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私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

「ディパーテッド」

2007-01-21 14:52:07 | 映画(た行)


2006年度作品。アメリカ映画。
香港映画「インファナル・アフェア」をボストンに舞台を移しリメイク。マフィアに潜入した警察官、警察に潜入したマフィアの息詰まる駆け引きを描いたサスペンス。
監督は「タクシードライバー」「レイジング・ブル」のマーティン・スコセッシ。
出演は「タイタニック」「アビエイター」のレオナルド・ディカプリオ。「ボーン・アイデンティティ」のマット・デイモン ら。


本作のオリジナル、「インファナル・アフェア」は優れた作品だ。
脚本は練りこまれているし、緊迫感にあふれていて、テンポもいい。メイン二人の俳優は存在感があるし、映像の見せ方も悪くない。傑作の部類に入る作品だと思っている。
そんな作品をわざわざリメイクする必要はあるのだろうか? オリジナルが好きなので見ることは決めていたが、そんな多少の危惧はあった。

まずは率直な感想を言おう。
単純におもしろかった。充分に楽しめる作品に仕上がっているのはまちがいないだろう。
その理由は素材がいいからにほかならない。アイデアは僕が傑作と思っている作品からとっているし、しかも監督はスコセッシ。つまらないはずがないのだ。

しかしオリジナルを越えているかと言ったらノーだ。
もちろん独自の味付けはしてあるし、ストーリーも多少いじっていて、前半部を丁寧に描いたのも好感がある。本作の方は連鎖的、かつ陰惨な悲劇として終わっている点が大きく異なっているだろう。
それはそれで全然悪くはない。なにも知らずに見たら、その重厚なストーリーに酔いしれていたかもしれない。

しかし、この映画はリメイクする必然性があったと思えるほどの作品には仕上がっていなかった。 
同じ映画という土俵でつくった以上、オリジナルとリメイクを比較されるのは仕方ないと思っている。だからこそ、リメイクにはオリジナルを超える作品に仕上げてほしい。
映画単品として優れているから、★5をつけるけれど、不満の残る作品であった。ないものねだりなのだろうか。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)


制作者・出演者の関連作品感想:
・マット・デイモン出演作
 「シリアナ」

「007 カジノ・ロワイヤル」

2006-12-03 19:43:17 | 映画(た行)


2006年度作品。映画。
アメリカ=イギリス映画。
シリーズ第21弾。ジェームズ・ボンドが「007」になる前、国際テロ組織壊滅の任務と忘れられない女性の物語が描かれる。
監督は「マスク・オブ・ゾロ」「バーティカル・リミット」のマーティン・キャンベル。
出演は「ミュンヘン」「レイヤー・ケーキ」のダニエル・クレイグ。「ドリーマーズ」「キングダム・オブ・ヘブン」のエヴァ・グリーン ら。


007を観るのは実は初めてだ。
しかしそのせいで楽しめないということは特になかった。シリーズを見たことがない人にも楽しめるよう、エンタテイメントを意識しているのが伝わる。好印象な作品だった。

エンタメを意識しているだけあって、本作は単純におもしろい。
とにかくエピソードを惜しみなくつぎ込む、つぎ込む。次から次へと事件が起こり、物事の状況は簡単に一転する。息をもつかせぬとはこのことだろう。まさにジェットコースター状態で物語を進めていく手腕は見事だ。すばらしい。
それでいてラスト付近で、哀愁を漂わせるなど、実に気が利いている。

エピソードだけでなく、アクションシーンも楽しい。
特に冒頭の鉄塔での戦いはハラハラドキドキものだ。迫力と臨場感に溢れており、気を抜くことなんてこれっぽちもできなかった。

そういうわけで、エンタテイメントとして本作は実に優れていた。
見終わった後には特に何も残らないのだけど、エンタメってのは本来そういうものだ。素直にその派手なエピソードとアクションを楽しむべしである。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


制作者・出演者の関連作品感想:
・ダニエル・クレイグ出演作
 「ミュンヘン」の感想はこちら
・ジュディ・デンチ出演作
 「プライドと偏見」の感想はこちら

「トゥモロー・ワールド」

2006-11-20 22:22:08 | 映画(た行)


