KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

週末は原宿で(^^)

2009-03-29 | KOFUKU日記
今週も原宿でビルメンテナンスのボランティアでした。
今回は階段の床を塗装。
ちなみにこれはお手伝いでもお仕事でもありません。
純粋な親孝行です。つまり家事の一環ですね。
こうして親孝行させてもらえる人が居るってのはありがたいことです。
ビルがどんどんきれいになっていくのが嬉しいです。
プロよりも丁寧な作業できれいにしてもらえて、業者の見積もりと比べたらホンの僅かなお金できっちりメンテナンス出来て、100万円以上も浮いたと大家さんも大喜びしてくれました。
良かったです~(^^)
後はステップの滑り止めをつけたら終わり。
仕上がりがたのしみだなあ~。

さらに大家さんは私たちのお疲れ様会もやってくれるそうです。
会社ですら忘年会も新年会もなかったのに~。
なんていい人なんだ~(;。;)
おかげで来週辺りは久しぶりに皆で盛り上がれそうです。
ありがとう東京のお父さん!

神様からの贈り物

2009-03-26 | KOFUKU日記
今日も原宿へ行ってきました。
先日のビルの階段の壁や天井に引き続き、今度は床をきれいにするので、その下準備です。
どうやら、T社長さんは社用車を取りに来たついでに店にもお出でになったらしく、店内からモデムが消えていました。
が~、大家さんもお出でになった事は知らなかったようです。
そうなの、連絡もあいさつもなく、こっそり来て帰ったみたい。。。(--)
大家さんも連絡もあいさつもなかった事にちょっぴりムッとしてました。
本当にねぇ。。。。は~~~~~。。。。
まあ、いいや、ほっときましょう。

さて久しぶりに個人的な買い物をしてお砂糖をかってきました。
親友リッキーの送ってくれたお蜜柑さんたちをジャムやピールにする為です。
もう少し片付けないと調理作業は出来ないけれど、材料を買って置けばいつでも作れると思えるので嬉しいから(^^)
落ち着いたら、早速作ろうと思っています。

今回のことで精神的な疲労から体調が思わしくなくて、なかなか片づけが進まないんですが、どうやら元気になるには焦らないで出来るだけゆっくりすごし、精神を休ませることが必要のようなので、今は疲れたら一休みを心がけて過ごしています。
一休さんです(笑。解る人には解る?)
無理しないで「出来る」と思えるときに出来る事をしていくって感じですね。
それで部屋を整理しながら、疲れたなあと一休みする時間は殆ど本を読んでいます。

私は本職である俳優業以外の普通の人間としての暮らしの中では、とにかく本を読むことと、物を創ることがとても好きな人間の様です。
とにかく昔から本がたいそう好きで、学生の頃は月に60冊は読んでいました。
3歳で文字を読めるようになってからは、とにかく本ばっかり読んでいました。
残念ながら絵本は全く読んだことが無く、私にとっての絵本は画家の画集とか百科事典とかだったんです。
小学校に入るときには月間のあらゆる子供向けの本、中高生向きの本は読みつくしてしまうので、週間漫画から月刊誌、婦人雑誌、小説に医学書まで読んでました。
毎日本を買うので家の押入れは何千冊かの本で埋まっていましたね(ほんとです)
図書館で読む本がなくなり、廃本が置いてある書庫に電気引いてもらって読んでたんです。

私にとって本は今も特別なものです。
買った、貰った本、どんな本でも、手にしたものを棄てる事は先ずありません。
けれど欲しいという人が居れば、私は速攻差し上げてしまいます。
でも本は特別で、上げてしまっても、また同じものを買って手元に置くんですね。
一度読んだら棄ててしまうとか、売ってしまう、あげてしまうという人がいますが、それを聞くたびに「勿体無いなあ」と思うのです(笑)
勿体無いのは「お金」ではありません。では何か?

