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私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『もういちど読む山川世界史』

2014-07-09 20:49:05 | 本(人文系)

高校の世界史教科書を一般読者のために書き改めた通史。1冊で世界の歴史を明瞭・簡潔に叙述し、その全体像を示す。多数のコラムを設け、現代世界の理解に役立つテーマを解説する。日々変化する世界をとらえ、ニュースの背景がわかる社会人のための教科書。
「世界の歴史」編集委員会 編
出版社:山川出版社




本書の体裁上、当たり前だが、まさに教科書としか言いようのない内容だ。
内容も歴史的な事実を淡々と記述しているため、どこか淡白な印象を受けるし、文章での説明のため、すんなりイメージしづらい部分もある。

僕は中東はうといので、ムハンマド没後の流れが、すんなり頭に入らなかった。
王朝名が次々変わる割りに、その過程の記述が少ないため、脳の中で王朝の名前が滑って流れていくような印象を受けてしまうのだ。
そのほかにも教科書ゆえのぴんと来ない部分は見られる。


しかしさすがは教科書、バランスのとり方は抜群なのである。

ヨーロッパ、中国、イスラム世界と当時の世界でも大きな勢力を持っていた地域の歴史はもちろん、アフリカや東南アジア、中央アジアなど、記述は短いものの、ちゃんと目が届いていて、その目の配り方には感嘆とする。
文字数の制限される教科書という体裁の中で、過不足なく重要なできごとだけを記していく姿勢も、さすがだな、と思った。


また教科書以外の要素としては、コラムもなかなかおもしろい。
人物の評伝はもちろん、そのほかの解説記事もためになる。
パレスチナ問題のところなどは、愕然とするほかない。イギリスの二枚舌は知っていたけれど、こうやって改めて知らされると本当にひどいな、と思う。


僕は日本史選択だったので、世界史はまともに勉強してこなかった。
それだけに改めて勉強でき、本当に楽しくてためになった。教科書なるものの良さを再確認した次第である。

できればそのほかのシリーズも読んでみたい。そう思わせる充実さである。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『日本書紀 全現代語訳』宇治谷孟

2014-06-18 21:23:15 | 本(人文系)

「古事記」とともに古代史上の必読の文献といわれている「日本書記」は、天武天皇の発意により舎人親王のもとで養老4年に完成した官撰の歴史書であるが、30巻にも及ぶ尨大な量と漢文体の難解さの故に、これまで一般には馳染みにくいものとされてきた。本書は、その「日本書記」を初めて全現代語訳した画期的な労作である。古代史へのかぎりない夢とロマンを抱く人々に贈る必携の古代史史料。
出版社:講談社(講談社学術文庫)




『日本書紀』は有名だけど、実際に読んだことのある人はかなり少ないだろう。
断言できるが、『古事記』よりも読んでいる人は少ないはずだ。

それは叙述の違いも大きいのではないか、と思う。

今回現代語訳を通じて改めて思ったのは、『古事記』が物語性に富んでいるのに対し、『日本書紀』はどちらかと言うと、記録主体であるということだ。
おかげで読むのに結構な時間を要した。


『古事記』と『日本書紀』の違いでわかりやすいのは、日本武尊と木梨軽皇子の話だ。
『日本書紀』の日本武尊は倭媛命の前で泣くようなこともなく、劇的要素は抑えられ、叙述も淡白だ。
また木梨軽皇子も『古事記』のような、歌物語的な要素は見られない。

良くも悪くも、これが両者の差なのだな、と感じる。
そういう意味、物語を楽しみたいのなら、やはり『古事記』なのだろう。


しかし『日本書紀』を読むと、歴史のマニアックな事実を知ることができて、また違った楽しみもある。

特に驚いたのは、古代日本と朝鮮との関係だ。
当時の日本がいかに朝鮮に対して影響力を持っていたか、というのが、ここから伝わって来て、非常に興味深い。
特に欽明天皇の項は、百済や新羅などの外交史の記述に多くが費やされていた。
これはこの時期に任那が滅亡して、朝鮮半島での日本の拠点が失われたということが大きいのかもしれない。それにしてもあまりにも多くてびっくりする。
古代日朝外交史は詳しくないので、非常に新鮮な気持ちで読むことができた。

また乙巳の変も非常に興味深く読んだ。
表面的にはこの通りかもしれないけれど、あきらかにその裏に何かをかくしているというのが、文章の中からも伝わって来て興味深い。
そういう部分を推測したり、ネットで調べながら読むのも楽しい作業だった。


原典ということもあり、読みづらい点はある。
だが、古代史に興味を持つ人ならば、通読するに足る一冊である。そう思った次第だ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『銃・病原菌・鉄』ジャレド・ダイアモンド

2014-04-25 20:24:40 | 本(人文系)

アメリカ大陸の先住民はなぜ、旧大陸の住民に征服されたのか。なぜ、その逆は起こらなかったのか。現在の世界に広がる富とパワーの「地域格差」を生み出したものとは。1万3000年にわたる人類史のダイナミズムに隠された壮大な謎を、進化生物学、生物地理学、文化人類学、言語学など、広範な最新知見を縦横に駆使して解き明かす。ピュリッツァー賞、国際コスモス賞、朝日新聞「ゼロ年代の50冊」第1位を受賞した名著、待望の文庫化。
倉骨彰 訳
出版社:草思社(草思社文庫)




なぜ地球上には先進国と発展途上国があるのか。
その差はどのようにして生じたのか。

その因果関係を暴いていておもしろい一冊である。

普段の僕は、そういった国家間の貧富の格差をあまりに当たり前のように受け取っていた気がする。
それだけにその事実に目を向けた、本書の内容には関心を引かれた。


結果論から言うならば、文明の生じる過程に差が生まれたのは、地形による因子が大きいとのことらしい。

大陸によっては、生育する植生に差が生じ、食料として作物を育てられない地域がある。
全世界の中でも、肥沃三日月帯では特に植物の量も豊富で、それがために農業が成立し、人口密度も増えて、文明が生まれるに至ったとのことだ。
その発想は、当然素人の僕にはないものなので、その鮮やかさに目を見張る思いがする。

また動物にも家畜化しやすいものと、家畜化しにくいものがあるらしい。
家畜化がしやすい動物が、たまたまユーラシア大陸にそろっていたことで、農業と同じ構図が生まれたとのことだ。

また大陸の地形も、因子としては大きいらしい。
ユーラシア大陸が東西に延びていたことが、南北に長い南北アメリカ大陸やアフリカ大陸よりも、作物の伝播という点ではかなり有利に働いたとの論旨はなかなかおもしろい。
容易に気づき得ない事実なだけに、かなり興味深く読んだ。


