KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

光と風の通り道

2013-09-29 | KOFUKU日記


《ここは風の通り道》


私はこれまで、本当にとっても恵まれていて、
「自分の場所」と呼べる場所を幾つか持たせていただきました。

それを思い出すたびに、力を貸してくださった方々に
心からの御礼を申し上げたいと思い、いつも胸に深く思います。

もう生きてきて、出会い、関わった方すべてがそうなのですが、
私の拙い企画に魅力を見出して下さり、快く出資くださったオーナー様達、
そこを構築していくために、惜しみない才能を提供してくださった仲間たち、
そして、そこに集い、受け止めてくださったお客様たち。
影になり日向になりしながら支えてくれた友、家族。
一緒にとなりを歩いてくれた相方さんたち。

皆様、本当にありがとうございます。
ご恩は一瞬たりとも忘れたことがありません。
全ての方に、私は死ぬまで感謝し続けることでしょう。
そして、いつか必ず私のできる最高の形で何か恩返しを、と固く誓っています。


思えば、たくさんの事を与えていただいています。
私は1円も出していないし、何も持っていなかったのに。
本当にみなさん、たくさんのチャレンジをさせてくださいました。

遥か昔、まだ22歳の頃、郷里の繁華街に素敵なビデオショップを。
そして、東京に住むようになって、俳優業の傍ら、
ソウルメイトの故・祐木鎧くんと共にGuy's ACTIONと言う個人事務所を設立、
その後、横浜・溝の口に日本で初めてエンターテイメントカフェ《MUSA》を。

それから南は鹿児島から、北は北海道までの放浪と学びの時を過ごし
シュタイナー学校の専任教師やシュタイナー系幼稚園の臨時教師を兼ねて
東京・小平にて《GOD HUG YOU》の名前でハートセラピーとシュタイナークラフトの教室を。

そこから業界に再び本格的に関わるようになり
亡き相方さんと《オフィス夢の街》を設立。
嘘のない真実と愛をテーマに芸術活動を始めました。
今は相方さんと作り上げた夢の街の南国支部にてのんびり活動中です。

私と相方さんが住んでいる《夢の街》はいろんな響きに満ちています。
それを全部まとめて一言で言うなら、間違いなく《愛》

「夢の街」は私たち二人と仲間たちの芸術活動(生きる)の生まれ、育ち、生きる場所。

なぜなのか?と言われれば、それは「地球」にとっても意味があるのだけれど
それは私の内に天から降りてきた秘密の答えなので内緒にしておきます(笑)

夢の街は恵まれて、この世のいくつかの場所に拠点を置くことを許されました。



横浜の自宅兼アトリエ《オフィス夢の街》



《ここではゆっくり流れる日常の中ですべてのイノチが生まれる》
《家具なども全て相方さんの手によるもの》



先日、ご紹介した、相方さんによる東京・原宿・神宮前の
セルフビルドの可動式の劇場兼アートスペース(スクール)
業者を一切入れないALL手作りのスペース

《シアター夢の街&エンジェルシューレ》



《イノチが息づく場所》



そして、東京・洗足の小さな家
《夢の街手しごと工房*リトルマーロゥ》



《光と風の庭と暮らす小さな家》


たくさんのたくさんの愛すべき場所。
これら、すべての場所の特徴は風や光の遊ぶ場所だということ。
そして、ここに生きた人たちのイノチのカケラで出来ている場所。
そのイノチそのものが生きる場所。
ワタシのイノチのカケラ。

今日はこの中から、洗足のアトリエでの日々を画像でご紹介いたしましょう。

洗足のアトリエは古き良き時代の建物が数多く残る場所にあります。
雅子妃殿下の御生家はご近所さん。
アトリエは昭和初期に建てられた、ちいさな病院で
秘密の扉を開けると、宝物がいっぱいの素敵な屋根裏が現れます。
そして、ちいさな家の奥には光と風が遊ぶ、
自然がいっぱいのお散歩できる広い庭があるのです。
ぴーちゃんはここの嬢王様でありました(笑)

 

《おうちが3軒は立つくらい広いお庭を見張り&巡回中の女王ピグ様》


 
《お庭には大きな御池と小さな池があってお魚がいます》
《大きな木と小さな草花、実のなる木たち、花花花の庭なのです》


玄関を入ると、すぐピーちゃんがご案内(笑)



《お玄関を入るとこの灯りがお出迎えします》



《お知らせボード》



《パンフレットをどうぞ》


 
《レトロなブロックグラスの壁からステンドグラスにも光がいっぱい注ぐお玄関》



《エントランスも毎日姿を変えてお出迎えいたします》



《いらしゃいませ。玄関の奥はギャラリー&ショップスペースです》
《素敵な敷物でしょう?大正・昭和初期のウール。今でも健在♪》



《夢の街手しごと工房の作品でいっぱいです》



《手紡ぎの毛糸さん》


 
《ギャラリーを照らしているアンティークのランプさん》
《ランプ飾りは相方さんの手作り》


さて、ギャラリーには他にどんなモノがあるかな?



《手紡ぎの毛糸で織り上げたドイリー》



《ワインのコルクで作られた手彫りのスタンプ》


 
《そこここに手しごとの道具 これはスピンドル》



《シルクの糸は光があたるとほんとうに綺麗》




《あちこちにちいさな妖精がいます バラのフェアリーちゃん》



《こんなところに石こびとさん》



《袋の中に石たちがひそんでる》



《手しごと部屋の窓辺には天使もいます》



《ちいさな鏡の入ったケースの横には切り紙のオンナノコ》



《空を飛ぶ様にして小鳥を肩にのせた》
《アッシジのフランシスのドールが天井から見守ります》



《手紡ぎのシルク糸で編み上げたベビーシューズ》
《ウールで編んだお花は好みの色に取り替えられます》



《色羊毛で作られたフェルトの花の髪飾り》



《こんなところに可愛らしい子ヤギちゃん 羊毛ドールです》


 
《手紡ぎ糸で編んだちいさなトウシューズ》


 
《専属モデルが着用しております(笑)》


 

《デコパージュ作家の相方さんのお母様の作品も華を添えてくださいます》
《この額はすべて相方さんの手によるもの》



《クラフティエンヌ・カンナ嬢制作の可愛いオリジナルこけしちゃん》



《カンナさんの生み出す美しい羊毛フェルトのブローチ》
《イタリアのおメダイとビーズを使ったネックレス》



《赤い花のブローチ》



《光淡く浮かび上がるローズウィンドウ》




《このいいさな家には優しい光があちこちで溢れています》


 
《ガラス戸でかがやくトランスパレントスター》



はい、ぴーちゃんについてくるでしゅよ?
ギャラリースペースの向こうはキッチンスペースでしゅ!