私は仕事に俳優という職業を選びましたが、その職業は「芸事」ではなく「芸術」であると自負しています。
芸術とは生きている以上切り離すことの出来ない「心」と密接に関係していると思います。
心は生きている瞬間、瞬間に変化するものです。
芸術、そして人生や人間関係はその変化し続ける心で向き合っていくもの。
昨日の私と、一年前の私が目にするものは、同じものでも感じるものは大きく違う。
本、つまり文章や絵、歌、音楽、踊り、そして演劇など一度完成された芸術は基本的に変化しないものです。
演劇や踊り、音楽などはまたちょっと違うけれど、台本やスコアなどは変りません。
これらの変らない力ある存在は今、生きている自分のあり方を教えてくれます。
その時々の感じ方から、自分を客観的、具体的に知ることが出来る。
だから、私は何度も繰り返して本を読むし、絵を見るし、音楽を聴く。
そしてその中にある変らないものを見つけて、自分の美観に確信を持ち、変ってゆく感覚に新しい自分を見ます。
だから本は私にとって一生の財産です。
だからですかね、本を棄てちゃう人がいると勿体無いなあ、と思うんですよね~。
でも、人それぞれの感覚だから、それはそれで良いのですが(^^)
とにかく、私にとっては本を読むと言う事はすばらしく特別なことな訳ですね。

ミュージカルの美女と野獣のなかで、ビーストが言います。
「本は僕をどこかに連れて行ってくれる。自分が誰かを忘れさせてくれる」と。
私にも幼い頃から同じような思いがあったかも知れません。
とにかく本があればどんなところにもいけたし、歴史上のどんな人にも逢えたので、他に何もいりませんでした。
興味があるものは方端から何でもかんでも読んでいたわけですが、何度かここにも書いたんですが、とにかく好きだったのが戦中、戦後の海外、日本の少女小説と少女向け雑誌、婦人雑誌です(笑)
それこそ暮らしの手帳とか主婦の友とか家庭画報とか、それいゆや少女の友や吉屋信子さんを初めとする小説たち、お料理本に手芸の本。
なんでそれらがそんなに好きだったかと言うと、そうやって目から入って心に響く言葉や世界が私には「美しかった」からです。
変な話、今の手芸本やお料理本や家事に関することが書いてある本は8割はあまり美しく感じません。
時おり、この方は私と同じ感性を持っているという方の本にやはり惹かれます。
何故今はこうなんだろうなあ、と考えると、昔と比べると「生きる」と言う世界観が大きく変ったからなんだろうと思います。

昔は「美しく生きる」アドバイス本はあったけど「節約」の本ってなかった様に思います。
今はどうしたら倹約できるか「節約」の為に本を読む。
昔は美しく生きる為に本を読んで、そしてそれが倹約に繋がった。
本を読みながら時代が大きく変ったんだなと思いました。

けれど一部の文明の発達は、人間がもっと快適に暮らそうと心血を注いできたもので、科学や器械が美しくないかと言うと、私は決してそうではないと思うのです。
ただ上手く「バランス」が取れなかっただけだな、と感じています。
だから現代のあり方にも否定は全然ありません。
食や生き方に関しても、自分の中のモラルのようなものはありますが、人様に対してもこれといって枠はもっていません。
どう考えても良識や法律に反する事はう~んとうなっちゃいますが(^^;)
私はあるものは全て意味があるから存在している、と思っています。
どこかに偏っているよりも、全部あったほうがいい、とか思っちゃうのです。
たくさんの世界があって地球が一つであるように。
食べ物に関しても、マクロビのお料理も、ゴージャスなお食事も、ジャンクな食べ物も、みんなそれぞれに大きな意味があって、そしておいしいと思うし、愛してる(^^)
それぞれのバランスを考えれば、その時にその人に必要なものは見えてくると思うので、何の心配も要らないし、だからぜーんぶ楽しんで生きたいと思っています。
だってどれも神様が私たちを通してこの世に存在させたものばかりだから、大切にしたいと思います。

美しく生きたいと言う欲求は人間の奥底に潜んでいるものなのでしょうね。
そのせいでしょうか、昨今はナチュラルな生活を求め、手仕事に意味を持つ人が増えてきたように思います。
これから、そういう人々が増えて、この文明の中で美しいバランスが作られていくのだと思います。

私はあり難いことに、この便利な世界において、目と手と口をじかに使うことを喜べる人間に育ちました。
これらは私への神様からの最大の贈り物であると思っています。
これらを使う事は究極、誰かへの思いや働きに繋がると思います。
わたしの体にあるものは、私だけでなく、誰かの為にある。
そう思います。