言うまでもなく、そういった事実は、偶然の産物によって生じたものにほかならない。
しかしその偶然性によって、現代の国家には、決定的な差が生じている。

そう考えると、世の中というものは、なかなかわからないものだと思う。
基本的に、そこにあるのは運だけなのだ。
だが世の中は、意外にそういうものなのかもしれない。

ともあれ楽しく、勉強になる一冊であった。
高い評価を受けているのも納得の内容である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『新訳 君主論』マキアヴェリ

2014-03-26 20:33:09 | 本(人文系)

中庸が最高の徳とされてきた中世イタリアで、上に立つ者の資質を根底から再考した、歴史を超える普遍的な論考。君主は善悪ではなく人間性をみて他人の行動を予測し、常に臨戦態勢であるべきと大胆に提言する。
池田廉 訳
出版社:中央公論社(中公文庫)




『君主論』で目を引いたのは、その鋭い警句の数々と、冷静で理知的な政治手法の数々である。
どちらも刃物のような鋭さがあって、それが何よりも目を引いた。


この本の中には、心を突き刺すような鋭い言葉に満ちている。

民衆というものは頭を撫でるか、消してしまうか、そのどちらかにしなければならない。というのは、人はささいな侮辱には復讐しようとするが、大いなる侮辱にたいしては報復しえないのである。したがって、人に危害を加えるときは、復讐のおそれがないように、やらなければならない。


武装した預言者はみな勝利をおさめ、備えのない予言者は滅びるのだ。それは、さきに述べた理由のほかに、民衆の気質が変わりやすいこと、そのことにもよる。つまり、民衆になにかを説得するのは簡単だが、説得のままの状態につなぎとめておくのがむずかしい。そこで、人々はことばを聞かなくなったら、力でもって信じさせるように、策を立てなければならない。


加害行為は、一気にやってしまわなくてはいけない。そうすることで、人にそれほど苦汁をなめさせなければ、それだけ人の憾みを買わずにすむ。これに引きかえ、恩恵は、よりよく人に味わってもらうように、小出しにやらなくてはいけない。


人間というものは、危害を加えられると信じた人から恩恵を受けると、恩恵を与えてくれた人にふつう以上に、恩義を感じるものだ。


愛されるより恐れられるほうが、はるかに安全である。というのは、一般に人間についてこういえるからである。そもそも人間は、恩知らずで、むら気で、猫かぶりの偽善者で、身の危険をふりはらおうとし、欲得には目がないものだと。


人間は、恐れている人よりも、愛情をかけてくれる人を、容赦なく傷つけるものである。その理由は、人間はもともと邪まなものであるから、ただ恩義の絆で結ばれた愛情などは、自分の利害のからむ機会がやってくれば、たちまち断ち切ってしまう。ところが、恐れている人については、処刑の恐怖がつきまとうから、あなたは見離されることがない。


君主は前述のよい気質を、なにからなにまで現実にそなえている必要はない。しかし、そなえているように見せることが大切である。いや大胆にこう言ってしまおう。こうしたりっぱな気質をそなえていて、後生大事に守っていくというのは有害だ。そなえているように思わせること、それが有益なのだ、と。


人間は、手にとって触れるよりも、目で見たことだけで判断してしまう。


決断力のない君主は、当面の危機を回避しようとするあまり、多くのばあい中立の道を選ぶ。そして、おおかたの君主が滅んでいく。

などなど。目を引く言葉の何と多いことか。



上記の言葉でも概ねわかる通り、マキアヴェリは目的のためなら、手段を選ばないところがある。
それが読んでいると、あまりに冷たく映るのだ。

たとえば、マキアヴェリはチェーザレ・ボルジアを尊敬しているのだが、彼の行動は冷酷な部分も多い。

チェーザレは、征服した地方の治安を守らせるため、厳しい官吏を置き、民衆を時として抑圧する。そうして治安は回復するのだが、それに伴って、抑圧に対する民衆の不満はたまっていく一方だ。
そこでチェーザレは、その官吏を、スケープゴートとして抹殺し、民衆の不満の眼をすべてその官吏の方に向けさせてしまう。

それは、「君主は恩恵を与える役はすすんで引き受け、憎まれ役は、他人に請け負わせればいい」と、いう言葉を地で行くような手法だろう。

はっきり言って、ひどい話だとは思う。
だが、その方法ならば、民衆の心をつかむことはできるのは確かだ。


そのほかにもその国を治める上での方策など、実地に即した見解が為されている。
この本の狙いを、「生々しい真実を追うほうがふさわしい」と書いているが、まさにその通りのスタンスだ。

それはすべて人間観察と行動理由を考えた上で導かれた結論なのである。
それだけに論旨は運びは冷徹そのもので、ときには悪に踏み込むことも辞さないという覚悟の程が見えてくる。
そしてそのためには決断力も必要だろう、ことを主張しているのだ。



だがやはり、そこで描かれた目的のためには手段を選ばない、という非道さは、後世の人がこの本を糾弾したように、あまりに冷たいと感じる面もなくはない。

しかしこの本が書かれたのは危機の時代である。

人が現実に生きているのと、人間いかに生きるべきかというのとは、はなはだかけ離れている。だから、人間いかに生きるべきかを見て、現に人が生きている現実の姿を見逃す人間は、自立するどころか、破滅を思い知らされるのが落ちである。なぜなら、なにごとにつけても、善い行いをすると広言する人間は、よからぬ多数の人々の中にあって、破滅せざるをえない。

ということなのだろう。

その理性で貫かれた論旨は、本当に鋭い。
幾分性悪説的な人間観察に基づいたその統治理論はともかくも忘れがたく、深く胸に刺さり、読んでいてしびれる。
ただただ見事な一冊であった。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』

2014-02-24 20:58:24 | 本(人文系)

不敬神の罪に問われた法廷で死刑を恐れず所信を貫き、老友クリトンを説得して脱獄計画を思い止まらせるソクラテス。「よく生きる」ことを基底に、宗教性と哲学的懐疑、不知の自覚と知、個人と国家と国法等の普遍的問題を提起した表題二作に加え、クセノポンの『ソクラテスの弁明』も併載。各々に懇切な訳註と解題を付し、多角的な視点からソクラテスの実像に迫る。新訳を得ていま甦る古典中の古典。
三嶋輝夫・田中享英 訳
出版社:講談社(講談社学術文庫)




ソクラテスについて、僕は基礎的なことしか知らない。
知っていることと言えば、プラトンに影響を与えた人で、無知の知で知られる哲学者という程度のものだ。

今回『ソクラテスの弁明』を読んで、そんなソクラテスの人間性を知ることができた。
一言で言うならば、誇り高い老人、といったところだろう。


ソクラテスは言われなき非難を周囲から受けて、死刑を求刑される。それに対してソクラテスは自分の言葉で陪審員たちに向かって、自分の思うところを弁明していく。
それが『ソクラテスの弁明』の内容だ。

