KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

善いお年を

2012-12-31 | KOFUKU日記

 

【取っ組み合いをしては、怒られてばっかりのちびっ子たち】
【でも、寝るときは必ずくっついているんだよねぇ(*´∀`*)】


今年もお世話になりました
いろんなことがありました
嬉しいことも 悲しいことも
だけど、それはみんな明日へのひと足
みんなみんな幸福につながっているひと足




【あたたかな新年をお迎えください】



ありがとうございました
また来年もよろしくお願いいたします

愛と感謝を込めて
福ちゃん

「何も個人的にとらえてはいけない」~ホピの言葉から

2012-12-29 | KOFUKU日記




【クリスマスイブにはピピちゃんと相方さんのお誕生会を開きました】
【ピピちゃんは2歳になりました!】



【カンナちゃんがケーキとチキンで祝ってくれました。ありがとう!】
【なんと偶然、同級生のおうちのケーキ屋さんでケーキを買ってきてくれました】
【とっても繊細で可愛くて、ものすごくおいしいケーキでした(*´∀`*)】


あと三日で2012年も暮れゆこうとしています。
クリスマスも過ぎ、早くも年の瀬です。

クリスマスも5日目
今日は全ての愛しき人々に「正しい決断を導くための知恵」を祈りたいと思います。

この祈りとともに思い起こしたのは、この言葉たちでした。


「ホピの長老たちの声明」

あなたはあなたの人びとにそのことを伝えてきている
けれどもいまこそがまさにその時だということを
あなたの人びとのところに戻って伝えなさい。

よく考え、重んじられるべきことがあります。

あなたがどこにくらしているか?
あなたはなにをしているか?
あなたはどんなつながりをもっているか?
あなたは正しいつながりのなかにいるか?
あなたの水はどこから来るのか?
あなたの畑のことを知りなさい。

いまこそが、あなたの真実を話す時です。
あなたのコミュニティをつくりなさい。
お互いをいたわり合いなさい。
リーダーを自分の外に探してはいけない。
いまこの時を、あなたは楽しむことができる。

いまという時、川の流れはとても速くなっている。
とても強い流れなので、怖がる人も出てきます。
それによって切り離されたように感じて、
ひどく苦しむ人もいます。

でも、その川にたどり着く先があることを、
知っていてください。

長老たちは言います。
私たちはいまこそ岸辺を離れ、その流れに飛び込み、
目をしっかりと見開き、
水の上に頭をださないといけないときだと。

その流れななかにともにいるのが誰なのかを
しっかりと見て、彼らとともに祝いなさい。

歴史のこの時において、
何も個人的にとらえてはいけない。
個人的にとらえた瞬間に私たちの精神的な成長と旅は、
止まってしまうだろう。
一匹狼の時代は終わった、皆で集まりなさい。

あなたの態度からも言葉からも、
葛藤という言葉をなくしなさい。
私たちがいますることすべてを、
聖なる方法で喜びとともに伝えなさい。
私たち自身こそ、私たちの待ち望んでいたものである。

アリゾナ、オランビ村、
ホピ独立共和国の長老たちより



今年の終わり頃になって、今やメールなどでしか人と交流できなくなった私と
貴重な言葉を交わしてくださるメール友達と新しい出会いをいただきました。
出会いに感謝感謝でゴザイマス*:・(*-ω人)・:*

出会いの中に、人の中に、いつも素晴らしい学びがございますが
この度もそうで、その方と会話させていただく内容から、
自分の友人たちの働きの素晴らしさをしみじみと感じたり、
コミュニティと言う在り方や生き方をもう一度考える良い機会を与えていただきました。
本当に出会いに感謝。その方の存在のお陰様で、本当にありがたい事です。


私の大切な友人たちは、世界で、そして日本のあちこちで
農業や芸術や、教育などなど、それぞれでいろんなコミュニティをつくり、
人と自然と世界と共に生きようとしている人が多くいます。

それぞれの持つ才能・タレントと言うギフトを最大限に使い、
それぞれが自分はこの世界の為に何をすることができるのか、
そして、自分がどう動くことが、この世界の全ての人に対して、
一番善い事なのかを、ココロ探く考えりながら愛を持って生きています。

家庭で生きる人もいれば、歌を歌う人もいるし、踊る人もいる。
絵を描く人もいるし、何かを作り上げる人もいます。
頭を使う仕事の方もいれば、手を動かし足を動かす仕事の方もいます。
一般の方も、特殊なお仕事の方もいるし、子どもらもいます。
我が身を自ら苦境において、聖なる生き方をし、修道院やお寺の奥深くで
手足が動かなくなっても世界中のすべての人のために祈っている老齢の方もいます。