「きっと小さい人やご家族が喜んでくださるにちがいありません」

昔のお料理ページの一番最後にこう書いてありました。
本来、手仕事は生きる為、つまり誰かと暮らすための力、つまり愛です。
そういう思いがなくなったら、それはてしごとではないかもしれません。
誰かの幸せの為に一生懸命に我が身を使う美しさ。
昔の美しい言葉が連なる本を目にするたびに、人の心にはこのような思いの種が眠っている、と思えてなりません。

先日、大好きな兄貴が言っておりました。

「誰かの為になりたいと思ったときに、自分という存在は強くかわれると思う。
つまり周りの人が自分を強くしてくれるんだ。
だから俺は一人だけ幸せになんかなりたくない。
自分の周りに居る人、皆で幸せになれるように頑張りたい」

すっかり大人ですが、今もこんな言葉を熱く語れる兄貴が自慢です(笑)

人の話を聞き、いろいろな経験をし、本を読み、思うこと。
素晴らしい思想や言葉が溢れていて、感銘を受けます。
同じように自分の中にこそ、自分自身も感銘を受けるような言葉を放つ事の出来る「意思」を持つものでありたい。
多くの言葉を自分の言葉のように放つ人は幾らでもいる。
けれど、私は自分の中から自分自身の言葉を紡ぐ者であって、その言葉に責任を追えるものでありたいと今は強く願っています。

この世界に在って、神様から頂いた贈り物を大事に使って生きる。
今年はそんな始まりの年にしたいものです。


I LOVE ジャパニーズエレガンス

2009-03-22 | KOFUKU日記
日曜日の原宿、三日目、お手伝いも最終日となりました。
あいにくのお天気でしたが、原宿、夢の街の在ったビルではペンキ塗りも窓の補修も調子よく進みo(^-^)o、薄い茶色に変色しつつあったエントランスから屋上まで階段すべての壁や天井が雪の様に真っ白になりました。
大家さんも仕上がりを大層喜んで下さって嬉しい限りです(^O^)

私はいろいろな事情もあるし、東京から遠いのでなかなか実家には帰れません。
だから地元の隣町出身の大家さんは東京のお父さんのようなもので、離れて暮らす親の分の孝行もどきさせてもらっています。
東京のお父さん、我等が大家さん「こばたさん」はホント善い人で、出合った時から「この子達が俺の夢を代わりにやってくれるんだよ」と言って、夢の街をものすごく応援してくれていました。
公演の時はスタッフとしてずっと手伝ってくれていました。
実は今回の閉店を一番ガッカリしていたのは東京のお父さんだったのです。
「まだ一周年も来ないのに、こんなところで閉めたらオープンした意味が無いじゃないか?
結果が出るのはこれからなのに・・・」と、誰よりも悲しそうでした。
お店が無くなってからも、毎日、解体する店にコーヒーを買っては寄ってくれて、あれやこれやと心配してくれたり、手伝ってくれたり。
「俺に財力があればなあ」といつも言ってくれます。
こばたのお父さんはあと5年経ってビルのローンが終わったら(笑)今度は自分がオーナーになって、今度は無料で夢の街をやらせてくれるんだそうです。

「俺はあなた達を一年見てきた。
ここを作るのがどんな思いだったか、どんなに大変だったか、そしてどんな素晴らしい事ををしようとしていてか俺はわかってる。
あんたたちの毎日話を聞いていたから今年くらいからはこの一年の結果がドンドン出てくるとだろう解っていた。
ライブもギャラリーも沢山話があったんだろう?惜しいよなあ。
上の保育園だって長いことこどもは2,3人しか来てなかったが、黙って2年はやらないとって頑張ってた。
一年半経ってから口コミでドンドン広がって子どもも増えたじゃないか。
商売なんて2、3年はやってみないと取り返すものも取り返せないもんだ。
残念だがオーナーは店にも全く来てなかったから、手元の金が無くなっていくことばっかり見えてしまって、話だけじゃその辺の真意を見ることが出来なかったんだろうな。
確かにこういう事には金はかかるもんだ。けど俺はちゃんと見てたからね。
やった以上に取り返せるものだったと俺は解ってた。だから本当に残念だよ。
彼は二度と手にはいらない大きなものをなくしたなと俺は思うよ。
だから、あと五年たったら、今度は俺と場所代や兼ねの事は気にしないでまたやろうな!
俺はあんた達に惚れたんだよ。あんたたちみたいに嘘が無い人たちはなかなかいない。
一生付き合って行きたい人間達なんだ。毎日会えないのが本当に寂しいんだよ。」