そこでのソクラテスの弁明には、一本筋の通った彼の信念が見える。
もっともそれは、若者を堕落させているという訴訟内容が、難癖としか思えないからというのも大きいかもしれない。
彼は若い世代と議論を交わして、教育を施していくことに喜びを感じているだけだからだ。


弁明の中で彼は、いわゆる無知の知を基盤にして訴訟相手を非難し、死をも恐れぬ態度で訴訟相手に立ち向かう。
「人がいちばんよいと考えて自分を配置したり、あるいは指揮官によって配置されるその場所に、人は踏みとどまって危険を冒さなければならないのです」などは、そんなソクラテスの勇気を存分に示している。
そして「弁明して生き延びるよりも、このように弁明して死を迎えるほうがずっとましだと思うのです」と懸命に戦い、訴訟内容の不公正を糾弾していく。
その姿は心に残る。


しかし判決が自分に不利に傾くとわかれば、逃げることなく死刑を従容と受け入れる。
『クリトン』の中でも述べられているが、それは法には従おうという思いが強いからだろう。

ソクラテスは「よく生きること」と「正義しい」ことを追い求めた人だ。
そのため不正に生きることを否定している。

彼からすれば、自分の死刑ですら、たとえそれがいわれなきものだとしても、逃げることを許されないものなのだ。
なぜなら国家の法が定めた死刑に反抗することも、不正であるからである。

徹底しているとも見えるが、その考えの元に死を受け入れていく彼の姿はすごい、と思う。
そしてそんな「正義しい」ことを追及する彼の態度は、人間の知に対する信頼さえ見えるような気がして印象的だ。

ともあれ、一度読んでみて良かったと素直に思える古典であった。

評価:★★★(満点は★★★★★)

『共産党宣言』 マルクス/エンゲルス

2014-02-09 16:03:29 | 本(人文系)

「今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」という有名な句に始まるこの宣言は、階級闘争におけるプロレタリアートの役割を明らかにしたマルクス主義の基本文献。マルクス(1818‐83)とエンゲルス(1820‐95)が1847年に起草、翌年の二月革命直前に発表以来、あらゆるプロレタリア運動の指針となった歴史的文書である。
大内兵衛・向坂逸郎 訳
出版社:岩波書店(岩波文庫)




『共産党宣言』と言えば、世界に影響を与えた一冊として知られる作品だ。

しかし当然ながら、ソ連崩壊後の現代の視点で読むと、古びていることは否めない。
第二章の最後に書かれた、プロレタリア階層が支配層になった後の諸方策などはその典型だろう。

土地所有を収奪し、地代を国家支出に振り向ける、とか
国有工場、生産用具の増加、共同計画による土地の耕地化と改良、とか
すべての人々に対する平等な労働強制、
などは、ソ連がやって上手くいかなかったことを知っているだけに失笑してしまう。


それでなくとも、本書の議論には抽象的なものが目立つし、論旨のいくつかは決めつけを立脚点にして展開しているものもあり、少しもどかしい。

また「人類の歴史は階級闘争の歴史」と語る通り、最後には「これまでのいっさいの社会秩序を強力的に転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する」とまで言っている始末。
これにはさすがに読んでいてげんなりした。

むしろ僕としては、第三章でやや批判的に触れられている反動的社会主義、保守的社会主義やブルジョア社会主義のような、社会民主主義的な、穏健な主張の方が好みである。


だがブルジョアに対する否定的な見方からは、現代にも通じる主張も見られ興味深い。

ことに目を引いたのは、一章に書かれたグローバル化と新自由主義を思わせる経済活動に対する批判である。
「ブルジョア階級は、生産用具を、したがって生産関係を、したがって全社会関係を、絶えず革命していなくては生存しえない」以降の論議などは卓見だと感じた。
一世紀以上前にこのような視点を持っていたことに驚くばかりである。


『共産党宣言』内の行動論については、はっきり言って共感できない。
しかしその理想の方向はまちがっておらず、視点の中には鋭いものもある。

古いことは古い。
しかし古いなりに、現代においてもゆるぎない主張を見出せると感じた次第だ。

評価:★★★(満点は★★★★★)

『ゴータマ・ブッダ』 早島鏡正

2014-02-09 15:02:18 | 本(人文系)

さとりを得ても、なお道を求めて歩みつづけたゴータマ・ブッダ(釈迦)。信仰の対象として神格化され、堂奥深く祀られていたブッダを、著者は永遠の求道者、人間ブッダとして把え、仏教を「道」の体系として究明することを提唱した。「われわれ一人残らず求道者となり、真実の自己たれ」と説くブッダの思想と行動は、価値観の多様化に悩み、既存の思惟方法に戸惑うわれわれの生きる指標となるであろう。
出版社:講談社(講談社学術文庫)




『聖☆おにいさん』なんかを読んでいると、建前上は仏教徒なのに、自分は釈迦のことって結構知らないのだな、ということを気付かされる。
だがきっとそういう人は多いのだろう。

そんな初心者に、本書は少しばかり難解だと感じた。
実際、専門知識がないとついていけない部分もいくつかはある。
しかし何となくの雰囲気は伝わり、釈迦こと仏陀の生涯とその思想について雰囲気だけはつかめたような気がする。
そういう点、良書なのかもしれない。



仏陀の生涯については基礎的なことしか知らない。
そのためその思想の根本には、ヒンドゥー教の考えがあると知って、目から鱗であった。
インド生まれだから、当然ではあるけれど、普通に仏教に触れていると、こういう点にはなかなか気付かないものである。

ヒンドゥーと言えば、ブラフマンとアートマンだが、仏陀はアートマンの絶対性を自己と同一視してはいけないと語っている。
そこから無我の思想が導き出されたと教えられると、ああ、そういう流れなのだな、と気づかされなかなかおもしろい。
そのほかにも、知らないことが多くて、大いに勉強になった。


しかし仏教は、こうして読んでみると、諦めの思想なのだな、ということを感じる。
四諦の方ではなく、本当の意味での諦めだ。

人生は生老病死などの苦悩に満ちているが、暗い面ばかりを見ても仕様がない。
苦悩に捕らわれずにいれば、ニルヴァーナ(僕は平安と解釈した)の境地に至れる。

仏教教義を僕はそのように受け取った。
だがその思想を平たく言うならば、暗い面から目をそらしなさいと言っているようにも見えるのである。それが僕の感じた諦めの意味だ。

