関東の皆様、雪がすごいですね。
どうぞ今日一日、寒さと足元に気を付けてお過ごしください。
さてこちら南国は昨夜から雷を伴う大きな雨が降りました。
今朝は少し晴れて、午後から今週~来週頭にかけて、ずっと雨の様です。
これからは雨が降るごとに暖かくなり、春が深くなっていきます。
今週はもう20度も軽く超えてくるんじゃないかな~。
昨日、父の車でこちらに連れてきてもらう途中、
街中の花壇を観たら、すっかり春の花に変わっていました。
とてもきれいでした。古い街には「花壇」が似合う(笑)
昨日も雨で街中のアパートで過ごしておりましたが
ちびさんたち3匹でアパートベッドを占拠(^_^;)
6畳一間フロなし(-_-;)の狭いワンルームは
ちびたちにすっかり乗っ取られ気味でした。
相変わらず、ちっさい方々はお元気です(^^)
《ベットの上はちびさん達のワンダーランド♪
あっという間にお布団がぐちゃぐちゃに…(-_-;)》
《取りあえず、あたちを撫でれ、とピピさん
そんじゃ、俺もな!と、まろたん(笑)》
《雨の日は寝るに限りますのよ。byちびちびズ》
《ちびたちの大好きなじいたんがお迎えに来ました~。》
さて、昨日は市役所の方が用事で来てくれて、
いろいろとお話をきいてくださいました。
寒い中、ちびたちがとびかかるので、玄関先でしたが
親身になって、こちらの話を聞いて下さり、
病院に行くよりもずっとココロが穏やかになりました。
久しぶりに家族以外の人と話をしたので、ちょっと疲れましたが。
それでもさわやかな気持ちになり感謝です。
《日向ぼっこ中。ピピの視線の先は裏の山の竹たち。
風に乗って音を立てて揺れるのをじーっと見つめています。》
今日で2月も終わり、明日からは3月ですね。
ついこの前、相方さんの命日が訪れたばかりなのに
もう春がやってきて、10年前に帰天したパートナーさん、
Guyくんのメモリアルディがもうすぐやってきます。
あの日は寒い日で、小雨が降っていたなぁ、とか
それからお通夜までの5日間を仲間も一緒に
泊まり込みをしてみんなで過ごしたなぁとか
お通夜の会場で、夜も眠らずに
仲間の皆で手紙の代わりに写経をしたなぁとか
お葬式には有名な芸能人の人たちが300人以上も来てくれて、
今まで、そんな世界で生きる事をとバカにするばかりで、
一度もお芝居を見に来たこともない親戚の人たちが
そうそうたる顔ぶれに本当に驚いてたなぁとか、
出席者全員でミュージカルの歌をうたったなぁとか
昨日の事の様に思い出すのです。
そのあと、Guyくんと仲間と一緒にやっていた
ミュージカルカフェを急に閉めることになり
その店の中で閉店準備をひとりすすめながら、
四十九日の準備を親友と二人でやったのでした。
それから自分も急に家を出なくてはならなくなりました。
決して忘れられないのはGuy君のお母さんの私に対するココロです。
お母さんは10年間の私の日々を本当に心からねぎらい、その上、感謝してくれました。
「あの子が今日までやってこれたのは誰でもない貴女のおかげ。
ずーっと陰で支えていてくれたあなたが居なければ息子は生きていなかったも同じ。
貴女は自分の家族やしたいことを全部犠牲にして、私の知らない世界を、全部一人で面倒見てくれた。
あたしが気楽に過ごして居られたのは、あなたが苦労を全部背負っていたからだ。
あたしは息子の友達も仕事も良く知らない。
それは、あなたが、それだけ傍で良くやってくれていたって証拠じゃないの。
貴女みたいな人はいないのよ。
貴女を大事にしなかったら、息子に恨まれる。
そうじゃなくても私は貴女のしてくれた事、一生感謝し続けるからね。
本当にこれまでありがとう。
だから、福ちゃん、幸せになってね。
貴女には幸せになってほしい。
息子の為にも幸せになろう。
これから誰よりも幸せになろうね、あたしたち。」
たった一人の息子を失って、死ぬほどつらかったであろうお母さん。
同じように大事な人を亡くした気持ちを自分の気持ちと重ねて、
どんなに辛かろうと、何とか励まそうと、
何度も何度も手を握り、そういってくれたお母さん。
話せなくなった息子の代わりに、長い年月を頑張ったと、ほめてくれたお母さん。
私が家を出る日、Guyちゃんの保険金や、いたるところからお金を集めて、