2006年度作品。イギリス映画。
人類に子供が産まれなくなって18年が経過した2027年、エネルギー省に勤めるセオは反政府組織に拉致される。そこでセオはある秘密を抱えた少女に引き合わされる
監督は「天国の口、終りの楽園。」「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」のアルフォンソ・キュアロン。
出演は「キング・アーサー」「シン・シティ」のクライブ・オーウェン。「ハンニバル」「フォーガットン」のジュリアン・ムーア。


子供が産まれなくなった近未来、その世界で子供が久々に生まれようとしている。その子供を巡り、政府や反政府組織、その他、内ゲバめいた抗争を描いている。内容自体はそういうわけで硬派だ。
完全なSFとは違うためにその世界観は基本的にリアルでもある。別のテーマに置き換えても通用しそうな感じがする。そういう骨太な雰囲気は確かな手応えがあり、見応えもあるだろう。

また映像という観点からもなかなかの出来だ。特にラスト近くの長回しの映像などは迫力があって、映像世界に浸りきることができる。その他にも映像では目を引くものが多い。

しかし辛口に言ってしまえばそれだけでしかない。
つまらない作品ではないが、インパクトに欠ける作品なのだ。基本的に集中力が切れることはなかったが、興味を持続させることはできなかった。
子供が産まれなくなった原因や、いくつかのバックボーンを描いていないのが、興味をもてなかった原因だろう。多分製作者側は、子供が生まれないという状況をつくりたかっただけだろうが、それを支えるハッタリは何かしら必要だったのではないか、と個人的には思う。

評価:★★★(満点は★★★★★)


制作者・出演者の関連作品感想:
・クライブ・オーウェン出演作
 「インサイド・マン」の感想はこちら

「手紙」

2006-11-13 22:21:09 | 映画(た行)


2006年度作品。日本映画。
人気作家、東野圭吾の小説を映画化。殺人を犯し刑務所に入った兄と、兄の犯罪のために周囲から迫害を受け、人生の道行きが狂っていく弟の姿を描く。
監督は「三年B組金八先生」などテレビドラマの演出を手がけてきた生野慈朗。
出演は「電車男」の山田孝之。「逆境ナイン」の玉山鉄二 ら。


世の中には泣かせる映画というものが実に多い。
その手の作品が世の中で受け入れられることは別にかまわないが、個人的な話、そういった作品が好きか嫌いかで言ったら、僕はどちらかと言うと嫌いな方だ。そういった映画は、泣きを煽るような過剰な演出が多く、見ていて鼻につくものがあるからだ。天邪鬼と言われれば否定のしようもないけれど。

本作「手紙」もジャンルとしては泣かせる映画の部類に入るかもしれない。実際、ラスト付近にはあざといとしか言いようがない、過剰な演出がある。
しかし天邪鬼な僕もこの映画には否定的な印象を持たなかった。
なぜならそのような過剰さがなくても、この映画は充分に泣かせるものがあり、かつ、真摯なテーマをはらんだ硬派な一面も含んでいたからだ。

本作の主人公は殺人事件の加害者の弟である。ただそれだけの理由のために理不尽に差別を受けて虐げられている。
差別は良くないことは事実だろう。僕も映画を見ながら理不尽だと思っていた。だがそのような差別をなくすことは果たして可能だろうか。

映画の中盤で主人公が勤める会社の会長がすさまじい言葉を言う。
殺人を犯した人間なり、関係者を遠ざけようとする行為は当たり前のことだ。正確ではないが、意味合い的にはそういった内容だった。
このシーンを見たときは「えっ?」って僕は思ってしまった。そこまで言うか普通、とも思ってしまった。
しかしその言葉には偽善はない。そしてまちがいなく、この世界の真理でもあるのだ。それゆえに悲惨であり、同時に深く心に突き刺さるのだ。そして人はその認識から前に進むほかないのかもしれないのだ、と思い知らされる。

