50代娘と90歳父(要介護2)のゆる~い介護生活

今迄は健康情報のブログでしたが、父親の介護のブログになりました。別居で、頑張りすぎない介護をめざしています。

老父の車の運転は悩みの種

2019-01-31 10:42:12 | 日記
86歳父の運転免許をお返しさせたい、というのが今の私の願いです。
でも、これがなかなか難しいんです。
なんたって、片田舎です。
我が家は自転車を処分してしまったので、今は車がないとスーパーには行けないわけです。
(コンビニは歩いて5分ぐらいのところにあります。)
父にとってスーパーでの買い物が唯一の娯楽なんですよね……。
我が家にはお金の余裕なんてないのに、「安かったから」などと言ってどうでもいい物を買ってきます。
しかも家にじっとしていられない性格でもあります。
は~(ためいき)。

本人は、まだまだ大丈夫なつもりなんですよね。
頑固です。精神年齢は小学生みたいなもんですから、私が言えば言うほど、意地になります。
「ご近所の○○さんは免許を返したらしいよ」と言っても、絶対に受け入れないんです。
「大丈夫だ」と。
返上しない理由として、「身分証明書がなくなるから」と言っていたので、私が「返上すると身分証明書になるものをくれるんだってよ」と言ったら、この理由は言わなくなりました。
こうやって、一つ一つ、論破していくしかないみたいです。

運転して事故でも起こしたら大変なので、私は本当はすぐにでも免許を奪ってしまいたいけれど、それをしたら、一気にぼける気がします。
家の中で一日中、ぼーっと居眠りをしながら、テレビを見ることしか、やることがなくなるからです。
車を運転してほしくないけど、生きる楽しみを永久に奪うのも気が引けます……。甘いですかね。

そんなわけで、私は「もうすぐ免許をお返しするんだよ。心の準備をしてね」と日々言い続けています。
そして、今後、もしもおかしな予兆を発見したときは、車を取り上げないと。
そのときはもう、やるしかない!
私にも心の準備が必要です。
その準備として、自転車を買おうかと思っています。
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ADHD的な父が葬儀の前にしたこと

2019-01-30 09:33:14 | 日記
私の父はADHD(注意欠陥・多動性障害)的な傾向が強い人です。
医師による診断を受けたわけではないですが、父は昔からじっとしていることができず、衝動的に行動します。突然、普通の人がしないような変なこと、突拍子もないことをしだすんです。さらに、空気を読むことができず、自分のことしか話さず、他者に興味がないので、友だちと呼べる人がいないのです。
昔から、ちょっと変わった人です。

その父は、母の死でしんみりするどころか、葬儀の日の午前中、母に関するいろいろな書類をひっぱりだしてきて整理を始めていました。
父と娘は葬儀が始まる前の時間に、書類の整理をしていたのです……。ははは。
私はまぁ、そんな父に救われたという面もあると思います。
もしも落ち込まれたら……、私だって泣きたいのに、父を勇気づける余裕なんてありませんからね。

母の死による私のショック状態は、20日間程度続きました。

亡くなったという電話を受け取ってからというもの、私は考えることがたくさんありすぎて、夜は眠れない日々が続きました。
何を食べても太らず、体重が3キロほど落ちました。自然と。
そして、父からは、朝晩電話がかかってきます。
父もじっとしていられなかったでしょう。

このときの私の精神状態は、あやういものでした。
道を歩くと人とすれ違いますよね。
そのたびに、この人もやがて死ぬのか、骨になるのか、と思いながら歩いていました……。

でも、人間は慣れるものですね。
母の死から20日ぐらいたつと、私は、夜はとりあえず寝られるようになりました。
父から朝晩電話がかかってくることもなくなりました。
人と道ですれ違っても、勝手に死を連想しなくなりました。
今、ここです。
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老いるということ

2019-01-29 18:40:06 | 日記
母の死をきっかけに、私は実家に頻繁に帰るようになりました。
そうすると、御線香をあげにご近所の人が訪ねてきてくれるので、ご近所の人とも交流するようになりました。

