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日記。

私休 1913年9月20日

2016年12月10日 | 臺法月報
私休

△強姦 は耳を割り、目を刳り、頭髪を斷る、等略々姦通の私休と同じきも、尚其外に活埋と云ふことあり、之れは犯者を捕へて、可成通行人多き路傍に活乍ら土中に埋むるを云ふ、其方法は一尺四方位の杭を人丈けに穿ち、犯者を其杭中に立たしめ、周園を土にて埋め、首部のみを露出し通行人に面せしめ諸人に示す、行人は竹鞭或は木枝を以て之を揶揄し、又は面に唾して過ぐ、如此して往昔臺南安平街道の中途に半路亭なる一亭あり、之れ元と安南間往来者の休息所たりしが、或時一悪漢此處に隠れ居り、一婦人の通行するを見て、不意に捕へて亭内に拉し来たり、遂に獣慾を満たせり、庄人之を知り馳せ集り、悪漢を捕へて此處に活ながら埋めて衆人に示めせり、埋められたる悪漢は數刻を出でずして死したるを以て、其首部に甕を蔽ひ腐臭に任せたり、後何人の傳へたるものなるや、其屍前に香を焼きて祈るときは必ず賭博に勝つと稱し、黨時香煙絶えざりしと云ふ、彼の義賊鼠小僧の墓前に常に香花絶えざるも概ね此類なるべく、何處にも奇なる迷信の存するものなるも迷信は迷信として、此私休は私休中最も殘酷なる私休と云ふべし。
學生他人のものを窃盗したるときは、教師其學生を捕へて打ち懲らし他の學生に示めし又は其父母に告げ將來を戒しむ。
子、 他人のものを窃取したるときは、其父母其子を物主の家に拉し行きて打ち懲らして物主に示し後來を戒む、若し父母の物品を盗めば縛し、又は打ちて之を懲らす。
査某嫺主人のものを盗めば、子と同じき打ち懲らす、若し他人のものを盗み、又は盗食するときは、其手又は唇に焼け火箸を當て之を懲らす。
明治四十二年七月中苗栗三堡大甲街王俊なるもの下女を懲らしむる目的を以て、度々焼け火箸を其躰體に當て、遂に其下女を死に致し、己れも亦刑事被告人となりし事件あり、兎に角、臺灣に於ける私休即ち私休は不良なる習慣と云ふべし。(了)


臺法月報第七巻第九號 1913年9月20日
 




臺灣の私休 1913年8月20日

2016年12月10日 | 臺法月報
臺灣の私休


△牛豚羊等を竊取したるもの は捕らへて賍物を返へさしめ、若し賣却又は等にて原物現存せざる時は其代價を賠はしめ、燈彩一對(彩色シタル燈)を廟に奉納せしめ、其燈には必ず犯者の姓名を記入す、此燈の存する間は犯人は人知れぬ苦しみを受け、後來決して斯かる事はなすまじと自ら懲り悔ひしむる様になすなり、又檳榔を配りて謝罪せしむるものもあり、罰として芝居をなさしむるもありと云ふ。


△竹林又は縞板等を竊取したるもの は賍物を背負はし庄内を囃し行きて後來を戒しむ


△殴打創傷 被害の多寡に依り、被害少なければ檳榔を以て謝罪し、或は罰として廟前に芝居をなさしむ、此時は芝居場の両側の柱に自書にて謝罪の意を書せしむ、傷軽きときは薬代卽醫療代を賠はしめて事を濟ますあり、又被害者を加害者宅へ舁ぎ込むあり、被害者は例の灣流にて将に死に垂んとするの状をなし唸めき苦しみて泣き叫ぶ、已に損害賠償も取り、事落着するや、忽ち全治して元氣よく歸宅する輩もありと云ふ、又保辜限と云ふことあり、之れは保正或は甲長の仲裁にて其未だ傷害の深淺を確かむる能わざるときの約束なり、若し此傷痕が三十日以内に全治せば藥價何程、或は一生不具になりし時は何程と、所謂條件付の約束なり、之を保辜限と云ふ、此間は官にも持ち出さずして其傷痕の経過を俟つものなり。