自分も一人になるのに本当に一円も取ることなく、
貴女が10年で作ってくれたお金の、してくれた事への
お礼には全然足りないけけど、今できる精一杯をしてあげたいの
と私の手にそっと400万を握らせてくれたお母さん。
その時私は、Guyちゃんと仕事をし暮らしていくためには
もう死んだと思って10年帰っていなかった実家に一度帰り、
親の借金を払ったり、足りない生活用品を買い揃えたり、
自分に出来る限りのことをしました。
それが亡くなったGuy君が一番喜んでくれることとおもったからです。
彼は先年亡くなった相方さんと一緒で、夢にかける人でしたから、
その為にはよそ見をしない人でした。
それと一緒に走っていたので、私もそうでした。
でも夢をかなえた暁には、私にお金を持たせて実家に帰らせ、
親孝行をさせてあげるね、と言うのが口癖だったのです。
だから、私はまず家に帰って、今までしたくても
出来なかったことをしていこう、と思ったのでした。
そして、家族とは一緒に暮らせない事情があったため、
その残り僅かのお金をもって、ぴーちゃんと二人、
新天地である北海道に渡ったのでした。
今でもGuyくんママとは家族同然です(^^)
相方さんとご縁を繋ぐことになった時も、
一番最初にGuyママと家族に紹介して、
それからずっと私の家族とGuyママが
私たち二人の生活を一番応援してくれました。
相方さんもGuyママとカラオケに行ったり、
毎年Guy君のお参りや法事にも行ってくれて、
ママとも時々電話したりもして、
もちろんお芝居も見に来てくれて、本当に仲良くしていました。
亡くなった息子の代わりにずっと応援するんだ、
と言ってくれて、もうすっかり大人の相方さんに
嬉しそうにお年玉までくれてたママやおばあちゃん。
「貴女の事だからきっとそうしてるとは思うけど、
うちの息子にしてくれた以上に観ちゃんにしてあげるんだよ」
と言っては励ましてくれたGuyちゃんママ。
おかげで私は迷うことなく、Guy君といた時以上に
相方さんに接する事が出来たのでした。
おかげで一心不乱にまっすぐに相方さんとの人生走り切れたのです。
どんな苦労も、どんな大変さも、ぜんぜん怖くなかったし、
本当に全力で愛することが出来ました。
それはそうしてあげなさいと言ってくれるGuyママや私の実の母や、
Guyくんとの日々を傍で見ていた心友や仲間たちの
私に対する信頼がはっきりとあったからです。
そして、Guyからもらった縁やからと
Guyくんの思い出もろとも私を大事にしてくれた相方さんと
「あいつに任せた、あいつをしっかりと愛しきれよ、後悔すんな」、
と天国からエールを送ってくれ続けたGuyちゃんにも感謝しています。
Guyママは相方さんが病気になった時もすぐに電話をくれたりして、
彼がなくなった時もすぐに仲間と病院に駆けつけてくれました。
関東に家族が居ない自分が、それがどれだけ心強かったことか。
こちらに戻る前にも、もちろんママに一番最後に会いに行きました。
人間、やっぱり、自分を良く知ってくれる人がいるっていうのは心強いですね。
自分の歩んできた道を、直接見ていなくても、
貴女ならと認めてくれる人がいるのは本当に嬉しいです。
ママの様な存在の人がいると、相方さんとの日々も
本当にリアルに感じることが出来、強く支えられるのです。
Guy君の時はママに代って、自分が先頭に立って喪主と話をし、
彼にふさわしいお葬式をしてほしいと動き意見しましたが、
相方さんの時は場所も形も私自身が段取りに入る事ができなかったので、
Guy君の時の様な俳優としての満たされたお葬式を
相方さんには用意してあげられませんでした。
最後まで俳優にこだわり続けた相方さんにとっては、
実はそれは寂しかったんじゃないかなと思ったりもして、
どこかずっと相方さんに申し訳ない気持ちでいましたが、
そのことをGuy君ママや親友たちが、
「それ以上に彼の親御さんが望むようにされたんなら、
何よりの親孝行じゃないの。
あなたは彼の代わりに親孝行したんだから何より彼は喜んでるよ。」
と言ってくれて、ほっとしたし、嬉しかったですね。
それでもやっぱり、いつかどこかで、俳優さんやお友達、
