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私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『遠野物語』 柳田国男

2011-08-09 20:17:52 | 本(人文系)

恐ろしいが、しかし時には利益をもたらす神々、ふしぎな能力を持つ山男、空飛ぶ天狗、川にひそむ川童……わたしたちの忘れかけた怪異な世界の物語を、簡潔な美しい文章でつづった「遠野物語」ほか、「雪国の春」、「清光館哀史」など、日本人の文化を考える柳田民俗学のエッセンスを収録。
出版社:集英社(集英社文庫)




一度だけだが、むかし観光で遠野に行ったことがある。
そこで一番印象に残っている場所は、オシラサマと呼ばれる人形が壁一面に飾られた部屋である。

その人形はいかにも素朴で、見るからに民俗信仰といった感があったけれど、その素朴さがふしぎと心に沁み入り、じっと見ていると、がらにもなく敬虔な気分になったことを覚えている。

その場所では、オシラサマに関する伝承も紹介されていた。
その原典こそ、本作『遠野物語』の69話である。概略を記すならば、以下の通りだ。


昔貧しい百姓の家に、美しい娘がいた。娘は飼っていた馬を愛し、厩舎に行って関係を持つようになる。それを知った父親は娘に内緒で、桑の木に馬をつるして殺してしまう。娘は馬の死を知り、死んだ馬の首にすがり付いて歎き悲しんでいたが、父親はそれを見て、馬を憎み、馬の首を切り落としてしまう。すると、娘は切り落とされた馬の首に飛び乗って、一緒に天へと昇っていく。そのとき、馬をつるした桑の木でつくったものが、オシラサマの始まりである、
とのことであるらしい。


遠野で読んだときも思ったが、実に奇妙な話である。
だが本作には、上記のような、不可思議な話がたくさん語られているのだ。

ここには119話が収録されているが、どれも民話というにしても突飛なものばかりである。
まるで幻想譚のように読める話もあるし、ホラーや怪談じみた話もあれば、謎めいた展開のお話もある。
また、山男に山女、川童や天狗や、ザシキワラシなど、ふしぎなキャラクターが登場する話もある。

どれも現実に起きたことのように書かれているけれど、ふしぎすぎて、とてもじゃないが現実的な話とは思えない。
しかしそれゆえに、どの話にも目を引かれるのだ。
そしてその点こそ、『遠野物語』のおもしろみでもあるのだろう。


本作は読みようによっては異常な状況の話を、異常とも感じさせず、ありのままの形で、語っている。
川童や山男がいたという話を、語り手はすなおに受け入れ語り、人間が魔法を使えたという点に対してもつっこみも入れずに、無条件で信頼し、話をする。
そういった語りを読み続けていると、ふしぎなものをありのままの形で受け入れられるのだ。
川童がこの世にいても、おかしくないよな、と感じられるし、殺したはずの女や山男がその場から消えてしまっても、ありだよな、と思えてしまう。その読み味がすてきだ。


さて本作にはいろんな話があるが、個人的には90話の天狗とけんかした男の話が好きだ。

天狗とけんかしたという点自体がまずふしぎに思うし、その後、その男が手足を抜き取られるという異常な形で死んでいた点を不気味に感じる。

たぶん、天狗とのケンカと、異常な死の間には相関性などないのだろう。
だがむかしの人は、天狗の存在(おそらく幻)と、その当人の異常な死を、結びつけざるをえなかった。
それは、たぶんむかしの人が、未知なるものに対して激しい畏怖を持っていたからだと思う。

むかしの人は、自分たちの周りを囲む、山や森を恐れていた。
その理由は、自然が人間の手では到底制御できるものではなかったからだと思う。
そしてその象徴こそ、天狗だったのではないだろうか。そしてその畏怖心が、このような話を生み出したのでは、そんなことを思ったりする。


そういう風に考えると、『遠野物語』というのは、遠野地方に住んでいた昔の人たちの、世界の捉え方の記録なのかもしれない。
『遠野物語』は、昔の人の心性を追体験できる、短いながらも構えの大きな作品ではないか、と思った次第だ。



そのほかの併録作品もおもしろい。
基本的にどの作品も、一つの事象から日本人の行動形式を解き明かすスタイルだ。
たとえば、『女の咲顔』は笑顔から、『涕泣史談』は泣くという感情表現から、『雪国の春』は北国と都の暦から、『木綿以前の事』は木綿から、『酒の飲みようの変遷』は酒の一点から、日本人の姿をあぶりだしている。

そんな作品群の中で気に入ったのは、『清光館哀史』だ。
高校の教科書にも載っていた作品だが、いま読むと、当時の僕にはわからなかった、この作品の良さに気づかされる。
ここでキーワードになるのは、盆踊りの文句だ。
その短い文句は性的な意味合いにも取れるけれど、作者はそれを、生活の苦しみのからの解放を望んで生まれたものと捉えている。その観点がとても鮮やかだ。
そしてその生活苦を、むかし泊まった清光館の没落と結びつけるところは、巧妙だな、とつくづく感心させられる。そして哀愁漂うラストに、しみじみとした感慨を覚える。
高校生が理解するにはちょっと早いかもしれない、渋い一品であった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『日本辺境論』 内田樹

2010-06-21 21:22:49 | 本(人文系)

日本人とは辺境人である―「日本人とは何ものか」という大きな問いに、著者は正面から答える。常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ、と。日露戦争から太平洋戦争までは、辺境人が自らの特性を忘れた特異な時期だった。丸山眞男、澤庵、武士道から水戸黄門、養老孟司、マンガまで、多様なテーマを自在に扱いつつ日本を論じる。読み出したら止らない、日本論の金字塔、ここに誕生。
出版社:新潮社(新潮新書)



「はじめに」で、著者が言い訳がましく述べているけれど、本書は「たいへん大雑把な話」だ、と僕も思う。

古代から現代までの日本を「辺境」というただひとつのスキームで語ろうとしている時点で、無理があるし、読んでいて違和感を覚える場面もある。
たとえばロシアがやりそうなことを日本の軍人たちはトレースしたという論旨は突飛だと思うし、「機」に関する理論でも、その能力が発揮できるようにする予備的能力を日本人が有しているという論旨は、留保をつけたくもなる。

作者も確信犯的にやっていることだけど、その論理は変じゃないっすか、と言いたくなる部分もある。

それでもこの本を、僕は全否定しようと思わない。
それはそのほかの意見には納得できるものもあるからであり、何より内容もおもしろいからだ。


日本という国は、知は外部から来るものと考えており、自分たちの固有の文化は、外部の文化よりも劣位のものであろうと考えていることを、著者は指摘している。
そのため、日本人は他国をきょろきょろと比較することでしか日本という国を語れない、と言う。

これは言われてみて、ものすごく納得してしまった。
確かに日本という国にはそういう側面はあるだろう。

そのほかにも、和の精神は他人との比較をするという日本人の精神性を表すものと言われれば、そこもうなずける。
そして自らの手で絶対的価値観をつくることもできず、先行者の立場から他国を導くことができず、そういう問題になると思考停止してしまう。それは比較でしか己を語れないからだ、という点も納得した。
そういうなんとなくついていく傾向にあるため、自己確認をすることはない。