町や村みたいな場所を造って暮らしている人もいれば、
一つの家にシェアしながら暮らしている人もいるし、
住む場所ではなく、集まる場を持って活動している人もいますし、
ユニットを組んで、いろんな場に出かけていく人もいます。

私の友人たちは誰も人と戦うような形は取らないし、声を荒げたりもしませんが、
例えば311以降、誰よりもどこよりも早く原発停止の署名運動を始めたり、
そう言った世に憂う事が起きると、それと同時に、
その影響を受け困る人々が生まれることを決して忘れず、
他の人が起きたことに怒りをぶつけたり、暴言を吐いたりしている間に、
影響を受けて立ち止まる人たちを支えるための活動をしたりしています。
例えば、今なら、安全な種を守るためのシードバンクを始めたり、
自然エネルギーに寄る電力会社を立ち上げたり次々と活動しているのです。

脱原発をするのも、何をするのも、自分が危ない、
自分と周りだけが助かりたいからじゃなく、
それをすることがこの世界にとって一番善いと思うから。
その為に近くにいる人たちと、一緒に笑い、
一緒に涙を流しながら必死に生きているのです。

私の一番の心友は、今のこの世の中に、わずか4万円のお給料で
子どもたちの為に私設の幼稚園の先生として働いています。
朝も昼も夜も、子どもたちのために考え、いろんな準備をします。
この幼稚園はお昼ご飯もおやつも先生が用意をします。
お誕生日やクリスマスの贈り物も全て先生の手作りです。
彼女は長野の雪深い村で、エアコンもない古屋に工夫しながら暮らしてます。
生活する為には、もちろんお金が必要ですから、
子供たちのための幼稚園が終わると養護ホームで働くのです。
電車に乗って、自腹で交通費を出して行ってます(^◇^;)
電車賃を引いたらたくさんのお金は残りません。
きっともう少し割のいい仕事もあるでしょう?と聞くと、
だって、待っててくれる人たちがいるから、と笑うのです。
辛いとも、苦しいとも、大変だとも聞いたことがありません。
今日ね、皆とこんなことしたよ、あんなことしたの、と楽しそうにいいます。
自分が彼らのためにしていることを、彼女は「してあげている」なんて風には、
これっぽっちも思っていないのです。だから、そんな彼女の周りには、
いつも彼女を愛する人たちの心があってあたたかいのです。
昨年冬からは「ご主人様」という心強い同志が増えて
二人でそう言う暮らしを楽しんでいます。

こうして、生活に密着している中で人の為に生きている人もいれば
ネットなどを最大限に使って、人を助けている人もいます。
形はいろいろですが喜んで自分と時間を捧げている人々が確かにいるのです。
共通しているのは、自分の出来ることを躊躇せずに使って行動していること。
そして、自分の感情優先で生きているのではなく、
向き合う場所に誰かがいて、その人たちと共に歩んでいること。

「何も個人的にとらえてはいけない」
ホピの長老たちはいいます。

確かにコミュニティって繋がり方を間違えるとすぐに崩れてしまいます。
誰かが一人の考えを押し通そうとしたり暴走すれば必ず崩壊するし
ここは自分がいるから成り立っている、なんて考える人がいたら
その時点で「共同体(コミュニティ)」などではなく
そこは誰かの為に存在する「帝国」になってしまいますから。
それではいけない。そうさせる側にも問題があるのです。
ホピの長老たちが言うように、コミュニティで生きるには
それぞれの魂が自立していなくてはならないのでしょう。

ネイティヴアメリカンの世界では、
7代先の子孫と兄弟である地球のことを考えて今日を生きます。
今日の一日が、7代先の未来にどんな幸せをもたらせるかを考えます。

共同体という生き方の中で、助け合い、自分を捧げて生きます。
悪口を言ったり、自分の栄誉を自分の口で讃え自慢する様なことはもっとも蔑まれることです。
家族が亡くなるとギブ・アウェイと言って自分の持ち物を周りの人に全て差し出します。
周りの人々は、その捧げ物を大切に受け取り、思い出と共に大切にします。
そして、全てを捧げた人のところには、また新しい何かを持って集まるのです。
それは決められたことでなく、心がそうせよと思うからするのです。

本来、この地球に住む全ての人々が、このようにあるべきで
地球という共同体の一員でなくてはならないのだろう、と感じます。
そして、お互いがお互いを思いやって生きていくことが大切なのだと感じます。

