昨日の地震の余波を僕も受けたことは、1つ下のエントリーで記したとおりです。東京駅でタクシーを
待つ間、その行列に無造作にカメラを当て、マイクを向けてインタビューを取っている局がいました。
そのTVクルーがたまたま僕の前にいた母子3人連れにインタビューを取り出したのですが、
非常に気になる行動がありました。そのクルーは日本テレビを名乗っていましたが、お母さんに対し
「日本テレビの~(番組名)ですが」と語っただけで、インタビューがOKかどうかの確認を取りもせず、
いきなりカメラを向けインタビューを始めました。前で何組かのインタビューを取っていたため、
TVの取材だということは分かりますが、なぜインタビューOKかどうかの確認さえしないのか。
インタビューに応じてもらえるとなぜ勝手に決め付け、勝手にカメラを回すのか。
インタビュー終了後、どうしても気になったためクルーに僕が質問します。
「インタビューOKだという確認を取ったのか。日本テレビの~ですというだけで、なぜいきなり
カメラを回しだすのか」と。それに対しクルーは「確認を取りました、放送がまずければカットします」と
僕に対して言います。「それは僕じゃなく、マイクを向けた人に言いなさい」と質すと「言いました」と
デタラメな言葉を吐く。インタビューを受けたお母さんが大人の対応をとったため、僕もその場では
それ以上の追求はしませんでした。しかし後でお母さんに確認すると、「インタビューOKかどうかは
聞かれていない、放送がまずければカットするとの言葉もなし」とのこと。つまりこのTVクルーは
僕の追求から逃れるため、全くの嘘を並べ立てたということですね。不愉快極まりない無責任な行動。
TVの報道というものは、このようにして作られるのだなと、改めて感じさせられました。
TV局の人間はおそらく「我々はTV局だ」といえばそれで全てが通る、それ以上の説明など必要ない、
取材に応じられないなどとぬかす人間は許さない。とでも思っているのでしょう。日常生活で他人に
何がしかの協力を求める際、何の説明もなく、名前を名乗るだけで全てが通るなどとは、彼らもさすがに
思っていないはず。それがTVカメラを回すと、そのような感覚が一切消え、協力するのが当たり前と
なるのは何故なのだろう。
一言で言えば、それがTV局というものなのでしょうね。むしろ人の気持ちに配慮し、有無を言わせず
インタビュー対象者をカメラの前に立たせるのはやめようなどという考えを持ったなら、
「バカヤロウ、お前それでもTVマンか!お前の仕事は1人でも多くインタビュー取ってくる事だ。
余計な気配りなんかしている場合か!」と怒鳴りつけられる。それがTV業界の常識なんでしょうね。
もちろんこれは、一般社会では非常識なのですが、TV業界では常識だと。
仕事を離れたプライベートな場でいきなりTVカメラを回され、何の説明もなくインタビューに応えろと
要求された際、彼らはTV業界では当然のこととして、それを受け入れるのでしょうか。
待つ間、その行列に無造作にカメラを当て、マイクを向けてインタビューを取っている局がいました。
そのTVクルーがたまたま僕の前にいた母子3人連れにインタビューを取り出したのですが、
非常に気になる行動がありました。そのクルーは日本テレビを名乗っていましたが、お母さんに対し
「日本テレビの~(番組名)ですが」と語っただけで、インタビューがOKかどうかの確認を取りもせず、
いきなりカメラを向けインタビューを始めました。前で何組かのインタビューを取っていたため、
TVの取材だということは分かりますが、なぜインタビューOKかどうかの確認さえしないのか。
インタビューに応じてもらえるとなぜ勝手に決め付け、勝手にカメラを回すのか。
インタビュー終了後、どうしても気になったためクルーに僕が質問します。
「インタビューOKだという確認を取ったのか。日本テレビの~ですというだけで、なぜいきなり
カメラを回しだすのか」と。それに対しクルーは「確認を取りました、放送がまずければカットします」と
僕に対して言います。「それは僕じゃなく、マイクを向けた人に言いなさい」と質すと「言いました」と
デタラメな言葉を吐く。インタビューを受けたお母さんが大人の対応をとったため、僕もその場では
それ以上の追求はしませんでした。しかし後でお母さんに確認すると、「インタビューOKかどうかは
聞かれていない、放送がまずければカットするとの言葉もなし」とのこと。つまりこのTVクルーは
僕の追求から逃れるため、全くの嘘を並べ立てたということですね。不愉快極まりない無責任な行動。
TVの報道というものは、このようにして作られるのだなと、改めて感じさせられました。
TV局の人間はおそらく「我々はTV局だ」といえばそれで全てが通る、それ以上の説明など必要ない、