仏陀はシャカ族が滅ぼされるとき、攻め込んでくる王を説得し、その都度王を撤退させている。しかし四回目にして、その説得も諦めている。
何で? と僕としては思うのだが、それは、仏陀の思想の根本にある諦めの境地が悪い方向に出たためと、僕には見える。


しかし仏陀の思想には、目を引くものも多いことは事実だ。
特に『ダンマパダ』と『スッタニパータ』をおもしろく読んだ。

他の人びとの過失や、他の人びとのしたこととしなかったことを見ることなく、ただ自分のしたこととしなかったことを見るべきである。

戦場で百万人に勝つよりも、一人の自己に勝つ者こそ、最上の戦勝者である。

自分にとってよくないことや、ためにならないことがらは、行いやすい。それに反して、ためになり、しかもよいことがらは、最も行いがたい。

同伴者たちの中にいると、遊戯と娯楽がある。また子どもたちへの情愛は広大である。愛しい者と別れることを厭いつつ、犀の角のように独り歩め。

見えるものでも見えないものでも、遠くにあるものでも近くにあるものでも、すでに生まれたものでもやがて生まれるものでも、すべての生けるものは幸福であれ。

そのことによって“わたしはすぐれている”と思ってはならぬ。また“わたしは劣っている”とか、あるいは“わたしは同等である”と思ってもならぬ。種々様々の質問を受けても、自分の高慢を思いめぐらさぬ者として過ごせ。

人は過去を追ってはならぬ。未来を願ってはならぬ。およそ、過ぎ去ったものは、すでに捨てられており、また未来はまだやって来ていない。
そこで知者は現在のことがらをいたるところで正しく観察し、揺がず動かずして、それを修習すべきである。


このあたりが個人的には感銘を受けた。
どれも仏陀のものの見方がうかがえておもしろい。

ともあれ、近しいようでなかなか知る機会のない仏陀とその思想について思いを馳せることのできる一冊であった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『法華経を読む』 鎌田茂雄

2014-01-31 20:16:34 | 本(人文系)

法華経の教えの根本思想はなにか。法華経の行者という自らの実践をとおしてこれを把握したのは、鎌倉時代の日蓮上人である。どんな衆生も救わずにはおかないという仏陀の方便の力を説いて法華経にまさる他の経はなく、まさしく諸経の王といわれるゆえんである。わずか七巻二十八品の経典の教えを、日蓮は「心の財第一なり」といった。本書こそ混迷を極める現代を生きる人々に必読の書といえよう。
出版社:講談社(講談社学術文庫)




法華経こと妙法蓮華経と言えば、やはり日蓮を無視するわけにいかない。

僕は個人的に、日蓮という僧侶はかなり狂信的な人だと思ってきた。
法華経をひたすらに信仰し、それをもって、ほかの宗派や幕府や武家を相手に、物怖じせずに攻撃する。そのせいで、有名な龍ノ口の法難のように数々の妨害を受けてきたが、それでも屈せずに信仰を貫き通す。
その姿が、信仰心のうすい僕には今ひとつ理解できずにいた。

そしてそんな教祖の激しさが、良い面悪い面含め、国柱会や血盟団、創価学会に影響を与えたのだと、偏見混じりながら思っていた。

しかし今回本書を読んで、日蓮が他者を攻撃してまで、なぜ法華信仰を貫き通したのか、何となく理解できた気がする。
それは日蓮が、法華経がすばらしいと信じ、その経典に対して忠実であろうとしたからだ。

そのことを知れたことが、大きな収穫である。


法華経の内容を、自分なりの拙い言葉で要約するなら、以下のようになろうか。

人は生まれながら仏性を有するものである。
それを切り開くのが修行であるが、それは小乗の考え方でしかない。
人は四苦八苦の中を生きている。菩薩はそんな衆生のために救いをもたらしてきた。そしてそれこそが大乗の教えなのである。
自ずから仏性を有するものの、自覚のない者のために、『法華経』の信仰を勧めなければいけない。
その法華経は、あくまで苦に満ちた娑婆世界で布教しなければいけない。それがゆえに、法華経を説く者は六難が訪れる。
それでもその教えを広めねばならず、経典中でもその方法について具体的に説いている。

以上が僕の感じた法華経の内容だ。


個人的な印象としては、ずいぶんおせっかいな教えだな、と思った。
しかし日蓮の行動も、まさにそのような基盤に立っているように見え、おもしろい。

先に触れたように、日蓮はその攻撃性も相まってか、数多くの法難を受けている。
しかしそのような法難を受けることもまた、法華経に記されている六難だと思ったという点が目を引く。
それをもって、日蓮は法華経が正しいのだとますます確信を深めたと言う。
なるほど狂信的な彼の姿には、そういう裏があったのだな、とわかり、それだけでも大変勉強になった。

宗教に酔うことのできない頭でっかちの僕には、多分一生、法華経を信仰することはできないのだろう。
しかしそこに書いてある教えが、人の思想に影響を、実際に及ぼしていたのだなと考えてみると、なかなか興味深いものがあった。


そんな法華経を、著者は各品ごとに、丁寧に解説しており読み応えがある。
たぶん原典を読んだだけだと内容は理解できなかっただろう。
しかし本書は初心者向けでもわかりやすく書かれているため、深い理解はできないまでも、ある程度の内容を理解することができる。それが何よりもすばらしい。

初心者の解説書として非常に完成度の高い仕事である。良質の一冊であった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

福澤諭吉『現代語訳 学問のすすめ』

2013-11-14 20:05:41 | 本(人文系)

近代日本最大の啓蒙思想家・福澤諭吉の大ベストセラー『学問のすすめ』。本書は歯切れのよい原書のリズムをいかしつつ、文語を口語に移した現代語訳である。国家と個人の関係を見つめ、世のために働くことで自分自身も充実する生き方を示した彼の言葉は、全く色あせないばかりか、今の時代にこそ響く。読めば時代情勢を的確に見極め、今すべきことを客観的に判断する力がつく。現代にいかすためのポイントを押さえた解説つき。
斎藤孝 訳
出版社:筑摩書房(ちくま新書)




『学問のすすめ』は、誰もが知っている有名な本だが、実際読んだことがある人は、訳者が冒頭で嘆いたように、あまりいないだろう。

今回読みやすい現代語訳で読んでみたが、普通におもしろいと思った。
それもこれも語りかけるような口調によるところが大である。福澤諭吉の息遣いが伝わってくるのが何よりもいい。

「世の中の学者はたいてい腰抜けで」とか、「禅坊主などは、働きもなく、幸福もない人間である」とか言いたい放題で笑える。
けれどそれによって、福澤諭吉の語りの勢いが出ており、心地よい。