嬉しい言葉ですね~。
その思いだけで十分ありがたくて嬉しさで一杯になります。
大家さんの言うとおり、年末前から営業をかけ始め、こちらからお声をかけさせて頂いたアーティストの方など、まだお店が無くなった事を知らない人も沢山いて、今も場所を貸して欲しいと連絡が続いているんです。
米さんの工房などもたくさんのお仕事依頼があったので、2、3月からは結構な金額が入ってくる算段で、初夏くらいからはあがりも出てくるように営業していたのを大家さんは知っていたのでした。
芸術家の方などは世界的にも活躍している様な方々に米澤さんがお声をかけてくださり、ギャラリーとしても素晴らしい開催が出来たのに、、、と思うと残念です。
またロハススタイルのウエディングパーティの企画があって、ケータリングのマクロビシェフの方にも紹介していただいたり、オープニングのモデルになるカップルの方の結婚式もすでに決まっていたので、本当に申し訳ないことをしてしまいました。
たくさんの企画やチャンスがなくなってしまったことが今も本当に残念でなりません。
けれど、あと5年経ったら、またあの原宿で芸術に溢れた活動を出来るそうなので、楽しみにしていたいと思って居ます(^^)

さて、今日の写真は大家さんの敷地の大きな八重咲き椿の木のお花です。
綺麗ですよねー(^_^)
大家さんのビルの屋上には見事な庭園もあるんですよ~。
私は実はお花が大好きなんですが、人間がまめには出来てないもので、もっぱら鑑賞専門です(笑)
基本はユキヤナギや金木犀や菫や野菊など、野草やひかえめな小さいお花が好きなのです。
薔薇もとても好きなんですが、良くレトロ西洋風やビクトリアンやロココな物が好きな方が薔薇をかなり派手に飾ってたりしますが、私は薔薇にゴージャスなイメージを持っていませんし、そういう風に飾るのは好きじゃないのです。
あ、「ベルばら」(古っ!^^;)はそれで全然素敵でOKなんですけどね。
わたしの中の薔薇は聖母マリアさまのイメージなんです。
一輪が楚々と咲きにおっている感じです。
私には薔薇とはビクトリアンに添えるにも枯れた感じで置きたい、けっしてゴージャスに置いてはならない花だったりします。
(補足:個人のセンスの問題なのですが、わたしの言う「ゴージャス」とはむやみにゴテゴテと飾ってあることを意味します。
エレガントに豪華に品良く飾っている方の薔薇は素敵だと思います^^)
薔薇って繊細なので、そうやって安易に飾るととたんに下品になって、薔薇本来の持っているエレガンスがなくなってしまうと思うからなんですね~。
単純に私が美しいと思わないだけなんですけどね。

さて、薔薇と同じく大好きな花が冬の季節に咲く『椿』なんです。
私には珍しく大きな花ですが、特に雪の中で凜と咲いている赤い寒椿が大好きなのです。
椿を見るたび私は日本特有のエレガンスを感じるのですが、皆様はいかがでしょうか?
和的なエレガンス、、、つまり、謙虚でもの静かだけれど、芯の強さ、揺るがない愛と深い深い優しさ、そして気品、「気高い」といったものでなく、たおやかなものを感じるのですねえ。
水仙やなでしこ、りんどうや桔梗、すずらん…こういった花にもそういうエレガンスを感じます。
どの花にも和的な凛々しさ、潔さ、つつましさなどが存在するからでしょう。
お寺で美しい仏像など目にする時も同じものを感じるのです。