そのような内容をあらゆる言葉を駆使して、著者は説明している。
それら日本論は本質を突いていると思う点もあり、感心する部分もあった。まさに目から鱗の思いである。


しかしこうやって見てみると、日本人とはおもしろい国民だなと感じる。
そしてそれをどうこう言い、自己否定したりすることは、著者も述べているように、意味はないのだろう。
そのようなアイデンティティから、日本人は逃れることなどできはしない。ならばその立ち位置を認識し、そこから行動を起こすべきなのだ。
そんなちょっと前向きな自己確認ができて、非常にためになる。


納得できる面、できない面はそれぞれある。
だが単純に内容はおもしろく、ともかくも、一つの見方を示してくれて、いろいろと思いを致すことのできる一冊である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『19歳 一家四人惨殺犯の告白』 永瀬隼介

2010-05-20 21:35:35 | 本(人文系)

92年、千葉県市川市でひと晩に一家四人が惨殺される事件が発生。現行犯で逮捕されたのは、19歳の少年だった。殺人を「鰻を捌くより簡単」と嘯くこの男は、どのようにして凶行へと走ったのか?暴力と憎悪に塗り込められた少年の生い立ち、事件までの行動と死刑確定までの道のりを、面会と書簡を通じて丹念に辿る著者。そこで見えた荒涼たる少年の心の闇とは…。人間存在の極北に迫った、衝撃の事件ノンフィクション。
出版社:角川書店(角川文庫)



この作品で述べられている事件のことは、何となく覚えているという程度の知識しか持っていない。
それなのに、なぜこの本を読もうと思ったのか、自分でもよくわからない。

ただひとつ言えるのは、何の深い考えもなしにこの本を読めば、心がきっと痛い目に合うということだ。
そしてその事実こそ、この本を読み終えた後に抱いた、僕の率直な感想でもある。
解説の言葉を借りるなら、「本書は決して楽しい物語ではない」し、そこに描かれているのは、本当に陰惨な殺人事件だからだ。


犯人の少年は、典型的なワルである。

ちょっとばかり問題のある家庭で育ち、相手にバカにされたとなると容赦がなく、他人より優位に立つために、また虚勢や力への陶酔もあってか、簡単に暴力的な行動を取る。
家庭内暴力は当たり前で、物事に対する反省の心に欠けている。
まるで絵に描いたような、という形容がふさわしいような生い立ちと人間性である。

そして事件現場での行動も残酷そのもので、読んでいて、気持ちが滅入ってしまう。
世の中には残酷な人間がいるし、ひどいことだって起こる。
そのことを僕は充分知っているつもりだけど、この本を読むと、そんなことを改めて思い知らされる。


著者はそんな犯人と向き合い、彼の人間性についてアプローチをしている。
その記録は真摯であり、精緻だ。

この本を読んで、たいていの人は、典型的なワルで、上辺だけの反省の心しか持たない、この少年に対して、怒りを覚え、不愉快に思うのだろう。
そしてそう読み手に感じさせるだけの、綿密で丁寧な取材を行なっていることが伝わってくる。


だが、それは言うなれば、知っていることでもあるのだ。

情報としてまとまっているし、一般常識とずれた殺人犯の思考を、手紙のやり取りを通じて、浮かび上がらせていることは事実だ。しかしそこからのプラスアルファに乏しい。
結局読み終えた後に残るのは、ああ、ひどいことをするやつがこの世にいるんだな、で終わってしまう。
そしてそんな最終結論など、細かい事情や生い立ちはともかくとして、みんなが知っていることでもある。

あえて、僕の趣味で語るなら、もっと被害者側や、加害者の家族に筆を割いて、この事件を複合的に捉えてほしかったと思う。
本書は、加害者一人にあまりに視点が集中しすぎていて、印象が平板になっている気がしてならない。


と、あえて辛らつに書いたが、事件の記録として見れば、誠実な仕事であることは事実である。
一つの作品としては物足りないが、この事件に興味を持つ人には充分に示唆に富む作品である。

評価:★★★(満点は★★★★★)

『歎異抄』

2010-03-16 20:52:14 | 本(人文系)

親鸞の没後,弟子唯円が師の言葉をもとに編んだもので,難解な仏典仏語がなく,真宗の安心と他力本願の奥義が平易に説かれている.数多い仏教書の中でも,『歎異抄』の文言ほどわれわれに耳近いものはあるまい.
金子大栄 校注
出版社:岩波書店(岩波文庫)



この本を読んで感じたことは、これはあくまで宗教書なのだな、ということである。
そりゃあそうだろう、とは思うのだけど、その感覚が、この本そのものの印象を決定している。

それは、宗教書ゆえに、その教義内容を受け入れることは難しい。
だけど、宗教書ゆえの誠実さが、そこかしこに見られ、それが心に残る。
そういうことである。


この本には、浄土真宗の教義が説明されているのだが、中でも一番おもしろいと思ったのが他力本願と、それに対する親鸞の姿勢だ。

弥陀の本願には、老少善悪のひとをえらばれず、たゞ信心を要とすとしるべし。

そう本文中にあるが、念仏して、本願を信じる(阿弥陀如来が人間を救ってくれるものと信じるってところかな、平たく言えば)ことが、浄土真宗の要であるようだ。

僕は仏教に対する知識は乏しいのだけど、我執を離れるという仏教的な考えと、浄土真宗の思想とは、根っこのところが同じかもしれない、と思う。
念仏し本願を信じる ⇒ それにより、我執を捨てることになる ⇒ 結果、心が少しは軽くなる。
そういうプロセスなのかもしれない。

だが基本的に僕は、こういう風に何かに対して、自分の考えなり存在なりを預け、信じるという行為が大嫌いである。
自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこゝろかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこゝろをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。

そんな言葉がある。自力とは阿弥陀などの形而上的なものでなく、自己の一念というか、人間の力でもって自らを救おうっていう考えも含まれているように見える。
誤読かもしれないけれど、基本的にその自力こそ大事と思っている身としては、この教義はどうにも肌に合わない。


だがその他力の教えに関する親鸞の考えは徹底されており、受け入れられるかどうかはともかく、彼の姿勢そのものは心に響いてならない。

たとえば、親鸞は、念仏が浄土に向かう手段なのか、地獄に落ちる業となるのか、「総じてもて存知せざるなり」と述べている。
だけど、彼はそれで地獄に落ちても、「後悔もさふらはめ」と言う。そして
いづれの行もをよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。

そうとまで述べている。そこにある言葉に信仰の強さを感じる。
僕とは考えが違うけれど、親鸞の姿勢は誠実で、心に残るのだ。


それに彼らの宗旨を読んでいると、これは弱者のための宗教なのだな、ということが伝わり、それもまた印象深い。

唯円の歎異の中に、次のような言葉がある。
いやしからん身にて往生はいかがならんどとあやぶまんひとにも、本願には善悪浄穢なきをもむきをも、とききかせられさふらはばこそ、学生のかひにてもさふらはめ。

弱い人間たちにも、救われるのだよ、と説き聞かせ、心の平安を与えるべきだ。この部分を読むと、そんな風に言っているように感じられる。
そう語る彼らの姿勢はきわめて麗しい。