取材に応じられないなどとぬかす人間は許さない。とでも思っているのでしょう。日常生活で他人に
何がしかの協力を求める際、何の説明もなく、名前を名乗るだけで全てが通るなどとは、彼らもさすがに
思っていないはず。それがTVカメラを回すと、そのような感覚が一切消え、協力するのが当たり前と
なるのは何故なのだろう。
一言で言えば、それがTV局というものなのでしょうね。むしろ人の気持ちに配慮し、有無を言わせず
インタビュー対象者をカメラの前に立たせるのはやめようなどという考えを持ったなら、
「バカヤロウ、お前それでもTVマンか!お前の仕事は1人でも多くインタビュー取ってくる事だ。
余計な気配りなんかしている場合か!」と怒鳴りつけられる。それがTV業界の常識なんでしょうね。
もちろんこれは、一般社会では非常識なのですが、TV業界では常識だと。
仕事を離れたプライベートな場でいきなりTVカメラを回され、何の説明もなくインタビューに応えろと
要求された際、彼らはTV業界では当然のこととして、それを受け入れるのでしょうか。
ちなみに義弟が、たまたま仕事で、かなり前にカズさんと接する機会があったそうです。「とてもいい人で、高ピーな所などまるでなかった」そうであります。
その当時三浦カズ選手は飛ぶ鳥も落とす程の勢いの頃、やはり一流のかたは、どんなときでも紳士なんだなぁと感じ入りました。
TV屋さんには三浦カズ選手の爪のアカでもせんじて飲んで欲しい位であります。みの拝
紳士でしたよ、カズは。それに引き替え、バラエティ番組の低俗さ、吐き気さえ覚えます。(怒)
TV局を語る際に「やはりひどかった」という前振りがつくことの意味を、TVの人々には考えてもらいたいですね。TVはひどいというのが、共通認識になっている意味を。
TV局ほど常識がない組織は、他にはないかもしれませんね。
新聞や雑誌の人はとても丁寧でした。身分や所属を明かして「取材させて戴いてもよろしいでしょうか?」ちゃんと了解とってから取材に入る。
なのにTV屋ときたら…勝手にカメラ回す、「あ、そこ太鼓叩いてみてくんな~い?」とか言葉もぞんざい、挙句無断で撮影するのに文句言うとスゲー高ピー…
さいこーブチ切れました。だからTVなんか見ないよーにしてますわん(^^;みの拝
いくら彼らだって、会社を離れた部分での1個人としては、それなりに常識があるのでしょう。少なくとも真っ当な社会生活を送れるぐらいには。しかしそれがTV局の人間になると、全てを失ってしまう。これはもう、構造的な問題なのでしょうね。常識を持った人間ではTV局ではやっていけないという。
自分たちは視聴者よりも偉いのだ、低俗な視聴者に番組をみせてやっているのだ、という考え方が、本当に鼻持ちならない。だから僕は、地上波民放は見なくなりましたね。1週間に2~3時間あるかないかでしょうか。
たまに一般人からには到底理解に苦しむテレビ局内の実情を聞かされますよ。某NHKのプロデューサーの横領事件と言い、本当にモラルの無いor人を人と思わない”妖怪”が居るみたいです。
私の友人のTVマンは上司から”放送ってのは送り放しって書くんだぞ!イチイチ、視聴者の馬鹿な戯言など気にしてんじゃねえ!”と叱責された事があり、憤慨したそうです。ああ、悲しい~。
しょういちさんのへコメントでも記しましたが、TV局の人は自分たちの取材に協力しない人間がいるなんて、想像できないのかもしれませんね。
一方、自分たちのことには敏感に反応するんじゃないでしょうか。彼らが取材している様子をハンディカメラで撮ったりしたら、彼らは言うかもしれません。「肖像権の侵害だ」と。
事の重大さに気付いて、うかつでした、反省しますってなってからでは遅いんですよね。
最近TV業界での不祥事が多いのもそうじゃあないですか?大人になっていないというか。
あれ?これも先日どこかで似たようなことがありましたね。
かのTVクルーの気持ちはこのコメントのタイトルどおりなんじゃないでしょうか。我々TV局が取材をしているのだから、それに応じるのが当然であり、OKかどうかの確認がなぜ必要なのか、という感じで。
もちろん、TV局にも良識を持った人はいるわけですが、TV局の人間として振舞うと「自然に非常識になってしまう」のかもしれませんね。
取材を受けようとしてタクシー待ちをしていたわけではないのですから、「取材よろしいですか」の一言があってもいいでしょう。他人の容姿、顔を公共の電波に流すという責任に欠けてますね。テレビ業界に限らず、企業ではよくある話ではないでしょうか。「自分さえよければ、自分の属する組織さえ良ければ良い」という風潮なんでしょうね。それでいて「組織が責任とってくれるからいいや」なんてことになるからややこしいですね。あれ?先日も同じようなことがあったような・・・・。