ご両親の知らない世界で生きていた相方さんの、
大事な夢を語り合った仲間たちだけで忍んであげたいと思っています。
やっぱり、彼自身が一番大事にしていた世界、
イノチをかけた世界をいつまでも大切にしてあげたいです。
相方さんのご家族も本当にいい方々で、
病気療養中から今日まで本当に助けて頂いています(^^)
療養中の生活を支えて頂き、
亡くなってからも残された私たちを助けて頂き、
お父さんはこちらに引っ越す費用も手続きも助けてくれて、
観ちゃんママはコツコツとためたお金を
私たちのためにと惜しみなく用意して助けてくれました。
それらは全部なにかの時の為にと大切に残していたのですが、
結局帰ってくるためには、そのすべてを使わないといけないことになり、
そして私はここに戻る事が可能になったのでした。
なにしろここへの移動は家3軒分の荷物と倉庫と長距離引越でしたから、
費用も価格も普通の3倍以上でしたので、
本当にあの助けがなければ、ここには戻ってこれませんでしたね。
そのくらい、ギリギリの帰郷でした。
もどっても不安定な生活環境、お金だって、
すっからかんになる状態になるなぁと不安でしたが、
それでも何とかして、ここに帰らないといけないと思ったのは、
Guyくんと同じように、相方さんが
いつか自分が納得する形での成功を得て、自分の手で私をつれ、
私の家族のもとに、自分の家族のもとに連れて帰り、
堂々と親孝行をさせてあげたい、仲良く暮らせるようにしてあげたい。
そして自分と犬たちと共にいつか自然の中で、
自分たちの大事なものを大切にしながら、穏やかな生活をさせてあげたいと、
心から願って、毎日を、俳優と言う日々を
精いっぱいに生きていたことを知っていたからです。
そして、やっぱり、いまのこの選びを
相方さんが一番喜んでくれているような気がするのです。
こんな風に暮らしたいね、と語り合った未来を、
いま私たちが喜んで、楽しんで生きていることが、
天国の相方さんには一番喜んでもらえる気がします。
だから、いまの私は相方さんの未来の夢も
一緒にかなえているのだと思っています(^^)
相方さんのご実家とはGuyママと違い、交流が始まったのが遅かったし、
すむ場所も関西関東と離れていて、また相方さんが亡くなったのが突然でもあり、
家族とはいえ、あまり深い交流がもてずにいて、
Guyママの様に相方さんと居た自分をあまり知っていただけなかったまま、
こちらに戻ってきたのがとても残念です。
さすがにGuy君ママほどに親密になるには年月が必要かとは思いますが、
もう少し近しく居られる時間があったらよかったなぁ、と思うときもありますが、
残念ながら本当に大きな距離が間にあるので、仕方なく…。
だから、いまは遠距離でいても、いつも存在を忘れることなく、
平安を祈りながら、細く長くあたたかなお付き合いが
末永く出来たらいいなと思い暮らしています。
それをまた相方さんが喜んでくれるものと思います(^^)
とにかくGuyママの様に血はつながらずとも、
家族として、自分の人なりや生活を知り、
理解しようと努めてくれ、認めてくれる存在は、
今の私には本当に大きな支えなのです。
それにまさしく人生の証人ですしね。
そういう人が間違ってない、頑張ってるよ、
って言ってくれる人って大事です。
そこに自分の人生に生きていた人たちが生きているからです。
その人たちの為にも、偽らず、まっすぐに生きていたいと思います。
ちょっと息抜き♪
《一夜明けてお山のそばのお家で朝です♪
あたしはまだ眠いのよ、と貫禄のピグお姉さま》
《朝ごはんは美呆さんのはったいこクッキーと
カモミールティーに黒糖を添えて頂きます》
《まろ兄たん、なにちてるでつか?byピピ》
《ひなたぼっこ、するのでちゅよ》
《オレ、ピピたん、好きなんだぜ》
《いつもピピの背中に顎をのっけて安らぐまろたん(笑)》
こんな風に他人事のように自分の人生を振り返ってみても
短い人生のほんの一部だけ抜粋してみてもね、
相当、波瀾万丈、悲喜こもごもな人生で御座います(^_^;)
この年で2人もパートナーを失くす人はなかなかいてへんやろしな~(-_-;)
ゴミ拾って食べないと生きてけないようなハードな環境、
小学生から働きづめで、そんなどん底から、