信仰という観点から見れば、無神論者の僕としては、共感できない面はある。
しかし、他力を説く宗教人たちの誠実さと、彼らの信仰の姿勢自体は嫌いでない。

浄土真宗について、僕は歴史の教科書で習ったこと以上のことを知らなかった。実家の法事は浄土真宗のお寺で行なっているのだけど、何もわからないまま、手を合わせ、お経を聞いているだけだった。
だから今回『歎異抄』を読んで、いろんなことを知ることができ、何かとためになる。

この世にはいろんな考え方と思想法がある。そのことを知ることができ、いろいろためになる一篇だ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『今こそアーレントを読み直す』 仲正昌樹

2010-02-18 20:14:58 | 本(人文系)

20世紀を代表する政治哲学者が、なぜいま再評価されるのか。人間の本性や社会の公共性を探った彼女の難解な思考の軌跡を辿り直し、私たちがいま生きる社会を見つめ直す試み。
出版社:講談社(講談社現代新書)



日常を生きている以上、自分の考えと対立する意見に出くわすことは、そんなにめずらしいことではない。
ささいなことから、重大なことまで、程度の大小はあるけれど、それはよくあることだ。
そんなとき、僕は対立意見をどれだけ許容できるのだろうか。

ハンナ・アーレントが触れているのは、まさにそのような問題である。
著者なりのアーレント理解の言葉を引くなら、「誰の世界観が一番ましで、信用できるかが問題ではない。(略)肝心なのは、各人が自分なりの世界観を持ってしまうのは不可避であることを自覚したうえで、それが「現実」に対する唯一の説明ではないことを認めることである」ということになる。

一言でまとめるなら、多様性を容認する、ということになるのだろう。
その考えは僕も普段から持っていることなので、いろいろと考えさせられるところが多い。


基本的に、ハンナ・アーレントの思想は、どこかに染まり、明確な立場を宣言するというようなことはない。
そして染まることがない、という点がアーレントの思想の根本に見える。

他者を排除することで仲間意識を得ようとする全体主義に対する考え方や、公共のために動くことが自由につながるという発想などおもしろい。
また「拡大された心性」に関する議論の中にある、他者の考えが微妙に違うことを認識し合い、その過程で公共性が生まれていくという論理も興味深く読んだ。
それらにはいろいろ感心させられる。そして僕個人においても、考えるヒントとなる。


読んでいて、特にインパクトが大きかったのは、フランス革命の話である。
フランス革命の時代、人は貧しい人たちに共感しなければいけないという空気が生まれていた。
そしてそれに共感しない者を排除されなければならない、という空気さえ生まれたと語る。
そしてそれがロベスピエールによる恐怖政治が生まれる結果になったのだと、アーレントは言う。

この発想に、僕は本当に驚いてしまった。
彼らは善と思って行動をしたはずだ。貧しい人に同情を寄せる。それはあながちまちがったことと思えない。
だがそれを追求することが、他者の排除を生み出すという結果を生んだ。
この発想は、はっきり言って、僕にはなかったので、一種の衝撃を受けてしまう。

他者を容認し、ちがう意見を受け入れるとは、自分が信じる善(そして大多数の人間が善と信じているかもしれないもの)を推し進めることではない。
それを推し進める際に、排他性を生まないかを確認しながら進まなければいけないのだ。

当たり前と言えば、それはそうだ。
けど、僕はそこまで徹底してやれるだろうか。
ひょっとしたら、そんな当たり前のことを簡単に忘れてしまうかもしれない。
ゆえに何かと考え込まざるをえなくなる。

自分には自分なりの考えがあり、他者の意見を聞く準備はできている。
けれど、固定観念に固まっている部分もなくはないだろうか。そんな風に自分自身にチェックを入れたくもなる。


ともあれ、ハンナ・アーレントという女性は、ユニークな発想をする人だったらしい。
インテリの考えだな、と思う部分はあるし、彼女の思想体系を読むと、現実的と思えない面も見られる。
だがその独自性は忘れがたく、発想の転換と柔軟性とについて考えずにはいられない。

ハンナ・アーレントの思想を初めて触れる初心者にとって、この本は非常に丁寧でわかりやすくて、好印象。
文章も読みやすく、すんなり頭に入ってくる。
まったく関係ないが、僕は同じ時期に『レヴィナス入門』(ちくま新書)という本を読んで、ものの見事に挫折した。少なくともそれの何百倍も読みやすい本である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『ドキュメント死刑囚』 篠田博之

2009-12-17 21:07:16 | 本(人文系)

子どもを襲い、残酷に殺害。そして死刑が執行された宮崎勤と宅間守。また、確定囚として拘置されている小林薫。彼らは取り調べでも裁判でも謝罪をいっさい口にせず、あるいはむしろ積極的に死刑になることを希望した。では、彼らにとって死とは何なのか。その凶行は、特殊な人間による特殊な犯罪だったのか。極刑をもって犯罪者を裁くとは、一体どういうことなのか。
彼らと長期間交流し「肉声」を世に発信してきたジャーナリストが、残忍で、強烈な事件のインパクトゆえに見過ごされてきた、彼らに共通する「闇と真実」に迫る。
出版社:筑摩書房(ちくま文庫)



著者は死刑反対の立場を取る人間だ。
理由はまとまった文章では書いていないが、少なくとも加害者の人権を思って、という、いわゆる人権派の考えとは違う。

彼の考えを、あえて一言で主観的に要約するならば、真実をとことん暴いていきたい、その一点に尽きると思う。
短絡的に犯罪者を死刑に処するだけでは、何の解決にもならない。彼らが犯行に及んだ理由を、総合的な形で明らかにしなければいけない、ということなのだろう。
そういう意味、彼は筋金入りのジャーナリストだ。


そんな人物にふさわしく、死刑の真相に迫ろうとするジャーナリズム精神は、誠実そのものだ。
死刑囚の内面を何とか解き明かそうと、本人たちの生い立ち、心情に鋭く、しかし丹念に迫っている。実に丁寧な仕事である。

本書では、埼玉連続幼女殺害事件の犯人である宮崎勤、奈良女児殺害事件の小林薫、大阪教育大附属池田小事件の宅間守の人物像に迫っている。

彼らに共通するのは、支配的な父親、社会規範意識の薄さがあげられそうだ。
特に前者は、いろいろ考えさせられる。
以前別の本で読んだことがあるが、凶悪な殺人事件を起こす犯人は、家庭がいびつである場合が多い。この三人もその例に漏れないらしく、彼を守ってくれる存在が家庭にはいなかった(もしくはいなくなった)ようだ。
もちろん、それですべてを帰結してはダメだけど、共通項としては興味深い。

そんな死刑囚の状況や生きてきた環境、強がりを言ってしまう心情などを、手紙のやり取りなどを通じて、露わにしている。
死刑囚の人物像が、しっかりと伝わってくるあたりは見事である。


だがそんなアプローチをしながら、著者は死刑囚の側だけに寄り添っているわけではない。

それを端的に現すのが、小林薫の章での、被害女児の親の証言だろう。
そこには、愛娘を唐突に殺されてしまった両親の悲しさと喪失感と怒りが強く現われていて、読んでいるだけでも、悲しい気分になる。
どんな理由があれ、人を殺すということが重い罪であることを、強く示すような証言だ。
どれだけ加害者の事情を汲んでも、犯した罪を決して赦すべきではない。