《庭のかりんを収穫しました。ナツメも梅もあるんです》



《しばらく置いて熟したら、ジャムやカリン酒になります》



《庭で拾った梅をシロップにいたしましょ》



《いただいたフルーツもドライフルーツに変身中》





 
《窓から見える庭はいつの季節も花・花・花》


さぁ、次は工房の中にどうぞ。


《工房にはぴーちゃんのお気に入りのソファがあります》


 
《ここの床は全部相方さんの手で磨かれた無垢材がはりこまれた飾り床なのです》



《工房の中には糸車や原毛が置いてあります。》
《ピーちゃんの後ろに置いてあるのは染めた羊毛の大きなシート》



《ぴーちゃんはここで毛布にくるまってお昼寝が日課》



《仕事はここで お気に入りの机》



《大家さんのお医者様が若き日に編まれたレースのドイリー》



《壁には聖画 相方さんの手作り》



《飾られている花はすべてお庭から》



《アンティークのステンドのそばにも小さな花》



《すべての窓辺に花たち》



《摘んだばかりの庭のゼラニューム》



《本棚にも花》



《洗面器はすてきな花瓶》



《拾ったものはみんなここへ》


 
《ちいさな落ち葉も全部飾る》



《自然の贈り物でこの家は飾られているの》




《あら?こんなところに小さいぴーちゃんとまろたんが!》



《時々みんなでお出かけ》



  
《おみやげと思い出はこんな感じにこの家に残ります》




《夜もふけると優しい灯り》


 
《あったかな灯り》



《あちこちに灯ります》



《あたたかいアップルティーでも入れましょうね》




いかがでした?
ちいさな光と風の家、ゆっくりしてもらえました?

もっともっとご紹介したかったけれど
写真のアップロードがここまででいっぱいなんですって。
と言うことで、今日はここまで。

いつかまた、皆さんとあたたかな光と風の遊ぶ家であえたらいいな。
またお会いしましょうね。

今日はおいでくださってありがとうございました。
(*´∀`*)






夢の街の住人


*kanji*



*kanna*



*ange&pigu*




曼珠沙華の咲く頃に

2013-09-24 | KOFUKU日記



《相方さんが最後の秋にケータイに残していたぴーちゃんと彼岸花》
《横浜・寺家の森の入口の田んぼにて》



「こほろぎ」
中 勘助


肩すそさせのこほろぎは

秋の夜ごとに涙をさそふが

あなたがそばにゐたときは

それはやっぱり唄だつた

あなたのゐないことしの秋

肩させや 裾させや

心ありげなその鳴き声は

刺青(ほりもの)の針と肌にしみる

あなたのみないことしの秋

着物は人に頼みもしよう

わたしの胸のほころびを

誰が 誰が縫つてくれる





玄関脇や庭の奥で彼岸花が早秋の風に揺れている
ゆうらりゆうらりと揺れている

あの人が最後の秋に見た彼岸花は真っ赤だった
あの日もゆうらりとした秋の風が吹いていた

彼岸花を見ていると、胸の奥深くを
ほんの少しだけ秋色の深まった風が通り過ぎる

人はこれをセツナサと呼ぶのだろうか
カナシミと呼ぶのだろうか

今年も曼珠沙華が咲きました


370円のバラッド

2013-09-22 | KOFUKU日記



《すべての迷いがある人へ贈ります》




LIFE~目の前の向こうへ~


もう一切、もう一切 振り返らずに歩み続けたい
まだまだ終わらないから

あの日描いた夢はまだ この手の中にないけど
まだ終わらなくて 果てしなくて 道は続いてく
昨日の悲しみも涙も まだ渇きやしないけど
痛み堪えて 負けそうでも歩みを止めない

零れ落ちた涙の意味を教えてよ
ため息の中 ひたすらもがいて光を探してるよ

今日は泣いたって、泣いたって
「いつか笑えるはず」そう言って
空見上げて、手を広げて 明日の自分を準備して
せめてもう一回、もう一回 君がくれた笑顔で笑いたい
まだまだ終わらないから

誰かの為じゃなくていい 自分の為に生きても
その姿きっと 誰かの微笑をつくるから

揺れる気持ち抑えてまぶたを閉じるよ
暗闇の中 真っ直ぐ差し込む 光を今見つけたよ

何か失って、失って かけがえのないもの手に入れて
また守って、ただ守って 明日へと一歩踏み出すよ
だからもう一切、もう一切 振り返らずに歩み続けたい
僕は一人じゃないから

あの日交わした約束をずっと覚えているから 涙堪えて

もっと頑張って、頑張って 駆け抜けて光を追い越して
もう一切、金輪際 弱音や不安を閉じ込めて
せめてもう一回、もう一回 君がくれた笑顔で笑いたい
まだまだ終わらないから

(関ジャニ∞)