ばーんと芸能界しかも一握りの世界に飛び込んで、
そんでもって、日本の一等地にショーカフェだ、劇場だ、学校だ、
と自分は無一文でも作れちゃったり、
そうかと思えばあちこちでふらりと自然の中で暮らしてみちゃったり、
その波瀾万丈さに我がことながら良く歩んできたものじゃのう、と感心します。
ただでさえ、半端ない環境と過去だったんで、
相方さんらは人生を一緒に背負うのは重かったろうなぁ…
Guy君も相方さんも本当に大変だっただろうなぁと思うけれど、
彼らはそんなことは一言も問題にしなかったですね。
そんな人生もいいじゃないといつも言ってくれてました。
それよりも、そのことを問題にするであろう周りの人に、
私が傷つけられやしないかと、いつも心配して動いてくれていました。
確かに世の中にはいろんな人がいます。
自分の計り知れない部分は否定して言ってくる人がいます。
私には言わなくても、見えないところで、
相方さんたちにイロイロ言っていた人の多い事(^_^;)
でも相方さんたちは嘘付かない人たちだったから、
いつも内容は全部聞いていました。
もちろん、相方さんたちがどんな対応していたかも知ってました。
そういう人とは親しいだけに悲しいこともあったけど、
究極、相手は相方さんたちを思って言っているので、
私を否定することになっても、相方さんらには
いつもそちらの人の気持ちに合わせて話をしてもらい、
その人との関係を大事にしてもらいました。
私はなにも知らないふりをして、
関わるときは出来ることを一生懸命しました。
それが私たちの選びだった。
大概、そういう人が言ってくることなんて
ホント余計なお世話な話ばっかりなんですけどねー(^_^;)
本音を言えば、そんなことは二人で解決するわ、
ほっとけちゅうねん!って感じ?(笑)
っていうか、自分たちにはもう問題でない事ばかりでしたね。
中には反論しないことで私の立場がないじゃないか!
と心配してくれる人もいましたが、
でも、本当に言える立場になる日が来たら、
相手には面と向かってはっきり言う、
相方さんがそんな人であることを、
私は知っていたから、それでよかったのです。
私はその日が来るのを待つだけだったから。
相方さんたちにはっきりとした信頼がありました。
そんな人たちだったからこそ、
自分も本当に「全部」を預けられたし、
彼らに自分の全部をあげられたんだろうなぁ。
人生って本当に不思議なものですね。
でも本当に人生を振り返って見て、
残念だったなってことは確かにあっても、
損したってことは一つもないなー。
今は本気で冬眠できたらなんて幸せだろう、
とか思うことあるけど、そんな私でも心からそう思うのです。
私の人生は、すごい大変かもしれないけど、
ものすごく幸せなんだなぁーって。
あの人らと居られてよかったーって。
あの人生でよかったーって。
まあ、それだけに、それが失われたことで落ち込んで
こんな日々を送っているわけだけど
それも幸せの裏返しなんだわ、
だから、落ち込むところまで落ち込んでしまえ~、みたいな(^_^;)
少なからずとも、あんなふうに一緒に時を過ごせる人と
2人も出会えたってことがね、すごいよね。
そんな風になかなか突っ走って生きるって難しいって、いまは分かるし。
普通は出来ない人生なんだなーって。
そう思うと、そんな気質をくれた親や土地、環境に感謝だ。
そして、その波乱の人生を取り巻いてくださった人々のなんとありがたい事か。
そうとう風は強かったと思うよ、私の周りは。
そして、いまこうやって生きていられているからね。
犬だけど、子ども達もいる。
しかも、向こうには大事な人たちも待っててくれる。
何よりじゃないか。
うん、うん、私は間違いなく「福ちゃん」なのですよ♪
雨が降って暖かくなるように
雨降って地固まるというように
春の雨降って、草木萌動
そしてまた雨が降り…夏が来て秋がきて冬が来て
そしてまた春が来る。
そんなもんだ、人生は。
今はいろいろあって浮き沈みもあるけど
(いや、それはいつもだな~)
ゆっくり自分を生きればいいかな。
後ろ行ったり、前に行ったりしつつ。
アンバランスもバランスのうち。
それでいいなって思う毎日です。
