[金子兜太選]
(三郷市・岡崎正宏)
〇 水底の青の如くにかなかなかな
日がな一日「かなかなかな」と鳴いている蜩の声を「水底の青の如く」と色彩感覚で捉えているのである。
通常、蝉の鳴き声などを知覚するのは耳の働き、即ち「聴覚」に拠るのであるが、本句の場合は、目の働き、即ち視覚に置換して知覚しているのであるが、こうした手法自体は格別に目新しい手法ではありません。
ところで、私の音感からすれば、蜩の声を文字で表す場合は「かなかなかな」と「ひらがな」で表すよりも「カナカナカナ」と「カタカナ」で表す方がより実感を伴った表現であると思うのであるが、で、いざ、掲句を「水底の青の如くにカナカナカナ」と書き変えてみると、蜩がただ徒に喧しくけたたましく鳴いているだけの感じになってしまい、結果的には原作のままの方が宜しいのである、という事に気付かされました。
一句の御教示、大変有り難く拝受させていただきます。
〔返〕 水底の青を切り裂き岩魚釣る
澄み切った渓谷の水底から、二尺余りの岩魚を釣り上げる時は、恰も碧い鏡の鏡面を切り裂くような、視覚と触覚を伴った特異な感覚を味わったものでありました。
私は、少年時代に父と一緒に郷里の最高峰・三本槍という山の麓の渓谷に出掛けて岩魚釣りを遣った事がありましたが、上掲の返句は、その時の経験に基づいて創作したものである。
(清瀬市・峠谷清広)
〇 熱帯夜昔の私と怒鳴り合い
選者・金子兜太氏の寸評に「若き日も今も不甲斐なきわが身よ」とあるが、あの金子兜太氏にして、「わが身」を省みて「不甲斐なき」と感じる事が在るのでしょうか?
〔返〕 熱帯夜わが身の裡の情熱し
(埼玉県皆野町・宮城和歌夫)
〇 体験の黙殺さるる敗戦忌
そう、戦争体験も無い若造の胸先三寸で以って、私たちの可愛い孫世代が戦場に駆り出されようとしているのでありますから・・・・・・・。
〔返〕 老い耄れは死ねとばかりの福祉行政
(八王子市・額田浩文)
〇 太陽の真下に地球ヒロシマ忌
あの夏は、日本全国ただの一日として雨が降らず、私たちの狂った頭の天辺に太陽光が燦々と降り注いでいたように記憶しておりますが、勿論、是は私の記憶違いではありましょうが?
〔返〕 太陽の熱に増されるピカの熱
(島根県邑南町・高橋多津子)
〇 病床の母照らすやも夏の霜
今年の夏に、島根県邑南町では霜が降りたのでありましょうか?
竜巻が起きたというニュースや雹が降ったというニュースには度々接したように記憶しておりますが、島根県で夏霜が降りたというニュースには接したという記憶が無いのであるが、是は私が呆け老人になってしまったからの事でありましょうか?
〔返〕 頭髪に霜を戴く齢なれば鳥羽もトンビも否異剽露と鳴く
(八幡市・小笠原信)
〇 白鳥や貴族といふは首の長さ
「貴族といふは首の長さ」という事は、昭憲皇太后や大正天皇や大正天皇の御生母の二位の局や、貞明皇后などの高貴な方々のお写真を拝するに付けてもよく理解されるのであるが、最近の皇室の方々、皇太子殿下やお妃の雅子妃殿下及びそのご夫婦のご息女様、更に申せば皇太子殿下の御妹様などは、孰れの御方も「貴族といふ」程の「首の長さ」には達していないとも思われますが、それは私の視力が衰えている所為でありましょうか?
〔返〕 鶴首と名付けられたる瓶在りて今朝は二輪の黄薔薇活けたり
(京都市・山口秋野)
〇 花火の間うなじ見られている気配
本8月28日の早朝、私は、東京都小金井市にお住いの上条多恵さんの御句(長谷川櫂選の七席)「桃の実はよろこびながら熟れにけり」を鑑賞させて頂くに当たり、かなり冗談気味に「しよってる」、即ち漢字書きにすれば「背負ってる」という動詞の意味や使用例などを解説させて頂いたように記憶しているのでありますが、その「しよってる」という動詞に因んで申し上げますと、本句の作者、即ち京都市にお住いの山口秋野さんも亦、かなり「しよってる」類の女性のようにお見受けしなければならないのである。
山口秋野さんは、脳天気にも「花火の間うなじ見られている気配」などと平気の平左で仰って居られますが、それはご自身を美人だと思っている女性によく見られる傾向の現象、即ち「自意識過剰」と言うべき現象であり、誰が好き好んで、花火見物の最中に年増女の「うなじ」なんかを見るもんですか!