311以降、日本は大きな驚異にさらされていますが、
そこで私が分かった事は、今まで以上に、人間が大切なものの本質を知り、
そして考え、動くということ。そんな感じがしているのです。

万一、また未曾有の災害というものに晒されたなら。
この地球がそのような状態に置かれたなら。

昔、何もなかった頃、それでも自然は人より先に成長を遂げ、
その恩恵に預かって、人はこうして生きてこれました。

もし今の地球で、大きな災害が起き、物質的なものの意味がなくなり、
更に自然も失うという状態になったら、人間は、生命は、果たして生きていけるのか?
薬に頼る人は、その薬がなくなったらどうします?
お金に頼る人はそれが消え失せたらどうします?
そこに残るのは何?残ったものをどうするの?
そんな風に今は日々の中で感じながら考えて生きるようになりました。


私の友達の様な生き方を、中には笑う人もいれば、
こんな時代におかしいんじゃないの?っていう人もいます。

でも311が来て分かった事は、そういう人たちの生き方は
そして暮らし方は、何があっても揺るがない、ってことでした。

私も魂深く、この世と共鳴できるように耳を澄ましながら
受け止めた音を体現しつつ、暮らしたいなぁと思います。
あれこれ言ってるだけより、何かを出来る人でありたいと思います。

そんな生き方を彼らから学び、この先も出来ることを続けていけたらと、
心の底から願う、2012年の年の瀬を迎えています。

あと二日、2012年を最後まで大事に生きたいデス(*^_^*)



クリスマス

2012-12-23 | KOFUKU日記


【 May your Christmas be a joyful one 】


今年もクリスマスがやってきました。
クリスマスイヴは相方さんとピピさんのお誕生日(´∀`)
ささやかなお祝いをしようと思います。

クリスマスといえば、クリスマスソングに映画にとたくさんの作品がありますが、
私の一番のオススメはこれ!
数多いチャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロル」映画の中でも
1970年のアルバート・フィニーのミュージカル作品「スクルージ」です。

ディケンズのクリスマス・キャロルのストーリーは
クリスマス・イヴの夜、強欲な老人エブニーザ・スクルージの元に
7年前に亡くなった共同経営者のマーレイの幽霊が現れます。
重い鎖に巻かれ、悲惨な姿になったマーレイは
金銭欲や物欲に取り付かれた人間が向こうの世界でいかに悲惨な運命となるかを伝え
新しい人生へと生き方を変えるために3人のクリスマスの精霊を彼に送ります。

スクルージを訪ねるのは3人のクリスマスの精霊。
「過去のクリスマスの霊」、「現在のクリスマスの霊」、
そして「未来のクリスマスの霊」

過去の精霊はスクルージが忘れきっていた少年時代に彼を引き戻し、
孤独のなかで、しかし夢を持っていた時代を目の当たりに見せます。
また青年時代のスクルージの姿も見せ、金銭欲と物欲の塊となる以前の
まだ素朴な心を持っていた過去の姿、そしてかつての恋人との出会いから
金銭欲が原因でのすれ違いによる破局を見せるのです。

次に出現するのは現在のクリスマスの精霊。
彼はスクルージをロンドンの様々な場所に導きます。
貧しいなか、しかし明るい家庭を築いて、ささやかな愛で結ばれたクラチットの家族の情景、
伯父を呼べなかったことを惜しみながらも知人達と楽しい夕食会をしている甥のフレッドの姿を見せます。
またクラチットの末子ティムが、脚が悪く病がちで、長くは生きられないことを話します。
スクルージがそれにうろたえると、彼が冒頭で寄付を頼みに来た紳士に対して発した
「余分な人口が減って丁度いい」「牢屋や救貧院はないのか」等の言葉を
自分自身が発し、またクリスマスの精霊のローブの下にいる
かわいそうな「無知」「貧困」の子供達の口から投げかけられるのです。


最後は第3の精霊・未来のクリスマスの精霊。
スクルージは、評判の非常に悪い男が死んだという話を聞くのです。
評判の悪い男のシーツに包まれた無惨な死体や、その男の衣服まではぎとる人々を見ます。
また、クラチットの末子ティム少年が、両親の希望も空しく世を去ったことを知るのです。
そして草むし荒れ果てた墓場で自らの名をスクルージは見つけます。

映画ではこのまま向こうの世界に突き落とされ、凍りついた自分の新しい住処や
この世のものとは思えぬほど大きな鎖に巻かれてしまうのです。
しかし、クリスマスの始まる夜明けと共に目が覚めるのでした。
彼は3人のクリスマスの精霊と共に経験した悪夢のような未来が、
まだ変えることができる可能性があることを感謝します。