そういった言葉が象徴しているかもしれないが、この映画ではハッピーエンドは与えられない。確かに終わりは明るいし、見終わった後も暗くはならない。しかし明確な意味でのハッピーエンドとは違う。
たとえば弟は兄に思いを語ったけれど、兄としっかり決別している。それに弟をとりまく環境に根本的な解決が見られたわけでもない。解決したのは、時の経過がもたらした加害者と被害者の関係だけだ(美しいシーンだった)。

しかし残念とも言えるかもしれないが、それこそが現実というやつなのだ。そして、やはり人はその認識から前に進むほかないのかもしれない。

何はともあれ、本作は重厚なテーマを描ききった良作である。
山田孝之、玉山鉄二、沢尻エリカといった俳優陣もすばらしく、映画の完成度をさらに高めていた感じだ。
最近邦画が元気だが、本作もそのことを象徴する作品である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

「DEATH NOTE デスノート the Last name」

2006-11-07 22:34:48 | 映画(た行)


2006年度作品。日本映画。
「少年ジャンプ」に連載された人気作を映画化。前後編と分かれた二部作の後編。名前を書かれたら死んでしまうというデスノートにより殺人者が裁かれる中、第2、第3のキラが登場し、事態は混迷の度合いを深めていく。
監督は前編と同じく金子修介が担当。
出演も前編と同様、藤原竜也、松山ケンイチ ら。


「DEATH NOTE」の完結編である。
結論から言うと、おもしろいけど若干物足りないといったところだろうか。

ストーリーは原作を多少いじった感じになっているが、なかなか練りこまれた構成である。
第二・三のキラの登場というインパクトのある事件を、原作の味を維持しながら映画独自の工夫を凝らし、原作ファンでも楽しめるようにつくっている。またエピソード投入のテンポも良くて、まったく飽きるということがなかった。
特にラストのトリックはすばらしい。映画オリジナルだが、デスノートのルールを充分に理解しうまく応用している。これは正直言って、してやられた気分であった。

そういうわけでストーリー自体は楽しむことができたのだけど、本作を見終わった後、一抹の物足りなさが残るのもまた否定できない事実であった。
理由はいくつかあるが、前編と比較してしまったということが大きな要因ではないかなって気がする。

たとえば月とLとの駆け引きも、前編で見たほどの緊迫感は感じることはできなかった。どちらかと言うと、それら以外のエピソードに力が割かれていたからだろう。そのため印象が薄まった感が強く、個人的には不満である。
またデスノートを扱うことによる独りよがりの殺害という、この映画のもつテーマ性も、今回はどこか説教臭く映った。基本的にそういったものは前編で充分伝わってきたので、改めてそれを強調するように描かれるとどうしても鼻につく。
それに前編ではあえて気にしないようにしていた、日本映画特有の安っぽい演出が今回はなぜか無性に気になってしまった。そのため気分的に引いて見てしまった面も否定できない。

しかしエンタメに対してそこまで気にするのは野暮かもしれない。
個人的には前作よりは劣るものの、これはこれで楽しめる作品であるということはまちがいないだろう。見ても損はない作品である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

「父親たちの星条旗」

2006-11-04 10:14:06 | 映画(た行)


2006年度作品。アメリカ映画。
1945年太平洋戦争の激戦、硫黄島の戦いで撮られた一枚の写真。擂鉢山に星条旗を立てる兵士たちの戦後の苦悩を、戦場での映像を交互に交え描く。
硫黄島二部作の第一弾。
監督は「ミリオンダラー・ベイビー」「ミスティック・リバー」のクリント・イーストウッド。
出演は「ラストサマー」のライアン・フィリップ。「チアーズ!」のジェシー・ブラッドフォード ら。


組織の中では人間は一個の歯車でしかない、ってな言葉をよく聞くけれど、それは決して組織にだけ当てはまることではない。戦争という大きな流れの中では、ひとりの人間もちっぽけな歯車のひとつでしかなくなってくる。
本映画を見てそんなことを思った。

本作は硫黄島の戦いをアメリカ側の視点から描いた作品だ。
硫黄島の戦いを語る上で重要になってくる擂鉢山でのアメリカ国旗掲揚の写真。その写真に写った兵士の姿を描いている。