増上慢もこれぐらいに達すると地獄の閻魔様の前に呼び出されて、キツイお仕置きをされましょう。
今からでも決して遅くはありませんから、反省して下さい。
(なんちゃったり)してしまいましたが、「花火」見物の間は、ともすれば、視線が前方にばかり集中し勝ちになりますから、どうしても、後方が無防備な状態になってしまいます。
其処を突け狙うのが痴漢や掏摸の常套手段でありますから、出来得るならば、見目良き女性は花火見物などに出掛けないのが賢明でありましょう。
〔返〕 横に掏摸うしろに痴漢の玉屋かな
(狭山市・清野綾子)
〇 あの人も汗ふく顔は写楽かな
それを言うならば、
〔返〕 鳥羽さんも汗ふく貌は写楽かな
(高松市・高城美枝子)
〇 子育ての頃には買へた西瓜かな
そう!
高松市にお住いの高城美枝子の仰る通りです!
我が家に於いても、子育てに真っ最中の頃は、「西瓜」を三十個も買って来て、隣近所の子供達を集めて、豪勢な西瓜割り大会を催した事がありましたが、年金暮らしで二人暮らしのこの夏は、絶えて西瓜の面を拝んだ事がありません。
「西瓜、西瓜、スイカ丸いか?酸っぱいか?そが肌を、ポンポンと叩くのが子育てしていた頃の私の癖なりき!」
〔返〕 鳥羽さんもこの頃すっかり丸くなり
(千葉市・牛島晃江)
〇 シヤワー浴び昼寝を誰に詫びましよう
今週の「金子兜太選」の白眉とも謂うべき傑作である。
「シヤワー浴び昼寝を誰に詫びましよう」との、飄々とした物言いこそは、俳聖・松尾芭蕉の謂うところの「軽み」であり、小林一茶の句風に通じる「庶民性」でありましょう。
何を隠しましょうか、私・鳥羽省三も亦、この夏は、暑さ凌ぎに「シヤワー」を「浴び」、誰に詫びる事も無く「昼寝」を楽しみました。
〔返〕 シャワー浴び水割り一杯昼寝かな
(三郷市・岡崎正宏)
〇 水底の青の如くにかなかなかな
日がな一日「かなかなかな」と鳴いている蜩の声を「水底の青の如く」と色彩感覚で捉えているのである。
通常、蝉の鳴き声などを知覚するのは耳の働き、即ち「聴覚」に拠るのであるが、本句の場合は、目の働き、即ち視覚に置換して知覚しているのであるが、こうした手法自体は格別に目新しい手法ではありません。
ところで、私の音感からすれば、蜩の声を文字で表す場合は「かなかなかな」と「ひらがな」で表すよりも「カナカナカナ」と「カタカナ」で表す方がより実感を伴った表現であると思うのであるが、で、いざ、掲句を「水底の青の如くにカナカナカナ」と書き変えてみると、蜩がただ徒に喧しくけたたましく鳴いているだけの感じになってしまい、結果的には原作のままの方が宜しいのである、という事に気付かされました。
一句の御教示、大変有り難く拝受させていただきます。
〔返〕 水底の青を切り裂き岩魚釣る
澄み切った渓谷の水底から、二尺余りの岩魚を釣り上げる時は、恰も碧い鏡の鏡面を切り裂くような、視覚と触覚を伴った特異な感覚を味わったものでありました。
私は、少年時代に父と一緒に郷里の最高峰・三本槍という山の麓の渓谷に出掛けて岩魚釣りを遣った事がありましたが、上掲の返句は、その時の経験に基づいて創作したものである。
(清瀬市・峠谷清広)
〇 熱帯夜昔の私と怒鳴り合い
選者・金子兜太氏の寸評に「若き日も今も不甲斐なきわが身よ」とあるが、あの金子兜太氏にして、「わが身」を省みて「不甲斐なき」と感じる事が在るのでしょうか?
〔返〕 熱帯夜わが身の裡の情熱し
(埼玉県皆野町・宮城和歌夫)
〇 体験の黙殺さるる敗戦忌
そう、戦争体験も無い若造の胸先三寸で以って、私たちの可愛い孫世代が戦場に駆り出されようとしているのでありますから・・・・・・・。
〔返〕 老い耄れは死ねとばかりの福祉行政
(八王子市・額田浩文)
〇 太陽の真下に地球ヒロシマ忌
あの夏は、日本全国ただの一日として雨が降らず、私たちの狂った頭の天辺に太陽光が燦々と降り注いでいたように記憶しておりますが、勿論、是は私の記憶違いではありましょうが?