今日もいい日でありますように
どうぞ今日一日、寒さと足元に気を付けてお過ごしください。
さてこちら南国は昨夜から雷を伴う大きな雨が降りました。
今朝は少し晴れて、午後から今週~来週頭にかけて、ずっと雨の様です。
これからは雨が降るごとに暖かくなり、春が深くなっていきます。
今週はもう20度も軽く超えてくるんじゃないかな~。
昨日、父の車でこちらに連れてきてもらう途中、
街中の花壇を観たら、すっかり春の花に変わっていました。
とてもきれいでした。古い街には「花壇」が似合う(笑)
昨日も雨で街中のアパートで過ごしておりましたが
ちびさんたち3匹でアパートベッドを占拠(^_^;)
6畳一間フロなし(-_-;)の狭いワンルームは
ちびたちにすっかり乗っ取られ気味でした。
相変わらず、ちっさい方々はお元気です(^^)
《ベットの上はちびさん達のワンダーランド♪
あっという間にお布団がぐちゃぐちゃに…(-_-;)》
《取りあえず、あたちを撫でれ、とピピさん
そんじゃ、俺もな!と、まろたん(笑)》
《雨の日は寝るに限りますのよ。byちびちびズ》
《ちびたちの大好きなじいたんがお迎えに来ました~。》
さて、昨日は市役所の方が用事で来てくれて、
いろいろとお話をきいてくださいました。
寒い中、ちびたちがとびかかるので、玄関先でしたが
親身になって、こちらの話を聞いて下さり、
病院に行くよりもずっとココロが穏やかになりました。
久しぶりに家族以外の人と話をしたので、ちょっと疲れましたが。
それでもさわやかな気持ちになり感謝です。
《日向ぼっこ中。ピピの視線の先は裏の山の竹たち。
風に乗って音を立てて揺れるのをじーっと見つめています。》
今日で2月も終わり、明日からは3月ですね。
ついこの前、相方さんの命日が訪れたばかりなのに
もう春がやってきて、10年前に帰天したパートナーさん、
Guyくんのメモリアルディがもうすぐやってきます。
あの日は寒い日で、小雨が降っていたなぁ、とか
それからお通夜までの5日間を仲間も一緒に
泊まり込みをしてみんなで過ごしたなぁとか
お通夜の会場で、夜も眠らずに
仲間の皆で手紙の代わりに写経をしたなぁとか
お葬式には有名な芸能人の人たちが300人以上も来てくれて、
今まで、そんな世界で生きる事をとバカにするばかりで、
一度もお芝居を見に来たこともない親戚の人たちが
そうそうたる顔ぶれに本当に驚いてたなぁとか、
出席者全員でミュージカルの歌をうたったなぁとか
昨日の事の様に思い出すのです。
そのあと、Guyくんと仲間と一緒にやっていた
ミュージカルカフェを急に閉めることになり
その店の中で閉店準備をひとりすすめながら、
四十九日の準備を親友と二人でやったのでした。
それから自分も急に家を出なくてはならなくなりました。
決して忘れられないのはGuy君のお母さんの私に対するココロです。
お母さんは10年間の私の日々を本当に心からねぎらい、その上、感謝してくれました。
「あの子が今日までやってこれたのは誰でもない貴女のおかげ。
ずーっと陰で支えていてくれたあなたが居なければ息子は生きていなかったも同じ。
貴女は自分の家族やしたいことを全部犠牲にして、私の知らない世界を、全部一人で面倒見てくれた。
あたしが気楽に過ごして居られたのは、あなたが苦労を全部背負っていたからだ。
あたしは息子の友達も仕事も良く知らない。
それは、あなたが、それだけ傍で良くやってくれていたって証拠じゃないの。
貴女みたいな人はいないのよ。
貴女を大事にしなかったら、息子に恨まれる。
そうじゃなくても私は貴女のしてくれた事、一生感謝し続けるからね。
本当にこれまでありがとう。
だから、福ちゃん、幸せになってね。
貴女には幸せになってほしい。
息子の為にも幸せになろう。
これから誰よりも幸せになろうね、あたしたち。」
たった一人の息子を失って、死ぬほどつらかったであろうお母さん。
同じように大事な人を亡くした気持ちを自分の気持ちと重ねて、
どんなに辛かろうと、何とか励まそうと、
何度も何度も手を握り、そういってくれたお母さん。
話せなくなった息子の代わりに、長い年月を頑張ったと、ほめてくれたお母さん。
私が家を出る日、Guyちゃんの保険金や、いたるところからお金を集めて、
