ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

人間が自分自身について無知であるというのは──アレキシス・カレル

2016-07-27 16:40:58 | 知恵の情報
人間が自分自身について無知であるというのは、奇妙な性質である。それは、必要な
情報を得るのが難しいとか、情報が不正確だとか少ないとかいうことで起こったのでは
ない。それどころか反対に、長い年月をかけて人間が蓄積したデ-タが、あまりにも
豊富で乱雑なためである。

また、科学が、人間の肉体と意識を研究しようと努力するあまり、人間をほとんど
無数の部分に分けてしまったことにもよる。この知識は大部分利用されていない。
実際のところ、およそ使い物にならないのである。

─『人間この未知なるもの』渡部昇一訳 三笠文庫


{谷沢永一}
文明がこれほどまで飛躍的に発達しても、ただひとつまったく置き去りにされている
課題がある。ほかのあらゆる考え事とは比較にできない、最も重要な探究目標で
あるにもかかわらず、これだけは手もつけられず等閑にされている。すなわち、
人間性とは、何ぞや、という問題である。

いや、そのために文藝や哲学やのかたちをとって、それを究めようという努力が
なされたではないか、と答える人が少なくはなかろう。しかし、世界のあらゆる
地方で生み出された文化によって、人間性はより良い方向へ進んだであろうか。
サマセット・モームは『昔も今も』(サマセット・モーム全集13巻・新潮社)の
冒頭に、「変われば変わるほどますます同じだ」という箴言を掲げている。

人間性とは何か、それを教えてくれる文献はない。こればかりは、誰もが体験に
よって一から勉強するしか方法は、見当たらぬようである。

─『古典の知恵 生き方の知恵』古今東西の珠玉のことば2 
  谷沢永一著 PHP研究所より

人間性は、人間の本性のことだと思うがそうなると、文学や哲学だけではだめ
な時代になっていると思う。19世紀に出てきた進化論や、その後の心理学など
客観的であろうとする見方をより使っていかなければ本性は、見えてこないだ
ろうと思う。それにカントのときに霊的世界と、見える現世の世界を切り離して
哲学してしまった。霊的世界をカントは認めていたが考える範囲の外において
しまった。そのためにその後の思想家などは、分けてしまい、霊的世界を
忌み嫌うようになったと思う。現実には、霊をみたり、臨死体験など、まわりに
いろいろなデータがあるにもかかわらず研究しないようになってきた。
最近では、見直されたり、トランスパーソナル心理学など、霊的な部分を
研究されてもいるようだが。今後は、積極的に霊的世界も研究されなければ
ならない。それは、分析的でない科学の研究が期待される。ただし、心をもった
、徳のある人が研究しなくてはいけない。

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