KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
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南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

La Vie en Rose ~母の旅立ち

2014-08-11 | KOFUKU日記


〈父の選んだ母の遺影 写真もリボンも家族の手作りによるものです〉



8月2日、午後3時56分、最愛の母が昇天致しました。

生前よりご心配くださった皆様、本当にありがとうございました。

また亡き母へのあたたかなお言葉の花束、美しく香り高いお花たち、
過分なお心遣いを御送りくださった皆様、本当にありがとうございました。

皆様のお気持ちに支えられ、おかげ様で5日に葬儀
8日に初七日を滞りなく済ませることができました。

本来なら拝眉の上、御礼申し上げるのが本意でございますが
この場をお借りしまして深く深く御礼申し上げます。
本当にありがとうございました<(_ _)> 

明日より、お心寄せてくださいました皆様
お一人お一人にお便り差し上げる予定でおります。
葬儀後から体調を崩していて、思うように心と体がリンクせずにおります。
そのためお礼が遅くなってしまいますが、
お許し頂き、お待ちいただけましたらとてもありがたいです。


さて母の葬儀は家族のみで静かに穏やかに見送らせていただきました。

もとより経済の本当に苦しい我が家のことですから、
最低限の小さなお葬式しか出してあげられませんでしたが、
葬儀まで数日感がありましたので、遺影の写真をはじめ、
母に持って行ってもらう身の回りのものやお花飾りなど
家族全員で夜なべして手作りして用意しました。

遺影の額にかける黒リボンまで、何もかも手作りの
小さいけれど、あたたかな愛に満ちた葬儀だったと思います。

2007年の秋に脳梗塞で倒れ、そのまま半身不随となり、
それからすぐに脳障害によって意思の疎通ができなくなった母。

寝たきりのまま、話すこともできず、母の闘病は7年にも及びました。
何度も危篤状態となりましたが、医師も驚く程の長い時を生きてくれました。

ついぞ七夕の日に人工呼吸器のお世話になることになり
体も顔も驚く程にむくんで晴れ上がり、呼吸も常に苦しい状態でしたが
そこからも医師が驚くほどの回復力を見せてくれて、
そこから一ヶ月を私たちの傍で力強く生きてくれました。
そのおかげで病院に泊り込んだりして、多くの時間を母と過ごすことができました。

ずっと苦しい息の中での日々でしたが、最後は穏やかな息遣いになり、
微笑むような明るいお顔で向こうの世界へと旅立って行きました。

まるで光り輝くようにお顔が美しくて、お医者様や看護師さんが
「観音様みたい」「マリア様見たい」「なんて綺麗なんだろう」
「きっといいところにいったんですねぇ」と口々に言ってくださいました。

あまりにお顔が幸せそうだったので、おかげで旅路のこと
向こうでのことなどを何の心配もせずに済みました。

昇天してから数時間後、母は初めて今の実家の敷居をまたぎました。

家に到着してからは葬儀屋さんが用意してくれたお布団でなく
いつも自分たちが眠っているお布団に眠ってもらいました。
布団に横たわる母は、本当に顔色も良くて、ぐっすりと眠っているようでした。

葬儀屋さんが帰ると、待ち構えていたように、
犬たちや猫たちが母のそばにやってきました。
いつも知らない人がいれば、本当に狂ったかのように吠えるチビたちが、
吠えることもせず、すりすりと母の頬にすりより、
足元で胸元で顔のそばで犬も猫も母に寄り添って眠ってくれました。
動物たちが大好きで深く愛した母。何よりも喜んでいたと思います。


葬儀までの数日、家族それぞれが思う母の好きなものを集めました。
母の枕辺や柩の中はあっという間に
沢山の可愛いものや美しいものでいっぱいになりました。

妹が沢山の写真をコピーしてくれました。
犬たちも猫たちも家族も全員の写真と髪を収めました。

ヘルニアで療養中の甥っ子は、体調がいいとせっせと母の似顔絵を書いたり、
母のそばに座り込み、ギターやウクレレなどを弾き、
ライアー(小型のハープ)で天上の音楽のような曲を即興で奏で、
フルートやブルースハープを吹いたりして、母のために静かに演奏を続けてくれました。
その合間にロウソクの番をしてくれて、ずっとお香を焚いてくれました。
「俺がばぁばにできるのはこれくらいだから」と言いながら。

母の胸にはカンナちゃんが作ってくれた花束がおかれました。
明るい色合いの手作りの花束を抱いた母はとても綺麗でした。

葬儀の当日、朝にお花をたくさん買って、家族全員で花を摘んで
母の柩のなかに入れました。まるで花畑の中で笑っているようでした。

家族だけの参列で、豪華な祭壇もお花もな~んにもなかったけれど、
とても温かみのある葬儀になり母も喜んだのではないかと思っています。

何よりも亡くなる前からの、驚く程の美しさと神々しさに打たれました。
幸せのオーラ、波動と言うのを母からダイレクトに感じたのです。

周りからすれば苦労ばかりの人生でしたのに、
本人はその苦労のどれ一つ、何一つ厭わずに、
心から喜んで人のために尽くしきった人だったので
きっときっと誰よりも満たされた幸せな一生送ったのだと思います。
La Vie en Rose~まさにバラ色の人生。

やはり人の一生は富や権力などではないんだなぁと深く感じました。
エゴとは無縁のものなんだなぁ、とも感じました。

どんなに悟ったように素晴らしいことを言っていたとしても
やはり人というものは多くの人がエゴが強いものです。
どんなに「誰かの為に」と言っていたとしても、
「(私がそうなりたくないと思ったから)こうしよう」
と言う様に大体の人が自分を気持ち優先でモノを考え、語っているものです。
しかも、そのことがエゴであることにすら気づいていません。