本書は明治初期に書かれたということもあってか、前半は西洋の政治制度などを紹介する文章で占められている。
そうして西洋の自由についての考え方などを、紹介しつつ、福澤諭吉は読み手に対して盛んに発破をかけている。

黙って政府に従っていてはダメだ。もっと学問をして、政府に利用されないようにしなさい。それが自由というものだ。
そして自分たちの国を我が手でつくるという責任も引き受けなさい。
そのためには自立して国を立て直し、海外の列強とも渡り合っていかねばならない。

論旨をざっくりまとめるなら、そんなところだろうか。

明治初期らしい気概に満ちた文章である。
そして目的意識のはっきりした人というのがよくわかる。

だがめったらやたらに発破をかけているわけでもない。
だからと言って、法を踏み越えることのないよう、ちゃんとくぎも刺しており、そのバランス感覚は良い。


また福澤は実利的な感覚にも富んでいたらしく、税金に対する不満も「およそ世の中に、何がうまい商売かといって、税金を払って政府の保護を買うほど安いものはない」というように割り切った考えを提示しており、おもしろい。
またお金に換算して、議論を形成していったりと、学者のわりに、商人気質なところも見えて興味深い。

また明治のこの時代にしてはめずらしく、男女同権を唱えている点も目を引いた。
商人気質な点といい、福澤諭吉はかなり柔軟な思想の持ち主だったのかもしれない

しかしそうは言っても、この人の論は実にアグレッシブである。
それは明治という飛躍の時代を背景にしていることもあるのかもしれない。
それだけに時代の息吹すらも、この文章からは伝わって来るかのようだった。



ともあれ福沢諭吉という誰もが知っている人の思想を、しっかりと知ることができて、興味深かった。
歴史に名を残す名著ということもあるが、内容的にも一読に値する作品だろう。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

梅原猛『古事記 増補新版』

2013-11-07 20:54:12 | 本(人文系)

『古事記』の編纂者・稗田阿礼は藤原不比等だった?「原古事記」には柿本人麿もかかわっていた?この大胆な仮説を裏づけるべく、梅原猛が初めて『古事記』の現代語訳に挑戦した記念碑的作品。縄文時代ゆかりの日本語の祖語と著者が考えるアイヌ語などを駆使して、枕詞など従来読み解けなかった難解な文章の意味を明らかにしていく!巻末に著者による最新の論考「古事記論」を増補した新装版。
出版社:学研パブリッシング(学研M文庫)




古事記に関しては、簡単にまとめられた本と、鈴木三重吉の翻案物『古事記物語』しか読んだことはない。
今回原文からの訳出を読んでみたが、物語の雰囲気が何となく伝わりおもしろく読んだ。


『古事記』の内容だけを知りたいというのなら、個人的には本書を手にする必要はないと感じる。
それなら『古事記物語』の方が読みやすいし、おもしろく読めるのはまちがいない。翻案物としてもあちらは非常に優れたものだ。

しかし原文訳出でなければ味わえない点が本書にはあると感じた。

その一つは和歌だ。
特に解説にも書かれているが、木梨之軽王と軽大郎娘との恋愛に関しては、心情を歌に載せて描かれており、ロマンスという感じが伝わってきて、深く胸に響いてならない。
これは原文訳出の強みだろう。

また和歌以外で目を引いたのは性的描写だ。
神代の話には、女陰がやたら出てきて少し苦笑してしまう。
だがそれはつまり、古代の人々が、性に対してわりにおおらかだったのだということが伝わり、個人的には目を引いた。

個々のエピソードの印象は『古事記物語』の方に書いたので、ここでは割愛しよう。


ところで個人的には、梅原猛の『古事記』に対する考察の方も楽しく読んだ。

特にアイヌ語と古代日本語との関係性は非常におもしろい。
どれほど正しいのか、僕にはわからないけれど、そういった考察はむかしの日本の形を示すかのようで、興味深いものがある。

大国主や倭建命に関する話も熱を帯びていて、興味を持って読むことができるのが良い。
また『古事記』成立の推定もおもしろい。
推論が多分に入っていて、妄想混じりなのでは、と素人目には感じる部分もあるが、知的好奇心を刺激され楽しかった。

そしてそれらの記述を読んでいると、『古事記』というものは、そのような妄想や数々の解釈が入りこめる豊かな作品なのだろう、とも思うのである。
そしてそれこそが、日本最古の書である『古事記』の奥深さなのかもしれない。

評価:★★★(満点は★★★★★)

新渡戸稲造『現代語訳 武士道』

2013-10-12 06:17:03 | 本(人文系)

日本人は、宗教なしに道徳をどう学ぶのか―こうした外国人の疑問を受け英文で書かれた本書は、世界的ベストセラーとなった。私たちの道徳観を支えている「武士道」の源泉を、神道、仏教、儒教のなかに探り、欧米思想との比較によってそれが普遍性をもつ思想であることを鮮やかに示す。「武士道」の本質をなす義、仁、礼、信、名誉などの美徳は、日本人の心から永久に失われてしまったのか?日本文化論の嚆矢たる一冊を、第一人者による清新かつ平明な現代語訳と解説で甦らせる。
山本博文 訳
出版社:筑摩書房(ちくま新書)




『武士道』は、外国人に日本人の考え方や立場を紹介するため書かれた本であるらしい。
実際、読んでいると外国の古典などと比較しつつ、武士道を紹介している部分は多い。

解説にもある通り、その中には、幾分強引なものもある。
けれど、そういった部分を読んでいると、著者の新渡戸の思いというものが見えてくるような気がするのだ。
それは日本人の特殊な考えを、世界にどうにかして理解させたいという新渡戸の強烈なまでの意思である。

内容云々や、引用の正確さはともかく、その辺りにまず僕は心うたれた。


本書は、義、勇気、仁、礼など、武士道を成立させる要素を一つ一つ解説している。
日本人なら、ああそうだろうな、と感じるものが多く、それが言葉にされているという印象を受けた。

個人的におもしろいと思ったのは、人にものを贈るときの、つまらないものですが、という言葉の解説だ。
アメリカ人なら、良いものは良いと言い、贈る品物を誉めるが、日本人はあなたはいい人で、どんな品物もあなたには十分ふさわしくない、という気持ちから述べるのだと解説する。
その解釈が合っているとは思わないけれど、その発想と視点はユニークで感心した。


しかし武士道を成り立たせるのは、基本的には名誉の概念(正確には解説にもあるように、恥の感覚)なのだな、と読むと感じる。
「劣等国と見下されることを容認できない名誉の感覚」が明治維新を成立させたという意見は、是非はともかく、指摘としてもおもしろい。