そこはきちんとバランスの取れた構成になっている。


だが犯した罪はともあれ、ここで出てくる死刑囚は異質な面こそあるものの、異常というのとは少し違う、と僕には感じられた。
何かしらの憎悪を持ち、反社会的ではあるものの、人並みにトラウマを抱え、人間としての弱さを持つ。普通にいてもおかしくはない人間ばかりである。

そんな死刑囚たちは絶対に赦されない罪を犯し、被害者やその家族を苦しめた。
なぜこんなことを犯したかは、ある程度のレベルまでなら語ることはできる。
だがなぜこんなことが起きなければいけないのか。その答えは決して出ない。

そしてその答えの出そうにない答えを、もう少し時間をかけて考える必要があるのだ。
ああ、もうこんなやつ死刑にしろよ、とか言って、簡単に終わらせるだけではなく。

本書を読んでいると、そんなことを思う。見事なドキュメントである。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『元刑務官が明かす 死刑のすべて』 坂本敏夫

2009-12-16 20:52:51 | 本(人文系)

起案書に30以上もの印鑑が押され、最後に法務大臣が執行命令をくだす日本の“死刑制度”。「人殺し!」の声の中で、死刑執行の任務を命じられた刑務官が、共に過ごした人間の命を奪う悲しさ、惨めさは筆舌に尽くしがたい。
死刑囚の素顔、知られざる日常生活、執行の瞬間など、元刑務官だからこそ明かすことのできる衝撃の一冊。
出版社:文藝春秋(文春文庫)



著者は刑務官という、実際に死刑に携わっていた人間だ。
そのため、そこで描かれる世界は知らない部分がいくつかあり、非常にためになる。
少なくとも、これまで自分は死刑というものをちゃんと知らないまま、死刑について考えていたんだなと気づかされ、目を見開かされる思いだ。


著者が「死刑制度を存続させ、処刑の反対」の立場を取っていることもあってか、本書は死刑賛成派にとっても、反対派にとっても納得のいくバランスの取れた構成になっている。
その辺りはなかなか好ましい。

死刑賛成派にとっては、きっとここで描かれる死刑囚たちの不遜な態度に腹立たしく思うだろう。
そして自分があたかも悲劇の主人公であるかのようにふるまい、被害者たちに対して反省の意を示さず、わがままな態度を取る姿を見て、死刑賛成の思いを強くするかもしれない。

反対派にとっては、死刑囚の更正を担当しながら、自らの手で死刑を執行せねばならない刑務官の姿に同情するかもしれない。
また、罪を悔やみ、改悛の情を見せる死刑囚もいるという事実に、一つの希望を見出すかもしれない。
それに、冤罪の可能性の高い死刑囚が多いという事実(足利事件がいい例だろう)に、死刑反対の思いを新たにするかもしれない。

それぞれの立場にとって、納得できる場所はいくつも見出すことができる。
そのようにいろんな立場の人にとって、納得いくよう、あらゆる側面から死刑に対してアプローチしている。


さてその死刑制度だが、この制度には根本的な問題点が、二つあるのだ、と個人的に思った。
一つは死刑制度を運用するためのシステムの問題。
そしてもう一つは死刑制度を支える理念の問題。その二つである。


刑務官という現場にいた人間だからか、システムの問題に対する著者の舌鋒は容赦がない。
上層部が派閥争いに終始するため、死刑囚を収監する現場の規律が取れなくなっていく。その点に大いに不満があるのがよく見て取れる。
また、改悛した死刑囚と長く接した刑務官が死刑を執行するという現状に割り切れない思いを抱いていることがよく伝わってくる。
また被害者にわびることもなく、ふてぶてしく居直る死刑囚が、何の反省もしないまま、死刑になるということに対して、納得がいっていないことも透けて見える。
死刑という制度を運用する上で、これらの問題を無視することはできないだろう。


そして、これらのシステム上の問題点はすべて、死刑囚を一体どうしたいのか、という根っこの理念が抜けていることが大きな要因になっていると思う。

著者はどうも、死刑囚が悔悟できるよう、環境を整える必要があると考えている節がある。
確かにその考えは重要だ、と僕も思う。
死刑の賛否は人それぞれある。だが、死刑囚が反省しなければならない、という一点のみは誰にも否定できないことだ。
そこからは、著者の強い思いが感じ取れるようで、こちらもいろいろ考えずにはいられない。


僕の死刑に対する考えを述べるなら、消極的な死刑反対派といったところである。
理由は長くなるので述べないが、その考えは、この本を読む前も、読んだ後も変わらない。
ただこの本を読んだことで、自分の中でその理由を、より明確にできた感がある。

死刑について、いろいろ深く考え、自分がどう思うか、再確認することもできる。
ちょっと変てこな部分もあるが(主にドキュメントノベル)、公正な視点で書かれた良書である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『ユング心理学入門』 河合隼雄

2009-12-02 22:24:51 | 本(人文系)

河合隼雄の処女作であり、日本で最初に著されたユング心理学の本格的入門書。
河合心理学の出発点がわかる本であり、後に展開する重要なテーマが数多く含まれている。著者の生涯を通じて重要な位置を占め続けたユング心理学に関する最も基本的な本。文庫化に際し、著者がユング心理学を学ぶに至った経緯を自ら綴った「序説ユング心理学に学ぶ」を併録し、「読書案内」を付した。
<心理療法>コレクションⅠ 河合俊雄 編
出版社:岩波書店(岩波現代文庫)



ユング心理学に関してまったくの無知だった、ということもあり、本書を読む前に『手にとるようにユング心理学がわかる本』(長尾剛 著)という本で予習だけはしておいた。
多分そうでなければ、本書の内容をしっかり理解できたか疑わしい。

心理学をある程度学んだ人間だったら、これは入門書としてはうってつけかもしれない。
ユング心理学をくわしく体系的に、そして懇切丁寧に解説し、説明しているというのは素人目でもよくわかる。

だがずぶの素人の僕では、後半あたりでちょっとわかりにくい面があった。
そういう意味、本書は文字通りの「専門書」と言えるかもしれない。

しかしいくつかの臨床例を示しながら、ユング心理学を説明してくれているので、わからない部分があるなりに、何となくのイメージも湧きやすい。
そういう風に理解しやすく書こうとする姿勢に、著者である河合隼雄の人柄を見る思いだ。


内容はさすがに知的でおもしろい。

特にすばらしいのは夢を例にあげて、ユング心理学にアプローチしている点だ。
ここではいくつかの臨床例を示して、その夢がどのような意味を持っているか、内向や外向、思考や感情などのタイプ、コンプレックス、元型、影、アニマ・アニムスなどとからめて語っている。
おかげで、それぞれの内容も、何となくの実感を持って、理解することが容易になる。

人の心には対立する感情があり、それが相補的に存在することで、成り立っているという概念は、納得できる部分も多く、自分にもいくつか当てはめて考えることができる。
また人の心を一面的に語ることに対し、著者がきわめて慎重であるという点も、非常に印象が良かった。