けれど本当に人のことを思い、愛に生きている人って言うのはそれがありません。
最初にあるのは、相手の気持ち、です。そのためにどうしたらいいかと考えます。
そして、自分については謙虚です。自分は人様に対して間違ってはいないか?
ちゃんとお役にたてているか?などと常に自分を問う謙虚な姿勢があります。
母はまさにそういう人でした。

そんな風に嘘偽りなく人の幸せを願い、それを行動に移して生きた人は
人から見て、どんなに辛くしんどい人生を送ってきたとしても
本人はそれをしんどいとも辛いとも思うこともなく
ただただ幸せだと思って生きられるんだなぁ。
死の瞬間ががこんなにも幸せに満たされているものなんだなぁと
母のこの世での最後の時を過ごし、一層強く思いました。

葬儀は終わりましたが、その後も我が家では
まだまだ母が中心の時間を過ごしています。
やはり母の存在は大きかったなぁと感謝と共に感じています。

母の死は生命を奪われるように、突然向こうに逝ってしまった
相方さんたちの時とはまた違う気持ちです。
ただ我が身の一部がいなくなった感はやはり自分が思っているより深いようです。
生きながらにして、その一部をもぎ取られるわけだから、痛くないはずもなく…。
でも、その気持ちに逆らうことはせず、感じ尽くそうと思っています。
感情は前の2回のお別れの時よりも、もっともっと深く静かな流れです。
今は流れる川のように、その流れにそっていこうと思うのです。


そうそう不思議なことがありました。
葬儀前のことです。
長野の心友からメールが来ました。

長野の心友は私と同じくスピリチュアルな仕事や活動はしていませんが
そう言うモノを日常的に感じたり、見ることができる人です。

その親友のメールには、お母様がいらっしゃいました、とありました。
今の状況と気持ちを伝えてください、と言ってきたそうです。
はっきり私の母の名前を名乗ったわけじゃないけれど
多分間違いなく福ちゃんのお母様だったと思う、と。
こんな時に、こんなメールどうかと思ったけど福ちゃんだからと知らせてくれました。

そのメールを見て、ああ、本当に母だなとわかりました。
なぜなら私と家族にしかわからないことがそこに書いてあったからです。
私は兄弟にそのことを知らせました。
母はやはり幸せで安心できる状態にある様子です。

我が家はもともと祖母やおじが(本気の)霊能者の家系なので
そういう不思議は昔からいくらでもあるのです。
葬儀のあとも家に帰ってきたとたんに、祭壇に飾った花が
風も何もないのに家族の目の前で一本だけくるりと大きく動きました。
ああ、お母さんがいるのね、とみんなで声をかけました。

そうなんですが、唯一、父だけがそういうのを嫌います(多分嫌う理由は恐れ)。
神も仏もあるもんか、死んだら終わりというタイプの人です。
私や家族に目の前で何かが起きても信じません(笑)
なので、何か言われても嫌ですし、敢えてその話は一切しませんでした。

すると、今朝、父が言うのです。このところ母の夢を見るのだ、と。
父が言うには母が
「今、18号線のところにいるんだけど車がないから迎えに来てね。
18号線のところで待ってるからね」
と言うのだそうです。

「18号線って一体どこから出てきた?」と思った父は私たちにその話をしたのです。
それがとても気になった妹が18号線を調べると、それは長野に走っている国道でした。
メールをくれた心友が長野にいると知っていた妹は偶然にしては…と思って連絡してきました。
それを聞いて、私ももしやと思い調べてみると、
やはり心友の家の横を通っているのが18号線だったのです。

多分、母は父に自分がいま大丈夫なこと、
そしてタマシイが今も生きていること、
向こうの世界がちゃんとあることを伝えたかったのでしょう。
そして、その世界を父がリアルに感じることで、
この世でのこれからの生き方を支えたいと思ったのでしょう。
怖がりの父が安心して向こうの世界に移れるように。
死してもなお、母の父への深い愛を感じました。

どうやら母のこの行いは父に影響をもたらした様子です。
死してなおタマシイがそこにあることを感じたのでしょう。
それが良い方に働くといいなと思います。

四十九日まであと40日ほど。
それまでは母の御霊と静かに過ごしたいと思っております。

夏のご挨拶もできませんでしたが、
皆様どうかご自愛くださいませね。

取り急ぎ、ご報告でした。
それではまた<(_ _)> 




母を案じてくださった皆様へ

2014-08-02 | KOFUKU日記



療養中の母を案じてくださった皆様へ

本日、母が亡くなりました。
午後三時五十六分八十一歳でした。
眠るような静かな、静かな穏やかな昇天でした。

生前はひとかたならぬご厚誼を賜り、
かつ病中はたびたびのお見舞いをいただきまして、
まことにありがとうございました。 
謹んでここに御礼とお知らせを申し上げます。

お顔が本当に美しくて、観音様や聖母マリア様のようで、
お世話くださった看護師様たちも
「こんなにむくみが出ていたのに、
こんな美しいお顔のご遺体は見たことがない」
と言ってくださった程です。

きっと善き場所に向かったことと思います。
このあと、家族のみで静かに見送るつもりです。

しばらく家を空けるためPCを使えなくなることが多いです。
個人アドレスをご存知の方は何かありましたら、そちらの方にご連絡下さいませ。
よろしくお願い申し上げます。

支えてくださった皆様、重ねまして御礼申し上げます。
ありがとうございました。