だがこういった恥の感覚は、世間を気にする現代日本にも通じるものがある。
すなわちそれが日本人の共通意識でもあるのだろう。
そういう点、訳者も述べるように、『武士道』は武士道の解説書でありながら、日本文化論としての側面も見せているようだ。


さてその武士道だが、新渡戸がこの作品を書いた十九世紀末の時点ではすでに消えかけていたらしい。
デモクラシーなどの新しい思想が入って来るにつれ、むかしの思想も古びていく。
これはいつの時代でもありうることだ。

だが日本という国で培われた文化的な精神は、新しい概念が導入されたとしても、簡単には消えるものではない。
そう訴える最後の方の文章は静かに胸に響く。


百年以上前の著作のため、現代においては古びている面もある。
だが日本人の考え方を再確認できるという意味合いでは、価値ある古典と感じた次第だ。

評価:★★★(満点は★★★★★)

『世界史』 ウィリアム・H・マクニール

2012-12-18 20:50:11 | 本(人文系)

世界で四十年余にわたって読みつづけられているマクニールの「世界史」最新版完訳。人間の歴史の流れを大きく捉え、「きわめて特色ある歴史上の問題」を独自の史観で鮮やかに描き出す。
増田義郎/佐々木昭夫 訳
出版社:中央公論社(中公文庫)




学生のころは日本史選択だったので、世界史に対する知識はさして持っていない。
だからいきなりこの本を読むのはハードルが高かったかな、という気がした。
知識がなくても読めなくはないけれど、少なくとも初歩的な世界史の知識があれば、苦労しなくて読むことができる。
そういう意味、本書は中級者向けの作品かもしれない。


加えて本書は訳がやたら硬くて、読みづらいと感じる箇所にいくつも出くわす。
たとえば日本史で、鎌倉幕府の成立と、御恩と奉公といった御家人制度を記述した文章だと以下のようになる。

日本の早咲きの宮廷文化は、皇帝の権力が形だけのものになってしまったのちもまったく消え失せなかった。とはいうものの、日本社会の北への拡大の先頭に立った辺境の豪族たちは、日本最初の宮廷人たちが唐代中国から大々的に輸入した優雅で反戦士的な文化理念を、身につけたり、尊んだりする立場にはなかった。それどころか、彼らは、自分たちの独自の行動の規範や戦士的な理想を発達させ、戦場における勇気や、えらんだ指揮官への忠誠や、戦士個人個人の人間的尊厳などを強調した。

もちろん読んで理解できない文章ではない。
でももうちょっと上手い訳はなかったのかいな、と感じる。

はっきり言って文章は、どうもとっつきにくい。
それが必要以上に本書のハードルを上げているように感じる。


しかし内容そのものはさすがにおもしろい。

本書は世界の歴史を、人や文化交流などの流れの中で説明しているのだが、その視点は非常に刺激的で、感心させられるものが多かった。

初期の遊牧民文化による政治・軍事の優越性に関する記述や、ローマの市民政治が戦争によって姿を変えていく様、インド文明の拡大に関する影響、シーア派とスンニ派にイスラム教が分裂した経緯、ギリシア正教側がオスマン・トルコに屈服する内的要因、カリブ海国家に黒人が多い理由、など、そうだったのか、と知らされる箇所にいくつも出会う。

世界史に関して無知な僕には、知らないことばかりで、新鮮な驚きに溢れていた。
歴史には因果関係があるらしく、その発生事由を読むとなかなかおもしろい。

またイスラム史など、欧米や中国以外の歴史はほぼ知らないので、楽しくてならない。

個人的には西洋が中世以降に勃興していく理由を、周辺地域と合わせて書いている点をおもしろく読んだ。
イスラムが発展しなかったのは、オスマントルコや中国が既得権益の上に安住して新しい価値の創造をしなかったからであり、その間に起こったヨーロッパの自己変革が、世界的な優勢を勝ち取っていったという流れがなかなか勉強になる。


本書は日本史の記述に費やすページも多く、それも意外におもしろかった。
外国人の視点から見ると、こういう視点が生まれるのか、と感心する面が多い。

たとえば日本の授業ではあまり取り上げられない、吉田神道に触れている点は宗教的側面を重視する外国人らしい。
また、西洋文化が流入しても日本的要素が失われなかったと書くあたりに、それが世界から見れば稀有なことなのだ、ということを知らされて、目からウロコである。
そして日本的武士道の価値観が、明治維新には生かされているという指摘は、おお確かにな、と感心させられた。

いくつかは僕にとって、自明のことだっただけに、改めて指摘されると興味深い。


ともあれ、非常に勉強になる一冊であった。
とっつきにくさはあるものの、視点は深く、世界史の動きを、一連の流れの中で捉えている点は優れている。
世界史をかじったことのある人なら、読んでみるに足る一冊ではないだろうか。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『聖書(新約聖書) 新共同訳』

2012-06-10 20:03:59 | 本(人文系)

僕は非キリスト教徒であり、加えて信仰心に乏しい男である。
だから以下の文章には誤解や誤読もあるかもしれない。
だがそこに悪意がないことだけは、言い訳として先に述べておく。



イエス・キリストは、文字通り、カリスマをもった人物である。
四つの福音書には、イエスの生涯が記述されているが、それを読めば、なぜ彼が後世に至るまで多大な影響力を与えるに至ったかがよくわかる。

それは彼の優しさと、信者目線での教義の説明、演説の上手さ、そして演出力に長けたパフォーマンスに依るところが大きい。
特に彼の語りの上手さは、多くの人間の心をつかむのに成功した最大の要因と思われる。


イエスの教義の根本にあるのは、愛、である。

その教義がすべてを現していると思うが、イエス自身も謙虚で、優しい男だ。
選民思想をもっているように感じる場面もあるけれど、本質面ではいい人である。

『ヨハネによる福音書』8章1-11節に記された、姦通の現場を捕らえられた女の話は、その最たる例だ。
このときイエスを陥れようとする者は、姦通した女をイエスの前に突き出し、律法ではこういう女は石で打ち殺せ、と言うがどう考えるかと、試すように聞く。
イエスはそれに対し、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言って、問題を解決する。

この対応自体見事だったが、個人的に印象的だったのは、次の言葉である。
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」
これを読んだとき、やるな、と感心してしまった。

姦通はこの時代においては、まぎれもない悪だ。
だがイエスは杓子定規に、彼女を罰するでなく、優しさでもって、罪に接しようとしている。
このイエスの態度こそ、彼の思想と態度と人間性を示しているのではないか。