何かを決め付けるように語るのではなく、患者に自分で気付かせなければ意味がない。
そういう誠実な態度を取ろうとする姿勢は、河合隼雄だからできるのか、カウンセラー全般に言えることかはわからない。けれど、その慎重な姿勢は、個人的にいろいろなことを考えさせられる。

正直無知な僕は、むかし軽く読んだユングの伝記の影響もあり、ユングと聞くとオカルトのイメージが強かった。
だが本書はそんな偏見に満ちた印象を払拭するものばかりであった。
心理学ではこんな考えがあるのか、と読んでいてつくづく感心してしまう


素人なので、少しわかりにくい部分はあるけれど、体系的にユング心理学を説明しており、初心者は無理でも、初級者レベルの人だったら入りやすい作品だと思う。
この世にはこんな考え方もあるのだな、と知ることができ、非常にためになる一冊だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの河合隼雄作品感想
 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』 (村上春樹との共著)

『西太后 大清帝国最後の光芒』 加藤徹

2009-10-07 21:07:17 | 本(人文系)

内憂外患にあえぐ落日の清朝にあって、ひときわ強い輝きを放った一代の女傑、西太后。わが子同治帝、甥の光緒帝の「帝母」として国政を左右し、死に際してなお、幼い溥儀を皇太子に指名した。その治世は半世紀もの長きにわたる。中級官僚の家に生まれ、十八歳で後宮に入った娘は、いかにしてカリスマ的支配を確立するに至ったか。男性権力者とは異なる、彼女の野望の本質とは何か。「稀代の悪女」のイメージを覆す評伝。
出版社:中央公論新社(中公新書)



特に深い理由もなく本書を読んでみたのだが、想像してた以上におもしろくて、びっくりしてしまった。
読み終えた後は、満足そのものである。

楽しめた理由は3つあるかな、と個人的には思っている。
それは西太后の人生が波乱万丈でそれ自体がおもしろいということ。
そして西太后のキャラが立っているということ。
そして西太后という存在を通して、中国独自の政治手法や、中国という国家が抱え持っている問題点などが透けて見えるということだ。


西太后が生きた時代は、アヘン戦争終了後から帝国主義の侵略を受けるころに当たる。そして彼女の死後、数年で清朝は滅亡している。言うまでもないが、時代の転換期だ。
そういう激動の時代を生きた人だけあり、西太后の人生は下手な小説よりも起伏に富んでいて、読む分には充分楽しい。

俗説ほど華やかではないが、皇帝の后になる過程も平凡なりにおもしろいし、素人同然の方法でクーデターを起こし、27歳にして政治の中枢に近い位置に座る過程も、終始興味を引かれる。
もちろんその後の政治劇や、二人の皇帝をめぐる確執、外圧に対して取った行動など、どの内容も目を引く。
知らなかったことも多く、知的好奇心を満たしてくれるのが良い。


だがそんな起伏の多い人生は、西太后本人のキャラクターがあったからこそ、そこまで派手なものになったのだと思う。
皇帝の后にすぎなかった、西太后はクーデターや東太后の死などにより、国政を完全に掌握することになる。
だが、そんな彼女のやりたかったことが、国の方針を決定していくことではなく、結局のところ自分がいかにぜいたくするかにあった、という点がおもしろい。
この時代だから当然かもしれないけれど、何て身勝手な、とも思ってしまう。

また、開放政策に積極的だった光緒帝を失脚させてからの、西太后の行動は、彼女のキャラクターを象徴していて、苦笑するほかない。
西太后は西洋文化を感情的に毛嫌いしていたはずなのに、、光緒帝を追い落としてからは、それをあっさりと撤回、積極的に西洋文化を受け入れることとなる。文字通りの変節者だ。
そこには彼女なりの深遠な論理があったのかもしれないけれど、この本の著者の主張を読む限り、どう見てもその場の感情で動いているようにしか見えない。
そこには、国家をどうするかという明確なビジョンはないのだ。

そんな西太后を、著者はあとがきで、「わがままで自分勝手で、面子を気にするくせに矛盾した言動をしても平気で、周囲の顰蹙を買いながらもなぜか中心人物になってしまう」という「非常に中国的な」人物と評している。言いえて妙だろう。
言うまでもないが、そんな人が国政の中心にいてはいけない。
だがそんな人物だからこそ、アクが強く、存在感は強烈なのだ。


西太后が行なったいくつかの政治手法は、現代の中国でも使われる面があり、そこから中国という国家が透けて見えるという点もおもしろい。
政敵や有能な部下をいかに追放し、利用するか。権力争いをどのように利用するか。
西太后はその辺りを吟味して、政治運営を行なっていたらしい。
そしてそれは半世紀後に、毛沢東も用いた手法だという点が感心させられる。
西太后という存在がある意味中国的と言える、それは所以かもしれない。

また清という国家体制を維持したまま、西洋の文化だけを吸収しようとする、中体西用の方針に対する指摘もまた刺激的だ。
清においては、そこからシステムの矛盾点が浮き彫りになった。
それは中国共産党が統治する現代においても、何かと共通項を見出せるだろう。
また反日の原点などが西太后の時代に生まれたという事実は、ずいぶん示唆的な意味合いを持っているように僕には見えた。


ともあれ、一皇后の伝記としても充分におもしろいと同時に、社会学的な視点からも興味深い一冊となっている。
知的好奇心を満たしてくれる、非常に刺激的な作品だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『あの戦争になぜ負けたのか』 半藤一利・保阪正康・中西輝政・戸高一成・福田和也・加藤陽子

2009-08-18 20:22:43 | 本(人文系)

「対米戦争の目的は何だったのか」、「陸軍エリートはどこで間違えた」等、戦後六十余年、「あの戦争」に改めて向き合った六人の論客が、参戦から敗戦までの疑問を徹底的に掘り下げる。
「文藝春秋」読者賞受賞。
出版社:文藝春秋(文春新書)



歴史上のある事件なり物事において、それが起こったという事実は常に唯一だが、その事実の解釈はときとして複数になる。
歴史に限ったことではないけれど、事実は見方ひとつで、どうにでも変わるものだ。

そういう考えの人なので、これまで僕はなるべく近現代史は避けて通ってきた。
その時代を扱うとき、どうしてもそこにイデオロギーのフィルターが入りがちになる。そういう気がするからだ。
素人の僕には、何が正しく、何がイデオロギーという主観を通して語られたことか、判断がつかない。


というわけで、近現代史に対し、無知な状態で読んだ本書なのだが、イデオロギー的な側面が少ないので、安心して読める。
何より初めて知るものも多く、非常に勉強になるのも、良い点であった。

特に台湾沖航空戦の話などは、知らないことも多いため、いろいろ考えながら読んでしまった。
その内容を読んでいると、当時の軍人はなぜ情報をもっと精査して扱おうとはしなかったのか、疑問になる。
もちろんその当時にだって、上がってくる戦果を疑問に思っている人間だっていた。けれど、それらがあっさり無視され、結果的にはその後、大きな被害を生んでしまっている。
なぜこんな事態に陥らなければいけなかったのか、疑問を持たずにいられない。