彼はマーレイと3人の精霊達に感謝と改心の誓いをし、
クラチット家に御馳走を贈り、寄付を再会した紳士達に申し出、
甥のフレッドの夕食会に出向くのでした。

原作ではのちにスクルージは、病気も治ったティムの第二の父とも呼べる程の存在となり、
「ロンドンで一番クリスマスの楽しみ方を知っている人」と言われるようになるのでした。

私はこの作品が大好きで、若い頃、頼まれてビデオ家さんの副店長をやっていた時
本当に毎日この作品を見ては、スクルージさんと一緒に毎日改心してました(笑)

YouTubeでこのフルムービーを見つけました。
日本語字幕はありませんが、ミュージカルなので
かけておくだけでもクリスマスの気分に浸れます。
是非ともご覧ください。


SCROOGE 1970 Version Albert Finney...The BEST Version EVER!.avi





相方さんが亡くなった年のクリスマスにもご紹介しましたが
随分前に心友の一人から手書きで贈られた本の写があります。
後日、本ももらったのですけど、とても嬉しく、
相方さんをはじめ、親しい人に手書きでうつしては贈らせてもらっています。

手書きではないけれど、今年は全文を皆様に心を込めて贈ります。






クリスマスの祈り
ブライアン・モーガン


はるかむかしのことだった。
豊かな心をもつ貧しい男がいた。

クリスマスの近づいたある夜
男は夢を見た。
友につきることのない富を
あたえる夢だった。

目がさめても
夢は男のあたまのなかを
いつまでもかけめぐっていた。

やがて男はぽつりといった。
「この世にある どんなものでも
手にいれられるとしたら
いったいなにを友に贈るだろう。」

友に買う美しいもの、高価なものを
心にえがいては男は ほほえんだ。

しかし、男はおもった。
「わたしはこのうちの
どれひとつ持っていない。
だけど、こんなに満ちたりている。」

そこで男は考えた。
「ほんとうの豊かさとは
お金のあるなしに
よらないのだろう。」

「きっとお金で買えないほど
ねうちのある贈り物が
あるにちがいない。」

夜の静寂のなかで
男はクリスマスについて
おもいをめぐらした。

やがて男は羽ペンを手にすると
羊皮紙の巻物にむかった。



クリスマスの一日目に
君のために喜びを祈ろう。

あふれるばかりの喜びと
心を動かす笑い声を。

笑い声は病をいやし
喜びはたましいを高く舞あげる。



クリスマスの二日目に
君のために吐息を祈ろう。

心を晴らす深い吐息を。
人は吐息をつくときに

どうにもならない現実を
うけいれるのだろう。



クリスマスの三日目に
君のために涙を祈ろう。

あふれる涙は目を澄みわたらせ
きらめく星をうつしてくれる。

流した涙はたましいをきよめ
いやしの道へと進ませる。



クリスマスの四日目に
君のために静けさを祈ろう。

平和をもたらす静けさを
争いも戦いも心のなかで芽生え

心のなかで芽をつまないと
いけないものだから。



クリスマスの五日目に
君のために知恵を祈ろう。

正しい決断へとみちびく知恵を。

知恵の声に従い
日々ことばとおこないで
かしこくふるまえるように。



クリスマスの六日目に
君のために忍耐を祈ろう。

苦難にうちかつ忍耐を。

じっと耐えているうちに
困難はすぎさり、
しんぼう強く待つときに成功はおとずれる。



クリスマスの七日目に
君のために勇気を祈ろう。

雄々しく進みゆく勇気を。

行く手に誘惑や危険が
待ちうけていても
まっすぐに問題に立ち向かえるように。



クリスマスの八日目に
君のためにあわれみの心を祈ろう。

人の痛みを理解するあわれみの心を。

ほんとうに人を助けられるのは
人を理解したとき、

ほんとうに人を理解できるのは
おなじ痛みを経験したときだから。



クリスマスの九日目に
君のためにはたらく喜びを祈ろう。

夢を実現するために