自分も一人になるのに本当に一円も取ることなく、
貴女が10年で作ってくれたお金の、してくれた事への
お礼には全然足りないけけど、今できる精一杯をしてあげたいの
と私の手にそっと400万を握らせてくれたお母さん。
その時私は、Guyちゃんと仕事をし暮らしていくためには
もう死んだと思って10年帰っていなかった実家に一度帰り、
親の借金を払ったり、足りない生活用品を買い揃えたり、
自分に出来る限りのことをしました。
それが亡くなったGuy君が一番喜んでくれることとおもったからです。
彼は先年亡くなった相方さんと一緒で、夢にかける人でしたから、
その為にはよそ見をしない人でした。
それと一緒に走っていたので、私もそうでした。
でも夢をかなえた暁には、私にお金を持たせて実家に帰らせ、
親孝行をさせてあげるね、と言うのが口癖だったのです。
だから、私はまず家に帰って、今までしたくても
出来なかったことをしていこう、と思ったのでした。
そして、家族とは一緒に暮らせない事情があったため、
その残り僅かのお金をもって、ぴーちゃんと二人、
新天地である北海道に渡ったのでした。
今でもGuyくんママとは家族同然です(^^)
相方さんとご縁を繋ぐことになった時も、
一番最初にGuyママと家族に紹介して、
それからずっと私の家族とGuyママが
私たち二人の生活を一番応援してくれました。
相方さんもGuyママとカラオケに行ったり、
毎年Guy君のお参りや法事にも行ってくれて、
ママとも時々電話したりもして、
もちろんお芝居も見に来てくれて、本当に仲良くしていました。
亡くなった息子の代わりにずっと応援するんだ、
と言ってくれて、もうすっかり大人の相方さんに
嬉しそうにお年玉までくれてたママやおばあちゃん。
「貴女の事だからきっとそうしてるとは思うけど、
うちの息子にしてくれた以上に観ちゃんにしてあげるんだよ」
と言っては励ましてくれたGuyちゃんママ。
おかげで私は迷うことなく、Guy君といた時以上に
相方さんに接する事が出来たのでした。
おかげで一心不乱にまっすぐに相方さんとの人生走り切れたのです。
どんな苦労も、どんな大変さも、ぜんぜん怖くなかったし、
本当に全力で愛することが出来ました。
それはそうしてあげなさいと言ってくれるGuyママや私の実の母や、
Guyくんとの日々を傍で見ていた心友や仲間たちの
私に対する信頼がはっきりとあったからです。
そして、Guyからもらった縁やからと
Guyくんの思い出もろとも私を大事にしてくれた相方さんと
「あいつに任せた、あいつをしっかりと愛しきれよ、後悔すんな」、
と天国からエールを送ってくれ続けたGuyちゃんにも感謝しています。
Guyママは相方さんが病気になった時もすぐに電話をくれたりして、
彼がなくなった時もすぐに仲間と病院に駆けつけてくれました。
関東に家族が居ない自分が、それがどれだけ心強かったことか。
こちらに戻る前にも、もちろんママに一番最後に会いに行きました。
人間、やっぱり、自分を良く知ってくれる人がいるっていうのは心強いですね。
自分の歩んできた道を、直接見ていなくても、
貴女ならと認めてくれる人がいるのは本当に嬉しいです。
ママの様な存在の人がいると、相方さんとの日々も
本当にリアルに感じることが出来、強く支えられるのです。
Guy君の時はママに代って、自分が先頭に立って喪主と話をし、
彼にふさわしいお葬式をしてほしいと動き意見しましたが、
相方さんの時は場所も形も私自身が段取りに入る事ができなかったので、
Guy君の時の様な俳優としての満たされたお葬式を
相方さんには用意してあげられませんでした。
最後まで俳優にこだわり続けた相方さんにとっては、
実はそれは寂しかったんじゃないかなと思ったりもして、
どこかずっと相方さんに申し訳ない気持ちでいましたが、
そのことをGuy君ママや親友たちが、
「それ以上に彼の親御さんが望むようにされたんなら、
何よりの親孝行じゃないの。
あなたは彼の代わりに親孝行したんだから何より彼は喜んでるよ。」
と言ってくれて、ほっとしたし、嬉しかったですね。
それでもやっぱり、いつかどこかで、俳優さんやお友達、
ご両親の知らない世界で生きていた相方さんの、