その硫黄島での戦いのシーンは実に迫力がある。とはいえ、上陸のシーンは製作に名を連ねるスピルバーグの「プライベート・ライアン」にそっくりで若干苦笑した。
しかしその臨場感ゆえに、アメリカで英雄としてまつられる兵士たちの苦悩が活きてくる構成となっている。

アメリカに帰ってきた兵士たちに待っていたのは国債獲得のためのツアーにゲストとして参加することだ。いわゆる国威発揚である。戦場では、戦友たちが次々と死んでいき(本当に簡単に死んでいく)、そして狂気じみた殺戮も行なわれている。僕は見ながら少し泣きそうになってしまったほどだ。
しかしそんな戦場の場面と異なり、そこにあるのは茶番じみた浮かれ騒ぎである。
兵士の中にはその環境に適応する者もいるし、最後まで英雄として祭り上げられることに違和感を持つ者もいる。そして適応しながら心に深い傷を抱えたまま生きる者もいる。

そして国家は最終的には、そんな彼らに対して何のケアもしていないのである。
ひとりは飲んだくれになって命を落とすし、ひとりは過去の英雄として忘れ去られていく。
冒頭の言葉に戻るが、所詮、国家というものにとって、彼らは一時的に役に立つ駒でしかない。用が済めば捨ておかれるだけなのだ。

それゆえに本作はあまりに悲しいのである。
この映画を見ると、人間は歯車になりきるにはあまりに弱い存在だということを強く思い知らされる。
主人公は死ぬ直前まで家族に硫黄島のことを話さなかった。その態度が彼の絶望と苦悩と、静かなる慟哭を如実に伝えるものだろう。

ラストの方が淡白だったのが惜しいが、すばらしい作品であることは疑いない。必見である。


ところでラストに次作「硫黄島からの手紙」の予告が流れていたのだが、本作とリンクすると思われるシーンがいくつも見られ、否が応でも期待が高まる。ぜひとも見たいものだ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

「トンマッコルへようこそ」

2006-10-30 21:24:18 | 映画(た行)


2005年度作品。韓国映画。
朝鮮戦争真っ只中の朝鮮。連合軍、人民軍、米兵という敵対する兵士たちがそれぞれトンマッコルという村に迷い込む。そこは戦争を知らない純粋な村人たちが暮らしていた。
監督は初監督作品となるパク・クァンヒョン。
出演は「JSA」のシン・ハギュン。「シルミド/SILMIDO」のチョン・ギェヨン ら。


この映画の欠点を上げるのはきわめて容易だ。
たとえば前半のテンポが悪いということ。どちらかと言えばのんびりまったり進むため、退屈とはいかないまでももどかしい面がある。それに猪のシーンもスローを使う演出は不必要で、ここもいまひとつもどかしい。
キャラの掘り下げも少し足りないのではって気がする。
たとえばヒロイン。彼女はトンマッコルが持つ無垢性を象徴する人物としては効果的かもしれないが、道具立てという以上の意味合いを付与できず、人物の描き込みとしては薄っぺらいという感じがした。
それにアメリカ人も子供との掛け合いが若干足りないため、重要な役割であるにも関わらず、キャラ的には物足りなさがただよっていた。
二者共に物語的に意味のある存在だっただけに、描き込みの少なさは個人的には不満である。

しかし本作は不満は多いものの見応えのある作品であった。
トンマッコルというユートピアの中で敵とか味方とか、そういう意味合いが薄れていく様はベタであるけれど麗しいものがある。
そして、このトンマッコルという無垢の中で得られるのは癒しの効果だ。しかしその無垢性の中で、ふとした拍子に戦争の傷が心を襲うときがある。その描き方が僕には好印象だ。
朝鮮戦争というものはこの国の住民の心に確実に深い傷を落としているらしい。見ていて実に苦しいものがあった。

だからこそと言うべきか、自分たちに癒しを与えてくれたトンマッコルを守ろうとする男たちの姿は感動的である。
それはまちがいなく敗北を前提にした戦いだ。その中でそれでも戦いを選択した姿は悲劇的であるがゆえにすばらしい。見事な限りだ。