ふと、通りすがった、あるブログで「死にたい」と言うコトバを見ました。
読めば借金があって苦しいから、死にたいと言うのです。
その借金を返していったら、支払っていくのに長い時間がかかって自分は年をとってしまう。
それにお金を返したら、自分には自由も未来も望めないから、
いま死んだほうがきっと楽になると思うケド、その勇気もない、
どうしたらいい、誰か助けて欲しい、って。
自分が作った借金なのはわかってるけど、
こんなに追い込まれたらもう相手が憎くてしかたない。
いっそ、お金を返さなきゃいけない人を殺めて自分も逝こうかって
そんなコトバを聞きました。
気になって検索したら、ネット上にそんな人が結構いました。


人の痛みは形は同じ見えても、痛みの度合いはそれぞれで、
その苦しみを私が測ることはできません。
死にたいと思うからには、きっと私にはわからない深い苦しみがあるんでしょう。
その方のココロの中にいろんな気持ちが渦巻いているのでしょう。


私が何か言うことも出来ないのかもしれないけど、でも言わせて欲しい。
私は10年のあいだに、この世で命よりも大切だと思う人を二人亡くしました。
二人共、若者と呼ばれる年で、本人だって、出来ることなら生きたかったはず。
311を覚えていますか?同じように生きたかった人が命を奪われたことを。

- あなたが何気なく過ごした 今日という一日は
昨日亡くなった方が あれほど欲しかった明日 -

そう言う言葉があります。
あなたはもちろん、何気なくなんて生きていないでしょう。
だから悩みもするんでしょう。

生きたい人にとって、その一日が尊いように、何より大切なように、
例えあなたにとって一日がそんな価値じゃなくても、あなたを知る周りの人たちには、
あなたの過ごす一日は、アナタと同じ様に大事な一日なのです。
不思議に思うかもしれませんが、この世にいる人で、
誰の世話にもなってない人間なんて誰もいません。
あなたが失ったところで辛くなくても、周りは辛い思いをするのです。
特にアナタにココロをかけてくれた人なら誰よりも。

ね、アナタが死んでもなんにも解決しないよ?
あなたが消えても、あなたのしたことは消えて無くならないよ。
この世でも、あの世でもね。
人生はね、死んだって、そのまま続くんだから。
問題は死んだからって絶対無くならない。
私は一度、死んだことがあるから、それをよく知ってます。

それにアナタが死んだら、今日まで迷惑かけた上に
さらに迷惑かけてしまう人もいるってことじゃないの?
死んだら悲しむ人だっているんじゃないの?
だって死んだら自分で遺体の処理もできないんだぞ?
絶対に誰かの手を煩わせることになるよ?
最後まで人に迷惑かけて死んだとして本当にアナタ方は楽になれるの?

だから、そんな事で死なないでください。お願いします。
「そんなこと」って簡単に言うな!って思う?
ならさ、そんなこと、って言う私のお話に付き合ってちょうだい。
歌に例えるなら、ちっちゃいバラッドだけど。
370円のバラッド(物語)に




《一文無しです》

そう言って、今の世の中、何人が信じてくれるだろうか?
この現代で、多分、ほとんどの人は信じてくれないだろうなー。

でも、驚くなかれ、現実です。
支払いや使うべきものを引いたら、必然的にこうなった。
しかも、いろいろ事情があって、2ヶ月続けてこの状態( ̄▽ ̄;)
別に遊んでるわけじゃないですよ。
病気の療養しながら一人暮らししてる私は蓄えがあるわけでもなく、
毎月わずかなお金で、無駄なお金は一円も使っていないです。

うん、大変だよ。楽じゃないよ。
命ですら綱渡りだよ。
本当に楽じゃないよ?簡単じゃないよ?
借金も返していかなきゃいけない。
食べさせていかなきゃいけないイノチも預かってる。

でも、生きていかねばならないなら、何とかするしかないじゃない?
でもね、やってけるもんよ。無ければ無いで。
単純なこと。無ければ無いなりの生活をすればいいだけ。

簡単に言うなって?それが大変なんだろって?
じゃ、なんか悲観的になったら、お金でも湧いて出んの?
悲観的にすごして何か変わるのかって言ったら、
気分が落ち込むだけで得なことなんかひとつもない。
だったら私は今いる状況下で自分に出来ること精一杯して、
できたらいつも笑って暮らしたい、って思ってる。

なんで、そんなに気楽なんだって?
ホントは苦労してないだろうって?

遥か昔、自分は一人で生きていかなくちゃいけないと自覚したとき
すでに物理的に自分を支えるモノなんか一切持たなかった。
親なんて、家なんて、なんの頼りにもならなかったし、
逆に家にいたらすべて喰われて潰されてしまう勢いの貧しさだった。
でも決して親が何もしていなかったわけではないのです。
彼らは彼らなりに必死で頑張っていて、そうだっただけ。
だから私は親には感謝してますよ。
ただ環境はね、ハードだったと言えると思いますね。


-いやもう、数万人に一人の人生だよね
あたしだったら死んでる、よく生きていけるね
アンタは将来、水商売とか実売でもするしかないだろうね
そうなったら、先生、一番に買いに行ってやるから-


これ、マジで直接に言われてた言葉ですよ。
しかも、教師やら、身近な大人やら、親友とかに。
身近な人が真剣にそう思うくらいの環境だった。

うちにはお金がないから、お金のかかる学校の行事もほとんど出られなかったし
修学旅行はもちろん行けなかったし、卒業式のアルバムすら買うことができなかった。
制服も買えなくて、冬の学校指定のコートも持っていなかった。
高校になってからは、兄弟姉妹に何か少しでも食べさせてやりたくて、
電車賃の160円を浮かすために何キロもある道を毎日歩いて帰った。
授業料を払っていなかったから、学校に行ったのに
クラスメートの前で学校から追い返されたこともある。
100円のノートが買えず、理由を言ったけれど
「この現代にそんなことあるか!」と信じてもらえず
先生を筆頭に相当ないじめの対象になったこともある。

