[大串章選]
(飯塚市・釋蜩硯)
〇 秋高し邪馬台国を訪ねけり
作者の釋蜩硯さんのお住まいは、かつての我が国の基幹産業の一つであった石炭採掘の現場、即ち、筑豊炭田地帯のど真ん中の飯塚市である。
ならば、句中の「邪馬台国」とは、「邪馬台国=北九州」説に拠る「邪馬台国」でありましょう。
本句の作者は筆名に似合わず「秋高し邪馬台国を訪ねけり」などと大袈裟なことを言ってはいるが、それは「三泊四日の邪馬台国探訪」とかいう宿泊を伴うものでは無くて、「天候に恵まれた中秋の小半日を費やしてのお散歩」といった程度の「邪馬台国探訪」でありましょう。
「何事も大袈裟に言うのが俳句の特色の一つである」と言うが、本句はその具体例でありましょう。
〔返〕 「たかたかし」放送作家の片手間に作詞を手掛け軈て本業 鳥羽省三
(田川市・山田千恵女)
〇 豊かなる流れに応へ芋水車
本句の作者も亦、筑豊のど真ん中にお住いの方である。
詠い出しに「豊かなる流れ」とありますが、田川市を流れる「豊かなる流れ」と言えば、「英彦山を源流とする彦山川」及び「中元寺川」である。
その一方、「芋水車」と言えば、たかだか1キログラム程度の里芋の皮を剥くための生活道具であり、その大きさは、せいぜい子供たちを喜ばせる為に暇を持て余している大人が作る玩具の水車に毛の生えた程度のものでありましょう。
それなのにも関わらず、本句の作者の山田千恵女は、「豊かなる流れに応へ芋水車」などと、雄大なスケールの光景を描こうとしているのである。
筑豊暮らしの方々は、男女の別を問わず、かくも大袈裟な事を脳天気に言うのでありましょうか?
〔返〕 豊かなる暮しをしたのは昔のこと今の田川には陽水も居ない 鳥羽省三
(久慈市・和城弘志)
〇 反戦を語る謝辞あり敬老日
お仕事熱心な山内隆文久慈市長が、敬老の日の市長挨拶の中で、御信条となさって居られる「反戦」の思いに事寄せて、ご出席なさった高齢者の方々に「謝辞」をお述べになられたのでありましょうか?
だとしたら、それも亦、さる方々からは、ささやかな公私混同と言われましょうか?
〔返〕 なにゃとやぁれ、なにゃとなされぇのぉ、山内さん公私混同なにゃとなされ 鳥羽省三
(柏市・今福武)
〇 コスモスの海に母子の消えてゆき
「コスモスの海に母子の消えてゆき」とは、まさしく壮大にして明澄なる秋景色であり、俳諧の醍醐味これを在り、といった感じの作品である。
〔返〕 コスモスの海に溺れて沈み行く母子二人がほほえみ浮かべ 鳥羽省三
(群馬県東吾妻町・酒井せつ子)
〇 秋高し笑ってゐればまちがひなし
「笑ってゐればまちがひなし」とは、まさしく至言である。
だから私は、群馬県東吾妻町特産の高原キャベツの価格が一玉三百円也の物価高の昨今に於いても、ただひたすらに「笑って」いるしか、生きる術を知らないのである。
〔返〕 口空けて笑つてゐれば風邪を引く浅間おろしの蕎麦など食はむ 鳥羽省三
(益田市・井下みね子)
〇 月光や母の白髪ふはり浮く
「月光」と「母の白髪」との取り合わせは、まさしく不可思議な異空間での宿命的な邂逅といったイメージである。
本句に於ける「母」は、その昔「〇〇小町」と呼ばれた「母」でなければならなく、傘寿を過ぎた今になっても尚、その面影を漂わせているような「母」でなければなりません。
そんな「母」であるからこそ、月明かりに照らされると、その妖艶な「白髪」がまるで静電気が働いたように「ふわり」と「浮く」のでありましょう。
だとしたら、それこそは幻想の世界であり、幻想の世界の出来事を具体的に現出させることも、俳句の果たすべき役割の一つでありましょう。
〔返〕 月影に白髪浮かべ微笑みき垂乳根の母のいませし昔 鳥羽省三
(熊谷市・時田幻椏)
〇 蜚蠊の自在忍者の如く消え
私の連れ合いのS子の宿命のライバルは、一昨年頃から我が家のキッチン周りに出没するようになった「蜚蠊」である。
この夏、草木も眠る丑三つ時になると、彼女は定例の夜会に出席するシンデレラの如くにベッドからむっくりと起き上がり、予め準備していた「秒速ノックダウン・ゴキジェットプロ」を手にして、件の蜚蠊出没ゾーンに急行するのであった。
現場に到着するや否や、彼女はありとあらゆる照明を一挙に点じ、敏腕の消防士宜しく、彼の「秒速ノックダウン」を一所懸命に噴射するのでありましたが、敵もさるもの、ゴキブリホイホイ逃げ捲り隠れ捲って、まるで変幻「自在」の「忍者の如く」闇の底に消え去って行くのでありました。
したがって、私は、本句の作者の時田幻椏さんの夜毎夜毎の行状を、決して他所ごとのように思ったりはしません。
妻と言えば、自分の命を犠牲にしてでも守護しなければならない存在である。
と言うことは、彼の憎っくき「蜚蠊」こそは、日米共同の敵なのである!