それでわかったのは、人は誰でも老いるということです。
ご近所には学校の先生だった方もいます。
どんなに優秀な方でも老いていくのだなと、しみじみ思いました。

そのスピードには個人差がありますが、体の面では、反応がにぶくなり、体がうごかしにくくなり、車の運転など、できないことが増えていくのです。
ゆっくりしか歩けなくなりますし、動くとすぐに疲れます。

頭のほうは、難しいことが考えにくくなるのかもしれません。
父は頑固になりました。単純な判断しかできなくて、それに反論されると怒りだします。
「大丈夫だ」と口ではいいますが、大丈夫ではないのです。

でも、みんな年をとります。
何十年後には、私もこうなるのです。
そして、周囲の人を頼って生きていくことになるのでしょう。

だから、とんちんかんなことを言い出す父を責めることはできません。
老いとはこういうものなんだと静かに受け入れるしかないのです。
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母の葬儀にまつわる作業とお金の話

2019-01-29 18:02:22 | 日記
母が亡くなり、いきなり葬儀をすることになりました。
86歳の父は戦力としては心もとないため、私が主力にならざるをえませんでした。
わからないことだらけです。

ネットでいろいろ調べましたが、結局、地域によって風習が違うため、あまり役に立ちませんでした。
あと、ネットの情報は古かったりします。
例えば、私の住む地域では、会葬礼状もお返しも、告別式と葬儀で渡すのです。日を改めて送ることはしません。

一番確実なのは、葬儀屋さんに聞くことです。

葬儀屋さんとは最初に、2時間ぐらいかけて告別式と葬儀の打ち合わせをしました。
どんなお花をかざるか、母に何を着せるか、遺影の額は何色にするのか、通夜ぶるまいの食事はどんなものをだすのか、お返しの品を何にするかなどなど、あとからあとから、決めることがたくさんあって、頭はフル回転し、悲しんでいるひまはありませんでした。
何人ぐらい来てくださるのか、わからない中で打ち合わせを進めていくのです。

日程が決まったら、親せきと母の友だちに連絡です。告別式の後と、葬儀の日に、何人が食事をするのかを把握しないといけません。これが大変です。
親戚からは、供花の注文を受けます。

夜になると、地域の区長さんが「区長が指名焼香をするのがこの地域の慣例だから、段取りをするように」と言いに来ました。
そのため、本当は家族葬にするつもりでしたが、司会者を入れ、会場も変更しました。
新聞のお悔やみ欄にも掲載しました。
家族だけってわけにはいかなくなったのです。

私自身の着るもの、香典、供花の準備もしないといけません。私は施主ではないので、香典を払い、供花も出しました。
それから、父親の着るものの準備も。

遺影用の写真、会場に飾る写真を探すのも大事な仕事です。我が家は、母が生前、「この写真を遺影に使ってほしい」と言っていたので、遺影は悩まずに済みました。亡くなった年齢より20年ぐらい前の写真ですが。

告別式の前に、葬儀屋さんと最終打ち合わせを行いました。このときに食事の人数を確定させます。

気になるのは、当日のお焼香の仕方です。
どうしようかと不安だったのですが、これは、告別式と葬儀の前に葬儀場の担当が教えてくれました。

住職にお布施を渡すタイミングも、葬儀場の担当が誘導してくれました。、
お寺の住職に払ったお布施は、30万円です。金額は住職に直接聞きました。このお寺では、30万円か50万円なんだそうです。
それにプラスして、住職には、御車代5000円、御膳代5000円も払いました。これは葬儀屋さんが教えてくれました。

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火葬場で見た人間の最終形

2019-01-29 17:39:53 | 日記
火葬場で人間の最終形を見ました。
そうです。
骨です。
人間は、どんな人もみな、最後は骨になり、骨壺に入れられるのです。

ある意味、とても平等です。
どんなに偉い人も、大金持ちの人も、見栄っ張りの人も、プライドが高い人も、美人も、最終形はみんな一緒。
親戚に囲まれて、あんなふうに焼かれるのです。

だとしたら……。
何事も、あまり無理しないで、普通に、家族仲良く暮らしていればいいんじゃないかと、思えてきました。
世の中に大きな足跡を残せなくても、小さな幸せがあれば。

それと、どこに住むかを考えることは、どの火葬場で焼いてもらうかを決断するということなんだと気付きました。
どこで焼いてもらいたいですか。





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