大事な夢を語り合った仲間たちだけで忍んであげたいと思っています。
やっぱり、彼自身が一番大事にしていた世界、
イノチをかけた世界をいつまでも大切にしてあげたいです。
相方さんのご家族も本当にいい方々で、
病気療養中から今日まで本当に助けて頂いています(^^)
療養中の生活を支えて頂き、
亡くなってからも残された私たちを助けて頂き、
お父さんはこちらに引っ越す費用も手続きも助けてくれて、
観ちゃんママはコツコツとためたお金を
私たちのためにと惜しみなく用意して助けてくれました。
それらは全部なにかの時の為にと大切に残していたのですが、
結局帰ってくるためには、そのすべてを使わないといけないことになり、
そして私はここに戻る事が可能になったのでした。
なにしろここへの移動は家3軒分の荷物と倉庫と長距離引越でしたから、
費用も価格も普通の3倍以上でしたので、
本当にあの助けがなければ、ここには戻ってこれませんでしたね。
そのくらい、ギリギリの帰郷でした。
もどっても不安定な生活環境、お金だって、
すっからかんになる状態になるなぁと不安でしたが、
それでも何とかして、ここに帰らないといけないと思ったのは、
Guyくんと同じように、相方さんが
いつか自分が納得する形での成功を得て、自分の手で私をつれ、
私の家族のもとに、自分の家族のもとに連れて帰り、
堂々と親孝行をさせてあげたい、仲良く暮らせるようにしてあげたい。
そして自分と犬たちと共にいつか自然の中で、
自分たちの大事なものを大切にしながら、穏やかな生活をさせてあげたいと、
心から願って、毎日を、俳優と言う日々を
精いっぱいに生きていたことを知っていたからです。
そして、やっぱり、いまのこの選びを
相方さんが一番喜んでくれているような気がするのです。
こんな風に暮らしたいね、と語り合った未来を、
いま私たちが喜んで、楽しんで生きていることが、
天国の相方さんには一番喜んでもらえる気がします。
だから、いまの私は相方さんの未来の夢も
一緒にかなえているのだと思っています(^^)
相方さんのご実家とはGuyママと違い、交流が始まったのが遅かったし、
すむ場所も関西関東と離れていて、また相方さんが亡くなったのが突然でもあり、
家族とはいえ、あまり深い交流がもてずにいて、
Guyママの様に相方さんと居た自分をあまり知っていただけなかったまま、
こちらに戻ってきたのがとても残念です。
さすがにGuy君ママほどに親密になるには年月が必要かとは思いますが、
もう少し近しく居られる時間があったらよかったなぁ、と思うときもありますが、
残念ながら本当に大きな距離が間にあるので、仕方なく…。
だから、いまは遠距離でいても、いつも存在を忘れることなく、
平安を祈りながら、細く長くあたたかなお付き合いが
末永く出来たらいいなと思い暮らしています。
それをまた相方さんが喜んでくれるものと思います(^^)
とにかくGuyママの様に血はつながらずとも、
家族として、自分の人なりや生活を知り、
理解しようと努めてくれ、認めてくれる存在は、
今の私には本当に大きな支えなのです。
それにまさしく人生の証人ですしね。
そういう人が間違ってない、頑張ってるよ、
って言ってくれる人って大事です。
そこに自分の人生に生きていた人たちが生きているからです。
その人たちの為にも、偽らず、まっすぐに生きていたいと思います。
ちょっと息抜き♪
《一夜明けてお山のそばのお家で朝です♪
あたしはまだ眠いのよ、と貫禄のピグお姉さま》
《朝ごはんは美呆さんのはったいこクッキーと
カモミールティーに黒糖を添えて頂きます》
《まろ兄たん、なにちてるでつか?byピピ》
《ひなたぼっこ、するのでちゅよ》
《オレ、ピピたん、好きなんだぜ》
《いつもピピの背中に顎をのっけて安らぐまろたん(笑)》
こんな風に他人事のように自分の人生を振り返ってみても
短い人生のほんの一部だけ抜粋してみてもね、
相当、波瀾万丈、悲喜こもごもな人生で御座います(^_^;)
この年で2人もパートナーを失くす人はなかなかいてへんやろしな~(-_-;)
ゴミ拾って食べないと生きてけないようなハードな環境、
小学生から働きづめで、そんなどん底から、