すすんではたらく喜びを。

その夢が君のものでも
君の助けるだれかのものでも
かわりはない。



クリスマスの十日目に
君のために信仰を祈ろう。

ゆるがぬたしかな信仰を。

信仰は人としての生き方と
生きる目的をかたちづくり
人を神に近づける。



クリスマスの十一日目に
君のためにのぞみを祈ろう。

心にあふれる豊かなのぞみを。

のぞみは心のあり方をさだめ
進むべきめあてとなり
生きる理想をつくりだす。



クリスマスの十二日目に
君のために愛を祈ろう。

心の底から湧きでる愛を。

くらしのなかで行き交う人に
いつも愛を
あたえることができるように。




ひとつひとつ祈りながら
男は知った。

「私はなにかを贈るつもりだったが、
宝はすでに 友の心のなかにある。
どうかこのことに気づいてくれるように。」

男が祈りのことばを書くたびに
不思議なことがおこった。

祈りは友のためにささげられたが
男の心にもしっかりと刻まれた。

すると、祈ったとおりのことが
男の人生に実を結ぶようになった。

クリスマスの祈りを
男は書き写し
大切な友に贈った。

時の流れのなかで
クリスマスの祈りの物語も
いつしか忘れられた。

男のうわさは
二度ときかれなかったが、
時がたつと
クリスマスの祈りは
世界のあちこちにあらわれた。

ひなびた村にすむ人も
にぎやかな街にすむ人も
クリスマスがくると
羊皮紙の写しを
友から贈られるのだった。

こうして
不思議なことは
ますますふえていき、
ようやく
クリスマスの祈りは
あなたの手もとにたどりついた。

クリスマスの祈りを
豊かに味わい
あなたの心も
暖かくなりますように。



(クリスマスは12月25日から1月5日までの12日間を指します。)





皆様、善いクリスマスを。


道を歩く

2012-12-16 | KOFUKU日記


【やすらぎの時間】



夜の道

私は美の中を歩く
日がな一日歩く
めぐる季節に
美しさを見いだしながら
美しい鳥…
楽しげな美しい鳥と歩く…
私は花粉の道を歩く
足元で跳ねるバッタと歩く
足を露でぬらしながら
私は美とともに歩く

私の前の美と歩く
私のうしろの美と歩く
私の上の美と歩く
私のまわりじゅうの美と歩く
美しいものに惹かれてここにきた
美しいものを求めてまた歩く
最後はもっとも美しいものに会うだろう




いつも心に響く、私の大好きなネイティヴアメリカン・ナバホ族の詩です

さて、明日は投票日。
私の権利をいかに使い生きていくべきか。。。。
いろんな言葉や行動を眺めつつ、我が身を振り返りつつ感じていました。

mixiのボイスでつぶやいたんですが、選挙の事も含めて、
世の中には確かにいろんな意見が存在するし、策略もあるだろうし、
それを声高に発信する媒体もあるだろう、とは思うのです。
でも動いて決めんのは結局自分じゃないのかなー、って思います。

あれがどう言った、こう言った、こうしてるせいだ、乗せられるな!
って言ってる人の方がよっぽど情報戦に煽られて乗せられてるんじゃない?
そう感じてしまう私がおりますのです。

もし何がしかの声に乗ったとしたら、それが自分の選んだ答えじゃないのかな?
選挙権にしても義務じゃなく権利だから。権利をどうするかはその人自身が決める。
いろんな意見はあると思うけれども、自分でどう使うかを決めればいいと思う。

とにかく誰かの、何かのせいにしながら自分を正当化って私は嫌です。
自分で考えて、覚悟決めて、行動して、受け止める。
非力でも私はそうしたいなぁ、と思います。

こう言う言葉を書けば否定的な意見はいくらでもあるでしょう。
自分の気持ちをうまく言えているかもわからないデス。

でも、私にとって一番大切なことは、その事柄や権利に対して
真摯に向き合って覚悟をもって答え出したいって事なんです。
それがどういう答えであれ、私はそういう事をまず大切にしたい、と今回心底思いました。