彼の優しさは、自分の教えを聞こうとやってきた人たちにも向けられる。
彼はあくまでわかりやすく、自分の教義の本質を伝えようとしている。

福音書に多く収められたたとえ話がいい例だ。
そこでのお話は、平易で理解しやすいメタファーを使って語られるものが多い。
信者たちは庶民である以上、学のレベルにも差がある。イエスはそんな聞き手の目線に立って、語りを工夫しているのだ。その姿勢の何と見事なことか。
そしてそんなイエスの語りと態度こそが、民衆の心をつかんだのだろう。

また多くの信者を勝ち得たのは、彼のパファーマンス能力の高さも大きいと思う。
病人を治癒する特殊能力(たぶん医学的知識をもっていたのだろう)は自分の教えを聞いてもらうには、効果的だ。
それに、山の上で白く輝いたイエスが、モーゼらと話をする場面も、演出の上手さを感じさせる(何かしらの科学現象を駆使したと、勝手に僕は思うのだけど)。
こういった奇跡を人に見せることで、イエスは自分の権威を高めていたのかもしれない。
何はともあれ、語りといい、この人は信者たちの目線を大事にしたことがわかる。


基本イエスのいい面を取り上げているが、福音書では同時にイエスの欠点も描いている。
たとえば、いちじくの木を呪うところは、彼の心のせまさを(しかしそれこそが人間らしい)現していておもしろい。
またイエスの言葉にもかかわらず弟子たちが眠ってしまう、ゲッセマネの場面からは、弟子たちに言うことすら聞かせられない、情けないイエスの姿を見るような思いがした。


人口に膾炙された挿話が多いけれど、イエスという男の存在の大きさと威厳を見せつけられて、心に残る。
たぶん聖書のすべての話の中でも、福音書が断トツでおもしろい(特に『ヨハネによる福音書』が一番かっこいい)。そう思う次第だ。



新約聖書の後半の主役、パウロもまた、イエスほどではないにしろ、カリスマを持った存在だった。
『使徒言行録』でのパウロはさほど強い印象は残さなかったけれど、一連のパウロ書簡には、彼の大胆で踏み込んだ意見が開陳されており、興味深く読んだ。
そして同時に、後世に与えたパウロの影響の大きさを思い知らされる。

特に『ローマの信徒への手紙』の、神の下での平等の話、異国人であれ、信仰があれば神の恩寵を受けられるという教義は、現代キリスト教の根本にもなっている。
イエスの教えからの大胆なアレンジに感心させられる。



僕が聖書を読み始めたのは、2009年の11月。それから1日1~2章ペースで読み続けた。
最終的に読み終えたのは2012年の5月で、一冊読破するのに、2年半かかったことになる。
当然長い時間なわけで、合わない話も中にはあり、読むのが苦痛に感じるときもあった。

だが多くの小説や絵画などの元ネタを知るという点でも、すべて読んで良かった、と思う。
おもしろい、おもしろくないはともかく、それだけの時間をかけるに足る一冊である。


旧約聖書の感想はこちら

『聖書(旧約聖書) 新共同訳』

2012-06-10 20:02:13 | 本(人文系)

僕は非キリスト教徒であり、加えて信仰心に乏しい男である。
だから以下の文章には誤解や誤読もあるかもしれない。
だがそこに悪意がないことだけは、言い訳として先に述べておく。



旧約聖書とは、主と呼ばれる絶対神に帰依する、人間たちの物語ということになるのかな、と読んでいて感じた。
当然、この書の中で一番重要な存在とは、主である。

キリスト教に関して無知なので、なぜ主がこのような性格の存在なのかはわからない。
ただ僕は、主に対して以下のような印象を受けた。
それは、主は、わがままで暴力的で、癇癪もちのかまってちゃんだ、ということだ。


基本的に主は、独善的である。
自分に力があるということを知っているためか、弱く同時にだらけた存在である人間をいいように翻弄し、手のひらで弄んでいる感が強い。
有名なアブラハムがイサクを殺そうとするところなどはいい例だ。やっていることはずいぶんサディスティックで、いろいろひどい。

また自尊意識の異常なまでの強さゆえか、自分は愛されて当然だという観念が強い。
よその神を信仰でもしようものなら、強烈なまでの嫉妬心を発揮し、自分を信仰しないものは罰が下ると、半ばおどしまがいの文句も口にする。

力を持っているせいか、弱者に対する支配欲は強く、言うことを聞かないと災厄をもたらす。
自分を愛することを相手に要求し、それを形にして示せ、とかなり細かくケチをつけてくる(『レビ記』なんかその最たる例じゃないか?)。
そしてプライドは異常なくらいに高い。

こういう性格の存在を信仰する人もいるのだな、と読みながら僕は感心した。
人間は何度も主の教えにそむくけれど、それは早い話、主が嫌われているからでは、と疑ったりもする。
ともあれインパクトのある存在ということはまちがいない。



宗教的な側面については、それ以上述べる意志はないので、物語に関して語ってみよう。
非キリスト者の僕から見て、物語的におもしろい、と感じたのは以下のとおりである。

『創世記』、『出エジプト記』の前半、『士師記』(特にサムソンのところ)、『ルツ記』、『サムエル記』、『列王記』のソロモンのところ、『エステル記』、『ダニエル書』、『ヨナ記』
といったところだ。


ことに気に入ったのは、『創世記』だ。

中身的には独善的な側面が多くて、不快に感じるところもあるし、いかにも神話めいたテンプレな話も多いけれど、エピソード量は豊富でそれなりに楽しめる。
ラバンでのヤコブの話や、ヨセフの貴種流離譚的な話なんかはおもしろい。

またこの時代の主は絶対神のわりに、無知な部分があったらしく、それなりに失敗もする。
カインとアベルの逸話では、自分が嫉妬深いわりに、人間の嫉妬についてあまりに無関心すぎるし、ノア以外を洪水で殺した後は、さすがに反省したのか、前面に出てくるところをやめたりしている。
そういうところを読んでいると、主もまだまだ未熟だな、と感じる。

一番笑ったのは、ソドムとゴモラの滅亡に関しての、アブラハムとのやり取りだ。
主はそのときソドムを滅ぼそうとするのだけど、それを聞かされたアブラハムは、口八丁で主をごまかし、ソドムを少しでも滅亡から助けようとする。
そのときの主があまりに適当すぎて、がっくりする。
そんなに簡単に、相手の言葉に乗せられるなよ、と思わずつっこんでしまった。
滅ぼすなら滅ぼすで、ちゃんと計画を立ててからにした方がいいのに、何て行き当たりばったりなのだろう、とよけいなことを考えてしまう。