ばーんと芸能界しかも一握りの世界に飛び込んで、
そんでもって、日本の一等地にショーカフェだ、劇場だ、学校だ、
と自分は無一文でも作れちゃったり、
そうかと思えばあちこちでふらりと自然の中で暮らしてみちゃったり、
その波瀾万丈さに我がことながら良く歩んできたものじゃのう、と感心します。
ただでさえ、半端ない環境と過去だったんで、
相方さんらは人生を一緒に背負うのは重かったろうなぁ…
Guy君も相方さんも本当に大変だっただろうなぁと思うけれど、
彼らはそんなことは一言も問題にしなかったですね。
そんな人生もいいじゃないといつも言ってくれてました。
それよりも、そのことを問題にするであろう周りの人に、
私が傷つけられやしないかと、いつも心配して動いてくれていました。
確かに世の中にはいろんな人がいます。
自分の計り知れない部分は否定して言ってくる人がいます。
私には言わなくても、見えないところで、
相方さんたちにイロイロ言っていた人の多い事(^_^;)
でも相方さんたちは嘘付かない人たちだったから、
いつも内容は全部聞いていました。
もちろん、相方さんたちがどんな対応していたかも知ってました。
そういう人とは親しいだけに悲しいこともあったけど、
究極、相手は相方さんたちを思って言っているので、
私を否定することになっても、相方さんらには
いつもそちらの人の気持ちに合わせて話をしてもらい、
その人との関係を大事にしてもらいました。
私はなにも知らないふりをして、
関わるときは出来ることを一生懸命しました。
それが私たちの選びだった。
大概、そういう人が言ってくることなんて
ホント余計なお世話な話ばっかりなんですけどねー(^_^;)
本音を言えば、そんなことは二人で解決するわ、
ほっとけちゅうねん!って感じ?(笑)
っていうか、自分たちにはもう問題でない事ばかりでしたね。
中には反論しないことで私の立場がないじゃないか!
と心配してくれる人もいましたが、
でも、本当に言える立場になる日が来たら、
相手には面と向かってはっきり言う、
相方さんがそんな人であることを、
私は知っていたから、それでよかったのです。
私はその日が来るのを待つだけだったから。
相方さんたちにはっきりとした信頼がありました。
そんな人たちだったからこそ、
自分も本当に「全部」を預けられたし、
彼らに自分の全部をあげられたんだろうなぁ。
人生って本当に不思議なものですね。
でも本当に人生を振り返って見て、
残念だったなってことは確かにあっても、
損したってことは一つもないなー。
今は本気で冬眠できたらなんて幸せだろう、
とか思うことあるけど、そんな私でも心からそう思うのです。
私の人生は、すごい大変かもしれないけど、
ものすごく幸せなんだなぁーって。
あの人らと居られてよかったーって。
あの人生でよかったーって。
まあ、それだけに、それが失われたことで落ち込んで
こんな日々を送っているわけだけど
それも幸せの裏返しなんだわ、
だから、落ち込むところまで落ち込んでしまえ~、みたいな(^_^;)
少なからずとも、あんなふうに一緒に時を過ごせる人と
2人も出会えたってことがね、すごいよね。
そんな風になかなか突っ走って生きるって難しいって、いまは分かるし。
普通は出来ない人生なんだなーって。
そう思うと、そんな気質をくれた親や土地、環境に感謝だ。
そして、その波乱の人生を取り巻いてくださった人々のなんとありがたい事か。
そうとう風は強かったと思うよ、私の周りは。
そして、いまこうやって生きていられているからね。
犬だけど、子ども達もいる。
しかも、向こうには大事な人たちも待っててくれる。
何よりじゃないか。
うん、うん、私は間違いなく「福ちゃん」なのですよ♪
雨が降って暖かくなるように
雨降って地固まるというように
春の雨降って、草木萌動
そしてまた雨が降り…夏が来て秋がきて冬が来て
そしてまた春が来る。
そんなもんだ、人生は。
今はいろいろあって浮き沈みもあるけど
(いや、それはいつもだな~)
ゆっくり自分を生きればいいかな。
後ろ行ったり、前に行ったりしつつ。
アンバランスもバランスのうち。
それでいいなって思う毎日です。
今日もいい日でありますように