〔返〕 午前二時 厨房に敵出没す 起床喇叭直ちに吹くべし 鳥羽省三
(須賀川市・関根邦洋)
〇 只今の声にも稲のにほひかな
いくら何でも、「只今の声」に「稲のにほひ」が染み着いているはずはありませんから、是も亦、俳句独特の誇張表現なのである。
〔返〕 閨房の匂ひさながら稲刈りに飛蝗跳び付く爺様は笑ふ 鳥羽省三
(鹿児島市・青野迦葉)
〇 近づいて枯蟷螂を見失ふ
例の「保護色」というヤツで人間様の目を眩ますのでありましょう。
尚、「枯蟷螂」とは、「あたりの草が枯色になって来ると、保護色で緑色から枯葉色に変るカマキリ」のことである。
〔返〕 近づきて姿観えずも富士の山沼津辺りが丁度宜しい 鳥羽省三
(昭島市・大橋眞一)
〇 忘れまじ白衣の兵の秋の声
「秋の声」は「ときのこえ」と読むのでありましょう。
戦争も土壇場になると、「白衣」を身に着けた傷病兵まで駆り出されたのである。
〔返〕 忘れまじ白衣の兵の跪き軍歌唄ひて投げ銭を乞ふ 鳥羽省三
(飯塚市・釋蜩硯)
〇 秋高し邪馬台国を訪ねけり
作者の釋蜩硯さんのお住まいは、かつての我が国の基幹産業の一つであった石炭採掘の現場、即ち、筑豊炭田地帯のど真ん中の飯塚市である。
ならば、句中の「邪馬台国」とは、「邪馬台国=北九州」説に拠る「邪馬台国」でありましょう。
本句の作者は筆名に似合わず「秋高し邪馬台国を訪ねけり」などと大袈裟なことを言ってはいるが、それは「三泊四日の邪馬台国探訪」とかいう宿泊を伴うものでは無くて、「天候に恵まれた中秋の小半日を費やしてのお散歩」といった程度の「邪馬台国探訪」でありましょう。
「何事も大袈裟に言うのが俳句の特色の一つである」と言うが、本句はその具体例でありましょう。
〔返〕 「たかたかし」放送作家の片手間に作詞を手掛け軈て本業 鳥羽省三
(田川市・山田千恵女)
〇 豊かなる流れに応へ芋水車
本句の作者も亦、筑豊のど真ん中にお住いの方である。
詠い出しに「豊かなる流れ」とありますが、田川市を流れる「豊かなる流れ」と言えば、「英彦山を源流とする彦山川」及び「中元寺川」である。
その一方、「芋水車」と言えば、たかだか1キログラム程度の里芋の皮を剥くための生活道具であり、その大きさは、せいぜい子供たちを喜ばせる為に暇を持て余している大人が作る玩具の水車に毛の生えた程度のものでありましょう。
それなのにも関わらず、本句の作者の山田千恵女は、「豊かなる流れに応へ芋水車」などと、雄大なスケールの光景を描こうとしているのである。
筑豊暮らしの方々は、男女の別を問わず、かくも大袈裟な事を脳天気に言うのでありましょうか?
〔返〕 豊かなる暮しをしたのは昔のこと今の田川には陽水も居ない 鳥羽省三
(久慈市・和城弘志)
〇 反戦を語る謝辞あり敬老日
お仕事熱心な山内隆文久慈市長が、敬老の日の市長挨拶の中で、御信条となさって居られる「反戦」の思いに事寄せて、ご出席なさった高齢者の方々に「謝辞」をお述べになられたのでありましょうか?
