ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

「大宇宙、大自然の法則」は、「神の法」であると見極める

2016-07-28 18:37:42 | 知恵の情報
神の法とは、万物を一つに統一して秩序立てている宇宙の法則、宇宙の構成、宇宙
の仕組み─どのようにして宇宙は生成し、発達し、その構成員である約一千億の一千
億倍の星々が(恒星、惑星、衛星など)互いに関連し合って年輪を経ていって、その
中に恵まれた惑星が微生物を誕生させ、それを恒星の光と熱エネルギ-によって
育成し、植物、動物、人類へと進化させる─その大宇宙、大自然の法則─これが
唯一絶対無二の変化しつつ、恒常的であって、つまり形は変わるが、絶対的
存在は変わらない不変のもの─を指すのです。

この(法則を人間世界での)法(ととらえること)によりありとあらゆる現象、物質
および存在は、その意義と役割を説明し得るのです。他にはありません。

その「法」を現代科学や、天文学その他あらゆる学問探究の分野で、一つ一つ
解明していっているのです。

学者は、「神の法」と「自然法則」がつながらない、─科学は、物質の解明、物質
文明を促進するもの。宗教は魂と心の解明に終始するもの─何か別の分野であると
理解されているようですが、そうではありません。
これは、人間が感情と理性を持つ一つの人格であるように、宇宙という大きな
存在のなかに感情が宗教としていままでの歴史を持ち、理性が科学史として代表
されている、一つの大きな存在の解釈が二様に(科学、宗教)分かれていたに
過ぎないのです。
(一部、文を解釈変更あり、歴史的概観など詳しくは本書を参照・・・)
─『天国の証』千乃裕子編著 たま出版より

注:法=(律)法(守らなければならないこと、さだめ)の意味を含んでいる。
  自然界の法則を無視して人間は生きられない、それが道徳的な生き方の
  認識から(律)法ととらえることになる。

このシリーズ本が出ることにより、{高橋信次~千乃裕子}の内容の流れによって、
歴史的に宗教から科学へ自己の認識が変化してきている様子が理解できた。
宗教は、ローカルであり、流派がたくさんできてきて、その教えも人が変わる
たびに変化してきた。17、18、19世紀の科学者たちは、神の存在の証明の
ために科学的思考をし、証明を行ってきた。
その科学を宗教家は、忌み嫌ったが、少しづつ、年月を重ね客観的にとらえる
意識が広がり、今日まできている。世界に先駆けて、日本で、宗教と科学の
一致を、アプローチは違うが本質は同じものをとらえていたのだという公表は、
非常に興味深いものだ。多くの科学者が「大宇宙、大自然の法則」に尊厳を見出し、
驕らない、正しい認識の発言が出てくることを望んでいる・・・

最新の画像もっと見る

コメントを投稿