〔返〕 太陽の熱に増されるピカの熱
(島根県邑南町・高橋多津子)
〇 病床の母照らすやも夏の霜
今年の夏に、島根県邑南町では霜が降りたのでありましょうか?
竜巻が起きたというニュースや雹が降ったというニュースには度々接したように記憶しておりますが、島根県で夏霜が降りたというニュースには接したという記憶が無いのであるが、是は私が呆け老人になってしまったからの事でありましょうか?
〔返〕 頭髪に霜を戴く齢なれば鳥羽もトンビも否異剽露と鳴く
(八幡市・小笠原信)
〇 白鳥や貴族といふは首の長さ
「貴族といふは首の長さ」という事は、昭憲皇太后や大正天皇や大正天皇の御生母の二位の局や、貞明皇后などの高貴な方々のお写真を拝するに付けてもよく理解されるのであるが、最近の皇室の方々、皇太子殿下やお妃の雅子妃殿下及びそのご夫婦のご息女様、更に申せば皇太子殿下の御妹様などは、孰れの御方も「貴族といふ」程の「首の長さ」には達していないとも思われますが、それは私の視力が衰えている所為でありましょうか?
〔返〕 鶴首と名付けられたる瓶在りて今朝は二輪の黄薔薇活けたり
(京都市・山口秋野)
〇 花火の間うなじ見られている気配
本8月28日の早朝、私は、東京都小金井市にお住いの上条多恵さんの御句(長谷川櫂選の七席)「桃の実はよろこびながら熟れにけり」を鑑賞させて頂くに当たり、かなり冗談気味に「しよってる」、即ち漢字書きにすれば「背負ってる」という動詞の意味や使用例などを解説させて頂いたように記憶しているのでありますが、その「しよってる」という動詞に因んで申し上げますと、本句の作者、即ち京都市にお住いの山口秋野さんも亦、かなり「しよってる」類の女性のようにお見受けしなければならないのである。
山口秋野さんは、脳天気にも「花火の間うなじ見られている気配」などと平気の平左で仰って居られますが、それはご自身を美人だと思っている女性によく見られる傾向の現象、即ち「自意識過剰」と言うべき現象であり、誰が好き好んで、花火見物の最中に年増女の「うなじ」なんかを見るもんですか!
増上慢もこれぐらいに達すると地獄の閻魔様の前に呼び出されて、キツイお仕置きをされましょう。
今からでも決して遅くはありませんから、反省して下さい。
(なんちゃったり)してしまいましたが、「花火」見物の間は、ともすれば、視線が前方にばかり集中し勝ちになりますから、どうしても、後方が無防備な状態になってしまいます。
其処を突け狙うのが痴漢や掏摸の常套手段でありますから、出来得るならば、見目良き女性は花火見物などに出掛けないのが賢明でありましょう。
〔返〕 横に掏摸うしろに痴漢の玉屋かな
(狭山市・清野綾子)
〇 あの人も汗ふく顔は写楽かな
それを言うならば、
〔返〕 鳥羽さんも汗ふく貌は写楽かな
(高松市・高城美枝子)
〇 子育ての頃には買へた西瓜かな
そう!
高松市にお住いの高城美枝子の仰る通りです!
我が家に於いても、子育てに真っ最中の頃は、「西瓜」を三十個も買って来て、隣近所の子供達を集めて、豪勢な西瓜割り大会を催した事がありましたが、年金暮らしで二人暮らしのこの夏は、絶えて西瓜の面を拝んだ事がありません。
「西瓜、西瓜、スイカ丸いか?酸っぱいか?そが肌を、ポンポンと叩くのが子育てしていた頃の私の癖なりき!」
〔返〕 鳥羽さんもこの頃すっかり丸くなり
(千葉市・牛島晃江)
〇 シヤワー浴び昼寝を誰に詫びましよう
今週の「金子兜太選」の白眉とも謂うべき傑作である。
「シヤワー浴び昼寝を誰に詫びましよう」との、飄々とした物言いこそは、俳聖・松尾芭蕉の謂うところの「軽み」であり、小林一茶の句風に通じる「庶民性」でありましょう。
何を隠しましょうか、私・鳥羽省三も亦、この夏は、暑さ凌ぎに「シヤワー」を「浴び」、誰に詫びる事も無く「昼寝」を楽しみました。
〔返〕 シャワー浴び水割り一杯昼寝かな