この世の中、「金が無ければ真っ暗闇」というのなら
あたしの人生は常に真っ暗闇の中、崖っぷちを歩いてたとハッキリ言えますよ。

多分、社会人として外に出る前に人生の大概の辛酸は舐めた、
と冷静に外から眺めて思うくらいの学生時代を過ごしましたよ。

中学から働いていたけど、ほとんどの学費は自分で作ったし。
休みの日は働いて働いて働き尽くしたし。
終業式が終わって制服のままバイト行って31日までびっちり働いてたし。

自分の稼いだお金は「370円」を除いて、全て家に入れていたし。
稼いだお金で、どこかに遊びに行ったとか、何かを買ったこととかほとんどない。

一度…忘れもしない、高1のお正月に、一冊だけ本を買いました。
370円のコミックス。
この一冊が、この370円が、初めて自分の為に使ったお金でした。

もっと言うなら、働いてた13歳から18歳までの人生の中で、
自分が働いた稼ぎで、唯一の自分が得た自由なお金です。

100円玉がみっつ
50円玉がひとつ
10円玉がふたつ

たった370円、されど370円。
働いたものを自分に使えた事実が本当に嬉しかった。

そして突然気づいたんです。

370円、私が使った370円。これまで稼いだお金。
家族みんなのためにと、学費のためにと、
必死にバイトして作ってきた、(私にとっては)たくさんのお金。
少しでもみんなが楽になればと必死に願った想い。

同じように、私が生きてきた長い日々にも、
誰かが稼いできたお金が、思いが、私のために使われてきてたんだってコトに。
でもそれまで私はそれを返せと言われたことはない。

- そうか、私は一人で生きてきたわけじゃない。生かされてきたんだ -

それが突然、降って湧いたように、リアルを伴って胸に降りてきたんです。
食べてきたご飯も、着てきた服も、買ってもらったモノも全部お金で買ったものだ。
誰かが私のように必死で作ってきたお金だったんだ。
自分と同じよう思って作ってきたものだったんだ。
私はそれで生きてきたんだ。今も生かされてんだ。

人は生きてるかぎり、必ず誰かの愛で生かされてる。

びっくりしてしまった。
そうだったのか、と心の中でつぶやいた、あの感覚。
私は一生忘れない。




《一人で生きてる人なんていない。みんな関わりの中で生きてる》


それから18歳で東京に出て。
自分で働くところを決めて、学校を決めて、全部自分で準備しました。
親が何もしてくれなかったのではなく、してやりたかったけど何もできなかったのです。
私は十分わかってた。

東京で働いたお金は寮費を払って、緊急用のお金だけ残し、
あとは全部、一円の残らず、実家に送ってました。
もらった食べ物も、生活用品も、全部送って。
家族や兄弟が喜んでるんじゃないかと想像して
こんなふうに稼げる自分がとっても嬉しかった。
そんなことより、私が働けなくなったら、みんなが困ると思って必死で。

深川の下町で、いっつもジャージの上下で新聞配達をしながら学校に行く私を
下町のべらんめェなおじちゃんやおばちゃんや
じいちゃんやばあちゃんが可愛がってくれました。
集金に行くと、かごはもらいもんでいっぱいになる。
どこからか、身の上話を仕入れてきたらしい下町のみんなは、
「実家に送ってやんだろ?持ってきな!」
そう言って、色んなものを自転車のカゴに放り込んでくれました。

たまに集金に行くとお茶をご馳走になったり、ご飯をご馳走になったりして、
戦前戦後の貧しかった町やじいちゃんたちの若い頃の話を聞きました。
本当に自由と夢と未来をすべて奪われた時代の悲惨な話。
自分なんてめっちゃ幸せじゃんか!と思えた。
だって、少なからず、今の自分の頭の上には爆弾は落っこってこない。
家族だって、学校だって、劇場だって、自分の大事なものは奪われたりしない。
働いていさえすれば、なんとかご飯だって食べられる。

そして話を聞いてて気づくのです。どんな状況に暮らしていたって
自分が諦めない限り、夢は去っていかないし、奪われることもないんだって。
何よりの証拠に、昔、死ぬほど苦労していたこの人たちは、
今、こんなにも爽やかに笑ってるじゃないか、って。
それは私の中で、すごい大きな発見でした。
「負けないってことは、こんなにも綺麗でカッコイイことなのか…」
そう思えた私は恵まれていたに違いないけれど。

私には夢がありました。それしか考えられない夢でした。
でも夢は途方もないくらい遠かった。どうやって実現したらいいかもわからないくらい。
だけど、そんな時でも、どんな地中深くの暗いとこにいても
自分がいま出来るコトをすることが夢に近づく第一歩だ、と思っていたのです。

だから毎日、近所の屋上に登って夕日を見ながら歌を歌いました。
毎日、人に会うたびに、いろんな話をしました。
その夢のために、毎日、必ず歌を歌って、人と話をしたんです。
夢のための努力を一日でも怠ったら、それは本当に終わる時とどこかで思ってた。

それから病気をしたり、いろんなことがあって一度郷里に帰りました。
我が家は本気の貧困家庭です。貧困の連鎖というものは簡単に途切れません。
そこまで抱えてきたものが大きいからです。
だから、その時も実家のために必死に働いてお金を作ってました。
戻ってきてからも、とにかく働いて、お金は右から左に消えていった。
もちろん、自分の生活もこなしながらです。
だって、自分がアタフタしてる人が何をしてくれても
してもらった相手は不安になるだけでしょうから。

でも、どんなに苦労していても、自分は全てについて、諦めたことはなかったんです。
というか、諦める理由が何もなかったんですよね。
お金がないとか、地方に住んでるとか、それをやったことがないとか、
借金があるとか、年をとるとか、恋もできないとか、どうしてそう思うんだろう?
やってもいないことを、それがどうして夢を諦める理由になるんだろう?
だって、どれもやればいいだけのことですよね?生き方が本気なら全部やればいい。
私は生まれてきたのに自分を精一杯使ってない、って、そっちのほうが気が引けてた。