だとしたら、それも亦、さる方々からは、ささやかな公私混同と言われましょうか?
〔返〕 なにゃとやぁれ、なにゃとなされぇのぉ、山内さん公私混同なにゃとなされ 鳥羽省三
(柏市・今福武)
〇 コスモスの海に母子の消えてゆき
「コスモスの海に母子の消えてゆき」とは、まさしく壮大にして明澄なる秋景色であり、俳諧の醍醐味これを在り、といった感じの作品である。
〔返〕 コスモスの海に溺れて沈み行く母子二人がほほえみ浮かべ 鳥羽省三
(群馬県東吾妻町・酒井せつ子)
〇 秋高し笑ってゐればまちがひなし
「笑ってゐればまちがひなし」とは、まさしく至言である。
だから私は、群馬県東吾妻町特産の高原キャベツの価格が一玉三百円也の物価高の昨今に於いても、ただひたすらに「笑って」いるしか、生きる術を知らないのである。
〔返〕 口空けて笑つてゐれば風邪を引く浅間おろしの蕎麦など食はむ 鳥羽省三
(益田市・井下みね子)
〇 月光や母の白髪ふはり浮く
「月光」と「母の白髪」との取り合わせは、まさしく不可思議な異空間での宿命的な邂逅といったイメージである。
本句に於ける「母」は、その昔「〇〇小町」と呼ばれた「母」でなければならなく、傘寿を過ぎた今になっても尚、その面影を漂わせているような「母」でなければなりません。
そんな「母」であるからこそ、月明かりに照らされると、その妖艶な「白髪」がまるで静電気が働いたように「ふわり」と「浮く」のでありましょう。
だとしたら、それこそは幻想の世界であり、幻想の世界の出来事を具体的に現出させることも、俳句の果たすべき役割の一つでありましょう。
〔返〕 月影に白髪浮かべ微笑みき垂乳根の母のいませし昔 鳥羽省三
(熊谷市・時田幻椏)
〇 蜚蠊の自在忍者の如く消え
私の連れ合いのS子の宿命のライバルは、一昨年頃から我が家のキッチン周りに出没するようになった「蜚蠊」である。
この夏、草木も眠る丑三つ時になると、彼女は定例の夜会に出席するシンデレラの如くにベッドからむっくりと起き上がり、予め準備していた「秒速ノックダウン・ゴキジェットプロ」を手にして、件の蜚蠊出没ゾーンに急行するのであった。
現場に到着するや否や、彼女はありとあらゆる照明を一挙に点じ、敏腕の消防士宜しく、彼の「秒速ノックダウン」を一所懸命に噴射するのでありましたが、敵もさるもの、ゴキブリホイホイ逃げ捲り隠れ捲って、まるで変幻「自在」の「忍者の如く」闇の底に消え去って行くのでありました。
したがって、私は、本句の作者の時田幻椏さんの夜毎夜毎の行状を、決して他所ごとのように思ったりはしません。
妻と言えば、自分の命を犠牲にしてでも守護しなければならない存在である。
と言うことは、彼の憎っくき「蜚蠊」こそは、日米共同の敵なのである!
〔返〕 午前二時 厨房に敵出没す 起床喇叭直ちに吹くべし 鳥羽省三
(須賀川市・関根邦洋)
〇 只今の声にも稲のにほひかな
いくら何でも、「只今の声」に「稲のにほひ」が染み着いているはずはありませんから、是も亦、俳句独特の誇張表現なのである。
〔返〕 閨房の匂ひさながら稲刈りに飛蝗跳び付く爺様は笑ふ 鳥羽省三
(鹿児島市・青野迦葉)
〇 近づいて枯蟷螂を見失ふ
例の「保護色」というヤツで人間様の目を眩ますのでありましょう。
尚、「枯蟷螂」とは、「あたりの草が枯色になって来ると、保護色で緑色から枯葉色に変るカマキリ」のことである。
〔返〕 近づきて姿観えずも富士の山沼津辺りが丁度宜しい 鳥羽省三
(昭島市・大橋眞一)
〇 忘れまじ白衣の兵の秋の声
「秋の声」は「ときのこえ」と読むのでありましょう。
戦争も土壇場になると、「白衣」を身に着けた傷病兵まで駆り出されたのである。
〔返〕 忘れまじ白衣の兵の跪き軍歌唄ひて投げ銭を乞ふ 鳥羽省三