また『創世記』には、ダメダメなやつが多いような気がする。
たとえば酒に酔っ払ったノアは自分が悪いのに、恥をかかせやがってと、息子に対して逆ギレするし、その末に、なぜか無関係の人間に呪いをかけたりする。
またアブラムは処世術とは言え、妻をエジプト人に売ろうとするし、ロトは娘相手に近親相姦を行なっている始末。

宗教書としてちょっとまずいんでないの、とか、どいつもこいつも身勝手すぎるだろう、とか思う場面も多い。
だがそれが逆に、この作品の良さかもしれない。


そのほかの作品では、
『出エジプト記』の、モーゼが実は人殺しだったというところや、有名なエジプト脱出の展開がおもしろい。
『士師記』では、サムソンのエピソードがドラマチックで、エンタメ要素が強いところが良い。
『ルツ記』では、ギスギスしたエピソードが多い旧約において、その牧歌的な雰囲気に救われる思いがする。
『サムエル記』では、サムエル、サウル、ダビデといった個性的な面々が政治的な駆け引きをくりひろげるところや、ダビデがいかに愛されていたか、伝わってくるところが印象深い。
『エステル記』は、ちょっと敵が憐れだけど、その権力闘争的な話が読み物として楽しい。
『ヨナ記』は、ヨナが主に反抗するところや、魚に食べられる有名な展開、父性的な優しさを見せる主の姿が印象的である。


ところで旧約聖書と言えば、『ヨブ記』も有名だけど、僕の趣味には合わなかった。
言うなれば『ヨブ記』は、ヨブとヨブの友人と主とが、自分の正しさを主張し合う話だからだ。
自分はまちがっていない、と訴える彼らの盲目なまでの確信が狂気じみて見えて、僕には馴染めなかった。



何かまとまりがなくなった。
ただ、有名な小説や絵などの元ネタを知ることができた、という意味でも、内容的に合わないなりに、何かとためになったと思う。
旧約聖書分だけを読破するまでに2年弱かかったが、一度通読しておいて良かった、と思った次第だ。


新約聖書の感想はこちら

『これからの「正義」の話をしよう - いまを生き延びるための哲学』 マイケル・サンデル

2011-12-19 20:01:57 | 本(人文系)

「1人を殺せば5人が助かる。あなたはその1人を殺すべきか?」正解のない究極の難問に挑み続ける、ハーバード大学の超人気哲学講義“JUSTICE”。経済危機から大災害にいたるまで、現代を覆う苦難の根底には、つねに「正義」をめぐる哲学の問題が潜んでいる。サンデル教授の問いに取り組むことで見えてくる、よりよい社会の姿とは?NHK『ハーバード白熱教室』とともに社会現象を巻き起こした大ベストセラー、待望の文庫化。
鬼澤忍 訳
出版社:早川書房(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)




「正義」の話をしよう、という日本語タイトルにも現れているが、誠実さを感じさせる内容である。

思想書なので、最終的には自分の思想を述べるという形式を取っているのだが、そこに持っていくまでに、対立する意見も(自分の意見を明確にするためとは言え)きっちりと述べている。
また大学の講義を文書したということもあり、学生にもわかりやすいように、丁寧に論を進めるなど、好感が持てる部分はいくつも見られた。
個人的には、物事を説明するため、わかりやすい比喩や実例を提示し、想像しやすいように語っているところなどはすばらしい、と思った。
この講義内容を読む限り、教育者としても著者は一流であるらしい。

加えて、著者はどうして人はそのような行動を取るのかといった、思想の原点を常に探ろうとしている。
たとえば、不況の原因をつくったと見なされる経営者がその後も、多額の金を受け取っていたと知り、多くの人が非難をする、という事態が起きた。そのようにして、非難される理由はなぜなのだろう。
著者は自明とすら思える、そんなことも、あくまで言語化してから考えようとしている。

律儀な人だな、と僕は読んでいて思ったのだけど、そういった姿勢こそ、物事を論理的に考えるときには重要なのかもしれない。


さて著者は、共同体主義と、共通善いう思想を論理的に導くため、かなり長い紙数を費やしている。

最初の一章で、序論として、道徳のあり方について問いかけている。
それから現代を覆っている功利主義や自由至上主義(リバタリアニズム)について批判を交えながら紹介、それらの思想について、道徳という観点から妥当性を探っている。
中盤になって、著者の思想の中心を占めるカントとロールズの思想について言及する。まず義務の動機という観点から道徳についてを述べ、自律的に行動することを自由と見なすカントの思想を紹介。そして生まれ持った環境などの当人ではどうにもできない恣意的な社会状況を確認し、それを社会的に分配するというロールズの思想を紹介している。
そして終盤に至り、アリストテレスの目的論と政治は美徳を育てることという思想を紹介して、正義の立ち位置についてを探っている。
そして最終的には人間は自身が属している共同体のような社会的要因によって、状況が支配されてしまう、という著者の思想へとたどり着くこととなる。

僕の説明が下手なので、上記の説明がどれほどの人に伝わっているかわからない。
だが少なくとも、この論旨の組み立て方はかなり鮮やかだな、と僕はつくづくと感心してしまった。
そういう思考の組み立て一つとっても、この人は誠実な人だな、と感じ入ってしまう。


2流工業大出なので、ちゃんと理解できているかは自信がないが、乱暴に誤読交じりに著者の思想を要約するなら、以下のようになるだろうか。
それは、物語として共通して語ることのできるコミュニティの中に属している限り、共通善とその中での権利と責務をになう必要がある。その点について探っていこう、ってことだ。

グローバリズムの進んだ時代において、著者の考えは、一つの思考としてはおもしろいと思う。
とは言え、個人的に(僕の解釈が合っているとしてだが)それは、多元主義に対する揺り戻しのように見えた。
魅力的な面は多々あるけれど、この思考ではいずれ壁にぶつかってしまうような気もしなくはない。
コミュニティという考えはそれ自体が、閉塞と表裏一体のような気もするし、共通善や共通の責務という考えを受け入れるには、人間は本質的に利己的でありすぎると思うからだ。

それらは、良くも悪くもインテリの考えじゃねえの、と僕には見える。


だが一つの思想について、これだけの理論的な補強を試みている点はすばらしいと思う。

それにこの本を読んでいると、自分がどのような思想を持っているのか、確認することができるのだ。
ここで示される思想について、なるほどね、と思うポイントもあるし、ああ、それはないわ、と思うポイントもあるし、ふうん、としか思わないポイントもある。
そしてその感嘆や、批判や、無関心こそ、普段そこまで意識することのない、自分個人の思想でもあるのだ。

ともかくも刺激的な一冊である。
受け入れる、受け入れられないに関わらず、大いに読む価値があるのではないだろうか。

評価:★★★★(満点は★★★★★)