△水番・順番を俟たず窃かに引水したる者 は其者に燈彩又は芝居を罰す、五角頭、五柵戯、五卓酒、なる慣習語あり、之は庄内のものゝ悪事をなしたるときは罰として庄の五方に芝居をなさしめ、酒及料理を設けて庄人に飲食せしむるを云ふ。


△甘藷盗食 近来砂糖屋増加し、一本の甘藷と雖も、大いに尊重さるゝことなれり、今一二本の甘藷を倫食したるものありとせば、如何なる御叱りを被るかは知らざれど、在來本島に慣習語あり、曰く、一枝放汝去、二枝打竹莉、三枝罰一棚戯、と卽一本なれば放還す、二本なれば竹にて打ち懲らす、三本となれば少し慾心深くして穏かならざれば、罰として一臺の芝居をなさしむと云ふことなり、一臺の芝居は少なくも六七圓なるべし、甘藷三本にて六七圓の罰とは少し割に合はざることと云ふべし










臺法月報 第七巻 第七號  1913年8月20日 

臺灣の私休(その2)1913年7月20日

2016年12月10日 | 臺法月報
臺灣の私休 (其二)

姦通せしものに對しては断髪、灌尿、割耳、罰戯等の制裁あるは前號已載の如くなるが、尚ほ珍奇なる實例あるを以て其一を茲に紹介すべし、先年一盲人、肥餘なる上田を所有せしに目明なる人の赤痩殆ど不毛に近き下田と詐り換へられたりとて、之が囘収の訴を臺南法院に提出せり、始め盲人は、詐取せられたる業は己れの祖先より傳來せし如く申立居りしも、審理進むに従つて包むに由なく、遂に實を吐くに至れり、即ち原告たる盲人の未だ盲せざる以前、被告の妻某と密かに通じ居りしが、阿漕が浦に引く網の何とやら、遂に被告に發見せられ、捕らへられ両眼を刳り脱かれたるものなりと云ふ、原告自身は其地古来の私休なるを念ひ且つ己れの惡きを悔ゐ断念して默し居りしに親族故𦾔共餘りに私休の殘酷なるを鳴らしめ初め被告に談判せしに、被告も事の公にならんことを恐れ、自己の所有する上田と原告所有の下田と交換し、且つ檳榔を送り謝罪して事済みたり、然るに被告は原告の盲なるを奇貨として、口頭にて交換し了したる如く言ひなして其實交換の手續をなさざりし爲め此訴訟を提出せしものなること判明せりと云ふ、實に奇珍なる訴訟にて到底内地人の想見し能はざるものと云ふべし又た昔臺南の何某好淫にして常に人の妻と通ず、故に人々蛇蝎の如く嫌厭し爪弾きし居りしに、或時復た他人の妻と通じて其夫に發見せられ捕へられて日中馬背に縛せられ、臺南市中を牽廻はさら赤恥を晒したりと云ふ、斯事餘り信ずべきことならねども且らく所聞を記して参考に供す。
飼牛、飼羊其他鶏鶩等の飼養動物、若し他人の田園に入り作物を踏荒らしたるときは其業主は牛又は羊を捕へて打懲らし、又は自宅に牽き來りて縛し留む、物主之が囘収に來らば、相當の損害賠償を取り謝罪せしむ、又物主曩(さき)に金餞を田主に貸與しありたる場合、卽債権責務の關係ありたる場合は債務者たる田主は此機乗ずべしとなし、損害高及牛羊の代價に見積り、牛主に向つて曩日の債務を棒引きにせんことを強請する等狡猾なる輩ありと云ふ
鶏、鶩、鵞等を搾取したるもの、常業者なれば公けにすること無論なるべけれど、鋤鍬を肩にせる耕転の帰路、塒に迷ひたる鶩一羽、畦(けい)畔(はん)に蹲(うずくま)り居るを見、時は黄昏なり人亦見えず、處は屋裏竹圍の外、不圖不良の心を生じ、私かに捕へて家に歸りし等は、實物若は相當の代金を返戻して謝罪せしむ謝罪は必ず檳榔を其近隣に配るものとす。

臺法月報第七巻第七號  1913年7月20日