臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

松野志保の短歌

2017年08月23日 | 諸歌集鑑賞
○  いつか色褪せることなど信じないガーゼに染みてゆくふたりの血

○  この夜の少しだけ先をゆく君へ列車よぼくの血を運びゆけ

○  ぼくたちが神の似姿であるための化粧、刺青、ピアス、傷痕

○  脱ぎ捨てる乳白のシャツこの胸に消えない傷をつけてほしいと

○  創を持つ果実の甘さ鳥籠の外の世界がこわれるときも

○  どこへ往くことも願わぬふたりには破船のようにやさしい中庭

○  またひとつピアスの穴をやがて聞くミック・ジャガーの訃報のために

○  癒されたいわけじゃなかったこの傷のほかには何も持たないぼくら

○  ひび割れた鏡に映る世界その欠片ひとつひとつを雨が打つ

○  灰の降りやまぬ世界に生まれたから灰にまみれて抱き合うぼくら

○  炉心隔壁シュラウドがひび割れてゆく幾千の夜をひたすらその身に溺れ

○  探知機をするりと通過するぼくの頭の中に爆弾がある

○  朝ごとのメトロ 併走する黒い馬の群その呼吸聞きつつ

○  わが言葉、貧しき地上に片翼の天使を繋ぐ鎖であれと

○  半欠けの氷砂糖を口うつす刹那互いの眼の中に棲む

○  兄の名を呼べば真冬の稜線を越えてかえらぬ奔馬と思う

○  雑踏を見おろす真昼 銃架ともなり得る君の肩にもたれて

○  ぼくは雨 君の外側を流れ落ち皮膚に染みいることも叶わぬ

○  生殖とかかわりのない愛なども容れてどこへもゆかぬ方舟

○  湯を浴ぶる少年ふたり月明に相似の裸身恥ぢにけらしも

○  好きな色は青と緑と言うぼくを裏切るように真夏の生理

○  もしぼくが男だったらためらわずに凭れた君の肩であろうか

○  戒厳令を報じる紙面に包まれてダリアようこそぼくらの部屋へ

○  さらばとはついに言わない唇よ紅ひくまでもなく赤ければ

○  たやすくは抱き合うものか鉢植えの蔦を愛してたかが百年

○  国ひとつ潰えゆく夏 兵士ではなく男娼として見届ける

○  ぼくたちが神の似姿であるための化粧、刺青、ピアス、傷痕
 
○  探知機をするりと通過するぼくの頭の中に爆弾がある

○  変容を待つ繭として傷のない皮膚の上にも包帯を巻く

○  まなじりに青を置くとき少しだけ羨む水棲という生き方

     「松野志保第二歌集『Too Young to Die』」より抜粋



○  終末より永遠を怖れる君に青く聖別のチェレンコフ光

○  雨にうたれて死んでもいいの愛でなく愛によく似た何かのために
   
○  華やかな破滅は来ないゆっくりと酸性雨に溶けてゆく東京

○  青い花そこより芽吹くと思うまで君の手首に透ける静脈

○  ひび割れた鏡に映る世界その欠片ひとつひとつを雨が打つ

○  破船抱く湾のしずけさ心臓のほかに差し出すなにものもなく

○  ひとりでも生きていけるという口がふたつどちらも口笛は下手

○  華やかな破滅は来ない酸性雨にゆっくりと溶けていく東京

○  「生まれないほうが幸せ」ブランチは朱鷺の卵を半熟にして

○  惜しむのはぼくのみの冬が去りそして花咲くところ地はすべて墓


     「松野志保第一歌集『モイラの裔』」より抜粋


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