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randomnote

日記。

昨日(図書館)、(今夜)乃木公園、(明日朝)小田原

2012年01月09日 | Weblog
昨日、新座の図書館にて借りて来た本。

松永安左エ門自伝 喝! 日本人 松永安左エ門著
「武士道」解題(ノーブレス・オブリージェとは)李登輝著
善の研究 西田幾多郎著
福翁自伝 福沢諭吉著
レヴィ・ストロース 入門のために神話の彼方へ
人間 福沢諭吉 松永安左エ門著
スコット・ラファロ その生涯と音楽 (翡翠の夢を追って) ヘレン・ラファロ・フェルナンデス
都市と自然 安藤忠雄著

今日は、仕事帰りに待ち合わせのために、赤坂から青山一丁目まで行く。地下鉄乗るほどでないので歩いて行く。途中で台湾の景色によく似た赤煉瓦の建物が見えたので、ドキッとする。これは、と伺うと乃木希典の旧邸であった。庭は現在乃木公園となっている、明治天皇崩御の際に夫妻とも自害されたそうです。当時を思い、静かに手を合わせて帰ってきた。

明日は、小田原板橋にて山県有朋(乃木希典の上司でもあった)の古希庵と松永安左エ門が終戦後(昭和21年)新座市から引っ越した旧邸を見学して来ます。「電気の鬼」と呼ばれた彼の居た気配と老欅と茶室を堪能するつもりです。また気がつく事が有るでしょう。

乃木希典大将は1895年仙台の第2師団長に任命、翌1896年10月14日に台湾総統に任命されますが、片岡巌は1895年に仙台の第2師団に入隊、同じ1896年10月14日に台湾守備隊に編入されます。
仙台の第2師団が何百名いたのかわかりませんが、20歳の片岡巌青年にとっては乃木希典はとても影響のある人物だった事は疑いありません。乃木希典は3年ほどで、台湾から離れてしまいますが、片岡巌の心にはいつまでも理想の上司の一人であり続けたでしょう。
(比べる事がおこがましいけれども、学者になりたかった少年から始まり最後まで軍人を全うした乃木希典大将に対して、憲兵、通訳となるも最後自ら在野に帰った片岡巌)お互いの夢に心を添わせたいと思います。