人に対する信頼が取り戻せません。
許せないのではなく「疑い」が晴れなくなるのです。
その人の心の真実を疑ってしまいます。
親しければなおさらです。

そういう自分はとても嫌いなんですけどね。

以前、とても清らかだと思っていた人が
あることで嘘をついたことがありました。
それ以来、その人の力をまっすぐ見られなくなり
今もその方に対してそういう後遺症があります。

思えば、その話をしたときに、相手が私の質問を
私が考える範疇外でいやな気持ちで受け取り
それでそんな風に答えたのかもしれない、とか
いろいろ考えてみるけれど、でもやっぱりまだ信じられない。

家庭でも同じです。友人関係でも同じです。
大切に思えば思う程に真剣に話をするし、
アドバイスも叱ったりもするのだけれど
その真剣さはなかなか伝わらないものなのか、
いつまでも同じ失敗を繰り返していたり、
涙ながらに反省している、すぐその後で
何かを考える風でもなく、何かを始めてみるわけでもなく
TVを見たり、漫画を読んだり、ケータイをいじったり
そんな風景を見ているとこちらの落ち込みが止まりません。

「そんな見返りを期待しちゃダメ」

そうは思ってもパワー使った分疲れます。
心の底からため息でます。
そんな自分はいやだなぁと思うんですけどね。



だから私は時間がかかるんです。
想いを風の様に、花の様に変えるには。
憤りを捨てるには。

ただ、自分を弱い人間だから仕方ないとは言いたくないんだなぁ。
だから、その重みを乗り越えるのには、
ただひたすらに自分の魂を、心を信頼して
自分にうそをつく事を極力減らす勇気をもちながら
ひたすらフォーカシングを続けるしかないのです。
あくまでも私はなんですけどね。

八木重吉さんの詩のようにひたすら思いつづけるしかない。

だから、自分は人に疑われる嘘は出来るだけつかないように
宇宙に向かって嘘はつかないように、ナントカカントカ
できるだけの努力をしていきたいとおもう今日この頃なのです。




「観」

2012-01-20 | KOFUKU日記
今日は大寒。東京は雪がふぶいてるところもあるみたいですね。
こちらは今日は良いお天気です。

こちらの寒さのピークは来週からくるようですが
ちびさんたちは冬の合間に日向ぼっこしています。



《今日はお日様が射してるね~》

 

《お日様が気持ちいいねぇ~、ぽかぽか~》

きょうもちびさんたちはお元気です(^^)


さて、先日、相方さんのご友人で、私も親しくさせていただいている
ガラス工芸家の木下良輔先生から一枚の絵ハガキが届きました。




《2010*木下良輔作 「観」 立像・板ガラス 》


そう、モデルは天国在住の相方さん「米澤観児」その人であります。

木下先生は相方さんが旅立ちを迎えた時にこの立像を手掛けていて
相方さんの帰天と共に、これを仕上げたのだそうです。

間違いなく、相方さんの中で親しみの強い存在であった先生は
芸能界と言うプライベートを見せない微妙な世界で生きる私たちが
プライベートで二人そろってお会いすることのできる貴重な方で
ピーちゃんも一緒に何度も遊びに伺わせていただきました。

ガラスの板を使って作られたこの立像は限りない透明感の中に
覗きこめないような深みがあって、それは美しいものです。

「芝居」と言う世界にすべてを捧げ、一瞬もひるむこともなく
ただそれだけにストイックに生きていた相方さんをよく表現していると思います。

一言で自分の世界を生きる、と言いますが、そう簡単ではありません。

普通、人はいろんな部分で妥協や折り合いをつけて生きていますが
何かを貫くという事は、それを限りなくしないという事でもあって
また、それをしていては歩めない道が芸術かもしれません。

でも、それに生きようとすると、世間の基準に合わないので
世界からはなかなか認めてもらえず、誤解も受けます。

そういう道をただまっすぐに歩くという事は
誰に認められなくても、自分が認められる道を
たとえ、どんなに困難でつらくてもひたすら歩くという事で
大きな孤独や痛みと常に歩くことになります。

時には愛したものでさえ、解っていて傷つけたり、
相手のために手放さなくてはならぬことも出てきます。
それは自分が一番苦しく、つらく、傷つきます。
それでも、と覚悟をもって歩む道です。

普通は自分が傷つくので、皆、そんな道を歩みません。
そういう道を歩んでいると、馬鹿だと言われたり
そんなことまでしなくても、とか、趣味に走ってるとか
本当にいろんなことを言われて、本質を見てくれる人は稀です。

家族であればこそ、一番、どうしてそんなことをしてるのだ?
ちゃんと生きろ!真面目に生きろ、と言ったりします。
やっている本人の真実を見ることなく、取り合ってくれなかったりします。

