臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

一首を切り裂く(018:準備・其のⅤ・想定を超えた事態を想定し)

2011年11月03日 | 題詠blog短歌
(蜂田 聞)
○  想定を超えた事態を想定し準備するとう無限ループよ

 自分の能力を超えた役割りを自分に課し、果てし無き「無限ループ」に足を踏み入れてしまった者の漏らす溜息を聞いているような思いで鑑賞させていただきました。
 但し、この度の原発事故を未然に防ぎ得なかった、東電などの原子力発電の関係者などは「無限ループ」の遙か手前で足が竦くめて立ち止まってしまったような輩であり、彼らの「想定」は、あまりにも甘い「想定」と言わなければなりません。
 たまたま、今日・11月3日付けの朝日新聞・朝刊の第三面に「炉内の把握 なお困難-臨界の可能性-キセノンと断定」という見出しを付けた記事が掲載されておりましたが、詰まるところは、自民党政府や電力業界の輩の「想定」の甘さが原因で生じた「無限ループ」の罠に嵌って、私たち国民や民主党政府の面々が苦しみの声を上げている、という報道以外の何物でもありませんでした。
 〔返〕  想定の甘さが産んだ鬼っ子に子孫末代永久に苦しむ      鳥羽省三
      汚染土を除去して運び埋め立てた所も汚染土無限ループだ


(穂ノ木芽央)
○  しあはせの準備ととのへましたからあとは靴紐むすぶだけです

 そう、そうなんですよ。
 「しあはせの準備」を全て「ととのへ」てしまったら、「あとは」たかだか「靴紐」を「むすぶだけ」の仕事しか残されていないんですよ。
 でも、それも、いくら「しあはせ」の為とは言え、あまりにも空しく寂しいことではありませんか?
 そういう訳で、私見を述べさせていただきますと、私たち人間は、人間の中でも取り分け“いわゆる先進国”の人間は、あまりにも「しあはせの準備」をする事を性急に行い過ぎたと思います。
 直前の作品の作者・蜂田聞さんの言い分ではありませんが、「しあはせの準備」を整えてしまった者の前に在るのは、また果てし無い「しあはせの準備」でしかありません。
 詰まるところ、私たち“いわゆる先進国”の人間は、今や「しあはせの準備」の“無限ループ”に陥ってしまったのです。
 考え深そうな顔をして、「TAKEOKIKUCHI」ブランドの26センチの「靴」の「紐」をおもむろに結んだりしてね。
 〔返〕  靴・鞄・スーツ・ネクタイ・イタリア製 本人だけが純国産品   鳥羽省三



(伊倉ほたる)  
○  曇りのち雨の準備はできていてあたりまえには傘はいらない  
 
 「曇りのち雨の準備はできていて」とは、「ビニール製の簡易レインコートを鞄の中に忍ばせていて」とか、「会社のロッカーに予備の傘を置いていて」といった意味でありましょうか?
 だとしたら、「あたりまえには」などと前置きせずに、ただ単に「傘はいらない」と言ってしまえば済むはずであるが、それと知って居て、それをしない所に、この作品の作者特有の病根を指摘しなければならないのである。
 この広い世の中には、見栄を張って離婚するとか、見栄を張って自己破産するとか、見栄を張って駄目な男と結婚するとか、見栄を張って自殺するとか、およそ世間並みの常識では考えられないような行動に走る人間が居るのであるが、「『曇りのち雨』の場合の『準備はできていて』『傘はいらない』」と言えばいい所を、「曇りのち雨の準備はできていて」と「傘はいらない」のと間に「あたりまえには」などという、全く不要な修飾語句を置くような人間も、それらと同じような類の人間でありましょう。
 本作の四句目「あたりまえには」に、この作品の作者特有の“見栄”と“狂気”とを指摘しなければならないのである。
 〔返〕  「曇りのち雨のち時々狂気」当たり前には言えない病い   鳥羽省三


(浅草大将)
○  ひと冬を越しの白嶺の山小屋に夏待ちがほの準備中の札

 「ひと冬を越しの」とありますが、「越し」は、越中(富山)を意味すると同時に「ひと冬を越し」との掛詞のように思われます。
 それについては納得するとしても、納得し難いのは、「越しの白嶺」と、恰も「白山」或いは「白峰三山」が越中の山であるが如きの詠い方である。
 富山県を代表する民謡『越中おわら節』の文句にも、「越中で立山 加賀では白山 駿河の富士山 三国一だよ」とありますから、その点については、やや無理な表現のようにも思われますが、いかがなものでありましようか?
 〔返〕 ひと夏を越の立山籠もり居て浅草大将いつも「準備中」   


(鳥羽省三)
○  いつ来ても「準備中」との札下がり浅草大将ラーメン怠業

 直前の短歌の作者・浅草大将さんの“いなせな後ろ姿”に嫉妬心を覚えたあまり、作者名の「浅草大将」を勝手に「ラーメン店」に見立てて詠み、「いつ来ても『準備中』との札下がり浅草大将ラーメン怠業」と、作者の浅草大将さんを揶揄しただけのことに過ぎません。
 お題「準備」の作品には、投稿者の皆様もさんざんお悩みになられたことと思われ、主催者の五十嵐きよみさんの御作を含めて、いずれ劣らぬ凡作揃いでありましたが、拙作も亦、その例外ではありません。
 「準備」とまで、一単語まるごと指定されてしまうと、その内容もかなり限定されてしまうのでありましょう。
 
〔返〕  室田準 備前長船抜きざまに芸妓三人即座斬殺     鳥羽省三
     池田準 備前藩主の裔にしてお祭り寿司が大好き人間
 少しは変わり映えがするかと思って、即興で詠みましたが、作中の人物「室田準」は残忍そのものの刀狂いであり、「池田準」は所謂“鉄ちゃん”であり、“バカ殿様”でもある。
 投稿作・二百首余りの中に、たった一首だけ、お題「準備」の「準」と「備」とを切り離して詠んだ作品が在りましたが、内容的には、鑑賞意欲をそそるような作品ではありませんでした。