和的エレガンスを備える人、と言う方にはなかなか出会うことがありません。
日本は世界と比べても今やかなり開放的な国ですから、華やかなゴージャスな人には良く出会います。
職業柄でしょうか、たまにセレブな方にもお会いしますが、本当に上質のエレガンスを持つ人にはなかなかお会いしません。
いや、すみません。言い方が違いました。
エレガントな方はいらっしゃるんですよ。沢山おられます。皆さん素敵。
ただ、あくまでも私好みのエレガンスを持つ人がなかなかいないってだけの話なんです(^^;)
そんな、わたしの厳しい審査(笑)を通り抜けて「ジャパニーズエレガンスレディ」の称号を受け取れるひとが二人居ます。
それは美智子皇后さまとうちの母(^^)
美智子皇后様は見た目、声、笑顔ともにわたしの中でパーフェクトなんです。
雅子様でもきこさまでもない美智子さまです。
全てのお母さんにあのようにあって欲しいわ~、って感じ?(笑)
ぜひ機会が御座いましたら美智子皇后様がお話になるのを聞いてくださいませ。

見るたびに美智子さんに似てるなあと思うのが、うちの母。
ハイ、うちの父母は今でこそですが、元は超上流階級の生まれです。
今や母は寝たきりですが、それはそれはエレガンスのある人だったと思います。
生まれと育ちは確かに関係あると思うけど、それ以上にその人が持つ性質にエレガンスは備わっているんだと思わせてくれる人でした。
とにかく幼い頃から日舞の先生として、そして少女時代は歌劇の娘役トップとして激動の青年期を生きてきた母は、子どもの私から見ても「美しい人」でした。
うちの母は私が働くようになって「洋服」をプレゼントするまで、あまり洋服を着ていませんでした。
通常は毎日着物で過ごしていたんです。着物の方が楽なのよ、といっていましたね。
女優であり踊りの師匠でもあった母は、背筋がぴんと伸びていて、着物でしたから何をするにも動きがとても優雅でした。

母は口を開けて笑うことが無く、代わりにいつも美しく微笑んでいる人でした。
でもその微笑みは偽者ではなく、心の奥底から生まれているものです。
そこに「真実のエレガンスがある」と私は思うのですね。
素敵な言葉は才能があれば幾らでも紡げるし、お金があれば物は飾れますから、それらしく見せる事はできる。
けれど、魂の奥底から生まれる美しさは、それを持っていなければ生まれないと思うのです。
それこそ偽者のエレガントさしか無い、と私は思います。
古美術を扱う父が、美しい観音像を見るたび「母に似てるよな」と言うので、ああ、この人は身勝手で母に辛く当たるけど、母の本質の美しさをよく解っている、本当は好きなんだよねえ~、と思っていました(笑)

ドラマなどで良くおかあさんがヒステリックに怒ったりしますが、わたしの母はそういう事が全くない人でした。
怒る事はあっても、キーッ!ってなったことは無いんです。
食事やお掃除をするにもそうで、いらいらしながら物事を行っていることのない人でした。
本当に起用で、和裁、洋裁、編み物に手芸と何でも御座れ。
手仕事の巨匠みたいな人でしたから、いつも微笑んで美しく可愛らしい物を創っていましたね。
本が大好きでしたので、暇があると本を読んでいました。
お料理も上手で、特に盛り付けがものすごく上手でした。
母の盛り付けはまるで絵を見ているように美しいのです。
「お皿の上がきれいになっていくのが嬉しいのよ」
そういって楽しそうに盛り付けていましたね。
とにかく苦虫つぶすような顔で何かをしたりしているのを見たことが無いのです。
そういう人でしたから、ご近所のおじ様たちの憧れのマドンナだったようです。
近所のおじちゃんたちに「ねえ、お母さんってお家でもあんな感じなの?上品できれいだよなあ。」とよく聞かれましたっけ。

そんな母も今は寝たきりの生活です。
母から受け継いだ本などを読むと、くらしの手帳や中原淳一の美しく毎日を過ごす為の内容や、古典など美しい言葉が連なる本ばかりです。
なんでもない下着に刺繍をしたり、暇があると鏡に向かって身を整えたり、お金をかけなくても出来る工夫を常にしていました。

「お金はなくとも美しく生きることは出来る。
美しい工夫のある暮らしは、お金がある暮らしよりも楽しい」

「女性はことばと立ち居振る舞いは美しく。どんな着物を着るよりも美しくなければならない。」

母の言葉です。

残念ながら、母の美しさや器用さのかけらも持たずに育ってしまいましたが、エレガントな母を持てた事は未だに自慢の私です(^^)
せめて言葉は胸に刻んで生きてゆきたいものです。
目指せプチジャパニーズエレガンスレディです(笑)