そして、夢を持ち続けて、そのための出来る小さいことを延々やめないで続けて
自分の世界からは最も遠くにあった自分の夢を叶えました。
自分でチャンスを作り、それを掴んでプロの役者となったのです。
プロになってからは、ずっとプロでいるために必死でした。
でも、お金にまつわる本当の困難はそこからだったんですね。

当然ですが、家には稼ぎガシラの私がいなくなったワケで
しばらくは自分も学ぶ方で稼げなかったのでお金も送れませんでした。
元々、極度に貧困家庭の実家は困窮を極めました。
お金が払えなければ電気もガスもとまる。食べるものも買えない。
一般家庭では考えられないことだろうけど、
うちには元々電話もなかったし、保険も入ってなかったし
病気したって、病院なんかいけない家でした。
自営業だから、その日稼ぎがなければ、お金は全くないのです。
子供の頃は生ゴミを拾ってきて食べてたこともしょっちゅうでした。
当然だけど親は砂金を繰り返し、ブラックリストに乗ってこれ以上お金なんか作れない。

そんな家だから、困って困って困り果てたに違いないのです。
知らない間に私の名前を保証人の多額の借金が作られていました。
私は何も知らなかった。

ある日、裁判所に呼び出されたんですよ。
これから裁判にかけられると言う、青天の霹靂とはこのこと。
そこで初めて自分が相当額の借金を背負ってることを知るんです。

その時、裁判官だった方が、なんと私のファンの子どもさんのお父さんだった。
偶然だったけど、そりゃあ驚いたし、どんな顔していいかわからなかった。

私が書いたものじゃないにしても、契約書には私の名前が使われてる、
私が買ったものでも、使ったものでもないけど、
それは家庭に必要で私にはどうしても言えなかったんだろう。
家族は連絡しても返事をしてこなくなりました。そこにいたはずなのに。
でも、どこかで申し訳なさそうに暮らしてる家族が見えたんです。

私は思いました。自分が払えばいい。私が買ってあげればいい。
払いきれば何の負い目もないじゃん。
そうすれば家族は少しでも気持ちが楽になる。
私はそれだけのコトを、それまでに無償でしてもらってるじゃん。
だから私は今日ここに居るんだし、って私はそう思ったんです。

「私が払います」
そう言った私を見て、裁判官は何も知らなかった事実を組んでくれて
相手の方に説明もして下さり、少しでも返金が安くなるように間に入ってくださった。
私の子どもが大好きな役者さんがとても誠実で一生懸命な人で良かった、と。
私はとっても嬉しいです、頑張ってね、と言ってくださって…。
この方へのご恩も決して忘れてはいけないと思っています。

そんなことが、一度ならず、何度もありました(笑)
その度に親、兄弟には何も言わずに、長いことかけて毎月多額の借金を返しました。
少なからずとも、帰ってきて働いてくれとは一切言わずに
役者をやらせてくれてる家族がいるから、私は好きなことができてる。
地元に帰って助けることができないなら、これが、せめても私ができることだと思ってました。

それからパートナー達と出会い、彼らと夢を同じにして、
彼らを支えて生きると決めた時、家族は何も言わず、
あなたの好きな道を行けばいいと送り出してくれました。

パートナーたちのご家族は誰ひとり悪い方はいません。
とっても普通の善良な人たちです。
だけど、芸能界はなかなか理解されないんですよね。
うちは両親ともども、元業界人なので、大きな理解がありましたけどね。
普通の人に別れといっても、それはもう仕方ないというか…。
理解がない限りは頼ることもできませんし、出来るだけ迷惑ないことくらいしか。
あとは理解されない道を進んで、そこで大きくなって、
認めてもらうしか道はないなぁとずっと思っていましたね。

でも業界で本気でやって行くにはバイトしながらなんてできないんです。
けれど、業界を知らない家族にはいい加減な生き方をしてるようにしか見えなかったんでしょうね。
いくつになっても定職にもつかず、趣味に夢中になってる放蕩息子みたいなもの。
極端に裕福なわけでもないから、援助もそれほど望めない。
しかも、男だから、家族に迷惑かけたくないってプライドもある。

だけど、どうしたってお金はいる。なくちゃなんともならない。
芸能界は本当にお金かかるんです。必要経費が半端ないんです。
稽古だって行かないといけないし、そこまでの交通費もかかるし、
カラダのメンテナンスもしないといけないし…。やることいっぱい。

プロになったって、本気で余裕で食べていくのはひとにぎり。
その、ひとにぎりの世界にいたって、
コンスタントに作品に出られてなければその間の収入はない。
めっちゃ厳しい世界。でもそこで生きていくと決めたのだから、やるしかない。

そうなったら、どうするかって、やってる人は時間なくて出来ないわけだから
隣で支える人が頑張って、その人の分まで働くしかないやんか!
だって夢は二人で一個なわけだから。自分の夢でもあるわけで。
その仕事を長く続けていくためにはお金も作って行かなきゃいけないし。
当然、援助も元もないワケだから、借金でもしなやっていけなくて。
それらは年月を重ねれば、どんどんかさんで行くわけで…。
でも、それをしていかないとキャリアつけられないし、仕事も手にできない。

ピークの時は4つのバイトを掛け持ちして、朝4時台の始発で仕事に出て終電で帰る毎日。
それでも時間を作って家仕事を全部して、相方たちのお世話をさせてもらいました。
表に出てる人の状態がベストでなくちゃ意味がないから。
自分たちで事務所やっていたから、自分も本職の俳優業をこなしたし、裏方も全部やってました。
多分、25歳位から20年くらい平均睡眠時間は1、2時間ぐらいだったと思います。
毎月最低40万稼ぐだけの仕事して、その中から25万くらい借金を返して、
生活費も全部作って、事務所の役者さんのお給料もこさえて…。
我ながらよくやっていたよなぁ、と思う。
もちろん、いろいろお店とか劇場とかやらせてもらってきましたが
ほかの人の分を払わないといけないので、相方さんはお給料もらっていても
必要経費の分だけ支払ってもらって、自分が個人的にお金を使っていたことはないんです。
だから自分が遊ぶとか本当になかったし、そんな余裕があったら相方を付き合いに出してました。