【実家のニャンコの「にゃん」ちゃん ポットの上がお気に入り(笑)】





【チビ達は今日も元気(´∀`)】


さてさてさて
10年位前に書いたブログの記事に、
もう一回思い返してみたいことがあったから載せてみます。



「ダライ・ラマのマントラ~生きる」

●「生き方」インストラクション

1.大きな冒険を伴う大いなる愛と行いを大切にしなさい。 

2.失うものはあっても、与えられた教訓は失わないこと。

3.3Rに習うこと。 

―自身を敬い(Respect
―相手を敬い (Respect)
―自分の行動全てに責任(Responsibility)を持ちなさい

4.求めているものが手に入らなくても、実はそれが幸運である事もあるのです。

5.ルールを学ぶと正しいルールの破り方も学べます。

6.些細な争いで大切な関係に亀裂を入れてはいけません。

7.間違いだと気付いたら、すぐに過ちを正す行動をとりなさい。

8.一日の中で、一人で過ごす時間を持ちなさい。

9.変化に寛大であれ。しかしながら自分の価値を失うなかれ。

10.時には沈黙が一番の答えである、という事を忘れないこと。

11.正しく気高く生きなさい。年齢を重ね過去を振り返る時に、
二度に渡って人生を楽しめるようになるでしょう。

12.あなたの家庭にある愛に満ちた空間こそが、あなたの人生の基盤なのです。

13.愛する人との間に相違が生じたら、今起きていることだけに対処すること。
決して、過去は持ち出さないこと。

14.自分の知恵を分かちあいなさい。それが不滅を実現する道なのです。

15.この地球に優しくあれ。

16.一年に一度、まだ見知らぬ土地を訪れなさい。

17.互いが必要する以上に愛しあうところには、最高な関係が存在しています。

18.手に入れるために諦めたことが自分の成功だと判断しなさい。

19.愛に臨み、自由気ままに扱いなさい。




これが、全ての人に有効とは思わないけれど
誰かの、何かの、参考にはなるのではないだろうか。

人はこういった言葉や行為やいろんなものからインスパイアされて
いろんな思いを育んで、いつしか心の奥に自分の言葉を紡ぐもの。
いろんな思いをその織り糸の一本にすることが大切ではないかと感じます。

私は、私を使って、私として、精一杯生きていきたいと思う今日このごろです。

バランス

2012-12-10 | KOFUKU日記


【南国の秋ももう終わりです】

実家のとなりに立つイチョウの大木の葉があと少しで全部落ちそうです。
秋も終わりなんですね。時が過ぎるのは早いです。

ひとつ前の記事で母の生死のことを書いたので
心配してくださった方もいて申し訳ありませんでした。
今はまだ大丈夫です。
私の場合、何事も後からくるタイプなので(;´∀`)
ただ今回は先にわかった時間の分だけ落ち着かないのです。
そんなですから、今はただ時を過ごすことを大切にしています。




【冬はあったかいところでゆったりまったりがいいね】


7日夕方の三陸沖地震、揺れた地域の皆様、大変でしたね。
ちょうど生放送のニュースを見ていて、揺れ始めから地震だと分かり、
地震のあった地方の皆さんと一緒に揺れをともに体感していました。

311の時、私は東京に住んでいたので、瞬く間にあの日のことを思いだし、
ものすごく緊張し、恐怖がこみ上げて、本当に揺れているように恐ろしかった。
311を体験したちわわンずも駆け寄って来てバッグに駆け上り震えていました。

TV画面の「津波!避難!」の赤文字、
「命を第一に!」「大震災を思い出してください!」響くアナウンサーの声。

怖かった。
被災地の方々の恐怖は察するにあまりあるほどです。
移住した揺れない土地に住んでいる私ですらフラッシュバックして
恐怖から熱が出てしまい、しばらく寝込んでしまいましたから。
でも、あのアナウンスは人を救えると思う。
人は死を感じなくては本気で逃げない、そんな気がする。

あの日のあの揺れ。私の住むマンションの震度計は震度7をさしていました。
地盤のせいか、立地のせいかわからないけど、
とにかく建物はものすごく揺れたのです。
となりに立つスポーツジムのプールの一面のガラスが
まるで溶けた飴のようにグニャグニャと揺れていてゾッとしたのを覚えています。

運良く私は犬と貴重品だけ握って階下に逃げられたものの、
その全面ガラスの波のような様子にガラスが割るかも、
地下のスパのボイラーが爆発するかもと、逃げてきた住民の方と
皆でジムと反対側の駐車場に這うようにして逃げました。
その短い時間の中でチビ達を抱え、一瞬死を覚悟しました。

その後、揺れの凄さに階下に逃げられなかった上階に住む人たちは
何軒ものお宅が3ヶ月ほどのあいだに家を売りに出して引っ越されました。
私のアンティークの大型のガラス戸付きの本棚は地震の揺れで歪み、
ガラス戸が外せなくなってしまいました。それほどの激しい揺れでした。

命に関わる恐怖は記憶の中から簡単には消えてくれないようです。
そして、あの日のように、命が奪われずに良かった。
昨日の地震が本当に大事にならなくてよかったと思います。
これ以上揺れませんように、と祈っています。