南北朝鮮人兵士が戦う相手がアメリカ兵というのは、やりすぎかなという気もしたけれど、先に触れた欠点と同じでそういったものを許容できる力がこの作品の中にはある。満足のいく作品であった。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

「トランスアメリカ」

2006-09-03 17:45:42 | 映画(た行)
2005年度作品。アメリカ映画。
女性への性転換手術を間近に控えたブリーは、17年前にもうけた実の息子トビーとはじめて出会う。二人はひょんなことからニューヨークからロサンゼルスまでの大陸横断の旅に出ることとなる。
監督は長編デビューとなるダンカン・タッカー。
出演は本作でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたフェリシティ・ハフマン。「ドーン・オブ・ザ・デッド」のケヴィン・ゼガーズ ら。


本作で語られているのは親子間の問題、そしてジェンダーの問題だ。
性同一性障害はそんなに珍しいものではない。僕の周りにはそのことを告白する人間はいないけれど、それが世間的に往々にして見られるものだという認識はある。周りの人間がそうだと知ったら、一瞬引くかもしれないけれど最終的には受け入れる自信がある。
しかし自分の親がその立場だったらどうだろうか、と考えたら周りの人間以上に強い抵抗があるのは否めないだろう。最終的にはやはり受け入れるだろうが、そこに行き着くまでにはかなりの葛藤があると思う。

そういう意味でここに出てくる青年と、そして息子が女性になってしまったことを知った母のショックはあまりにリアルで、充分に伝わってくる。そして両者が共にその事実を受け入れようという心理にたどり着く所以も映画を通してしっかりと心に響いてきた。

きっと親子の間で理解が生まれた理由は絆があったからだ、と僕は思う。
ぼくは親子だから必ず絆があるだろうとは決して思わない。親子だから絆があるに決まっているという発想は傲慢でしかないじゃないかなって気がする。僕個人、絆っていうのは人間同士、互いに理解し、その人間のことを愛することができたときに初めて生まれるものだ、と思っている。血ではなく関係性の中から生まれるもののはずだ。本作の二組の(あるいは三代に渡るって言った方がいいかな)親子にはその絆が確かに存在していた。
その描写がしっかりしていたため、自然に本作を受け入れ、楽しむことができた。若干後味が淡白だが、丁寧につくられた佳品である。

しかしフェリシティ・ハフマン、マジで男って言われても違和感なかったんだが。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

「時をかける少女」

2006-08-27 21:12:40 | 映画(た行)


2006年度作品。日本映画。
筒井康隆の原作で、大林宣彦らによって何度も映像化された作品を、アニメ映画化。タイムリープ(時間跳躍)する少女という設定をそのままに、新たな結末を用意して甦る。
監督はアニメ映画監督の細田守。
声の出演は仲里依紗、石田卓也 ら。


良質の青春映画である。
僕は大林作品の方は知らないし、他のメディアでの同作品も見たことがないので、特別な先入観もなく見ることができたのが楽しめた要因なのかもしれない。

主人公はタイムリープを覚えるわけだが、それを特に悪用するわけでもなく、深く考えずに楽しむだけに使っている。カラオケのシーンといい、プリンといい、ある意味享楽的で、そのくだらなさに腹を抱えて笑ってしまう。

しかしそういった過程で、タイムリープの矛盾が発生し、大事件へと発展していく。
そのプロットの過程に生まれる、喪失感や罪悪感、恋の戸惑いといった感情のうねりが実にすばらしい。
相手の思いを踏みにじる行為、そして相手の大事な帰る手段を奪うという後悔。そして芽生えた恋心を手放さねばいけないという苦さ。そういったすべての要素が悲しく、切なく、アニメ特有の豊かな感情表現もあり、心の奥にまで訴えかけるものがあった。

そしてそういった問題を乗りこえるために行動するヒロインが実に魅力的に造形されているのも目を引く。元気なキャラにふさわしく、彼女は実によく走る。その疾走感が青春映画にふさわしい爽やかさと、主人公の焦りとを伝えてくれた。