でもそれでよかったんです。やりたい事をやっていたんだから。
それが本当に幸せだったから、なんの後悔もないし、
大変なことはかず限りなくあったけど、不幸だったとは全く思わないデス。



《幸せはお金なくても見つかるよ?》


療養に入る、ほんの3年前まで、私はずーっと、そんな風に暮らしてたんですよ。
いつもいつも大きなお金に追われて、自由な時間はずっとバイトしてるか
自分たちの公演の準備とか、家仕事をして、真っ暗闇の崖っぷちを歩いてましたね。

特にここ5年くらいは心身の状態が良くなくて、どんどん働けなくなってきてね。
本気でどうしようもなくなって、それこそ、たくさんの方に手助けしてもらいました。
本当に感謝しかないですね、そう言う人たちには。
ずっとずっと感謝して生きていくと思います。
その人たちの誰がいなくても、今日はないのだから。
本当に人間一人では生きていけないんだなぁって思うんです。

そうなるまでは周りにはほとんどお金の苦労の話はしたことはなかったですね。
だから、そんな分担を知らない周りの人にはいろいろ陰口叩かれたりしましたよ。
でも言いたくなかったんです。相方さんにも自分にもプライドってもんがあるから。
相方さんにも、適当にごまかしてくれと言ってそうしてもらってました。

だけどね、私は根っこがおめでたいんでしょうね。
そんな状況でも自分の自由や未来がなくなると思ったことはないんです。
それよりもほかに思うことがいっぱいあったんですよ。
だって街金にしろ、お友達にしろ、お金を貸してもらうのって、
自分とその人の間にそれだけ信頼ないと貸してなんてもらえないじゃないですか?
借金返すたびにね、それができていたって事実を振り返るんです。
その信頼を失わないためには、出来る精一杯で誠意を示すしかない。
まずはそれを信じてくれた相手に感謝して、
その信頼を作ってこれた自分の人生に感謝して。
自分がその誇りを失わずに生きていくことが一番の恩返しだから。
その努力をすることの方が、プライベートで何をするより大事だったんです。

本当を言えば、私が私個人のためだけにお金を借りたってことは一度もないんです。
いつも、何かの、だれかのためなんですよ。表の理由は。
でも思うんですよね、誰かのためって、結局、自分のためなんだって。
誰かが幸せになって欲しいと思ってすることは、自分が幸せになるってことだから。

貸してくれたお金は用立ててくださった方の人生そのものだから。
自分の時間や思いやお金がそうであるように。
その人の労働や、心や、時間でできたもの。
それは本来、お返しすることなんてできないもの。

それを、貸してくれた。
あなたのためになるならいいよと貸してくれたのです。
だから、何をおいても、優先するべきこと。
心から決してなくしてはいけない感謝。
相方じゃないけど、「自分が何ができなくても返すべきもの」
貸してくれた。それだけで、それだけのコトを相手はしてくれてるのだから。

貸してくれた人にも、借りた人と同じだけの人生があるのです。
その人にも抱えているものがある。周りに関わっていくべき人もいる。
だけど、そんな中、アナタに力を貸してくれたのです。
お金じゃなくても、形じゃなくても、あなたは必ず誰かから力をもらってる。
誰にもチカラを貸してもらわずに、生きてる人間なんかこの世にひとりもいない。

私は今もお金を返しています。優しい人たちは「もういいよ」って言ってくれるけど。
だからこそ、返したい。それこそ、そんなわけにいかないと思う。
そんな、優しい人たちに、これ以上甘えたくないって思う。

もちろん、こんなカラダで状況だから、物理的に出来ないこともありますよ。
そういう時には祈ります。感謝を持って相手の幸せを祈ります。
そして、出来る時に100円でもいい、1000円でもいい、返して行くようにしています。
余裕はありません。毎月、自分の生活費から工夫して出します。
お金で返せない時には持っているものを差し上げたり、
何か出来ることをさせてもらったりしています。
私は多分、これを死ぬまで続けます。だってそれが私の今できる事だから。
それをやめたら、私はみんなが示してくれた愛を裏切ることになるから。
だから出来る限りをやっていきたいって、そう思っているんです。



《貧しさも工夫して楽しむためのスパイスになるんだよ》


お金で自分の人生は大変だ、死にたいって
思ってる人がいたら考えてみて欲しいのです。
借金があったら、自分の未来はないって思ってる人がいたら
もう一度、本当にじっくりと考えてみて欲しいのです。

あなたが誰かからお金を借りた理由は何ですか?
そのお金は何に使いましたか?
夢?仕事?生活?家族?彼氏?彼女?
ギャンブル?学校?趣味?それとも他のこと?

でも、どれも全部、自分の為ですよね?
自分が安心するために使ったお金じゃないですか?
多分、世の中使われるお金って、理由はそうなはずですよ?

アナタがその人にお金や人生の相談したのはなぜですか?
それだけの深い絆があったからできたんじゃないのですか?
それだけアナタが大事にするべき人ではないのですか?

自分が安心するために借りたお金を返すのがしんどい理由はなんですか?
遊べないから?自分の好きなことをする時間がなくなるから?それとも他の?
あなたは自分が自由になるために借りたお金を返さずに
そのせいで、自分にはまた自由がないと嘆き、相手を裏切りたいですか?

そのしんどさは、あなたが楽になるならと、あなたを信じてくてた相手が
アナタに示してくれた深い愛と並べた時にどちらが重いですか?