【ちわわンずは毛糸玉が大好きデス(´∀`)】
【籠から奪ってはほどくのが楽しいみたいです】



先日、実家のシェアメイトちゃんと一緒に家族が大ファンの
関ジャニ∞さんのTV番組を観ておりましたら
カラオケの歌を機械で採点するコーナーがありました。

関ジャニさんと歌手の方と同じお歌を歌って点数を競うのですが
その対戦相手に昭和の人気歌手の方が出ておられました。
歌った曲はジャニーズの人気グループのお歌らしいですが、
そんな前の曲でもなく、今時のお歌と行ってもいい曲です(笑)

それを聞きながらシェアメイトのKちゃんが
「同じ曲なのに、なんだかものすごく違う、なんだろう?」というので、
一応歌うたいの端くれの私が気がついたことを話してみました。
音楽家ではないので、もちろん、私の勝手な解釈で、根拠はございませんが(^_^;)

それは、歌を「リズムで歌う」のか、
「フレーズ(メロディ)で歌う」のか、
と言うようなことデス。

それこそグループサウンズとか流行る前の日本の歌謡曲は
美しい歌詞があり、その歌詞にメロディを載せたものが主流でした。
まずは言葉ありき、もしくは曲と歌詞が同時に生まれるもの、そんなイメージがあります。

言葉ありきでありますゆえに、当然ながら昭和でも50年代以前は特に
歌といえば歌詞(メロディ)にポイントをおいて歌われています。

でも50年代以降のお歌というのは、リズムが主体になりつつあって
歌もそのリズムに乗って歌われているのです。
もちろん歌詞はものすごく大事だけど、フレージングよりもリズムで歌う感じ?

ちょっと文章では表現が難しいですが、不思議なことに、
歌のポイントを置く部分をメロディとリズムにわけて歌うと
昔の歌が現代風に、今の歌が昭和歌謡のように聞こえてくるんザンスよ(笑)

そういうわけで、昭和のスターさんはメロディアスに歌い、
関ジャニさんはリズミックに歌ったんですね。
歌詞で歌うかリズムや音で歌うかでは、息を次ぐ場所が変わってきます。
だから同じお歌を歌っていても、全く違うイメージに聞こえたのです。

と、感じた私のお話をしたのでございます。

注)もちろん、もろもろ理論はありますが
大雑把にこんな感じって事ですけれども(・。・;


しかも、昔の歌手の皆さんは本当にお上手なので、
メロディを追っても伴奏やリズムを忘れることはないのですよねー。
味のある歌、いい歌を歌う人は、皆そうなのかもしれません。
どんなにメロディックに歌っても、ちゃんとリズムや伴奏が聞こえてきます。
反対にどんなにリズミックな方でも、歌心のある方が歌うと
ちゃんとメロディーや歌詞が伝わってくるから不思議ですねぇ。
そして、そこに流れていないハーモニーですら聞こえてくるのです。
そこが、すごいところですなぁ。


ほかの方が少年隊さんの「君だけに」を歌われましたが、
この曲なんかはこう言うのがわかりやすいのですよ~。

ほら、これってパチンって指のクラップ音が入っているでしょ?
メロディだけを追ったり音程だけを追ったりしちゃいますと、
瞬く間にこの音が聞こえてこなくなるんですよ。

上手な人が歌うとね、この音がとってもクリアに聞こえてくるんです。
なぜなら、この音が伴奏であり、ハーモニーであり、つまり曲。音楽そのものだからです。
これをね、ただの指パッチンの音だと思って歌う人はうまく歌えないのよー。
まあ、アタシの感じるところではの話ですが。

うまく言えないけど、歌ってそんな感じだと思うのですよ。
誰かにそうですよーと習ったわけじゃないけど、そんな感じ。
いい歌を歌えるかどうかは、そりゃ音程の良さとかね、
美声であるか?とかね、いろいろあるとは思いますけどもさ、
そう言うモノ以前に、「そんな感じ」ってのを感じられる
そのセンスが、どれくらい研ぎ澄まされていて、
それをそのくらい楽しめるかじゃないかと思ったりしますんですなぁ。


ぶっちゃけ、これは芝居であれ、歌であれ、ダンスであれ、
いわゆる芸術というものには、みんな共通すると思うんですけどね。
それが「才能」なんじゃない?とか、私はかんじているのですわ。
要は何事もバランス感覚がどれだけいいか、じゃないのかい?と。

そしてバランス感覚、っていうのは、思いやり感覚だと思うのよ。
他の物にどれだけ気づくことができるのか?と言うことではなかろうか?
それを感じる能力がバランス感覚、なんつってね(;´∀`)