それは家族や周りの人からすれば、絶対的な愛でもあります。
言っている方には理解できずとも、言われている方にはわかります。

家族に本当のことを分かってもらえないという苦しみと
その愛にあえて背を向けなくては成り立たない世界を生きるのは
それはその道を歩む、本人にとって一番つらい事でもあります。

芸術をやってる人でも、心根が楽をしたい性格の人や
芸術の魂でなく、そこで得られる富や価値に重心を置いて感じる人は
生活のために、自分の為にのみ芸術を使っているので
同じような意見を言うし、まるで何かのパーツになった様に
いろんな妥協をして面白おかしく生きて居る人も多いです。

決して苦労をするのが正しいとは言いません。
それは仕方のない事でもあります。

ただ、彼の人生と、そして自分の人生を顧みるに
「真剣に生きる」ということは何より大事なことだと思います。

私の愛した人は、そういう辛さを苦しみがあることを受け止め
それでも、いつか自分の信じる道を理解してもらうためにこそ
妥協を一切せずに、ただひたすらにそういう道を真摯に歩んでいる人でした。
揺るがない自分と言うものをしっかりと持っている人でした。
そんな相方さんは今もこれからも私の誇りです。


「観」という作品はそんな相方さんの生き方をそのまま形にしたようです。
きっと同じように芸術に捧げて生きる方の心から生まれたものだからでしょう。
彼の持っていた喜びや苦しみを何も彼が言わずとも
先生が同じ芸術の世界に生きるものとして理解しているからこそ
こんな美しい作品となったのでしょう。

こうして形となったこと有難いことだと思います。
相方さんもきっと喜んでいることと思います。

昨日、甥っ子たちが見ていたドラマの中で
「亡くなった人の人生はどこにあるか」という答えは
「誰かの記憶の中で、その中で生き続ける」とありました。


そうであるならば、例え99パーセントの無理解の中にいたとしても
本当の理解者が1パーセントでもいるならば、
その「全き理解」ともいうべき、「君を受け入れている」
と言う大きな愛の中で生きていけるのではないか。

そうであれば、誰に認められなくても、私が認めていればいい、
それこそが、彼が生きたという証なのだ、
その証は私自身がこの身に持って生きるのだ。

そして、それはそれぞれの彼とのかかわりの中にある。
それぞれの証が生まれるのだから、自分との関係を大切にしなくては。
そんな風に感じました。


「観」と言う作品の中に、私の中に、家族の中に、友の中に
記憶に、そしてこれからの人生の中に、彼の人生が生きている、
私たちが生きることで、生かし続けねばならないと思っています。


なぜこんなことを思うのかといいますと、
このところ、妹や友人、まあ、私も含めてなのですが
若い人や周りの方との間でがっかりすることが多いのです。
それが、どう関係あんのか?って話ですが…(^_^;)

真剣さが気になるんです。
自分に対する責任感とか覚悟とか、自分を知るための努力とか?
そういう度合いが薄いというか、持ってないというか…。

時代が変わったんだなぁ、って言うのかなんというのか。
いい加減とか、合理的とか、はき違えている人が多くないですか?
いわゆる「ゆとり」ってやつなのかなぁ。
いや、そんなことで済ませたくないけど。

真面目に、真剣に生きてる人が本当に少ないんだなぁ、
って本当に思うんですよ。思いつきもしないというか。
死ぬ気で頑張る、なんて、今や本当に死語なんですね。
そう思うと、地震や災害で命を落とした方や
生きたくても生きられなかった人に申し訳なくなっちゃいます。

そのせいでしょうかね~。
この世からいろんな風情が消えていくのは。
それも悲しい。さみしい。


そういう人に何かを言えば

「今はみんな、そうですよ」
「結局、一緒だからいいんじゃないですか?」

みたいな?(-"-)

いやいや、「みんな」って誰やのん?
お前の意志はどこやねん?
結局一緒だからって、全部一括りって?
君、合理的だからってトイレで食事して平気とか?
思わず、突っ込みたくなります。


私から言わせたら、最近の方は頭も心も使わず、
ただ理想だけをもっていて、天に手を広げて
降ってくるのを待ってる感じしかしないんですよね。

あくまでも、私の感じる事ではありますが…

そういう人は当然自分をもっていないから、
いろいろ考えているようで考えてません。
自分の頭で考えず、いつもどこかに答えを探しています。

そういう人は「ハイ」という言葉を軽々しく使います。
その結果、「ハイ」と答えたことが出来ません。
ハイと言う言葉に覚悟をもっていないから出来るわけがないのです。

「ごめんなさい」「すみません」を多用します。
でも「間違った」とか「許してほしい」なんてこれっぽちも思っていない。
「やばい」「怒られたくない」自分が窮地に立ちたくない
だから適当に「すみません」と言うのです。

