Life in Japan blog (旧 サッカー評 by ぷりりん)

日本に暮らす昭和生まれの猫ぷりりんの、そこはかとない時事放談と日記です。政治経済から科学、サッカー、手芸まで

イザヤ書14:12の落ちる天体は本当に金星?(ヘレル・ベン・サハル)

2016年03月11日 17時28分45秒 | 神話・伝承・民話

イザヤ書14:12のへレル ベン シャハル(ヘレル・ベン・サハルまたはヘレル・ベン・シャヘル)は本当に金星?

ヘブライ語聖書イザヤ書14:12の「輝かせる夜明けの息子(へレル ベン シャハル)」は本当に明けの明星なのでしょうか。夜明けの女神エーオースEosとケパロスCephalus(人)の息子、シリア生まれの神パエトーン(木星または土星)という説もあります。どちらかだけが地上に沈む夜空であればありふれているのですが、もしかしたら2016年1月9日の金星と土星のように、当時の星空の中で木星と土星のランデブーがあったのでしょうか。

イザヤ書の時代の空

?ルシファーは悪魔??

初期キリスト教の教父達由来と思われるイザヤ書14:12の明けの明星ルシファーは悪魔でもある説は、更に少数派の意見ですが、黙示録22:16にてキリストが自らを明けの明星とよんでいることからキリストは悪魔だという説が立てられているようです。「 聖書と黙示録の明けの明星 」でも触れた様に同一視または誤解と思われるのですが、新バビロニアはユダヤの民にとって敵だったので、バビロニアの没落を表現するイザヤ書の輝かせる夜明けの子(明星と翻訳されたへレル ベン シャハル)へと悪を投影する心の動きは、人間の性質としては理解できます。

?ウガリト神話のバールも悪魔???

金星説の根拠の1つにウガリト神話 のアシュタルと関連させた説があります。

「15-39:エルはアシラに、バアルの代わりに王になれるものを選ぶように命じる。アシラは王としての才覚あるものを選ぼうと提案する。エルはアシラがアシュタルを意図しているのを知ってか知らずか、力の弱いもの、風采のあがらぬものはバアルには太刀打ちできないと言う。しかしアシラはアシュタルを指名する。アシュタルはバアルの王座に座るが、背丈が足りず、自分がバアルの代理としては不適格であると悟る。それでもエルは彼に大地の一部を治めさせる。」 41頁 新風舎 谷川政美 ウガリトの神話バアルの物語 1998年
「ここではウロボロスの両性具有的な前形態が、男性的な暁の明星アシュタルあるいはアッタルと、その女性的な形態である宵の明星、メソポタミアのイシュタルとの組み合わせとして登場する。」 Erich Neumann. (1971). Ursprungsgeschichte des bewusstseins. Walter-Verlag AG Olten. 131頁 エーリッヒ・ノイマン 林道義(訳) 1984年(1989第7刷) 意識の起源史(上) 紀伊國屋書店

ウガリト神話の至高の神エル(i-lu)は女神アシラへ、死の神モートの難から逃れる為に死を偽装したバアル(バアル ハッド(嵐の神))の代わりにアシュタルを王に推薦しますが、アシュタルは地に降ります。アシュタルは金星の神なのでイザヤ書14:12の「天から落ちてしまった」「輝かせる夜明けの息子((へレル ベン シャハル)」は同一視によってアシュタル-明けの明星であり、ウガリト神話は旧約聖書列王記18:20-40他にて聖書の神ヤーウェと対抗する神として書かれたので今も一部で悪い神、デーモンと同一視されているようです。

"バアル"または"バール"はウガリト文学の世界の神一般につけられる尊称でもあるため、今も一部で聖書に出てくる異教徒の神々がみんな悪魔と同一視されていく物語になってしまっているようです。(聖書に出てくるエルまたはイルもそうです。詳しくは前掲「ウガリトの神話バアルの物語」の予備知識を参照)

バアル(またはバール:バアル ハッド(嵐の神))も悪魔と同一視する説がネットにはあふれていますが、乱暴な面を持つものの死の神モートと対峙し、最後は王としての認知をモートからも受ける生命と再生の神というポジティブな性質も兼ね備えた神のようです。

死の神モートを招聘し彼からの敵意を受けたバールはその敵意を畏れ、身代わりをたてて死んだふりをして後に再生しふたたび死の神モートと対峙して自らを王と認めさせますが、その神話はとても興味深い死と再生の神話です。

国家成立の神話とは統治者の信仰が周辺諸民族の神を統合または制圧していく歴史であり、日本の神話において伊勢系の神々が日向から大和へ上陸してそれ以前に大和へ降臨していた神々や出雲系の神々を統べまたは追放していく過程と同じく、聖書の神ヤーウェは国を造っていく途上で他の神を統べていったのですが、その統治者側の神以外の統べられた側の神々を今も悪魔と同一視してその地への政治へ関係するというのは、やや偏狭で、行き過ぎると戦争や際限のない攻撃の肯定を呼び込むような世界観のように感じます。

明けの明星という翻訳で喩えられた「天から落ちてしまった」「もろもろの国を倒した者」「切られて地に倒れてしまった」新バビロニアは被征服者だった聖書を教典とする諸宗教側にとって悪なので、とことん滅ぼして良いのだと現代でもかの地を徹底的に攻撃して良い根拠とする意見まであると聴きますが、バビロン捕囚終了後のアケメネス朝ペルシャに滅亡させられた新バビロニアの跡地にはユダヤの民の子孫も何割かは残りその子孫は今も元新バビロニアの跡地で生きているはずなので、矛盾した恐ろしい考え方だと思います。

悪魔とみなしてみんなで相手を絶対悪と認識して徹底的に攻撃する現象は、とても恐ろしいです。

それではへレル ベン シャハルとはなんだったのか。次の記事で書きます。

紀元前579年11月26日エルサレムの木星と土星

紀元前585年5月28日エルサレムの日蝕