あなたが死んで、解決しますか?悲しむ人は一人もいませんか?
周りの人に感謝してますか?少しでも恩返しましたか?
感謝せずに、返さずに、あなたは死んでいけますか?
向こうでも、今の人生の続きが待ってるとしたらどうですか?
向こうに相手がやってきたとき、あなたは笑顔で会えますか?
何より、そんな自分をまっすぐ見てアナタいま安心できますか?


人間、状況的に返せない時もありますよ。そんなもんです。
それは全然悪くないし、仕方ないのです。
だけどあなたのココロの中から相手への感謝を失ったら人としておしまい。
本気で人を利用しただけになりますよ。何も返せないままで終わります。
上手く言えないけど、その人たちにだって人生があること忘れないで。
アナタと同じ様に生きているんだよ?ココロ削って生きてるのはあなただけじゃない。

何をしたら相手は喜んでくれますか?
何をしたら自分は本当に心の底から安心できますか?

それを本気で考えられてたら、夢も諦めることなんてできないし、
それを返すことが自分の幸せに必ず繋がってくるはずなんです。
ましてや死にたいなんて、自分にも相手にも何もできなくなること、考えられないはず。

あなたの夢に誰かのチカラを借りたとき、あなたの夢というものは、
既にその人たちの夢でもあるんだってこと、気づいてください。
という事は、チカラを貸してくれた人は他人ではないんです。
カラダの違うもうひとりの自分自身なんですよ。

-夢見ることができれば
 やり遂げることもできる

今立ちはだかる高い厚い壁も
乗り越えたら自分を支える壁になる-


これはほんとです。やってきたあたしが言うんだから間違いないよ。
だからって無理をしろとは言いません。無理したって相手も嬉しくない。
相手はそれでアナタが幸せになることを願ってチカラを貸したのだから。

まずは貸してもらって、自分が助かった時のコト思い出してみて。
嬉しかったでしょ?助かったでしょ?安心したでしょ?
どんな気持ちだった?それを、もう一回、じっくり味わってみて。
そしてそれからアナタを助けてくれた人の笑顔を思い出してください。

もう一度聞きますが、アナタが死んで、その人が笑ってくれますか?
いまアナタが一番にやらなきゃいけないことは、その人を笑顔にすることのはずです。
アナタはその為にいま何ができますか?

私もね、今も金銭的なことや生活でいえば真っ暗闇の崖っぷちを歩いてるけれど、
そんな私が笑っていられるのは、他人にどう見えようが、何を言われようが、
自分がその時にできる精一杯のこと、やって来たから。今も、できる精一杯で生きてるから。

だって、それが一番の恩返しでしょ?まずそこでしょ?
それができないなら、相手に自分の言ってきた事
やってきたことなんか、全部嘘ってコトじゃない。
人間、どんな素敵なことをしてるようでも、自分に嘘をついたら終わりなんだよ。
自分で自分の魂を殺すのも、れっきと殺人だから。




《食べるものがなくなったら自然の中に潜めばよし!》


15歳のあの日、手のひらに握りしめた370円が私に教えてくれたモノ。
どんなにお金を積んでも買えないココロ。

私は道の途中で転んだっていい。ぼろぼろになったっていい。
人からあんなふうに生きて…、あんな風に暮らして、って笑われても後ろ指さされてもいい。
私は生かされていると胸を張る。生かしてくれる人がいるんだと胸を張る。
だから、生かしてくれるスベテのヒトやモノやセカイの為に精一杯生きる。
歩みが遅くても、時間がかかっても、何ができなくってもいい。
自分が出来る精一杯をして生きるだけ。それは間違いなく大きな喜びになる。
それがチカラを貸してくれた人への、まず一番最初の恩返しになるのだから。

辛い時は空を見て自然に癒されながら、それでも370円のバラッドを口ずさむこと忘れない。

『辛抱する木に、実が実る』
『辛抱する気に身がみのる』


って昔の人は言うんだよ。


ふまれても
ふまれても
我はおきあがるなり
青空を見て微笑むなり
星は我に光をあたえ給うなり


って言うんだよ。

みんな、アナタと同じ様に困難が降りかかった人だよ。
苦しんで苦しんで、死と隣り合わせに生きた人ばかりだよ。
でも、そんな人だから、それを超えて、こんな美しい言葉が出てくるんだよ。


人も宇宙も地球も自然もすべての生きとし生ける物は、
大地に立つ一本の木と同じ様に繋がってる。
全く知らない人でも、そうやって繋がってる。
そうやって、生かされてる。
どうかそれを忘れないで。
どこかで忘れたら、あなたの木は枯れてしまう。


あたしの気持ちの中に抱えてる借金も相当果てしない金額だけど(笑)
いくらであったって、返すんだって感謝と誇りを持っていこうよ。
いくら誰のせいにしたってさ、究極、どれも自分で使ったお金じゃんか?
覚悟決めていこうよ。
青空の下、どうどうと歌をうたいながらいこうよ。
バラッドを口ずさんでいこうよ。
そんなアナタは、死ぬよりずっと綺麗でカッコイイ。






Luna

2013-09-19 | KOFUKU日記


《今宵は十五夜 月が出ても出なくてもお空見をしませんか?》





湖上

中原中也


ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。

沖に出たらば暗いでせう、
櫂から滴垂る水の音は
昵懇しいものに聞こえませう、
――あなたの言葉の杜切れ間を。

月は聴き耳立てるでせう、
すこしは降りても来るでせう、
われら接唇する時に
月は頭上にあるでせう。

あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言や、
洩らさず私は聴くでせう、
――けれど漕ぐ手はやめないで。

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう、
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。




