和州独案内あるいは野菜大全

第一回奈良観光ソムリエであり、野菜のソムリエ(笑)でもある者の備忘録のようなもの。文章力をつける為の練習帳に

今市かぶの謎

2009年01月25日 | 野菜大全
 カブには西洋種とアジア種があってそれが本州の関が原、伊吹山辺りで綺麗に分かれると言う話、中尾佐助のカブラインの話は有名です。西日本に多い東洋種はアフガニスタンが原産と考えられてきましたが、原種にあたるものが見つからないそうです。とにかく西洋種とアジア種に別れることはどうも確からしく、その両方が別々に日本列島に伝播して、世界で最も多様に進化、分化したのです。そこで新たに和種、日本種と言う亜種グループを設けようと、どうもそう言う事らしい。
 
 東日本に多い西洋種は、ヨーロッパ辺りからシベリア経由で日本に渡ってきたのではと言われています。その代表、金町小カブは現在流通している多くのF1品種の母本として有名です。また、赤カブは世界的にも珍しく、東日本から西日本まで点在して分布しています。山形の温海カブの様に焼き畑農業と密接に関係した品種もあり、縄文時代まで遡るのでは?と想像してしまいます。十七世紀の記録に既に現れており、実際は更に遡れるのでしょう。縄文時代もあながち空想ではないように思えるのですが。それにしても、本当に温海カブは畑を焼いて蒔いたほうが、耕起した畑で蒔いたものより美味しいのでしょうか?一度比較試験をしてみたいものです。
 
 東洋種の代表は大阪の天王寺カブらしい。東洋種は中国にもあるので日本とを繋ぐ糸が遣唐使ならば鴻ロ館の置かれた上町台地はドンピシャなのですが、流石に強引すぎますか、いやもっと古いのかもしれません。
 しかしどうしてこの日本においてこれほど多様な在来種が出来たのか理由はよくわかりませんが、大根同様に土の性質の違いがカブの性質を変えるのは確かなようです。ただそれだけではなく、生物として常に遺伝子レベルの変化は起きているのは当り前のことです。
 かつて自家採取が基本だった時代には、固定種といえども種の更新に伴って性質の違いが出て当然ですし、農家も新しい品種の作出に心血を注いだのでしょう。日本人って何かを極めだすと変態的に能力を発揮させるんですよねえ。恐らく無数の多様性を見せたカブですが名前が通るには、それなりの特徴(見た目や味の)が無いものは必然淘汰されてきたはずで、80年代の調査では78種の在来種が報告されています。
 じゃあ今はというと、F1種の登場で農家と採種は完全に切り離されてしまいました。それが悪いこととは勿論言いません。千粒万粒蒔いても性質にブレが無いことはもはや当然のこととして農業しているのですから。
 
 今市カブはやはり天王寺カブから派生したのでしょうか、それとも聖護院カブでしょうか。聖護院カブは近江カブを京都聖護院の篤農家伊勢屋利八が持ち帰り、改良したものだといいます。近江カブは新潟にも渡り寄居カブに改良されるなど非常に名前が通っていたカブですが廃絶した模様です。今市カブは寄居カブに近いそうですから、近江カブから変化したものと言うのが妥当なのかも知れません。
 今市は帯解寺の辺り、奈良町を南に下った上街道沿いにある集落で、京などから三輪や初瀬詣、伊勢参りの人々で通りは賑わったことでしょう。北にある古市に対し出来た新しい市だから今市というのか、そこに集まる商人か旅人がもたらしたカブの種を蒔いてみると、思いのほかこの土地に合い良質のカブが出来たとでも想像しておきましょう。一度この地の人に今市カブについて尋ねてみる必要がありそうです。
 今市の一帯は北を地蔵院川、南を広大寺池に囲まれた高台の西端で見通しの利く要害の地でもあるために、中世において今市城が築かれました。大乗院方の衆徒今市氏は筒井氏の戌亥脇党に属していたが、散在党の刀爾越智氏と結んだ古市氏の攻めを受けて没落してしまいます。その後、越智氏代官の堤氏が入城し、越智氏の国中北部における拠点となりました。しかし、越智・古市の蜜月にも亀裂が入り、やがて筒井氏が優勢になります。大和の中世の平城としては最大規模の遺構らしく、往時が偲ばれる場所です。
 

 以上を受けての今後の栽培方針(笑)
1、温海カブを焼畑の状態と、普通畑の状態で栽培してみて、その味の違いを比較する。
2、天王寺カブと今市カブを栽培して両者の生育状態、味の違いを比較する。
3、今市カブをなるべく多めに栽培する。

 さて本当に出来ることやら。


  

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