基本的に、多くの人間が自分にとって都合の悪いものを見ようとしなかったことが大きいのだろう、とこの本を読むと思ってしまう。
その過信がどこから来るのか、僕にはふしぎに思う。

だがそれは、国家戦略のないまま、戦争に突き進んでいき、身の丈に合った行動を取れなかった、当時の歴史的事実と根っこは同じなのだろう。
欲であり、見栄であり、馴れ合いであり、ちっぽけな人間関係なりが生み出す競争であり、それらがもたらす思考停止なのかもしれないし、相手の立場を慮るあまり、大事なことが言い出せない雰囲気にある、という気もする。
そんな仕様もないくらいに、ちっぽけな感情の積み重ねが、巨視的で冷静な判断を停止させたのかもしれないな、と思ってしまう。もちろんもっと複合的な意味合いもありそうではあるが。

だがそれは何も軍人だけでないという点も重要なのだ。
少なくとも戦争も致し方なしという空気が、どこかの段階から決定的なものになってしまったのだが、少なくともそれを世論、つまりは大衆も後押ししていたのだ。
そういう意味、軍人はもちろんだが、大衆にも一定の責任はあるだろう。

基本、僕はハト派なので、暴力的な行動でことを解決しようという姿勢は、断固として拒否してしかるべき、と思っている。
だがどんなに良心的な反論しようとも、それに屈するしかない雰囲気が生まれることもあるらしい。

何かそう考えると悲しいことだな、と思えてならない。
そういう風に考えるなら、日本が戦争を起こしたのは、結論的には必然としか言いようがなくなってしまうからだ。そして本書を読む限り、それはある意味ではその通りなのかもしれない、と思えてくる。


戦争から学ぶべき点は多い。
戦争を起こしたのは人間である。人間が犯したことならば、現代の人間だって犯す可能性はある。
戦争を起こさないまでも、当時と似たような行動を取ることだって、ないわけではない。

人間は、根本的な部分では進歩しない生き物だ。愚かしいことではあるけれど、ときに過去に犯した過ちと、同じ過ちをくり返す。
けど、少なくとも人間は学ぶことができるし、学ばなければならないんだとは思う。歴史はそういう場合、格好の教科書なのだろう。
ありきたりだがそんなことを本書を読み終えた後に、思った次第だ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの著者作品感想
・保阪正康作品感想
 『あの戦争は何だったのか』

『創価学会の研究』 玉野和志

2009-08-17 20:36:09 | 本(人文系)

なぜ日本社会は学会を嫌うのか。勤行、教学、折伏、財務―学会員の日常とは。保守化、巨大化した組織のゆくえは。社会学者が知られざる実像に迫る。批判でも賞賛でもないはじめての学会論。
出版社:講談社(講談社現代新書)



時期的な関係もあってか、先日高校時代の知人から、今度の選挙では公明党をよろしく、って感じの電話がかかってきた。
うん、わかったよ、とか適当なことを言って、僕は電話を切るわけだが、電話を切った後で、僕はふと疑問に思ってしまう。
彼らがそんな風に手間暇をかけて、周囲の人間に電話をかけるモチベーションは何に由来するのだろうか。そのような行動を取る推進力とはどこにあるのだろうか。そういう疑問である。
その理由が本当に僕にはよくわからない。


私的な話をしたついでに、もう少しどうでもいい話を続ける。
僕が幼稚園か、小学校の低学年の頃である。
ある日、僕たちが外で遊んでいると、近所のおばさんから、映画を見せてあげるから家に来なさい、と声をかけられたことがある。
別にその人は知らない人でもないし、そのとき一緒に友だちも数人いたという心強さもあってか、僕らは一緒に連れ立ってそのおばさんの家に入り、ビデオを見せてもらうことになった。
見せられたビデオは2本あった。
最初に見せられたのは、初めて見るアニメ作品だった。内容はアフリカに一人取り残された日本人の少年がたくましく生きていくという話で、それなりにはおもしろかったことは覚えている。
そしてその作品が終わった後、続けて2本目も見せられた。
その内容はぼんやりとしか覚えていないが、少なくともつまらなかったようには記憶している。実際、ある友だちなどは集中力が切れたのか、その間、部屋の中をずっとうろうろしていた。
多分つまらなかったのは、そのビデオが、子どもにとって興味を惹きつけられるようなものでなかったことが大きい、と思う。
そのビデオの内容こそ、記憶があいまいになっているのだが、創価学会のビデオだったと多分思われるのである。

なぜその近所のおばさんは、僕ら子どもたちにそんなビデオを見せたのだろうか。
最近そんなことを考えるようになってきた。冷静にいろいろとふり返ってみるのだが、その行動理由が僕にはよくわからない。
ガキにそんなものを見せたところで、僕らが創価学会のことを理解し、感銘を受けるわけはない。それは冷静に考えれば、すぐわかることだ。
そんなものを見せられたところで、ガキにはそれをどう受け止めていいのかの判断能力などない。
子どもからすれば単純に退屈なだけでしかないのだ。

では近所のおばさんはそのことに気づかなかったというのだろうか。一体、彼女は何の意味と思惑があって、そんなことを行なったのだろう。

もちろん、それを宗教という一語で片付けるのは容易だろう。
だが、それだけで終わらせるのも、何かがちがうような気もする。


本書はそんな僕の疑問を多少なりとも、解いてくれたような気がする。
知人や近所のおばさんが、創価学会や公明党のために動く推進力、それは教義的な意味合いで見るなら、折伏という信者獲得を行なうという信教実践によるところが大きいらしい。

だが、それだけで片付けられる問題でもないと、1章での信者のプロフィールを読んで思えてきた。
多分、知人や近所のおばさんの行動の出発点は、宗教的意味合いよりも、むしろ善意にある。
本書を読み、彼らの人間性を考え合わせ、それでまちがいないように思えてきた。

その是非に関して、僕は触れない。
だが、彼らが電話で公明党の支持を頼んだり、ガキには理解できないような、創価学会のビデオを見せたモチベーションは、ずいぶんシンプルなものであるらしい、と本書を読んで気づかされた。
それがわかって、個人的にはちょっと感慨深い。


しかし本書を読んでいると、創価学会に関して、自分の知識がほとんどないに等しいということがわかってくる。
創価学会の実利主義的な教義内容や、信者としてのつとめの内容といったシステム的な点は本当に何も知らなかったし、勤行や座談会が信者の心を安らかにするというプロセス、共同体意識が生まれる様、どのような階層の人間に創価学会が受け入れられているのかという点、公明党という政教分離がとかく言及されやすい政党を学会員がどう認識しているかなど、といった信者の心理的な要素も、考えたことはなかった。
どれも初めて知ることばかりなせいか、非常におもしろく、勉強にもなる。

著者は、基本的には創価学会に対してシンパシーを持っているように見える。
帯には「批判でも賞賛でもないはじめての学会論」と書かれているが、そうとは思えない。
だが下手に批判的に書かれるよりも、多少好意的に書かれている方が、自分でその内容を判断するにはちょうどいいし、僕には合っている。
自分の感性と創価学会の論理とで、何に共感でき、何に反発心を覚えるのか、好意的な叙述の方が、より見極めがつけやすい。