確かに本作はプロットにいくつか疑問点も見られる。しかしそういった細かい粗を吹き飛ばすほどの力がある。
笑いあり、泣きもあり、エンターテイメントとしてこれはかなり高い完成度を誇っているのではないだろうか。満足のいくすばらしい一品であった。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

「太陽」

2006-08-23 20:51:58 | 映画(た行)
2005年度作品。ロシア=イタリア=フランス=スイス映画。
昭和20年太平洋戦争終結前後を舞台に神とあがめられた天皇裕仁が、終戦後「人間宣言」するまでの葛藤を描く。
監督は「牡牛座」「モレク神」と20世紀の権力者を描いてきたアレクサンドル・ソクーロフ。
出演は「トニー滝谷」などのイッセー尾形。ロバート・ドーソン ら。


外国人が描く昭和天皇である。そのため日本人では描き得ない感性があり、新鮮な印象を受けた。歴史的な事実として若干の疑問はあるけれど、まあこれくらいはいいだろう。
ともかくも、この映画を公開までもってきた関係者各位に敬意を表したい。

映画から伝わってくるのは、天皇ヒロヒトの人間としての苦悩だ。現人神ということで周りから祭り上げられ、周囲の人間と気安く話すことができない。
「皇后と皇太子以外、誰も自分を愛してくれない」というセリフに彼の心情のすべてが込められているだろう。そこには人間としての苦悩を誰からも理解されない孤独な中年男がいる。そして心では平和を願いながら、軍部の暴走に対して遠回しにしか説得できない厄介な立場も見えてくる。
天皇の立場はあまりに窮屈に過ぎる。

やがて敗戦が訪れるが、そういった前半部の苦悩があるからこそ、現人神という感覚を持たないアメリカ人の前で気楽にお茶目にふるまう天皇の姿が何ともほほえましい。
そしてマッカーサーの前で彼は初めて自分の確かな言葉で思いを語っている様な気がする。彼が英語の後で、日本語で語るシーンがあるのだが、その中に天皇個人のひとつの言い訳を見た気がした。

そしてラスト。現人神としての立場を放棄しながら、彼は最後までその立場に縛られている。その逃れられない孤独と悲哀が、何とも苦々しい余韻を成していた。

とにかく、最初から最後まで本作はすばらしい作品である。
この作品に不満を持つ人も入るだろうが、イデオロギー的なことを深く考えずに見てほしいと僕は思う。映画は映画でしかなく、そこに思想性を持ち込むことほど野暮なことなどないはずだ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

「第三の男」

2006-07-08 22:19:05 | 映画(た行)


1949年度作品。イギリス映画。
グレアム・グリーンの原作を映画化。カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作。
第二次大戦後のウィーン、アメリカの作家ホリーは友人のハリー・ライムを訪ねると彼が事故死していることを知る。ホリーは真相を探るうち、現場に謎の第三の男がいたことを知る・・・・・・
監督は「オリバー!」でアカデミー賞を受賞したキャロル・リード。
出演は「市民ケーン」のジョゼフ・コットン、オーソン・ウェルズ ら。


少なくとも、第三の男がだれかは少しでもミステリーを知っている人だったら、容易に想像はつくだろう。昔の映画だからって言われたらおしまいだけど、その構図はきわめて古典的だ。
そのため、わかりきった展開に映画全体の1/2も費やすという状況に、若干の退屈さは禁じえなかった。何で警察はこんな甘いトリックに気付かなかったのだろう、とか、麻薬密売人たちも本気でそれで逃げ切れるという甘い考えをもっていたのだろうか、とか、かなりムダな否定的なことを考えていたように思う。

だが、そんな展開もオーソン・ウェルズが出てきてからはだいぶおもしろくなってくる。というか、この映画でおもしろかったのはオーソン・ウェルズが出ていたすべてのシーンであると言っても過言ではない。それほど彼の存在感は光っていた。とにかくその皮肉めいた悪党の存在はインパクト抜群である。
観覧車での駆け引きを孕んだ会話、下水道での逃亡劇の緊迫感はすばらしい限りだ。
特に下水道での逃亡劇はハラハラドキドキものである。ラスト付近の格子の下から指を出すシーンには悲痛さすら漂っていて味わい深い。
登場シーンはそんなに多くないはずなのに、この映画はオーソン・ウェルズの映画だな、という印象であった。
主役を食い、ストーリーのおいしいところもすべてもっていき、前半の否定的な印象をくつがえさせる。何ともすごい俳優もいたものである。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