久しぶり♪ありがとうアクティ君

2009-03-21 | KOFUKU日記
気がつけば春のお彼岸、世間は連休なんですねー
昨日も朝からの雨もあがってお日さまがキラキラの一日でしたね。
今日も快晴です。ゴセンゾ様も気持ちよいかも。

さて私は久しぶりに原宿にやってきました!
元大家さんのビルのペンキ塗りのボランティアと社用車のアクティーくんとそろそろお別れなので、アクティーのお掃除をしに来たのです。

アクティー君とは短いお付き合いだったけれど本当に今日までずいぶん助けてもらいました。
今度はどこかに旅に出て、会社が返さない負債をアクティーが身売り(:_;)して返してくれるのです。
私がお金があったら買い取りたいくらいです(>_<)
アクティー君、本当にありがとう。
今日まで私たちを助けてくれて本当にありがとうございました。
ぴーちゃんも見晴らしのいいあなたの乗り心地が大好きでしたよ。
お別れがさみしいです。
今度あなたに乗る人達がに優しい人でありますように祈っています。

さてさて、久しぶりの原宿では、仲良しだったお隣りのナチュラルローソンのみんなにも会えました。
私たちの場所だった部屋はすっかりがらんとしてますが、入口の緑がいつもの様に笑っています。

ただびっくりなのはー、すいません、また言わせてもらいますがーf^_^;
あのですねー、未だに社長が持って帰って手続きしてるはずのモデムなどが店内に放置されているんです…(-_-)
そーなんですよ、皆さん…、
未だに退店の挨拶どころか、あれだけ突然に急がせて解体させておいて、大家さんにも早く出るから保証金負けてくれとか無理なお願いもしておいて、解体終了の立会いにすら来てないそうなのです(-_-#)
実際、あと半年は借りてる状態(そーなんですよ!皆さん!)ですから、別にいいやーって思ってんですかね?
もし社長や社長関係の人が見ていたら、いつまでも理解できないし、知らないようなので教えて差し上げたいのですが、あなた方がしているこの様な事を『誠意のない態度』『人に迷惑かけてる』と言うのですよ。大家さんも早く立会いしてくれないと困るって言ってましたから、とっとと動いてくださいねー。
でもまあね、アクティー君もいつ返せばよいのか、どんなに電話しても、メールしても全く返事がないそうですから。
すでに一週間以上連絡つかずです。
いらないんでしょうか?
この連絡の悪さ、ありえないですよね?
いや、お店にも半年来ない、連絡も三週間取れないなんて当たり前だったもの。
弁護士も税理士も閉店対応で雇われていても、全然経過報告もしてこないし。
迷惑かけている人は皆さん全員私の親しい友人で、お客様は私達のお客様なのですが?
誠意ある謝罪をさせるからお待ちくださいって、いつまで待てばよいのでしょうか?
大体、未だに経理の説明もないし。
私は説明してくれると聞いたのに、何からなにまで嘘ばっかりです。
でもあの方々には当たり前なのかもしれませんが。
きっと、あれもしてやった、これもしてやったからいいだろうとか思ってるんでしょうかねー。
例えば、これだけお金出してやったとか、閉店後に雇用保険に入ってやったとか?
確かに税理士さんはお手間だったと思いますが。
でも私はいいたいのさ(笑)
お金出すのも自分が決めたのでしょう?
保険も会社なら全員入って当たり前のものでしょ?
ちゃんと手続きしていれば、今頃余計な手間もお金もかからなかったはず。
面倒な手続きも、ジブンの都合よいようにだけ勝手に決めたり秘密りに進めず、手続きしたりせず、何事もきちんと話し合いしたりして、約束通りにするようにしていたらこんな事にはならなかったはずです。
実際、仕事にはこなくても、あちこつ遊びに行く時間はあるらしいのがとても不思議なんですが(笑)
って言うか、本当にこれ読んでいたら、早く立会いくらいしてほしいし、連絡もして欲しいものです。

すみません、今日も愚痴ってしまいましたー。
でもこうして迷惑かけている現場みちゃうとがっかりして言いたくもなっちゃうのですわ(-_-メ)
まあ、いいや。
今日も大家さん孝行、がんばりまーす!