PSW研究室

専門職大学院の教員をしてる精神保健福祉士のブログ

退院支援に向けての胎動

2009年09月05日 03時10分19秒 | 精神保健福祉情報
今日は午後、多摩小平保健所に行って来ました。
「退院支援セミナー'09」に参加してきました。

テーマは「医療が支え地域がむすぶ~その人らしく地域で安心して暮らしていくために」。
主催は、北多摩北部退院支援事業委員会です。

この委員会は、東京都北多摩北部の5市にある、地域生活支援センターが協働して行っているものです。
小平市・あさやけ、東村山市・ふれあいの郷、清瀬市・どんぐり、東久留米市・めるくまーる、西東京市・ハーモニーの5カ所です。
東京都から退院促進支援事業の打診があった際に、1カ所で受託するのではなく、「事業委員会」として受ける事にしたそうです。
エリア内に10カ所の精神科病院がありますが、隣接する5市の機関で、連携しながら退院支援を行っていこうとするものです。
こういう形態も、全国的には珍しいのではないでしょうか?

立ち上げた初年度は、病院との連携の形成を模索する中で、わずか1例の退院で終わったそうですが、
2年目の今年度は、協力病院から順次事例も挙がってきて、少しずつ成果を上げてきています。



今回のセミナーでは、ふたつのレポートがありました。

ひとつは、「病院からの卒業~松見病院での退院支援事例を通して」。
ひとりの男性の事例(50歳)について、関わってきた4人の報告がありました。
小平市にある松見病院から、副看護部長の實籐さんとPSWの古川さん、あさやけの花形さんと、ふれあいの郷の矢野さんです。
パワポの資料も良くまとめられており、4人の女性が一体化して自然に話していたのが、とても印象的でした。

事例の男性は、21年間幻聴に従い、この8年間、病棟内でいつも日中布団をかぶっていて、人との接触がまったく無かったそうです。
当初は、退院支援を病棟で進めても、逆に病状悪化を来たし、支援は4ヶ月で中断されたとのこと。
スタッフが調整を先行してしまい、本人の気持ちの変化、不安を受け止め切れていなかったという反省が残ったそうです。
仕切り直しの退院支援が、地道に粘り強く開始されました。
病棟内カンファレンスに地域のスタッフが参加したり、病棟スタッフが積極的に話しかけて関係を構築したり、医師は新薬の調整をしたり。
「退院」を禁句にして、「ひとり暮らし」のイメージ作りを、繰り返し外出したり、色々なツールを使いながら行ったり。
病院と地域が、進捗情報とスケジュール、見立てを共有するために密にコミュニケーションを図ったり。
ひとりの男性の8年ぶりの退院に向けて、スタッフたちが本当に手を携えて支援を組んできた様子が、よく伝わる報告でした。

最後に、退院日に撮ったという、ご本人とスタッフたちの記念写真が写されました。
ご本人のメッセージが読み上げられました。
「支援センターの方たちの手助けで、退院することができました。
今は、夜更かししてしまったり、何もすることなかったり、寂しいこともあります。
でも、今、誰にも拘束されることのない自由な生活は、とても楽しいです。
今後は、昼間どう過ごすか、考えたいと思います」と。

質疑応答では、
病院側と地域生活支援センターの連携の工夫や、病院からだけでなく地域から歩み寄ってくれることで、本人も安心感を得られること。
病院看護師からすると、外部の人が入ってきて初めてのカンファレンス体験の新鮮さや、地域スタッフとの関わりで看護スタッフの関わりが展開しだしたこと。
見立ての統一がとても重要で、病棟スタッフと地域スタッフが共同歩調を取り、外出の実体験を通して本人が変わっていったこと、
などが話されました。

参加していたある患者さんは、
「自分が退院してから10年たって、今はこんなに違うのかとビックリした。
自分が退院する時には、病院スタッフも誰も助けてくれなかった。
こんなに様々なスタッフが、細やかに関わってくれるのかと感動した。
今後、できることがあれば、この事業に協力していきたい」
と話していました。



もうひとつの報告は、「清瀬富士見病院における院内プログラム「座談会」の紹介」でした。
清瀬富士見病院のPSW長谷川さん、清瀬市生活支援センターどんぐりの湊さんの報告です。

清瀬富士見病院は、精神科単科全閉鎖病棟120床の病院です。
平均年齢は66歳、60歳以上が75%、平均在院期間2697日の病院です。
認知症症状のある方が7割を占め、病棟看護スタッフは日々その対応に追われているそうです。
この病院で、地域生活支援センターの利用者を招いて、入院患者との「座談会」を開催するまでの準備や、開催してからの変化が報告されました。

第1回「地域で暮らして良かったこと」
第2回「薬を飲みながらアパートやGHで暮らすこと」
第3回「地域で暮らしている人の日中の過ごし方」
第4回「退院するまでの準備について」…。

当初「退院」という言葉がタブーであったそうですが、自然に退院も話題になるようになったこと。
直接参加しなかった看護スタッフ全体にも、座談会の内容や様子がすぐに伝わり、意識が共有されていったこと。
全然退院機運のなかった病院で、「退院できるんだ」という刺激になって、大きく雰囲気が変わってきたこと。
PSWは、この1年間60名の家族と連絡をとり、コミュニケーションに努めていること。
地域生活支援センターの状態の安定している利用者が、ピアスタッフという形で、通院同行などの支援を始めていること、などが語られました。

フロアからは、
「7万2千人の退院を国は打ち出したが、まだ緒に就いたばかり。
地域の支援事業所に、病院からの情報は、まったく入ってこない。
ひとつの地域で、お互いが連携をとっていくのは、これからなんだと思う」
という率直な意見もありました。



この記事で、その場での雰囲気が、どれだけ伝わったか心許ないですが。
でも、とても暖かな、ハートフルなセミナーでした。
退院支援事業に関わっている人たちの気持ちが、よく伝わる、いい報告でしたし。
特に、看護職の人たちや当事者の人たちの心に、ヒットする言葉がたくさんありました。
参加した100名弱の人たちも、「変わりつつある」ことを実感したと思います。

もちろん、このエリアの取り組みは、まだまだ始まったばかりで、とても未熟かも知れません。
7万2千人の「退院可能精神障害者」の地域移行に至るには、余りにも遠い現実があるのは確かです。
この事業に対しては、「病院と地域に対する啓発事業の域を出ない」という批判もあります。

それでも、今ここで蓄積されつつある経験は、これから大きな力になるはずです。
退院を果たし、地域で元気になっている人がいるという成功体験は、病院と地域、双方のスタッフの、モチベーションとノウハウとスキルを確実に上げていきます。
問題点をあげつらうのではなく、やれたこと、できたことを確実に積み上げ、伝えていくことが、希望を生んでいくのだと思います。
そういう意味では、精神病院の地域社会参加に向けたリハビリテーションが、ようやく始まったと言えるかも知れません。




※画像は、ご存じ東京都庁ですが、記事本文とは関係ありません。