そういう人は、人に言われたことしかできないし、しません。
しかも、それでいいとさえ、思ってる。
言われたことしたんだから、それでいいんでしょ?
なんで言われた以上のことすることあるの?って。

出身劇団の先輩である市村正親さんが昔、言ってました。
「いまの若い連中は何も考えていない。
だから言われたことしかできない。
俺が付き人をしていた頃は「紙」と言われれば
「紙がいるんだから、えんぴつもいるな、消しゴムもいるな」
そう考えて持っていくのが当たり前だった」
私ももれなくそう思います。

言われた事しかしない人、それでいいと思ってる人は自己中です。
人と仕事をしていながらも、周りの事なんか何も考えていません。
言われたことを一生懸命やってれば、それがすべてと思っています。

やるべきことを一生懸命やるのは当たり前。
それが物事を行うときの最低限の基本であるという事が解っていません。
だから、そこから先を考えません。
というか、先があるなんて思いつきもしません。


そういう方は「人間、完璧じゃないし」と常に言い訳をしながら生きてます。
完璧を目指さない人に、完璧が訪れるはずなかろう?
とこれまた突っ込みたくなります。

自分の事しか考えていないから、落ちてるゴミもまたいで通って平気です。
しかも、そういう人は、拾いもしないで「汚い」と言いいます。

そういう人は思うだけの「憧れ」と叶えるべき「夢」とをはき違えています。
いくら願っても、叶える努力のないあこがれは夢として叶いません。
だけど、願っても夢がかなわない、と言います。

そういう人は自分の努力しか見ないので自分がしたことが拒否されると、
それはなぜなのかを観ずに、自分が一方的に傷つけられたと勘違いします。
自分の努力を認めてくれない人は皆、悪人です。
例え、自分のしたことで、相手が迷惑してても気が付きません。
親切の押し売りをしているのに、自分は聖人だと思っています。

一番、残念なのは、自分にダメなところがあることを
本人が理解していても、自分を甘やかすだけで、努力しない事。
だれだって、完璧じゃないけど、それでも頑張ってるんだけどね。

そういうのを間近に見てると非常に残念です…。

そしてこれは恐ろしいことに連鎖します。
でもどこかで自分か自分の大事な誰かが
痛みを伴って学ばなくちゃならない。
そういうものですよね。


だからつくづく「有言実行」って大事だなって思います。
自分がそうする事で、相手の気持ちをも大事にできるんだなって
いま、心から思うのです。

だれしも快く返事をすることは簡単だけど、
答えただけでやらなかったら答えた人を裏切ることになる。
何よりも自分自身を裏切ることになる。
それは、人間として一番してはならないんじゃないでしょうか?

だからこそ有言実行の人生を歩まなくちゃって思う。
時間がかかってもいい。結果が失敗してもいい。
やると言ったことはやってみる。それが大事。

真剣に生きなくては。
自分から、世界から逃げずに向き合わなくては。
大事な世界は自分で作っていかなくては。


人に思いあふれるときは、自分に必要な事が与えられるときです。
自分にもしっかりと言い聞かせ、実行するべき時だと思っています。

人に言ったからには有言実行。
自分自身こそ、そうでなくては。

真摯に生きることは誇りになる。

「世を観、自己を観、心を観、天を観、…」
相方さんを思い出しつつ、いつもそう思うのです。


きょうのチワちびーず

2012-01-19 | KOFUKU日記
今朝は雨の南国です。
雨のせいかこの2,3日寒さは緩んでいます。

ちびさんたちは朝から元気。

 

《お布団をたたむのを布団の上でひたすら邪魔するピピさん
 毛糸玉を振り回しておいでです。》



《お利口ぴーちゃんがたしなめるのですが…ピピさんは無視。
 若干、「あんた、いい加減におしよ」とお怒り気味のお姉さま(^_^;)》



《まろたんはコタツのそばでコロリンしてナデナデ要求(^_^;)
 さすが、マイペース王子のまろたん。キュートでつ~》



《そんなまろ兄たんに「どけ!」とタックルして噛みつく凶暴な妹(-"-)
 妹を溺愛する兄は、ひたすら耐えております(^_^;)え、えらい…》


そして、末っ子はさんざん走り回った挙句…



膝の上でちゃっかり眠ってしまいました。
さすが、末っ子、ゴーインニマイウェイです。

眠ってれば、かわゆいおりこう天使ちゃんなんですけどね(^_^;)


私はちび悪魔ちゃんがお眠りになられたので
やっと片づけひと段落してお茶を飲んでます。



昨日作った塩昆布を一枚入れて、薬草茶を注ぎ
かんたん昆布茶で御座りますよ。
おいしいです。


原発、地震、災害被災地、
そして、それぞれの困難に立ち向かう方々
全ての人に平和がありますように。
今日も一日善き日でありますように。