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戦国時代の地方史

2014-09-04 13:44:27 | 日記・エッセイ・コラム

 

 戦国時代と言えば、織田信長、豊臣秀吉のような、有名どころがすぐに頭に浮かびます。戦国時代の時代劇も、有名どころが主役であることが普通です。

 

 しかし、戦国時代は、各地に領主がいて、地域を支配していました。横浜市歴史博物館で開催されていた「蒔田の吉良氏」展は、地域の戦国時代の歴史を教えてくれました。

 

 蒔田(まいた)は、横浜市南区にある地名です。吉良氏は、室町幕府の将軍足利氏の一門です。蒔田の吉良氏は、赤穂浪士で有名な吉良氏とは同じ足利一門ですが、別系統になります。

 

 蒔田の吉良氏は、蒔田に城を構えていました。領域は、今の東京にまで及びました。今は豪徳寺という寺になっていますが、蒔田の吉良氏はここを含む一帯に世田谷城を有していました。今回の展覧会では、吉良氏が領民に役を免除したり、課したりすること、家臣とのやりとりが当時の文書によって示されていました。小さな領域内でも、支配、被支配の関係があったこと、家臣団による行政機構があったことがわかります。

 

 戦国時代ですから、他の領主からの侵攻の危険もありました。武田信玄の侵攻に備える文書の紹介もありました。

 

 蒔田の吉良氏は、小田原北条氏とは婚姻関係を結んでいました。小田原北条氏は、吉良氏が足利一門で名家であることを尊重し、吉良氏は強大な北条氏と婚姻関係を結ぶことで安全を図っていました。

 

 吉良氏は、支配領域内に寺を建立し仏教の保護を図っていました。その一つが、世田谷にある満願寺です。この寺は、私にはとても印象深いものがあります。司法試験の口述試験を終えたあと、6科目中2科目を大失敗し、合格できるか否か、毎日不安で悶々としていました。そのころ世田谷にある大学に予備校の講師として講義をしに行っていました。口述試験後に講義に行った帰りに、いつもとは違う道で最寄り駅に向かったときに、ばったり現れたのが満願寺でした。満願成就のご託宣だと自分を納得させました。本当に満願成就し今は吉良氏の支配した横浜で仕事をしています。当時は吉良氏と満願寺の関係は知りませんでしたが、私には実は吉良氏とは縁があったわけです。

 


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