「DEATH NOTE デスノート 前編」

2006-06-18 17:03:41 | 映画(た行)


2006年度作品。日本映画。
「少年ジャンプ」に連載と同時にたちまち話題となり、大ヒットとなったコミックを映画化。名前を書かれたら、その人間が死んでしまうというデスノートを巡り、それを拾った大学生と、その犯人を追う天才との対決を描く。
監督は「あずみ2」の金子修介。
出演は「バトル・ロワイアル」の藤原竜也。「男たちの大和/YAMOTO」の松山ケンイチ ら。


僕は「ジャンプ」を毎週買っているので、原作は読みきりのときから最終回まで全部読んでいる。一番最初に読むマンガは「デスノート」だった。早い話、原作のファンである。
今回はなるべく原作とは切り離して映画単体で評価したいと、できたらいいなと思う。

正直に言うが、この映画の予告編を見たときは絶対にこけると思っていた。金だけかけた企画物で、奇抜すぎる設定や、CGの死神など、実写にしたら失敗する要素ははぱっと見、充分すぎるくらいにそろっている。

だけど、この作品はそんな不安を見事に払拭してくれた。心理戦の展開される、良質のサスペンスとなっていたのである。
基本的に突っ込みたい面も多いのだけど(特に演出、プロット面でもいくつか)、次々と現われるエピソードのテンポの良さに細かいことを気にせずに見ることができる。Lをはじめとした捜査員の目をごまかしていく夜神月の策略を存分に楽しむことができた。

テーマ性にも触れてみよう。
月は犯罪のない社会をつくることを理想としているのだが、その様はあくまで恐怖政治的で、絶対的な正義とは言いがたい。そして重要なことは正義を目指す彼が、正義を理由に悪を犯しはじめていくということだろう。
特に映画オリジナルのラストエピソードには心底震えた。最初の理想のために独善と保身に走る姿、最高で最悪のキャラクターである。本当にすばらしい。
そして、正義という名の独善は追う側のLにも当てはまる(L役の松山ケンイチがはまっていた。L派の僕にも満足の出来)。彼の犯罪者を捕まえるために手段を選ばない姿は月と全く同じである。
ベクトルが違うだけで二人は合わせ鏡の存在なのだ。
正義というのは実に曖昧だ。そしてそれは独善と背中合わせであると思い知らされる。夜神総一郎ではないが、嘆息だってつきたくなるものだろう。

本作には後編に向けていくつかの伏線がちりばめられていて、いやがうえにも後編への期待が高まる。前編のラストからして、映画オリジナルのエンディングもあり得る。
月とL、果たしてどっちが生き残るのだろう。記憶のトリックは使われるのだろうか、ミサはどんな働きを演じるのか、といった細かい内容にも興味が湧く。
後編を見なければトータルの判断はできないが、物語の前編としては、納得の出来である。必見の作であろう。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

「ダ・ヴィンチ・コード」

2006-05-28 17:30:39 | 映画(た行)


2006年度作品。アメリカ映画。
全世界でベストセラーとなったダン・ブラウンの作品を映画化。ルーヴル美術館で起こった殺人事件から、ダ・ヴィンチの絵画に隠された暗号解読に挑む。
監督は「ビューティフル・マインド」のロン・ハワード。
出演は二度のオスカーを獲得したトム・ハンクス。「アメリ」のオドレイ・トトゥ ら。


原作未読な上に巷の評判が芳しくなかったので不安だったのだが、思った以上に面白かった。

楽しめた理由の一つとしてはスピーディな展開にあるだろう。そのテンポの良さは心地良くさえあった。
とは言え、若干スピーディ過ぎる部分もないではないけれど、見ている最中、勝手に脳内補完をして、勝手に納得して見ていたので、僕としてはそれほど気にはならかった。むしろ納得いかない部分すら楽しんでみていた感じがする。