「月が綺麗ですね」

十五夜の宵に紛れて、そんなことを言ってしまう人が多そうな今宵(笑)
みなさま、ごきげんいかがでしょう?
わたしはなんとか生きてます。

今日は十五夜、中秋の名月。
今宵は月の光でも浴びましょうか。
こんな日でもないと、人は宇宙に生きてること、なかなか気づかない。


宇宙の中に月もポッカリ
わたしもポッカリ
ゆうらゆうらと漂って
宇宙のソラの果からやってくる
音なき音を聴くのです


2013中秋の名月の朝に


マドンナの老い~人生の秋に

2013-09-06 | KOFUKU日記




《洗足夢の街の近くに立っておられた母似の観音さま》



「人生の秋に」

この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり
働きたいけれども休み
喋りたいけれども黙り
失望しそうな時に希望し
従順に平静に己の十字架をになう
若者が元気一杯で
神の道を歩むのを見ても妬まず
人の為に働くよりも
謙虚に人の世話になり
弱って、
最早人の為に役立たずとも
親切で柔和であること・・・
老いの重荷は神の賜物
古びた心に
これで最後の磨きをかける
まことのふる里に行くために・・・




昨日の午後、母が体調を崩し、息も荒く、熱もあり、もしかしたら…
明日、一番に来て欲しいという連絡が母が入院している病院の医師からありました。
騒ぐココロ落ち着かせて受け止めなくてはと、あえて普通に賑やかに過ごした夜。
明けて病院に連絡すると、母は熱が下がってくれたようで、少し落ち着いた様子でした。
まだまだ予断ならない中ではありますが穏やかに居てくれています。

母は80歳を超えました。
今朝も、いつ、何があってもおかしくない年齢ですから
少しのことで命に関わると心していてください、と医師にも言われました。

半身不随になって、しゃべることができなくなり、
今では意識はあっても、全く言葉を交わすことはできません。
こちらを認識しているのか、見た目からは判断できない状況です。

ただ、私は認識している、と感じています。
だから行けば必ず話しかけて会話して帰ります。

母は若き頃、少女歌劇の娘役トップと言う華やかな世界の高い位置にいた人です。
生まれもとても裕福で、日本でも有数の資産家の娘でしたが
戦争がそれらすべての環境を奪ってゆきました。

けれども生き仏と周りから尊敬され愛された祖母によく似た明るく優しい母は
持ち前のバイタリティと才能と博愛の心をもって戦後を生き抜いてきました。

ところが芸術人として素晴らしい地位につきながら、最後に彼女が選んだのは
ひたすら激しく苦労を伴う、たったヒトツのちいさな愛でした。
人生の困難を背負った父と、その荷を自分が背負うと決めたのです。

苦労、苦労の連続で、きっと楽をしたことはないと思います。
遊んだことも、自由に何かをしたことも、何かを買ったこともないでしょう。

けれど、母の顔から笑顔が消えたことは一度もありませんでした。
彼女のココロから愛が消えたことはありませんでした。
彼女の唇から、夫や世界に対しての悪言がこぼれたことは一度もありませんでした。

家に来る人を、その心と工夫を持って精一杯持て成し、
相手の幸せをココロから喜んで、悲しみにともに涙を流す。
家に入り浸る友人は、私でなく、母に会いに来るのでした。
別れた彼氏ですら、母を訪ねてくるのです。
「私の娘を愛してくれる人を愛さないはずがないじゃない。
とっても大切な人達で、私の子どもと同じでしょ。」
そう言って、母は私と同じように友やお付き合いする人を愛してくれました。

貧しくとも不平を言ったことは一度もなく、苦労ばかりを与える父を、
お父さんがいるから生きていけるのだと嬉しそうに語る母。
料理も裁縫もすべて講師ができるほどの腕前で、
どんな粗末な素材でも、その感性で美しいモノに作り変える母。

家庭訪問に訪れた担任の先生が、母を見られなくて言葉につまる。
そんなことが当たり前のような、美しいお母さん。
いつも着物を身にまとっていて、いつも静かな笑を絶やさない、
その背筋の伸びるような穏やかで凛とした姿を見て
近所のおじさま方は「マドンナ」と呼びました。


そんな母は人生を全て嘆きに変えてしまったような父のそばにいて苦労の連続でした。
寝たきりになって、もう7、8年が経とうとしています。
私は病院恐怖症があるから、長く病院にいられないし、
一人で交通機関を利用できないから、なかなか行かれません。
だから、行くときには手土産になにか飾るものとかを持って行き置いてきます。
母は今は病院でケースワーカーさんや、担当の看護師さんや
ヘルパーのみなさまに、とてもお世話になっています。

母が当然倒れて右半身が不随になって、一番最初に思ったのは
母が大好きだった手仕事がもう出来ないのだ、ということでした。
なぜだか、それが本当に悲しかった。

長い闘病の中で、ひとつだけ、良かったと思うことは、
母がだれかの世話をすることなく、ベッドに横になっていられて、
外の世界にいた、知らない人たちにお世話してもらっていること。
すべて母が結婚してからの人生になかったものです。

本当は私が違う形で、母にそんな時間をあげたかった、それが本音。
でも母はそうなればなったで「子どもに世話かけて申し訳ないね」と思う人だから
今はこうして、病院で大事にしていただける時間があって良かったと思っています。
家族がそばにいられないのは、さみしいかもしれないけど。
それでも、そういう時間が、母の最後の日々にあると言うことに感謝しています。
人は人生で平等に時間を使っていくというから、
今までそこに使えなかった時間を目一杯使って楽もして欲しいって思います。

昨日、母のことで連絡をもらい、この「人生の秋に」を思い出しました。
母が一日でも善き人生の秋の日を過ごしてくれますようにと祈ります。

そして、母が無言で教えてくれる人生の深みというものをココロ深く受け止めたい。
老いていく、という当たり前のコトを暖かい胸に抱きしめて生きていきたい。
そう思うのです。


わたしの美しい、うつくしいおかあさま。
わたしの母となって下さり、ありがとうございます。
どうか、あなたの美しい時を精一杯まで穏やかにおすごしください。

あなたの娘より
愛をこめて







《青春》  サミエル・ウルマン 


青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。

優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。

苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ
恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、
その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、
事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、
偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。

これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば
この時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。