ともあれ、創価学会という存在を知る上では、本書は初心者にはうってつけの内容なのかもしれない。
本書の数字を見る限り、創価学会の会員数は日本の人口の一割近くはいる。
そういった普通に周りにいる人のことを知るには、いいきっかけとなる著作だ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『般若心経・金剛般若経』

2009-07-17 21:34:20 | 本(人文系)

日本における仏教のほとんどは大乗仏教であり,「般若心経」はその根本思想である空の理法を説いたもの。また「金剛般若経」は古来より広く読誦されてきた大般若経典のなかの代表的な教典である。本書は玄奘の漢訳とその読み下し文およびサンスクリット原典からの現代語訳を対象させて収め,一般読者の便をはかった。
中村元、紀野一義訳註
出版社:岩波書店(岩波文庫)



僕は基本的に無宗教である。
とは言え、正月や盆には神社や寺に行くので、正確に言うとちょっと違うのだが、少なくとも、どこかの宗教に帰属しているという意識はない。

そういう人間なので、無知丸出しで書くわけだけど、この『般若心経』と『金剛般若経』という経典、僕にはただの屁理屈にしか見えなかったのである。


二つの経典は、共に空の理論を説明することを目的としている。
むちゃくちゃ、ざっくりとした印象で言うなら、この二つの経典は、世に存在するすべての事象や事物の意味を、剥ぎ取ることに専心している、という風に僕には見えた。

論法としては、世の中のすべてのできごとは移ろうものであり、固定した意味を与えることはできない。
→だから、それらを執着するに当たらない。
→執着しなくてよいから、人の心からある種の重みを取り除くことができる。
そんなところかなと、(かなり乱暴な要約だが)僕は判断した。概ねまちがいだろうけれど。


その思想自体は、発想としてはおもしろい。少なくとも西洋合理主義からは決して生まれえない発想で新鮮だ。
だけど、それはかなり抽象的で、いささか詭弁じみている。
細かくは書かないが、いくつかの点でその論理は、言葉を弄んだただの言語ゲームとしか、僕には見えなかった。
もっとつっこんで言うなら、この二つの経典は、抽象的な論理を突き詰めすぎているのである。
論理の基盤が抽象的すぎるために、論理破綻ギリギリまでいっている。そう思えてならない。


だけど『般若心経』や、『金剛般若経』の思想は、決して嫌いではない。
なぜならこの経典を読んで、僕はこの経典を書こうとした人の思いのようなものが、見えた気がしたからだ。

僕は思うのだけど、これらの経典を最初に書いた人(たち)は、かなりまっすぐで、天才で、だけど相当頭のおかしな人(たち)だったのだなと思えてならない。

特に金剛般若経はその印象が強い。
個人的には「求道者・すぐれた人々は、跡をのこしたいという思いにとらわれないようにして施しをしなければならない」のところに、この経典を書いた人の想いを見る思いがした。
それは一般論的な教訓がましいものとはちょっと違う。どちらかと言うと自己目標に近いように見えなくはない。

宗教は他人に、一つの考えを押し付けるもの。それが僕の宗教に対する偏見だ。
それだけに、そこにはある種、ストイックな姿勢が見出せ、個人的な心象はいい。


だが当たり前だけど、完全にそのような境地に至れる人間なんているはずがないのである。
どんな人間でも、我を持つということから逃れることなんてできない。っつうか、できてたまるかって思ってしまう。
それは努力目標としては美しいだろう。しかし実現可能な目標じゃないのだ。

だが、その美しい境地を追求しようとした人間がいたのだろうなと、この経典を読むと思って(あるいは妄想して)しまう。
そしてその境地に達するするため、その人たちは、こんな抽象的な論理を積み重ね、自分の考えを補強したのかもしれない。そしてその考えを基にして、他人を、そしてそれを自分自身をも救おうとしたのかもしれない。
僕個人はその考えに賛同しきれないのだけど、そう考えると、この思想はとてつもなく美しいものに見えてしまう。

そして本書はその美しい理想ゆえに、ある種の輝きを放っている、と思うのだ。
その読み方は多分に思い込みと勘違いと独りよがりが強いとは思うけれど、それがこの本に関する、僕個人の率直な感想である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『図解雑学 仏教』 廣澤隆之

2009-06-12 22:37:23 | 本(人文系)

「仏教」について、創始者であるブッダの生涯とその思想、仏教教団の展開、大乗仏教の歴史と思想の他、日本にどのように浸透していったか等を、コンパクトにまとめる。
出版社:ナツメ社


『聖☆おにいさん』というマンガが好きなのだが、それを読んでいるとき、仏教のことってよく知らないよな、と思ったのがこの本を読み始めたきっかけである。
きわめてミーハーなわけだが、本書はそんなミーハー初心者の僕にもわかりやすいように書かれている。

本書は、仏教の基本的な思想を体系的に説明してくれている。また難解な仏教の論理が、地方の文化を吸収し、大衆にも理解しやすいよう、いかに変容していったかという、歴史的な流れも丁寧に説明されている。
そういった仏教のさわりを知る程度なら、本書は充分役割を果してくれるだろう。
そのわかりやすさこそが、このシリーズのいいところだ。ありがたいことである。


ところで、本書を読んでいて、哲学と宗教というものは相通じるものがあると僕は感じた。
二つの共通項とは、この世界をいかに解釈するかという点に尽きるだろう。
この世界はたった一つだが、それをどう捉え、定義化するかは、多義的なものでしかない。
そして、多義的なこの世界を一つの形に定義化し、生きていくための指針を与えるものが宗教なのだろう、という風に僕は思った。非常にどうでもいいことだけど。

だが実際ここに紹介されている、釈尊の生涯やその思想、大乗仏教の思想などは、どれも哲学的な要素に満ちている。
有名な言葉で言うなら、四苦八苦や業、縁起、煩悩、方便、三昧などは世界をいかに解釈するかというのが、思考の根本に据えられているように思う。そういう意味、仏教というものは結構論理的なのだろう。


個人的には龍樹の思想がもっともおもしろかった。
ここでざっくりと紹介されている彼の思想は、はっきり言って、ただの言語ゲームにしか見えない。
ある意味、ヴィトゲンシュタイン的だが、龍樹の場合は「戯論」という単語を用いて、言葉の意味を剥ぎ取ることに主点を置いているように見える。その辺が個人的にはおもしろい。

そんな戯論を生み出す心を、アーラヤ識という解釈方法で捉えるところも、またおもしろく映った。三島の『暁の寺』にいろいろ書いてあったと思うが、きれいさっぱり忘れていたので、こういう風に再勉強できるのはうれしい。
そのアーラヤ識で、個人的におもしろいと思ったところは二点ある。
一つは種子という発想を用いて、心、あるいは自我というものの唯一性を否定しているところ。もう一つはそのアーラヤ識を認識するのが心であるというところに矛盾が生じ、自家撞着に陥っているところだ。
その発想法や矛盾がおもしろく、もう少し深くその内容についてつっこんで考えたい気持ちも湧いてきた。実際にちゃんと調べるかはともかく、そう思わせるきっかけをつくってくれるのはありがたい。