大作曲家のチャイコフスキーはんがこういってるそうでおます。


メロディーは単独で成立するものではなく、
いつもそれに付随したハーモニーがあります。
音楽のこの二つの要素は、リズムとともに離れがたいものです。
どんなメロディックな楽想でも、
それ自体の固有のハーモニーがあり、
それにふさわしいリズムがあります。



ね、やっぱ、そんな感じでしょ?
ミュージカルやっているとね、そういう事を強く感じるんですよ。
歌を歌うって言うと、皆さん、そのメロディの音ばっかりを拾って稽古したりするけど、
特にミュージカルの曲はね、伴奏の中のリズムや音楽がその人の感情を表したり、
ここから先の運命や、相手の立場を表していたりするものなんですよ。
だから、そういう感覚を研ぎ澄まさないと歌えないものなのです。

そんなことを思いながら番組を見ておりました。

何曲か聞いたお歌の歌詞や音楽もとても素晴らしいものがありました。
いい歌はやっぱりいいですねー。


私は言霊、というものを信じています。
これは、母の影響も強いのですが、私の母は言葉のとても美しい人です。
私たちが汚い言葉を使うと「千年の恋もさめる」と言って諌める人でした。

母曰く、言葉には魂が宿る、と。
うんうん、そうね、と思うのです。

さて、言霊とはなんでしょう?
ちょっと調べてみましたよ。



言霊(ことだま)とは、一般的に日本において、言葉に宿ると
信じられている霊的な力のこと。

声に出した言葉が現実の事象に対して、何らかの影響を与えると
信じられ、良い言葉を発する良いことが起こり、不吉な言葉を
発すると悪いことが起こるとされている。

そのため、祝詞を奏上する時には、絶対に誤読がないように注意された。
今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。

日本は言霊の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。

これは、古代において「言」と「事」が同一の概念だったことに
よるものであり、漢字が導入された当初も言と事は区別せずに
用いられている。


また、自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、
それが自分の慢心によるものであった場合には、
悪い結果がもたらされると信じられた。

言霊思想は、万物に神が宿るとする単なるアニミズム的な思想という
だけではなく、心の存り様をも示すものであった。


西洋で言霊に当たるものには、霊的な力を含んだ「霊気」(プネウマ)と
いうものが新約聖書に登場する。

「風はいずこより着たりいずこに行くかを知らず。
風の吹くところいのちが生まれる。」

この「風」と表記されているるものが「プネウマ」である。

一般に音や言葉は、禍々しき魂や霊を追い払い、場を清める働きが
あるとされる。

これは東洋、西洋を問わず、祭礼や祝いなどで行われる。
神事での太鼓、カーニバルでの笛や鐘、太鼓などはその例である。

言葉も、呪文や詔としてその霊的な力が利用される。
ただし、その大本になる「こと」(事)が何であるかということは東洋、西洋で別れる。

日本人は「その実体は不可知であり、知ることは出来ないし、
また知ろうとしてもいけない」と考えていた。

言葉などは、まさに「こと」の「端」・「枝葉」でしかなく、
「こと」自体は我々には知りがたいとされた。






面白いですね。
この言葉を話すにもバランスがとても大事だと思います。

以前、私は不思議な人に会いました。
いきなりカフェの路上にあるテーブルに座った人に話しかけられてですね( ̄▽ ̄;)
非常にイケメンのナイスミドルなおじさまだったんですが。


「君、芸術家と一緒にいるでしょう?」

そのおじ様はおっしゃいました。


君は共にいる芸術家にバランスを教えなくてはならない。

(紙に頂点が下になった逆三角形を書き)

いいかい、芸術家のバランスというものは普通の人と違ってね、
こういう風に逆三角形をしているんだ。

この三角が立っているためにはバランスが重要だ。
このバランスを大切にしないと特に芸術は成り立たないんだよ。
それがハーモニーを起こすんだ。

バランスだよ、バランス。
これを忘れないようにね。

君はね、君が見放しても、神様が見放さない。
必要な人の前に置かれるんだよ。
いいかい、全てはバランスだからね。
それを支えるんだよ。」



そんな風におっしゃいまして。
訳も分からず、ハイと返事して、頭を下げて、
頭をあげたらもう目の前にいなかった( ̄▽ ̄;)


不思議だけど、本当の話。
ちょうど、毎日にすごく辛さがあった時期だったから
きっと神様が天使をよこしてくれたんだろうなー、って勝手に納得しています。


私はそういうことがよくあります。
人がなくなる前も、いきなり知らない人に教えられたりとか。
自分が迷っている時に、そういう人が目の前に現れるのですよ。
不思議だけど、本当の話。


皆さん。
全てはバランスですよ、バランス(笑)