だが、見終えた後でしばらくすると、色々と腑に落ちない部分に気付き、収まりが悪くなっているのは否定できない。
数え上げたら切りがないわけだが、せめて一つだけ述べるとするなら、なぜ冒頭の死体は素っ裸で、ダ・ヴィンチの絵の真似をしなくてはいけなかったのだろう、という点だ。
ダイイング・メッセージだったら、違う方法だって取れたのではないだろうか。少なくとも僕は股間丸出しでは死にたくない。映画中で、このシーンに対して整合性のある説明はされてたのだろうか。どうも何か納得いかなくて気分悪い。

この手の疑問があといくつも存在する。多分原作を読めば一発なのだろうけれど、原作読まなければ全くわからないというのも、映画としてはどうかと思う。
もちろんそういう枝葉末節の切捨てが映画の畳み掛けるような展開につながったのだけど、もう少し丁寧に描いても良かっただろう。

個人的にはトンデモ仮説がツボだった。それに映画中に出てくるキリスト教の無駄な知識も見ていて楽しいものがある。
こういうアホなくらいに博学ぶっている映画って僕は好きかもしれない。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

「タイフーン TYPHOON」

2006-04-24 21:53:15 | 映画(た行)


2005年度作品。
韓国映画史上最大の180億ウォンの制作費をかけた大作。国家への復讐を誓いテロを企てる男と、国を守ろうとする特殊部隊員の戦いを描く。
監督は「友へ/チング」のクァク・キョンテク。
出演は「ブラザーフッド」のチャン・ドンゴン、「ラスト・プレゼント」のイ・ジョンジェ ら。


金をかけただけあって、アクションシーンは派手である。カーチェイスしかり、銃撃戦しかり、その圧倒的な臨場感はなかなかだ。船の沈没シーンも「タイタニック」ばりの迫力に溢れている。

ストーリーもそれなりには面白い。
若干、最初の方がわかりにくかったり、伏線無しで唐突にエピソードが現われる点が難ではあるけれど、物語が追えなくなるほど複雑なわけではない。エンタメとしての緊迫感があった。
加えてこの映画、泣けるシーンもある。姉との再会シーンはあざといとも感じたが、感動的だしこれはこれでありであろう。

しかし、見た後にまったく余韻がないのも事実だ。その辺りは僕としては大いに不満なのだけど、エンターテイメントなんて本来そんなものなのかもしれない。
映画を見ている間だけ純粋に楽しむことができたらいい。そう考えるのならこの映画はそれにふさわしい作品だと僕は思う。

評価:★★★(満点は★★★★★)

「天空の草原のナンサ」

2006-03-13 21:23:24 | 映画(た行)
モンゴルの草原に暮らす少女と、草原で出会った子犬を中心にえがく心温まる物語。
監督は「らくだの涙」のビャンバスレン・ダバー。


文字通り、牧歌的な映画である。
モンゴルで実際に暮らしている遊牧民一家が出演しているので、生活の全てがリアルに丁寧に描かれている。生活の中にミルクが頻繁に使われている様子やパオの解体など、知ろうともしなかった遊牧民の世界をいろいろ教えてくれる。そうした点が個人的には興味深い。

観ていて思ったのだけど、ここで描かれる遊牧民の生活は実にのんびりとしている。自然の中に溶け込んでいる彼らに、早足で過ぎる文明の慌しさは感じられない。
そんなのんびりした世界で生きるからか、子供たちが実に愛らしく見える。観ている最中、その屈託のなさに、子供嫌いの僕でさえ幾度となく笑顔がこぼれたほどだ。
そういう点でこの作品は癒しの映画ともいえるだろう。

そんなまったり感が心地良くさえある作品なのだけど、最初から最後までほぼずーっとまったりテンポで進むため、若干だれたことは否定できない。映画としての評価はそう言うわけで決して高くはない。
しかし、こういう作品を観るのもたまにはいいものだ。
平凡だが、美しく、そして緩やかな世界がそこには流れている。その世界に90分間溶け込むだけで、少しだけ心が穏やかになれることだろう。

評価:★★★(満点は★★★★★)