ともかくいろいろと刺激に富んだ内容である。
身近な存在である仏教を軽く理解したい程度なら、これで充分だろう。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


そのほかの図解雑学シリーズ
 『図解雑学 現代思想』小阪修平
 『図解雑学 重力と一般相対性理論』二間瀬敏史
 『図解雑学 心の病と精神医学』影山任佐

『あの戦争は何だったのか 大人のための歴史教科書』 保阪正康

2009-06-04 21:19:26 | 本(人文系)

戦後六十年の間、太平洋戦争は様々に語られ、記されてきた。だが、本当にその全体像を明確に捉えたものがあったといえるだろうか――。旧日本軍の構造から説き起こし、どうして戦争を始めなければならなかったのか、引き起こした“真の黒幕”とは誰だったのか、なぜ無謀な戦いを続けざるをえなかったのか、その実態を炙り出す。単純な善悪二元論を排し、「あの戦争」を歴史の中に位置づける唯一無二の試み。
出版社:新潮社(新潮新書)



一つのできごとにおいて、それが起こったという事実は唯一だが、その事実の解釈はときに複数となる。
歴史は、特にそれが顕著だ。たとえば近現代史など、イデオロギーというフィルターのために、資料の捉え方、意図しない誤読等から、複数の説が生まれがちである。
数十万人逆説説から、虐殺否定説まである、南京事件など、わかりやすい例ではないか。


何でこんな抽象的なことを最初に書いたかと言うと、『ゴーマニズム宣言』で、この本が否定されていたことを、読み終わった後で思い出したからである。
そこで、どのような批判がされていたかをざっくり語るなら、著者はちゃんと資料が読めていない、反日本軍、新米という視点で書かれた、教養コンプレックスの大衆向けに書かれた本でしかない、っていったところか。

『SAPIO』でそのときの章を読んだとき、僕は実物を読んでいなかった。
なので、ああ、資料がちゃんと調べずに書いている人もいるな、としか思わなかった。
だが、実物の本書を読んでみると、何が資料を精査していないゆえの意見なのか、資料の捉え方が異なるがゆえの意見なのか、素人ではまったくわからない。

確かに著者は、東條と軍部を嫌っていて、少し思考が偏っているよな、と思う場面はあった。原爆はある意味仕方ないと語る部分は、そんなこと言って大丈夫か、とも思った。
だがどんな作品でも、一つ以上は何かしら違和感があるので、そういうものは読んでも、流してしまう。
そういった違和感は、実は資料が読めていないからですよ、と言われたら、素人の僕はどうしていいのかわからない。
どんな批判精神があっても、知識がなければ、書いてある内容を受け入れるしかないという限界がある。


この本を読んだ後、『ゴーマニズム宣言』を読み返した。いくつかの否定的な意見は小林の言う通りである。
だが『ゴー宣』の意見にもいくらかの疑問がないわけではない。

少なくとも、僕は日本軍のメカニズムにいくらかの問題があったこと自体は事実だと思う。対処療法的に軍部が行動を起こしていたとも思う。
軍部憎しの視点がそこにあるかもしれないが、いくつかはそうとしか見えないこともまた事実ではないか。
また、なぜ戦争の終着点を決めていなかったのかという問題点を照射している点も、僕は正しいと個人的には思っている。

それを蛸壺史観というなら、それはその通りだろう。そこは否定しない。
しかし蛸壺の中でしか見えない風景も、僕はあると思う。
以上の点により、僕は全面的ではないが、この本を評価する次第だ。


それにこれは個人的に、一番大事なことなのだが、はっきり言って、内容が読んでいておもしろいのだ。
本書はリーダビリティに優れ、著者なりの歴史感をわかりやすく解説しており、読ませる力がある。
意見の合う、合わないはあるかもしれないが、そのおもしろさは充分評価に値する。
大体、『ゴーマニズム宣言』だって、合わない部分も多いけれど、合う部分もあるし、何よりおもしろいから、僕は読むし、すなおに評価するのだ。

だが、近現代史でそういう意見を言ってはいけない雰囲気があるように見える。
近現代史は、正しいとか、正しくないとか、自虐だとか、自慰史観とか、いろんな意見が出すぎている。
それは何か窮屈で、正直鬱陶しい。

いろんな意見がある。何を信じればさっぱりわからないけれど、とりあえず戦争時の日本は良い側面も、悪い側面もあり、いろんな人のいろんな意見があった。そして戦争は基本的に悪である。
そこを押さえた上で、どれどれの本はおもしろかったで終わらせてはダメなのだろうか。


とりあえず僕はこの本を読んで、もう少し近現代史を勉強したいな、と思った。
そう本書は思わせる力がある。そしてその本の持つ力を僕は賞賛するのである。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『新版 28歳からのリアル』 人生戦略会議

2008-12-26 21:35:14 | 本(人文系)

仕事、転職、お金、結婚、住まい、このままでいいのか? 10万部突破のベストセラー「28歳からのリアル」を数値・統計・固有名などを最新化し、新しい法律・制度にのっとって全面改訂しさらにリアルに。
出版社:WAVE出版


僕は28歳から2年を過ぎた30歳で、地に足のついていないふわふわした性格である。
そういう僕だからゆえか、ここに出てくる内容には示唆に富むものが多く、楽しく読むことができる。
その理由は28歳以降の人生に対して、数値を示し、リアリズムの視点で語っていることにあるだろう。

僕が判断する限り、本書の基調となっているのは、物事をリアルに考えろということだと思う。
たとえば仕事に関する話でいうなら、先々のことを金銭などを含めて考えるということを勧めている。親に関する項目でも、親が死んだとき、ぼけたときのこともしっかり認識し見据えて覚悟もしておけ、という姿勢でつづられている。
そこにあるのは紛れもないリアルであり、何の逃げもない点が好ましい。

まあはっきり言えば、ここに書かれていることはすでにわかりきったことではある。実際僕もわかってやっている部分もあり、無意識にやっている部分もある。
だが保険などのリアルな制度に関する知識はあまりないので、読んでいても参考になるし、わかっていることでも、改めて他人に指摘されることで、いろいろ再認識できるのはありがたい。

ただ本書はいくつかの部分では、肌に合わない部分もないわけではなかった。
たとえばお金の項目では投資の話が引っかかってしまう。いまの株価暴落の時期にこの項目を読んで、どれだけの人が共感するのだろうか。
また趣味の部分もゴルフや車をもつこと、こだわりの一品もつことという面も押しつけがましくてどうも鼻につく(ブランドものも、車も持っているとはいえ)。

しかしこういう自己啓発ものは読み慣れていないので、よくわからないのだが、この手の本を読む人は、本を読んで考え方を変えたりするのだろうか。株に投資したり、車を持ったりするのだろうか?

僕個人で言えば、考え方を再確認しただけで、この本を読んだからと言って、何かをどうこうしようというつもりにはなれない。彼女はいないが、馴れ合いが嫌いなため、彼女をつくるべくネットでどうこうしようという意志はない。

だがここで示されたリアルに考えるという方法論は興味深いことは確かだ。
それをどう使うかは結局のところ、人それぞれということなのだろう。

評価:★★★(満点は★★★★★)